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サンジが行方不明になった。
オールブルーでレストランをやっていたサンジとゾロだったが、また冒険に出る船長に半ば強引に連れられて、再びグランドラインを旅 していた。
二つの船を連ねて、お互いの船を行き来していた。
いつものように山のようなおやつを手にサンジがゴーイングメリー号に移ろうとしたときだった。
まるで巨人の手のような大波が、サンジを襲った。
あっという間にサンジが見えなくなると、海は先ほどと同じ静かになった。
ゾロがすぐに飛び込んだがサンジの姿はどこにも無く、ゾロは気を失うほど海に潜りつづけた。
しかしサンジはどこにもいない。
意識を取り戻したゾロが、疲れきった体で再び飛び込もうとしたとき
ルフィがゾロを殴り飛ばした。
「お前がサンジを想う気持ちはわかる。だがな、それでお前が死んだら意味ねぇだろう!」
ゾロの胸倉を掴み、ルフィは言った。
「サンジは俺達の大事な仲間でもあるんだ。皆で探そう。」
頭に上っていた血が一気に下りた。
シンとした空気の中、ロビンが口を開いた。
「もしかしたら、あの海流に乗ってどこか島に流されているかもしれないわ。」
グランドラインの海流の中に、さらったものを飲み込まずそのまま島に打ち上げるものがあるらしい。
あの大波がその海流かどうかは、ロビンやナミにもわからなかったがゾロはきっとその海流だと思った。
サンジは死んでいない、という確信がゾロの中にあった。
それから麦わら海賊団は、あの大波が行きつくだろうと思われる島という島を回った。
時にはログさえも無視して。
しかし手がかりさえも掴めずに、三年が過ぎた。
その間ゾロが笑うことは無かった。
ルフィ達の馬鹿騒ぎに声を出して笑ってはいたが、いつも目だけは笑っていない。
声や顔は笑っていても、目が哀しい色だった。
全員そのことに気がついてはいたが、誰一人それを言うものは無かった。
船はある大きな島に着いた。
かなり大きな所で町がいくつもあるらしい。
ゾロは真っ先に船を下りた。
なにか心の中が騒がしい。
本能の赴くまま、ゾロは町を歩いていた。
夕方の賑やかな市場に入ったとき、ゾロは息を呑んだ。
人ごみのなか、前を歩く細身の男。
肩より伸びた金髪を無造作に束ねている。
ゾロは人を掻き分けその男に向かって走り出した。
「サンジ!」
男の腕を掴みぐいっと、後ろを振り向かせた。
いきなり掴まれて驚いた男の前髪は長く片方の目を覆っており、くるんと巻いてある眉の下には蒼い瞳。
「サンジ…探したぞ!」
やっとみつけた…そう安堵したゾロに男は怪訝そうな顔をした。
「アンタ…誰…?」
わざとふざけているのかとも思ったが、怪しいものを見るような目付きにゾロは絶句した。
「待たせたな、フレイ。」
ゾロとサンジに似た男がお互いの顔をじっと見ていると、後ろから大柄な男がやってきた。
「フレイ?…サンジじゃないのか?」
「うん?アンタ、誰だ?」
ゾロの呟きに大柄な男は、眉をひそめた。
「…サンジじゃないのか…」
「…行くぞ。」
呆然としているゾロを睨みつけ、大柄な男はフレイと呼んだ男の腕を取り 市場の雑踏に入っていった。
人ごみに紛れる前にフレイは一度だけゾロの方を不思議そうに振り返った。
「お、おいっ。ゾロ、今のサンジじゃねぇか!」
立ち尽くすゾロの後ろからルフィとナミが走ってきた。
「ちょっと、ゾロ!」
「…どうやら…人違いらしい。」
「人違い!?」
「あぁ、フレイって呼ばれてた。」
「でも、あれは…」
「悪い、船に帰る。」
それだけ言うとゾロは、呼び止める二人を無視してきた道を戻っていった。
あんなにそっくりなのに。
姿も声もサンジなのに。
あのフレイと呼ばれた男は、ゾロを見ても顔色一つ変えなかった。
やっと見つけたと思ったのに、そう思うとゾロは唇を噛み締めた。
