冬季シベリア横断自転車ツーリング報告書 Page2
1.あいさつ
厳冬のシベリアを本当に越えることなどできるのだろうか? しかも自転車で? 1995年冬の西チベット高原走行以来、胸の中にあった疑問は、昨年9月に横断を開始してからも、同じ思いを抱きつづけてゆくことになりました。より困難なツーリングを求めて挑んだ今回のシベリア、さらなる可能性を求めて、ロシアの西の端から東の端へ向けて走りつづけました。やがて雪がつもりはじめ、寒波がやってきて、日照時間はますます短くなってゆきました。東へ行くにつれて、よりワイルドな世界が広がり、人々はそれに反比例するかのごとく親切になってゆきました。そして新しい出会いと情報を得ながら旅は続きました。世界最深、最透明度を誇るシベリアの真珠バイカル湖の凍結湖面縦断、冬の間だけ存在するタイガの間をゆくジムニック(冬道)、凍結したレナ川の上にできる幻の道を、時には積雪に自転車を押したりしながらも走りつづけました。
零下40度近い寒さの中での走行、あまりの寒さにその性能のキャパシティーを越えたハイテク装備、今までの自分の経験値を越える厳しい寒さがそこにありました。冬にしか走れない凍結道路の存在、どれも今まで冬のエキスパートとして世界を走ってきた私にすら、新しい経験の連続でした。
その自然環境の厳しさにひかれて挑んだシベリアですが、人々との出会いも忘れがたいものでした。シベリアのチベット仏教徒たち、世界最寒の地にすむヤクート人たち、アジア系の少数民族たちとの出会いは、かつての日本人の祖先がシベリアからやってきたという事実を彷彿とさせる出会いでもありました。
248日間、14927キロという旅路の末、シベリアの東の縁オホーツク海の凍った海にたどり着くことが出来ました。かつてないほどに長く、果てしがないと思われたシベリアの森。厳しい旅に耐えられたからこそ出会えた世界がそこにありました。そして春の訪れと共に、ウインターサイクリストの旅は終わりました。タイガの白き道も、湖や河の道も、ぼくの旅と同じく春がくると消えてなくなる幻の道となりました。
今回の遠征は思いのほかの反響をロシアと日本に残す事ができました。草の根的な交流のみならず、双方のメディアに登場することによって、互いの友好に多少なりとも交流できたのではと思います。
雑誌などへの掲載が先立ってしまい、報告書の作成が大変遅れました。単独走破の旅とはいえ、地元民のみならず、日本でも協力くださった方々あっての旅でした。ここにいろいろと応援くださった皆さんへの、感謝と挨拶の書とします。ありがとうございました。
遠征期間: 2002年8月20日〜2003年6月5日迄 9ヶ月半
横断期間: 2002年9月1日〜2003年5月6日迄 248日
遠征舞台:
ロシア連邦: ロシア共和国、カレリア共和国、タタルスタン共和国、
バシコルトスタン共和国、ブリヤート共和国、サハ共和国
横断メインルート: 14927km
ムールマンスク〜サンクトペテルブルグ〜バイカル湖〜マガダン
付随ルート: ハバロフスク〜ウラジオストック約900km
総距離計15847km
横断のルートは現地で入手した情報を元に、当初の計画とは異なるものになりました。大きな変更としては、イルクーツクよりヤクーツクまで、凍結したバイカル湖やレナ川や、地図に載っていない冬の間だけ存在する冬道ジムニックにルートをとったことにより、旅は遥かに面白いものとなりました。
2002年
8月20日:成田発モスクワ入、RCTC(ロシアサイクルツーリングクラブ)訪問
情報収集、鉄道でサンクトペテルブルグを経てムールマンスクに移動
9月1日:ムールマンスク出発 (走行距離0km)
カレリヤ共和国、北極圏ライン、オーロラ、世界遺産キジー島
9月中旬:サンクトペテルブルグ バルト海フィンランド湾
事実上の横断出発点である大西洋に通じる海より出発
9月下旬:モスクワ通過
10月初旬:タタルスタン共和国、バシコルトスタン共和国通過
10月中旬:ウラル山脈越え いよいよアジアへ
11月初旬:西シベリア低地帯
オムスク手前で本格的に雪が降り始める。スパイクタイヤに交換
11月下旬:中央シベリア高原 ノヴォシビルスク(シベリア最大の都市)
12月初旬:トムスク郊外 零下42度、今回の旅の最低気温
12月中旬:クラシノヤルスク通過
2003年
1月初旬:イルクーツク着 東京とモスクワからパーツを受け取りマシン補修
1月中旬:イルクーツク出発バイカル湖へ、
湖がまだ凍ってないところがあり、一時中断
1月下旬:ブリヤート共和国でこの国のチベット仏教の総本山を訪問
2月初旬:バイカル湖全面凍結、再び縦断開始
2月下旬:横断を3回伴なう完全縦断達成
3月初旬:ザバイカルスク山脈越え、凍結したレナ川上の冬道をつかって、ヤクーツクへ
4月初旬:ヤクーツク出発コリマ街道へ
4月中旬:極東シベリア山岳地帯、寒極オイミヤコン
5月6日:マガダン郊外のオホーツク海ベセラヤ湾において横断達成。
走行距離14927km、248日間
5月中旬:飛行機でハバロフスクへ移動
日本海沿岸のウラジオストックまで約900キロ走破
5月下旬:シベリア鉄道で再び大陸を横断。モスクワで現地メディア訪問など
6月5日:日本航空で9ヵ月半ぶりに帰国。機内食の牛丼に涙する