荒野のサイクリスト写真集
第一次チベット旅行編 Part.1
中央チベット ネパールルート カトマンズ〜チョモランマ〜ラサ
Central TIBET Plateau, Friendship Highway
NEPAL Kathmandu - Mt.Quomalanma - TIBET Lhasa / 1995 January-February
ヒマーラヤを越える道
一九九五年一月下旬カトマンズを出発。ガンジス川支流沿岸にあるドラルガートでの海抜が五四〇メートル、そこよりチベット高原最初の峠であるヤールシュン・ラ峠の海抜五一二四メートルまでヒマーラヤを駆け上る坂が続く。積雪に道は阻まれ、なかなか前進もままならない。雪はどんどん深くなってゆきラッセルに苦しむ。自転車でヒマーラヤに登ろうなんて無茶な話だと、あるネパール人は言った。
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雪の女神に会いにゆく旅
ヒマーラヤの雪の女神チョモランマ峰に出来る限り近づきたいと思った。そこでちょっとベースキャンプまで寄り道することにしたんだけれど、これがちょっとどころか大変な寄り道だった。パン・ラ峠(海抜5150メートル)に達すると、そこには世界最高峰チョモランマがぼくの目の前に威厳を持って広がっていた!ここには高度のせいで酸素が平地の半分しかない。疲労と高山病の頭痛のため、ぼくの顔はもうろうとしながらも頼りなげに笑っていた。{
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冬のチベット高原
チベット高原に達すると、そこは荒涼とした大地が広がっていた。冬のチベット高原は確かに寒いが、乾季であるために天気はよい。連日抜けるようなチベットブルーの深く蒼い空の下を走る。それは宇宙に近い蒼色であり、言うならば月面の世界だ。気分はコスモノートサイクリストである。しかし標高五千メートルを越える峠をいくつも越えなければならず、雪があり空気も薄く、未舗装道路の情況も最悪で、おまけに高山病で頭がくらくらした。
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チベットのお坊さん一家
放牧の民であるチベット人の、ワイルドな生活の中にある優しさも忘れがたい。くたくたの状態である村にたどり着いた時の事、チベット仏教の僧侶の家にお世話になった。言葉はまるで通じなかったけれども、同じ仏教の心を持つものどうし心が通う。出発の際、お礼がしたくて心付にお金を置いてゆこうとしたけれども絶対に受け取らないばかりか、貴重な食糧である麦の粉や蒸し芋をたくさんくれた。写真を撮ってあげようとすると、一番上等の服でおめかしして出てきた。
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ギャッツォー・ラ峠
チベットでは数々の五千メートルを越える峠を走ってきたが、その中でもこのギャッツォー・ラ峠(海抜5220メートル)は第一次チベット旅行において最も海抜があった。チベットの峠では旅の安全を祈願してタルチョと呼ばれる仏教の経文の刷られた五色の旗をくくりつけてゆく。ぼくもカトマンズで買っておいたタルチョを縛り付けた。「どうかこの冒険が成功しますように。それから次の村に売店があって食糧が手に入り、しかもビールが売っていますように」
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風の中の旅人
テントを張りおわって西の空を眺めると、日はもう焼け落ちた後で、淡い紫色に空は染まっていた。その荒野の景色の中で、ぼくの髪はばさばさと風の中でたなびいた。茫然とただ立ち尽くしていた・・・・。彼はその時、怒っていたのだろうか?
それとも笑っていたのだろうか?
あるいは泣きながらそこに立ち尽くしていたのだろうか?
ぼくは確かにその時、自分が風になったと感じた。チベットを駆け抜ける荒野を吹きすさぶひとすじの風だった・・・・。
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精霊舞う聖なる湖
チベットの荒涼とした大地において、その蒼いガラスのようなヤムドク湖の平面の存在はそれだけで奇跡であり、人に畏怖心を与え聖湖たるに堂々であり、それは大地の優しさの証明であった。湖は半分凍結していた。氷どうしが擦れあう音が、まるで何かゆったりと大地が静かな交響曲を奏でているかのようだ。伝説によると、この湖には天界を追放された精霊が、白鳥に姿を変えられて住んでいるという。バックにノイジンカンサン峰(海抜7101メートル)
まだ旅は続きます。東チベット雲南ルート編(ラサ〜昆明)編へ
Hiro
Andow
Last Up Date : 2002/03/23.