その夜、ナミがフレイという男について話し始めた。
どうやらあの後、聞きまわって来たらしい。
「フレイってコ、二年前に、一緒にいたトールってヤツとこの島に来たらしいわ。」
「二年前?」
「えぇ、何でも昔住んでた島で、両親に反対されて駆け落ちしたらしいわ。」
「か、駆け落ち…」
「どうやらあの二人、恋人同士みたいね。」
ナミの言葉に皆そっとゾロを伺う。
当のゾロは、固く目を閉じて座っている。
「何やっているヤツなんだ?」
「結構腕のいい漁師みたい。」
「二人でやってるのか?」
「漁に出るのはトールってヤツだけみたい。これ以上は判らなかったわ。町の人もあんまりあの二人について知らないみたいだった し。」
「でも、あれはサンジだったぞ!」
「うん…そう思うんだけど…少し様子を見ましょう?いいわね、ゾロ?」
ナミが気遣うようにゾロに視線をなげると、少し目を開け小さく頷いた。
次の日、ゾロは一人町はずれを歩いていた。
船にいると皆がゾロに気遣ってくる。
ありがたいと思いつつ、少し居たたまれなくなって鍛冶屋に行くと言って船を下りた。
「鍛冶屋は…どっちだ。」
港の人間に聞いたはすだが、ゾロは言われた方向と逆に来てしまいしっかり迷っていた。
口実に鍛冶屋と言ったが、このところ自分の手入れだけだったので きちんと本職の手に預けたかった。
がりがりと頭を掻いていると、大荷物を持った男にぶつかってしまった。
「あ、すまん!」
「いってぇ…どこ、見てんだ・・って、あんた!」
「サ…いや…フレイ…だっけか…」
「オレのこと、知ってんの…?」
「あ…いや、昨日一緒に居た男が言ってただろ。」
そうだっけと言いながら、フレイは散らばった荷物を拾い始めた。
ゾロも一緒にしゃがんで拾い集めた。
「?」
「ぶつかった詫びだ。手伝う。」
「そっか、サンキュ。」
全て拾い集めるとゾロは半分荷物を持ってやり、フレイの家へと向かった。
「アンタ、ここの人間じゃないだろ?」
「あぁ、そうだ。」
「旅でもしてんの?」
「まぁ、そんなとこだな。」
「へぇ…すげぇな…」
羨ましいとでも言いたげな視線をむけ、フレイは黙ってしまった。
お互い無言で歩いていると、フレイの家に着いた。
「あのさ…」
入り口で立ち止まったフレイが恐る恐る口を開いた。
「お前、オールブルーって知ってるか?」
「あぁ。」
「それ、あるって信じてるか?」
「信じてるも何も、俺はオールブルーを見たぜ。」
ゾロがそう告げると、フレイの顔が輝いた。
「それ、マジ!?」
「あぁ。」
「なぁ、教えてくれよ!オールブルーの話!」
「いいぜ。」
「あ…でも今日は時間ねぇや…トールが帰ってきちまう…」
「俺はいつでもいいが。」
「じゃあさ、明日!明日晴れたら、あそこ。」
そう言ってフレイは小高い丘を指差した。
「あの丘に来てくれるか?そんで教えてくれよ!」
「かまわねぇが…港からどうやって行けばいい?」
「港からなら一本道だ。大きな木が見えるだろ?あれを目印に来れば大丈夫だ。」
「判った。」
「晴れたらきっとだぜ!あ…あと、誰にもいうなよ?」
「?」
「トールの耳に入ったら煩いから。」
「あぁ。」
「じゃ!またな!」
嬉しそうに手を上げると、フレイは家に入っていった。
フレイの姿が消えてから、ゾロは来た道を戻り始めた。
明日が晴れであることを祈って。
次の日は見事な快晴で、ゾロは朝食が済むと真っ直ぐに丘を目指した。
迷うことなく丘に着くと、もうフレイが来ていてゾロに手を振った。
「こっちだ!」
「待たせたか?」
「いや、オレが早く来ちまって。昨夜は嬉しくて眠れなかったんだ。」
ゾロがフレイの隣に腰を下ろすと、矢のように質問が飛んでくる。
それにゾロは、思い出せる限り答えた。
「はぁ〜、やっぱり見てみてぇな〜。」
フレイは丘にごろりと横になると、楽しそうに呟いた。
気がつくと日はとっくの昔に真上を通り過ぎ、どのくらい夢中になっていたかが判った。
