予算ってなあに?

高麗 義久

私は五月の総会で「予算の勉強会をやってもらえないだろうか。町田市の予算案ということで〈広報まちだ〉に掲載されていたが、何費に何億何千万円といわれても、それを真面目に読む人はいないだろう。もっと身近な表現で〈予算〉というものに迫ることはできないか」という提案をしました。その一例として誰が見ても一目瞭然な〈130円※と190円はどちらがやすい〉という見出しをつけて、その内容は実はシルバーパスの問題である、ということにすれば無味乾燥な予算のことも、身近に感じられるのではなかろうか、と申し上げました。

そこでオハナシは終わり、と思っていたところ、突如として、そのことの原稿を書け、との編集者からの御命令。さて、どんな原稿ができますか。暴言・妄言が出てくることを、予めご容赦願っておきます。

 

●必要なときに必要なものを

自宅から町田の中心に行くには、最寄りのバス停まで行ってバスに乗るか、玉川学園駅まで行って電車に乗るか、二つの方法があります。自宅からバス停までの距離に比べて駅までの距離は倍以上あるでしょう。シルバーパスの年問負担額は20150円(都・市民税課税者の場合。同非課税者は1000円の負担のみ)です。

月割りにすると1709円。これだけ負担しても190×2×5=1900円、月に五回は町田にでることになるだろう。だから上記のように計算しても元はとるな、という胸算用で図書館通いに利用しています。

社会保障を理論的に勉強したことはありませんが、若い頃に中央大学の那須宗一先生にいわれた、次のような言葉は記憶にとどまるところです。

「社会保障は、なにか事があったときに、その費用のことを心配しなくてもよい、しくみのことなんだ」

病気をすれば(何か事があったときに)健康保険証で治療が受けられる(費用のことは心配しなくてもよい)ということが、社会保障の典型的なことでしょう。(近ごろはそうでもなくなってきましたが)

高齢者が〈どこかへ行きたい〉という事があったときに〈その費用のことを心配しなくてもよい〉というシルバーパスの存在は、年金だけの高齢者にとって、社会保障の一つということなんでしょうか。それにしても2万円を越える一部負担は大きな金額(千円の負担でいい人もいます。この格差も問題になるでしょう)です。

私の日常の どこかへ行きたい とは、せいぜい図書館に行くことぐらいですが、所用を果たすために小田急線玉川学園駅経由で町田駅ということだって、ないわけではありません。そんなときシルバーパスが使えないかなあ、と思います。190円ではなくて130円※を使うのだから、社会保障経費は廉(やす)くついているのになあというのが思案の発端です(※ずっとバスを使う習憤になっていて小田急線の玉川学園と町田間の料金が120円であることに気がついたのは最近のことと白状しなければなりませんが)

それにしても、何故シルバーパスの適用がバスだけなのか。高齢者が私鉄やJRで移動したいということに一顧も払ってくれないのは何故なのか。どうやらバスから始まって私鉄やJRに及ぼそうと考えたのが、世の趨勢は逆に動いたということでしょうか。

“無茶なことをいうな。都財政の厳しいときに、そんな無茶な要求があることは、今まで聞いたこともないよ"と石原知事はいうでしょうな。

私は、これはそれほど無茶な要求とは思えません。シルバーパスはあらゆる交通機関を利用できるが、利用限度額の上限を設けることで、この問題の解決は容易なことと考えられます。技術的にも可能なはずです。問題は上限を幾らに設定するかが、政治的に問題でしよう。

私がシルバーパスを月に何回利用しているかは、誰もチエックしていない現状です。2万円余の負担も、自分の胸算用で購入をきめているだけです。月額3千円の負担になったら、或いは身体的に移動するのができない状態になったら、もう一度懐勘定をするでしょう。

“お前がとりあげたいのは、町田市の予算のことではなかったのか。シルバーパスのことは東京都の予算を議論するときに、問題になるのではないか”との御説がでてきましょう。当然のように〈広報まちだ〉の高齢者福祉の項には、シルバーパスの文字は見当りません。

 

●介護保険料はどうなっているの?

この原稿を書いているとき、「○○、最後のお願いに参上しています」という音量が流れてきます。都議会選挙です。“早いものだ、もう四年経ったか”という思いです。

四年前の都議会選挙の際に、四人の候補者のうち三人までに「一人の被保険者の介護保険料が、受給者にどのように使われているのかを教えてほしい」と聞く機会を得ました。しかし誰も答えてくれません。「そんな計算はしていないからわからない」というのが答えでした。一人の候補者の代理人(某市の市会議員でしたが)は「おそらく市会議員の中でも、介護保険の財政の中身のことについて、分かっているのは数人だけでしょうね」だから、お前のような質問をしてくれるな、と、いわんばかりで帰っていきました。

私は一日の終わりの入浴が楽しみです。幸いにして目下は独りで入浴できますが、もし介護入浴になったら、とても毎日の入浴は無理だろうな、ところで町田で入浴の給付をうけているのはどれぐらいいるのかしら、おれが払っている介護保険料はその人たちの入浴にどれぐらい使われているのかなあ、というのが質問の原点でした。

それでは市議会では、どんな議論がされているのだろうか。議会を傍聴しよう。色んな所で傍聴を呼び掛けているね、行ってみるか。本会議を一回、委員会を一一回傍聴に行きました。しかし余りにもアホくさくて、その後議会の傍聴に行くのはやめました。

それは、あまりにも形式的な問答に、時間が使われているからです。多分、事前の根回しが各会派と行政の問で行なわれていて正に“議事録作成”のために時間が費消されている感です。

 

●役所の予算ほど分からないものはない

「予算がないから、そのことはできない」という言い方がされます。どうやら行政の予算案の作成・その執行と流用等ということは、当事者でないと分からないところで動いているようです。某日、某団体に「1000万円の補助金の申請をしないか。書類が出てきたら交付をする。ただし、この1000万円の補助が毎年出ると考えてもらっては困る」との連絡がきたとか。

役所・行政の傍で仕事をしてきた者にとっては「ああ、やっているな」との感もありましたが、それが発足後間もない介護保険関係だったので『介護保険よ、汝もか』のショックをうけたことも、事実です。