Urban Beasts
「遅っせーよ」
営業部の片隅にある比較的大きな会議室。
普段は主に営業部員がプレゼンの打ち合わせをする際に使われるらしいが、この時はその広い会議室のドアを
開けると仏頂面の男が一人、真ん中の席に座って開けられたドアを睨んでいた。
「俺がクライアントならとっくに契約チャラにして帰っちまってっぞ」
「・・・悪かった。印刷屋から見本上がってくんの、遅れたんだ」
後から入ってきた男が、ぞんざいな物言いに対して申し訳なさそうに肩を竦めると、待っていた男は吸っていた
タバコを灰皿に押し付けて席を立った。
「なんだ、じゃあお前の所為じゃねェだろうが。そういう時は一本内線入れりゃあ良いんだよ。
内線の使い方くらい、お前だって知ってんだろ?」
「ああ・・・それも出来なかった、俺の責任だ」
「・・・相変わらずクソ真面目なヤツ」
クスッと怒気の抜け落ちた笑顔を浮かべ、突っ立ったままだった男に椅子を勧める。
促されるままに座るのを確認してから、再度その正面の席へ腰掛けた。
とある広告代理店の営業部会議室。
ここ数日は夕方から二時間、「サンジ」という名前で押さえられている。
サンジがこの会社に入社してから三年。
入社式の後催された歓迎会で、同期入社のロロノア・ゾロと派手なケンカをしたことから、二人はその年次の
超有名人となった。
サンジは営業、ゾロは技術で仕事上コンビを組むことが多かったのも、それを未だに持続させている要因かも
しれない。数人でプレゼンのチームを組む際にこの二人が顔を合わせると、大抵テーマから外れた所で下っ端同士の
小競り合いが勃発する。
肝心のプレゼンには大して影響も出ないので、上司も目を瞑る事が多かったが。
今回は、初めてこの二人が一つのプレゼンを任された。
ある飲料メーカーのCI(Corporate Identity)で、会社ロゴからテレビCFや、
発表会の進行に至るまで一貫して一社の広告代理店に任せるという契約で、プレゼンが行われる事になった。
二人の勤める会社も、一週間後のそれに参加する予定となっている。
発注元の飲料メーカー自体、全国的に有名であるため、それのCI発表会となればマスコミが注目しないはずもなく、
それをプロデュースするとなればかなり大口の契約となる。
そんな重要な仕事が何故自分達に回されたのかは疑問であったが、やり甲斐のある仕事には変わりない。
プレゼンも迫ってきたここ数日はケンカによる怒号もめっきりと少なくなり、最終的な詰めの作業へと入っていた。
「これも・・・まだ最終的にOKを出したモンじゃねェんだ。どうも指定通りの色が出ねェ」
広いテーブルの上に、ゾロが丸められていたA全サイズのポスターをバサッと広げる。
「これも3回目の色校なんだがな・・・」
「・・・成る程ね。お前が出したデザインとかなり印象変わるなァ。ロゴにも使われる『赤』だろ?
イメージ変わるとマズイよな」
「ああ。仕方ねェから今回はDICで指定した。今夜には上がってくるからまたチェック入れてくれ。
それでOKなら、速攻上に回さねェと入稿が間に合わねェ」
徐々に焦りの見えてくる口調に、サンジは小さく笑みを洩らして新しいタバコに火を付けた。
最初の煙を吐き出すと、それをゾロの眼前へ差し出す。
「・・・?」
「ま、落ち着けって」
笑顔と共に差し出されたそれにゾロがハッと息を呑み、俯きながらも受け取る。
口にくわえると一度慣らされたフィルターから緩やかに煙が入り込んできた。
サンジはヘビースモーカーで有名だが、ゾロは普段から吸っているわけではない。
しかし、こういう場面で差し出されるタバコは何故か心地よく、差し出されれば素直に受け取ってしまっていた。
尤も、そんな事をするのはこの『相棒』以外にないのだが。
「時間はまだ余裕あるぜ。今夜中に色校OK出れば充分『間に合う』。
ナンならバイク便でも使って届けさせりゃいい。どうせアッチ持ちだろ?」
いつの間にか自分でも吸い始めたタバコを指先で弄びながら、テーブルの隅に腰掛けて足を組む。
「そうだ・・・な」
ゾロは手に持っていたタバコをくわえ、もう一度深呼吸のように深く吸い込んで、吐いた。
「技術畑はアッチコッチから時間だとか何だとか、プレッシャーかけられっからカワイソウだよな」
不意にサンジの手が伸びてきて、ゾロの刈り込まれた短い髪を『よしよし』と言わんばかりに撫でる。
いつもならば煩そうに払い除けるであろうゾロが、不思議とそれに甘んじていた。
「・・・ンな事ねェよ・・・・・今回は」
「あン?」
しかし、撫でる動きを制するように手首を掴んで自分の目の前へ引き寄せる。
「今回は不思議な事に営業からのプレッシャーが全然ねェんだ・・・」
「・・・・っ!」