「こんなに夢中で話したの、初めてだ。」
「そうか。」
「いいな…オールブルー…」
目を閉じて幸せそうに呟いたと思ったら、フレイはいきなり飛び起きた。
「やべっ、トール戻ってきちまう!」
慌ててその辺のミントを摘むと、ゾロに振り返った。
「今日はありがとな。」
「あぁ。」
「そんでさ、もし良かったら…また話し聞かせてくれるか?」
「当分、この島に居るつもりだからな。かまわないぜ。」
「じゃ、明日晴れたらでいいか?」
「あぁ。」
「サンキュ!えっと…名前、聞いてなかった…」
「ゾロだ。」
「ゾロか…。なんか…」
「どうした?」
「いや、なんでもねぇ。じゃ、きっとだぜ!」
フレイは嬉しそうに手を振り、ミントの入った籠を手に家へと急いだ。
「どこに行ってたんだ。」
フレイが家に入ると、漁から戻っていたトールに咎められた。
「ミントを摘みに行ってたんだ。」
「一人で出歩くなと言ってあるだろうが。」
「子供じゃねぇよ。」
「心配なんだよ。それに、嫌な噂も聞いたし。」
「噂?」
「どうやら、麦わらの一味がこの島に来ているらしい。海賊なんて、碌なもんじゃない。
知らないヤツとは、話したりするなよ。」
「あぁ、わかったよ。トール。」
フレイはひらひらと手を振ると、キッチンに入った。
(ゾロは別に知らないヤツじゃないから、いいよな。)
摘んできたミントをグラスに活けると、その緑にゾロを思い出しフレイはにっこりした。
それから毎日、ゾロとフレイは丘で会っていた。
オールブルーのことだけではなく、いろんな話をした。
時折喧嘩染みたこともしたが、それはそれで楽しかった。
フレイには三年前からの記憶が無い。
前の島のことは、全部トールから聞いたことだ。
トールは優しいが、何かが違うような気がする。
自分を見てくれるトールではあるが、時折自分ではない何かを見ているような目をする。
そのせいだろうか、フレイは心の中にぽっかり穴が開いているような気がしてならなかった。
しかしゾロといるとその穴が埋まっていくような気がしていた。
フレイはゾロと会うのが、一番の楽しみになっていた。
「お前さぁ、もしかして麦わら海賊団のヤツ?」
ある日、フレイが切り出した。
「あぁ、そうだが。」
「なんだよ!早く言えよ。麦わらの一味といったら、オールブルーを見つけたコックがいるんだろ?」
「…」
「なぁ、そいつに会えないかな?」
黙ってしまったゾロを、フレイは覗きこんで少し驚いた。
ゾロはひどく悲しそうな顔をしていた。
「ゾロ?」
「…悪い、今居ないんだ。」
「居ない?」
「あぁ。」
「もしかして、そいつを探しているのか?」
「…あぁ。」
ゾロの辛そうな声に、フレイは急に苦しくなった。
「…もしかして、そいつのこと…好きだったのか?」
フレイの問いに、ゾロはフレイを見つめた。
ゾロの苦しそうな哀しい笑顔に、フレイは心臓を鷲掴みにされたような感じがした。
「そっか…見つかるといいな…」
フレイはそう言うと立ち上がり、弱く笑った。
「じゃ、オレ、帰るな。」
「おいっ。」
フレイはゾロに振り返ることなく、家へと走り出した。
どうしてか、胸が苦しい。
ゾロの哀しそうな顔を見たからか。
(違う!オレは…ゾロがっ)
ゾロに好きな人がいるとわかったから。
その人が居なくてあんな哀しそうな顔をするから。
家に駈け込むと、ベッドに身を投げ出し唇を噛み締め泣いた。
どうしてゾロと出会ってしまったのだろう。
どうしてゾロの笑顔を見てしまったのだろう。
あの優しく真剣な瞳に出会わなければ…
フレイはゾロの深緑の瞳を思い出すと、また涙が溢れた。
フレイが走り去った後、ゾロはメリー号へと戻っていった。
フレイの弱く笑った顔が気になったが、追いかけていってトールと鉢合ってはまずいと思った。
どこかフレイはトールを恐れているような感じがしていたから。
船のそばまで来ると、何か騒がしい。
