ロブさんのホームステイ

澤地 實
プロローグ
大阪OLCでは、今年のウエスタンカップ開催に向けて、プロマッパーのロブさん(Robert Plowright)に依頼して黒添池(くろんどいけ)の調査を行いましたが、調査期間中(1月14日〜25日)我が家にホームステイしました。
ロブさんのホームステイについて岩水さんから打診されたのは、11月23日東日本大会の会場ででした。我が家が生駒にあり黒添池から近い、ということで白羽の矢が立ったようです。その時は会場への到着時間が遅れ、少々あせっていたので、詳しいことは聞かず上の空で、嫁さんと相談してから、と応えておきました。内心嫁さんの協力無しでは到底受け入れられないし、外国人のホームステイは初めてでやがるかもしれないと思っておりました。家に戻り、恐る恐る切り出すと、以外にも嫁さんも娘達もOKで、すぐ岩水さんに返答しました。 
 出迎えは1月14日のお昼過ぎ、阪本さんともども京都駅の新幹線ホーム上で、どんな人かと興味津々待ち受けました。車両から出てきたのは岩水さん似のハンサムな好青年、後で年を聞きましたが10歳以上は若く見えます。まず昼食(にしんそばとせいろ)を取りながら調査の打ち合わせを済ませ、その後生駒の我が家に一旦向かい荷物を下ろして早速現地に入り、軽く予備調査を行いました。


ロブさんの横顔
 1962年キプロス生まれのオーストラリア人。父親がイギリス空軍の軍医さんで、その関係でイギリスやドイツ等を転々とした後、6歳の頃オーストラリアに移住し、メルボルン近郊で育ちました。オリエンテーリングへは15歳頃お父さんの患者さんの勧めで一家揃って始めたそうです。
 戦歴はジュニアで活躍した後、1985年から91年にかけて、世界選手権のオーストラリアの代表選手だったそうです。
 マッパーとしての経歴は、1986年頃から始め当初は週末にクラブのために行っていましたが、1987年には選手としてフランスやスウェーデンを転戦した後、6ヶ月間ベニス近郊の地図作りを行ったそうです。来日は5回目で、静岡でのワールドカップのコントローラーを務めた他、秋田、日光、静岡、愛知(作手)等のマップ作業を行いました。今回は12月初旬に来日、サンスーシの依頼で神奈川(丹沢)の調査を行い、静岡で二日間程の調査を経て関西に来ました。

日常生活
我が家では何分ホームステイの受け入れは初めてで、当初、部屋、寝具、食事、洗濯等どう対応したらいいのかと少々悩みましたが、マア本人に合わせ、自然体でいこう,と割り切りました。本人はイギリス系らしく落ち着いた雰囲気で、ホームステイや民宿泊まりで日本での生活には慣れており、案ずるより生むが易し、でした。日本語は単語レベルだとかなり通じ、食事は和式でも洋食でもなんでもござれで、こちらに合わせてもらいました。この点は楽でした。箸の使い方もうまく、また納豆まで食べられます。ただ食後の果物がご希望で、弁当にも用意しました。夜は強いが朝は弱い、とのことで、起床は7時半頃、1時間ほど食事や調査の用意に費やし、出発は8時半、迎えは5時頃、嫁さんが車で送迎しました。

現地調査
当初、十日間では1キロ四方程度しかできない、ということでしたが、精度が多少下がっても全区域をカバーして欲しい、と頼みました。それは了解され、調査計画を聞くと、中央部に4日、周辺の東部に2日、西部と南部で2.5日、北部で1.5日、という計画を立てていました。5,000分の1の地図を下敷きに現地を調査して書き込み修正して、スキャナーで取り込み、O-CADで作図するそうです。PC等は持ってきておりましたが、前の調査の作業も残っており、我が方の分は帰国後になるようです。
雨の日や雪の積もった日もあり、現地調査は大変だったと思います。嫁さんに聞くと、かなり疲れ切って帰ってきた日もあったようで、本人も率直に大変、と言っておりました。若く体力が無いと続かないようです。


エピローグ
こうして1月14日から25日までのホームステイは終わりました。調査の成果はこれからであり、我が家の対応でロブさんに満足していただけたか分かりませんが、とりあえずやることはやったつもりで、何はともあれ嫁さんに感謝、です。
嫁さんいわく、初めは毎日早く帰って来て、でしたが、二日目からは、遅い方がいい、となりました。二人一緒だと酒が入って面倒だし、本人の作業にも差し支える、とのことでした。このお言葉には十分甘えさせてもらい、結局揃って食事したのは朝食と2回の日曜日のみでした。
我が家はケーブルネットで24時間のインターネット環境にあり、ロブさんはこれを活用してメールや資料のやり取りを行い、また故国のニュースやラジオを聞き楽しんでもおりました。この点は喜んでもらえたと思います。
帰国後は2月から1年ほどキャンベラでコーチの仕事しながら、スポーツコーチの全般的な研修を受けるそうです。その後は未定で、また日本に来るかもしれない、と言っておりました。また皆で一杯飲めたらいいですね。

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