大正時代に舞い戻ったか思わせる温泉街。夜ともなると、宿々のにぎやかな明かりが川面に反射し、浴衣姿で橋の上に立つと、ちょっとした銀幕のスター気取りになる。ネオンサインなど一つとしてなく、街の景観が統一されているからこそ、この風情が楽しめるのだ。
木造三階建ての建物の床はミシミシと音を立てるが、これも大正ロマンの面影か・・・。もちろん、共同便所なのだが、気持ちが時代をさかのぼっているので、全く苦にならない。
食事は夕食が部屋出し、朝食は屋根裏部屋のような広間でみんなでいただく。いずれもお膳で出されるが、鯉の甘露煮だけは食べきれない。
半地下の浴場にある湯船には、きめ細かい湯の花が散り、上品なのだが、意外と重い湯だ。湯船につかりながら高窓をうかがうと、通りを歩く温泉客の浴衣姿が行き来する。もちろん、曇りガラス越しにではあるが・・・ 宿の裏手にはまだ新しい露天風呂もあるのだが、この半地下の浴場も味わいがあって捨てたものではない。
上流には、その名の通り銀山の廃坑があり、往時をしのばぜる。鉱夫たちは、この山道を降りて来て、お湯で体を休めては、安酒飲んでオダを上げたのであろうが、ワタシは白ヘビに出くわして、思わず悲鳴を上げてしまった。
「おしん」の舞台ともなった銀山温泉、泉ピン子が働いてた頃、果たして客層たるや、いかがなものであったのだろう。調べてみると、寛永年間には採鉱量も激減したという。
とすると、大正時代に歓楽温泉として再興なったとみるべきか。ならば、大正ロマンの面影も心の底から楽しめず、秘湯求めてやってきたワタシとしては複雑な気分だな〜。
|