「何で、アンタにそんなこと言われなきゃなんないのよ!」
「黙れ、海賊!とっくにログは溜まったはずだ。とっとと出て行け!」
ナミが大柄の男と言い合いをしている。
「何の騒ぎだ。」
ゾロが声を掛けると、振りかえった男はトールだった。 |
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振り返った男、トールはゾロを睨みつけてきた。
「ゾロ!アンタ、今までどこに行ってたのよ!」
「そんなことより、何の騒ぎだ。」
「コ・コイツがいきなり、島をで・出ろって!」
マストの影に隠れていたウソップが叫んだ。
「島を…出ろ?」
「あぁ、そうだ。お前達に居られると、迷惑なんだよ。」
「オレ達、何にもしてねぇぞ。」
ルフィがケロッと答えると、トールは更にゾロを睨みつけた。
「この剣士のお陰で、フレイはおかしくなりやがったんだ!」
「?」
「お前がフレイをこそこそ呼び出しているのはわかってんだ!
そのせいでアイツは俺に隠し事をするようになったんだ!」
「別に俺のせいじゃねぇだろう。」
「黙れ!この人殺しがっ!」
「!お前っ、ゾ…」
「ルフィ。」
トールの言葉にルフィがいい返そうとすると、ゾロがそれを止めた。
「お前は大剣豪のロロノア・ゾロだろう。」
「あぁ、そうだ。」
「大剣豪と言えば聞こえはいいが、その手で何人殺してきた。」
「…」
「そんな血で汚れた手でフレイに触るなっ。汚れた手で俺達の幸せを壊すな!」
「幸せ…?」
「アイツは、フレイは今まで幸せに暮らしてきたんだ。お前はそれを壊そうとしている!」
「本当に幸せなの?」
黙って成り行きを見ていたロビンが、口を開いた。
「彼は本当に貴方のいう、フレイなのかしら。」
「貴様…何を…」
「だって貴方のフレイは…」
「黙れ…」
「女性じゃない。」
「え…どういうこと…?」
全員、驚きの目をロビンに向けた。
ロビンは手に持っていた数枚の紙を差し出した。
「貴方の以前いた島に古い知り合いがいて、気になったから調べてもらったわ。
今日やっとそれが届いたの。」
ナミが慌てて紙を取り、目を走らせた。
それにはトールとフレイについて書いてあった。
トールとフレイは身分違いの恋をしたこと。
それを嫌ったフレイの両親が、勝手にフレイの結婚を決めてしまったこと。
それを知った二人は島を出ることを決めたこと。
「しかし、フレイは親を裏切ることが出来ず、トールとの約束を破ってしまったらしい。
今は親の決めた相手と結婚し、二児の母親として幸せに暮らしている…」
「二児の…母親?」
「彼がコックさんという確証はないけれど、フレイで無いことは確かよ。」
「黙れっ、女!アイツはフレイだ!俺のフレイなんだ!貴様ら出て行け!!」
「お前こそ黙れ!この船の進路は、船長のオレが決めることだ!
それにアイツはサンジだ!仲間を置いて、オレは行かねぇ!」
そう叫んだルフィを、ゾロは制止た。
「行こう、ルフィ。この島を出よう。」
「「ゾロ!?」」
全員が驚きの声を上げる。
ゾロは船長のルフィには、何時だって従うのに。
それにサンジを置いて行くなんて。
「…お前はそれでいいのか。」
「あぁ。」
ルフィはゾロをぐっと睨みつけていたが、くるりと背を向けると
「明日、準備が出来次第出航だ。皆、用意をしとけ。」
それだけ言うと、男部屋と消えた。
バタンと扉が閉まると、ゾロはトールに向き直った。
「そういうことだ。安心しな。」
「…」
トールはゾロをぎらぎらと睨みつけながら、踵を返すと船を下りていった。
「ちょっとっ、ゾロ!何言い出すのよ!」
呆然としていたナミが我に返り、ゾロに詰め寄った。
「本気でサンジ君を置いていく気?彼がフレイじゃない以上、サンジ君の可能性…
ううん、彼はサンジ君じゃない!」
「…あぁ、そうだな。」
「じゃあ、なんで置いていくのよ!サンジ君の記憶がないから?
