APOC2002カナダから豊中十KOLA夏合宿

池田 辰雄
APOC2000オーストラリアに参加する予定が直前に入院、手術でだめになり残念な思いをした。あれから2年、体重は15s減のままだが体調はまずまず、軽いぶん動きやすい。スタミナ不足、食事がうまくとれるか等心配はあるが参加することにした。術後2年点検異常なし、カナダ行きを宣言。先生に薬をどんといただいた。関西空港より少々苦労はあったが、カナダのカルガリーへ到着。まずここをべ一スにして、カナダOLチャンピオン大会2日間、APOCリレー、APOCチャンピオン大会の4レースに参加した。M65Bにエントリー、なんと一緒に参加した藤田さん、柴
田さん、私、あとハワイの人と四人だけだった。コース距離2.26〜2.83q登距離30〜70mの微地形。気心の知れた仲間の戦い、慎重に慎重にが功を奏し、カエデの葉をかたどった金メダルがもらえた。テレインはカナディアンロッキーの東のふち、見事な絶壁を持っヤマヌスカ山のふもと絵はがきのような景色のテレインであったり、またの日は、大草原の中にできた大きな凹地の町ドラムヘラーであったり。ドラムヘラーは恐竜の化石が出る不気味な地層に取り囲まれている恐竜の町で、近くの草原と森のゲレンデと変化にとんでいてこれも楽しみ。
後半は、カルガリーから北へ300qのエドモントンヘ移動。カナダショートOLチャンピオン大会、北アメリカチャンピオン2日間大会の3レースに参加。会場へは車でいくら走っても走ってもなだらかな起伏の草原が続く。道路は直線(アルバータ州の地図を見ると、このどこまでも広い草原にほんとうに碁盤の目のように道路が引かれている)今度のゲレンデはなんと砂漠地帯。記録的な暑さ(32℃)と砂の道に苦しめられた。私の「OLは慎重に」を忘れてポカ。取りかえそうと焦ってダメ。残念ながらつるまいの柴田さんに1位をゆずってしまった。
13日間のAPOCツアーは長かったが、楽しく、無事、好成績?で終わることができた。会場からスタートヘ送ってくれるバスの中で、東京の磯谷さんが「OLは、ぜいたくなスポーツですね」といわれた。ほんとうにそうだと思う。このような広い大地で今回7レースを運営していただいたカナダの人々。私たちのツアーでも、仕事とはいえてきばきと働くすぱらしいガイド嬢、まとめ役の古賀さん、久保さん、英語のガイドブックを毎日わかりやすく日本語で説明してくださった寺尾さん、多くの人たちのおかげだと感謝です。私たちは、岩水ご夫妻にカナダで会えるのを楽しみにしていた。お二人はいつものようにごく自然に、期待どおりいい雰囲気で現われた。カナダの景色にピッタリで二人の写真を撮らせてもらった。
火曜日に帰宅して3日間休憩して、豊中十KOLA夏合宿に参加した。日本の夏は気温はカナダとおなじでも湿度がちがう。暑く苦しい。JR笠田駅から観光旅館美嶋荘へOLの服装にして「天野」へ、トンネルが開通していてあっというまに到着。
午前 1回目ショート 午後 2回目ショート
カナダで会得した慎重に慎重にを心がける。1回目 1900m UP100m 6コントロール
2回目 1600m UP150m 4コントロール 地形が大きく変化している日本のテレインはゆっくり行けばわかりやすい。それなりの成績であった。旅館へもどって、すぐ温泉へ「ああ、いい湯だな」カナダとこれはおお違い。日本の温泉はすばらしい。夜はOLの反省会。みなさんよくしゃべること、あっという間に11時。
2日目はクラッシックレース B 3800m UP150m 9コントロールに出る。植生が悪いところがあり通行に苦労するが、前日の学習を生かしてゴールした。もう1度温泉に入り、さっぱりとした。ビールがうまい。この時から少ししか飲めなかったビールがすっとお腹に納まるようになった。ふしぎなことだ。
24日外来診察日。真っ黒に焼けた顔でおずおずと先生の前に、「カナダどうでした」「おかげで調子よかったです」「お腹見せてください」「Bクラスですが、1位でしたよ」「ほう、優勝ですか」先生にお腹をぽんとたたかれて、びっくりした。
一見、市街地の道路のように見えるが広い広い原野の中につけられた道路。アルパータ州の地図ではロッキー地方をのぞいて、このような碁盤の目のように道路がついている

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