「スケジュール押してんのになァ・・・あの部長が黙ってるとも思えねェが・・・ハナから期待してねェのか、
それとも・・・何処かで堰き止められてんのか・・・」
掴んだ手の甲を鼻先に持ってきて、上目遣いにニヤッと笑う。
その意味深な微笑みが向けられた瞬間サンジは身体ごとビクリと跳ねさせ、慌てて手を引っ込めた。
「ととととととにかくっ!色校上がって来たらもう一回持ってこい!話はそれから!じゃ、解散っ!」
バタバタと出ていく姿は動揺を隠そうともしていない。
その後ろ姿を眺めながら小さく声を上げて笑ったゾロは、見本紙を片付けて早々に会議室の明かりを落とした。
―――それじゃ、行ってくるから。期待して待ってろよ
―――検討を祈る
そんなやり取りをメールで交わしたのは今朝。サンジはプレゼンの為、取引先へ直行だった。
仕事に一段落ついたゾロは、久しぶりに時間通りの昼食を社内の食堂で取っていた。
最近は時間が勿体なくて自分のデスクでカップラーメン、という事が多く、何だか久しぶりに人並みの食事を摂った
気がする。奮発したランチセットにはドリンクまで着いてきて、全ての皿を空にしてから氷の溶けかけた
アイスコーヒーに手を着けた。
「―――のプレゼンだろ?今日」
「ああ。サンジが一人で行ったんだって?ペーペーのクセに何であんな大口担当出来んだ?」
『サンジ』の名前に振り返ると、営業部所属の先輩社員が同じように昼食を摂っていた。
社内の噂話などゾロには興味なかったが、現在一緒に仕事をしている相棒の名前を出されては
気にならないはずもない。
一度向けた視線を戻し、肩越しに彼等の会話に耳を傾けた。
「はっ、そんなの・・・お前、知らないのか?ありゃ、デキレースなんだよ」
(――――――――――なに・・・?!)
思わず振り返りそうになる無意識の力をグッと堪えた。
その姿勢で動けなくなったまま、一瞬前の言葉が頭の中で木霊する。
「デキレース?」
「ああ。今回の仕事は最初からD社に決まってんだよ。何せ発注先の社長がソコの営業部長と親戚だからなァ。
けど、あれ程の大会社、CIともなればマスコミは注目するだろう。
業界各部にも興味を持たせようって魂胆の仕組まれたプレゼンなのさ」
目の前のグラスで溶けた氷がカラン・・・と小さく鳴った。
(デキ・・・レース・・・・・)
「でなけりゃ、サンジみたいな下っ端にあんな大仕事、任せるワケねェだろ?」
「そりゃ、そうだよな」
「あの犬猿コンビも大層頑張ってたのになァ・・・気の毒に」
突然、ガタッという大きな音に、話に興じていた三人が驚いて振り返った。
そこには、テーブルに両手をついて立ち上がったゾロの姿が。
「お前・・・ロロノア・・・!」
「今の・・・聞いて・・・?」
その質問に答えるつもりなどなかったが、視線だけで振り向くと、三人は蛇に睨まれた蛙のように全身を強張らせた。
ゾロの全身から溢れ出す怒りのオーラを目の当たりにして、怯えない者は少ない。
もとより、ゾロとサンジの『暴れん坊』振りは入社当時から有名だったのだ。
(アイツ・・・プレゼンはとっくに終わってるよな・・・!)
ゾロは今、とある地下鉄の駅周辺を走っていた。
食堂で備品に気を配りつつ、先輩三名を伸し、サンジが気懸かりで取引先へ向かったまでは良かったが。
目的の駅までは通い慣れた電車が運んでくれたのだが、その先から進めなかった。
そう、ロロノア・ゾロは類い希なる方向音痴でも有名だった。
ゾロは元々技術職で営業経験もなく、当然取引先の社屋を訪問する事もない。
初めて訪れる駅周辺に見覚えがあるわけもなく、地下通路へ戻れば、
それこそ何処へ行っても同じ景色に見える迷路さながらであった。
本人に自覚はないが、駅をぐるりと五週はした頃、
その時初めてそれまでの道から外れて入った通りのコーヒーショップに、見慣れた金髪を見付けた。
「・・・・・っ!」
慌てて店内へ飛び込むと、それは店の一番奥、カウンター席で、窓からも外れ壁と向かい合う形で座っていた。
「・・・・・」
ゾロはその斜め後ろに立ち止まると、乱れた息を整えるようにしばらく深呼吸を繰り返す。
それに気付いたサンジは振り返ると、くわえタバコのままニッと笑ってみせた。
「・・・仕事、サボってんじゃねェよ」
憎まれ口はいつも通り。
なのに、胸にツキリと何かが刺さった気がしたのは、微妙に違う声のトーンの所為だろうか。
「茶ァ呑みに来たんなら悪ィけど・・・俺、もう2時間はココにいるんだ。
何なら缶コーヒーぐらいは奢ってやるから、場所変えようぜ」
長時間居た割には飲んだ様子の感じられないカップを手にとって、サンジが立ち上がる。
それを近くのダストボックスへ放り投げると、ゾロを振り返らずに店から出ていった。
ゾロは慌てて追い掛けサンジの真後ろから着いて行くが、かける言葉の一つも思い付かない。