アンタを思い出さないから?だから、置いていくっての!?」
「…」
「記憶がなくても、そこから始めればいいじゃない!何度でも!」
「…もう、いいんだ。」
「!うっ…バカッ!」
ナミは持っていた紙をゾロに投げつけると、倉庫へ飛び込んでいった。
ウソップは黙ってゾロを見ていた。
その目は彼らしくない程険しい物で、ただ泣き続けるチョッパーを促すと
キッチンへと消えた。
「余計なことをしてしまったかしら。」
甲板に残っていたロビンが静かに口を開いた。
「いや…。」
「そう…なら良いけど。…でも、諦めるなんて貴方らしくないわ。」
少しも表情をを変えずにそう言うと、ロビンはナミの消えた倉庫へと入っていった。
一人甲板に残されたゾロは、自分の手を見つめ小さく笑った。
今まで己の信念だけでここまで来た。
幼い日の約束どおり大剣豪を目指し、そうしてこの手で掴み取ったのだ。
それを誇りに思ってきた。
しかし、あの男に言われるまで気がつかなかった。
大剣豪の名を掴むのに、自分の手を他人の血で汚してきたことを。
愛する者に触れてはいけない手になっていたことを。
気がつけば、もう空は金色の色も海へと消える頃だった。
ソロは空を仰いだ。
閉じた目尻から、一筋の涙が流れた。
サンジが居なくなってから、初めての涙だった。
フレイは、バタンとドアの閉まる音で目が覚めた。
辺りはすでに真っ暗で、ベッドサイドの時計を見ると午前一時を過ぎていた。
泣きながら何時の間にか眠っていたらしい。
千鳥足なのか、あちこちにぶつかるような音が聞こえたと思ったら
寝室のドアが開き、トールがよろよろと入ってきた。
「うぅ〜、ふれいぃ〜。」
ベッドから起き上がったフレイは、トールから臭う酒臭さに顔を顰めた。
「なぁに、そんな顔をするんだ。フレイ。」
「酒、飲んできたのかよ…。酒臭い…」
避けるようにベッドから降りようとしたフレイを、トールが腕を掴みベッドへと押し倒した。
「止めろよ、トール。」
「何を嫌がる?俺は…」
そう言ってトールはフレイに覆い被さるように、キスをしようとした。
「っ!やめっ…」
「俺は…お前の恋人だろう?俺が好きなんだろう?」
「違うっ!っ…」
フレイは思わず叫びながら、覆い被さる巨体を蹴り飛ばしてしまった。
壁まで飛ばされたトールは、唸りながらよろよろと立ち上がった。
フレイは息を呑んだ。
窓から射し込む月明かりに照らされたトールは、まるで狂った獣の目をしている。
「フレイ…」
「く、来るな…」
「お前は…また、俺を裏切るのか…?」
「?な、何のことだ?」
「あの金持ちで優しいだけの男に飽き足らず、今度は人殺しの所へ?」
「ひ、と殺し?」
「裏切るのか!また、お前はっ!」
雄叫びを上げて、トールはフレイに襲い掛かった。
ベッドに押し倒され、フレイは息が出来なくなった。
フレイの首は、トールの節くれだった手でぐいぐいと締められていく。
トールの太い手首を掴み、引き離そうとするがびくともしない。
落ちていく意識の中で、閉じた目の中がちかちか光る。
緑色に光るそれを感じたとき、フレイではない他の名前で誰かが呼んでいる気がした。
(殺されて…たまるかっ!)
落ちかけた意識を取り戻すと、渾身の力を振り絞りトールを蹴り飛ばした。
飛ばされたトールは、うめきながらずるずると倒れた。
それを振りかえることもせず、フレイは窓を突き破り外へと走り出した。
はぁはぁと息が切れるのも構わず、フレイは暗い町の中を走っていた。
いや、フレイではない。
今までフレイだと、思っていた男だ。
さっきのトールの言葉から、自分は彼の言うフレイではないと感じ取った。
彼の言うフレイが誰なのかはわからないが、自分ではないことは確か。
トールが昔の話をいくらしてくれても、記憶の扉が開くことはなかった。
まるで合わない鍵のように。
これで今までの違和感にも、納得がいく。
(じゃあオレは…誰なんだ!)
