近況報告

中島 真治
私は、この7月より、2年間の関西広域連携協議会出向を終え、勤務先に戻り合併準備の仕事をしています。2年間のブランクもさることながら、企業の合併は想像以上に大変で、当面は多忙な日々が続きそうです。今回の異動では、仕事については大きな変動がありましたが、生活の拠点に変更があったわけでもなく、単に本来のサラリーマン生活に戻っただけですので、文章にしてもあまり面白みがありませんので、出向時の終盤に担当していた仕事の一部を紹介したいと思います。(どこが近況報告やというところですが、ご容赦ください。)
出向先の関西広域連携協議会は、関西の官民の連携を強化することによる関西全体の総合力の向上を目的に、前関経連会長の新宮康男氏が中心となり、関西の主要自治体と経済団体が参加し11年6月に設立された新しい団体です。私は、勤務先の関係で大阪商工会議所を代表する形でその事務局に出向し、情報発信・観光振興を担当していました。
出向当初は、担当業務がどう考えても本業とかけ離れた内容でしたので、適当に流しておけばいいやと考えていましたが、ホームページ管理や海外からの集客といった非常に面白いことを給料と事業費をもらってやることができ、そしてそれが関西のためになるなら自分としてもハッピーなことだと考えるようになり、のめりこんでいきました。
担当業務の中でも最も印象に残っており、また力を入れたのが海外メディアの取材支援でした。もともと海外に対し関西をアピールする手法として、海外でのフォーラムの開催や旅行見本市への出展・パンフレットの作成といったことを各自治体ともに行っていましたが、費用対効果を考えると、移動費や滞在費を当方で負担してでも海外のメディアを招聘し記事にしてもらった方がより効果的だということで、主に日本への観光客の多い東アジア諸国を中心に、関西への取材誘致を積極的に行い、出向期間の後半にはほぼ月1回以上のペースで取材支援を行いました。
取材支援については3人くらいでチームを組んで対応していましたが、全員別の担当も持ちながらでしたので月1回平均とはいえ、結構大変でした。(私も本来はホームページ「Kansai Window」の担当。そのイベント情報のコーナーに職権でオリエンテーリング情報を載せていました。)関西の取材を希望するメディアがあればその希望(文化体験ができる施設、冬の味覚と温泉、夜景のきれいなスポットなどさまざま)に基いて、取材先を選定し交渉するわけですが、知名度の低さから怪しまれたりスケジュールが合わなかったりで、アポ取りがまず一番大変。一番最初に京都のアポ取りを一人でやった時は、取材先の間の移動時間がわからなかったり、アテンドの際に自分で迷っていてはいけないと休みに一人で3回ほど現地に行った程でした。
アポ取りとスケジューリングがしっかりできれば、取材当日の記者や取材クルーへの立会いも比較的楽なもの。もっとも楽なのは、こちらのスケジュールや案内通りに動いてくれる場合のみ。メディアによっては、(当然視聴率等がかかっているわけでありわからなくもないが)事前に了承していたはずのスケジュールや取材先を面白くないとしてキャンセルしたり、別に興味ができたものがあるので変更して欲しいと言い出す場合があり、そうなると大変。メディアに少しでも多く露出してもらうには、当然記者の興味を引いたものに時間を掛けるなど柔軟な対応は必要ですが、個人の方に無理をお願いしてアポ取りしたものなどは、記者の方をなだめすかして予定通り取材してもらうなど、神経をすり減らすことも多かった。
記者の方がこちらの言うことを聞いてくれる場合でもハプニングはつきもの。「関西冬の日本海の味覚と温泉」をテーマに4泊5日の予定で台湾のケーブルテレビの取材クルー8名と天橋立温泉に泊まった時のこと。雪の中の取材が続いたせいかメイン・カメラが故障。場所も天橋立であり、代替機も修理もままならない。サブのカメラとしてデジタル式のものもあったが画質の関係で、やはりメイン・カメラが必要ということになり、急遽夜12時頃台湾から運んでくることに決定した。そして次の日、日本語が全然わからないという同テレビ局のスタッフが、台北からの始発便で関空に入り、電車を乗り継ぎ、翌日の取材地城崎に夕方6時にカメラを担いで登場したのには感動した。しかし、泊っているのは有名旅館。1名追加する予算はない。部屋では適当に雑魚寝をしてもらったうえ、夕食はどさくさにまぎれて(仲居さんが給仕をしているにも拘らず)背格好の似た者と途中で入れ替わってもらったが、この追加メンバーがお調子者。一人ハイになり仲居さんにまでちょいかいをかける始末。「キミは目立ったらあかんねや」と私は心の中で叫んでいた。さすがに私もこの後ダウン。城崎まで来て温泉に入らずに寝てしまった。
また、日本人があたりまえに思っているものに興味を示したり、こちらが受けると思っていたものが受けなかったり。香港のフリーライターを神戸のポートタワーからハーバーランドに案内したときは、近くの住宅公園(住宅展示場)に興味を示し1時間くらい外観の写真を取っていた。曰く香港に建売住宅の展示場は無いとのこと。ましておしゃれな住宅から、ゾウの人形やドラえもんが覗いている光景は彼らからすると非常に楽しく感じたようでした。
また、日本旅行歴30回以上という日本マニアの台湾の旅行ライターの方からは、京都の香道や茶道・西陣織・和菓子の体験施設や信楽などの取材希望があり、日本人の私の方が勉強になりました。
このように苦労した(もともと旅行は好きでしたので半分以上趣味的にやっていましたが)結果が現地のメディアで放映や掲載されるのは格別です。小は数万部の旅行雑誌から大は韓国国営放送の視聴者6百万人まで差はありますが、日本の歴史文化の中心地・関西の魅力の一端でも伝えられたとしたら、関西出身の私としては満足です。(おまけに、私も韓国のテレビや台湾の旅行ガイドに登場しました。記者の方のサービス半分?)
以上、この2年間の経験が、普通のサラリーマン生活に今後役立つとも思えませんが、それと違ったいい人生経験を積むことができたと考えていますし、トルシエ氏と同じ表現ですが、いい冒険ができたと思っています。

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