元々口数の多い方ではないし、普段ケンカばかりしているこの男に今更どんな言葉をかけろと言うのか。
そんな言い訳じみた事を考えていると、サンジは近くの公園へ入っていった。
公園、と言っても子供が遊ぶようなものではなく、狭く囲われた敷地の中に、ベンチが幾つかと水飲み場と
ジュースの自動販売機、公衆トイレが設置されているだけである。
サンジが何故こんな場所を知っているのかは分からないが、昼間のオフィス街の裏通り、
歩く人は殆ど見られなかった。
サンジは自販機でコーヒーを二本買うと、その一つをゾロに投げて寄越してからベンチに腰掛けた。
プルトップに細い指をかけると間もなくプシッと軽快な音が響く。
勢い良く一口煽って、カンを座っている自分の脇に置いた。
「・・・プレゼン・・・ダメだった・・・・・」
「・・・・・ああ」
ボソッと告げた声はいつもより低いトーン。
ゾロは何を足すことも出来ず、ただ頷くしか思い付かなかった。
「お前のデザインとか・・・アイデア、凄ェイイ線行ってると思ったんだけどなァ」
「・・・・・」
「最後、出来上がってきた『赤』だって申し分なかったぜ?さすが3回もダメ出ししただけのコトはあるよな」
「・・・ンジ・・・」
「採用されたの、D社らしいんだけどよ・・・素人目でもお前のがイイと思うんだよなァ、俺は」
「・・・・・サンジ」
「俺達にお鉢が回って来るなんて・・・おかしいと・・思ったん・・だ・・・・・デキレースな・・ら・・・
最初から・・やんじゃねェよ・・・なァ・・・?」
「・・・サンジ!」
「俺達なりに・・・一生懸命・・やったってのに・・よォ・・・っ!」
「サンジっ!!」
嗚咽にも似たサンジの叫びと共に、堪らず零れ落ちた雫がゾロの肩口に吸い込まれる。
ギュッと頭をそこに押し付けられて一瞬目を見開いたが、涙がゾロのシャツに吸い込まれる感触に、
思わずその背中に腕を回した。
「お前が・・・泣くことなんかねェ。あんなヤツらに悔しがる必要はねェんだよ」
「・・・・・」
「俺達は俺達のプライドを持って仕事したんだ。それは誰にも批判させねェ」
ゾロの凛とした声はこの仕事だけでなく、サンジの存在そのものを肯定してくれているような気にさせる。
吸い込まれていった悔し涙と引き替えに、とてつもない安心感を与えられたような気がした。
「それでも・・・俺は、お前とこの仕事が出来て・・・凄ェ、楽しかったんだぜ」
未だ掠れている声で、目元を赤く染めたまま顔を上げてニッと笑いかける。
そこには儚さも併せ持った、それでも強気のサンジがいた。
「ああ・・・俺も、楽しかった」
それに応えるようにフッと口元を緩めたかと思うと、サンジの目尻に溢れそうになっている珠をペロッと舐め取った。
「―――――なっ?!」
一瞬何が起こったのか理解できないサンジも、本能的に上体を仰け反らせてゾロから離れる。
「な、な、な、な―――?!!」
「あ・・・悪ィ・・・ハンカチ、持ってねェから・・・」
「だからって、舐めるか、ふつーっ?!!」
あまりにも近付きすぎた顔を押し退けようとするが、ゾロの両腕がそれを許さない。
逃れようと身を捩る事で余計に相手が面白がっているのに気付き、仕舞いには大人しく収まっている事にした。
「お前・・・マジで仕事サボってきたのかよ・・・」
「昼飯までは社に居たけど・・・メシ喰った直後に出てきたから・・・」
「・・・って、お前、二駅隣に来るのに何時間かかってんだよ?!」
ベンチの上で重なり合った影は、それの何倍もの長さに伸びている。背中に受ける西日は、かなり暑い。
「んー・・・でも、まァ、俺も半日サボっちまったようなモンだし・・・このまま呑みにでも行くか?」
「あー、ソレいいかもな」
ほんの少し笑い合った後で、フッと溜め息を付いたサンジがゾロの肩にコツンと額を乗せた。
「・・・?」
「・・・ありがと・・・な・・・・・」
消え入りそうな小さな声で一度だけ。
サンジにしてみればそれが精一杯の感謝と、喜びの表現だった。
それに対してゾロは、
いつか自分がそうされたように、柔らかい金髪頭に手を乗せ、『よしよし』と何度か撫でる。
その指先や掌からは慈しみが溢れんばかりに感じられ、サンジはまたギュッと目を閉じた。
その日彼等の会社では、真っ昼間の社食から医務室へ担ぎ込まれた営業部員三名と、
午後から行方を眩ませた三年目の犬猿コンビの話題が持ち上がったりもしたが。
数ヶ月後、広告業界を揺るがすプレゼンをしてのけた、例の二人を中心としたチームに比べたら
どうという事はないのかもしれない。
しかし、それはまた、別のお話――――――――――
The end.
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