息が苦しくなり立ち止まって心の中で叫んでも、答えは出てくるはずも無く。
ただ判っているのは、もうここには居られないということ。
ふと気がつくとそこは港で。
トールに禁じられていたから、来ることの無かった場所。
(どこでもいい。ここではない、どこかへ行こう…)
暗くてよくはわからないが、丁度目の前に手頃な船がある。
なんとか頼んで乗せていってもらおう。
自分に航海が出来るかは判らないけど、料理なら何故か得意だ。
コックでもコック見習でもいいから。
そう決意すると、船へと乗りこんだ。 |
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乗りこんだ船の中を、足音を忍ばせて歩く。
暗くて手探りで見つけたドアを開き中へと入ると、広めの部屋の中にいくつものテーブルとイス。
(客船か?ここは、ダイニング?)
そろそろとテーブルの間を通り過ぎ、奥のドアを押し開けた。
(厨房…)
窓から入る月明かりだけでも、そこが調理場だとわかる。
そっとシンクの前に立つと、まるで誂えたかのように自分の背丈にぴったりする。
シンクだけではない。
上の棚も脇にある戸棚も、驚くほど動きやすく出来ている。
(へぇ…いいな…)
「誰だ?」
いきなり後ろのドアが開き、慌てて振りかえった。
「ゾ…ロ…」
「サ…フレイか?どうして…」
ドアの前に立っていたのは、ひどく驚いた顔のゾロだった。
フレイと呼ばれたことに胸が痛んだが、むりやり笑って答えた。
「あー悪ぃ…勝手に入って…。いや、どんな船かなぁって思ってよ…」
ゾロの船だとは思わなかった、と言うと俯いた。
本当にゾロの船だとは思わなかった。
ここがゾロの船だとすると、この厨房はゾロの好きな人の城だ。
主が居ないはずの厨房がこんなに綺麗なのは、きっとゾロが大切にしてその人を待っているから。
少しの間忘れていた痛みを思い出し、きゅっと唇を噛み締め俯いた。
自分がゾロの好きな人だったらどんなにいいだろう。
あの優しく強い瞳に見つめられ、オールブルーを見ることが出来たら。
涙が出そうになって、慌ててシンクの方へ向き直った。
ゾロは、本当に驚いていた。
殺すような物音と、殺そうともしない気配に厨房へと来てみれば。
そこには恋焦がれる恋人、いや元恋人が昔のように厨房に立っていた。
今日、船に戻ってくるまではサンジの記憶がなかろうと 力ずくでも連れていこうかと思っていた。
しかしそれは許されないことで。
触れることすら許されないこの手で、そんなことは出来ない。
どこにいようと、どんな記憶でもサンジが笑って暮らせるのならそれがいい。
やっとたどり着いた結論。
諦めの笑みを浮かべたとき、サンジがこちらに背を向け息を呑んだ。
何時も無造作に束ねられていた長い金髪が、今は何故か解け下ろされている。
その髪に吸い寄せられるように、思わず近づいていった。
「?ゾロ…どうした?」
背後にゾロの気配を感じたのか、サンジが振り返った。
「いや…髪が。」
「髪?」
「サラサラで、綺麗だと…思って。」
「!」
目の前がぱぁっと開けた気がした。
固く閉ざされていた記憶の扉が、ゾロの言葉の鍵で造作も無く。
「ゾ…ロ…」
「ん?」
「ゾロ、ゾロっ、ゾロ!」
全部思い出した。
ゴーイングメリー号も、オールブルーも、この船のことも。
そして何よりこの愛しい男のことを。
サンジは堪らなくなって、ゾロへと手を伸ばした。
「フレイ?」
「フレイじゃない。オレは…オレは!」
「…サンジか?」
「あぁ、思い出した。全部。この船も、オールブルーも、お前のことも!」
サンジの手がゾロに触れる寸前、ゾロがすっと一歩後すさった。
「ゾロ…?」
「触れるな…」
「?どうして!」
「俺は…お前に触れてはいけないんだ…」
「?」
「俺の手は…汚れている。」
「汚れて?」
「他人の血で…今まで倒してきたヤツらの血で、汚れまくっているから…」
お前には触れることは出来ないんだと、ゾロは吐き出すように言った。
サンジは一瞬戸惑ったが、ふわっと笑うとムリヤリゾロの手を取るとその手に口付けた。
「!やめろっ。」
「どこが、汚れているんだ?」
愛しそうに口付けを繰り返しながら、サンジは笑った。
「お前の手が血で汚れているとしたら、それはお前の血だろう。」
「え…?俺の血?」
「確かにお前は沢山闘ってきて血も沢山浴びた。でも、それ以上に お前は血を流してきただろう?」
「俺の血…」
「お前が嫌ってくらい流した血は、オレの飯で出来た血だ。 それのどこが汚いんだよ。」
サンジは手のひらに口付けながら、ニッとゾロを見て笑った。
そうだ、俺の血はコイツの飯で出来た血だ。
誰になんと言われようと、コイツがそう言ってくれるのなら恥じることはない。
「そうだな…。俺の血だ。」
「やっと、わかったか?それよりお前、オレになんか言うことは?」
「…おかえり。」
「…ただいま。」
白々と明るくなってきた厨房で、3年ぶりにキスをした。
ベッドサイドの明かりの中、ゾロとサンジは同時に息をついた。
そして整わない呼吸のまま、見詰め合った。
サンジが戻ってきた朝、ゴーイングメリー号はとてもいい匂いで皆目が覚めた。
キッチンに行くと、山のような朝食と笑顔のサンジ。
ルフィは歓喜しサンジに巻き付き、ウソップとチョッパーは嬉し泣きをし
ナミはゾロをどついた。
でも、その瞳が潤んでいて、ゾロは苦笑した。
ロビンは何も言わなかったけれど、静かにでもとても嬉しそうに微笑んでいた。
その晩はいつものような大宴会で、敵襲でもあったらあっけなく落ちただろうと
いうくらい皆酔いつぶれ。
次の晩は、男部屋で野郎だけで雑魚寝をした。
三日目の晩はゾロとサンジの寝室に、チョッパーが枕を持ってやってきて
親子のように川の字になって寝た。
そしてサンジが戻って四日目の晩。
三年ぶりにお互いの熱を、体で感じることができた。
久しぶりの行為に、おそらく初めての時より緊張した。
優しく見下ろしてくるゾロが恥ずかしくて、サンジは目を逸らした。
そんなサンジが愛しくて、ゾロは黙って長い金髪を撫でた。
サンジはふと窓の外を見た。
あのあとトールはどうしたのだろうか。
あのまま出航してしまい、彼のところへ行くことはなかった。
記憶を取り戻した今、トールに出来ることなんて自分にはない。
彼が欲する者と、自分は違うのだ。
自分が欲する者もまた、トールではない。
自分勝手だが、そう思うより仕方が無い。
「どうした?」
少し険しい顔のサンジを、ゾロが覗きこんできた。
サンジはゾロに視線を戻すと、おかしくなり笑った。
数日前が嘘のようだ。
ゾロを苦しい程好きになり、ゾロが想う自分に本気で嫉妬した。
そんな自分が本当に可笑しい。
「なに、笑ってやがる。」
「んー、自分が可笑しくってよ。」
「?」
「オレ記憶無かったとき、お前を好きになった。」
そう言いながら、ゾロのピアスに手を伸ばした。
「そんでお前に好きなヤツがいるって判った時、自分で自分に嫉妬した。」
「…」
「きっとさ、オレは何度でもお前を好きになるんだ。何時、どんな時でも。」
「サンジ…」
「それがわかったから、可笑しいんだ。」
言ってしまってから照れくさくなり、ゾロのピアスを引っ張ってキスをした。
また離れ離れになったとしても、またこの男に恋をするだろう。
それはゾロも同じ事。
でももうあんな思いをするのは耐えられない。
だからこの手は二度と離さない。
例え、どんなことがあろうとも。
Fin |
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