特集「廃プラスチック問題を考える」

食品や家電製品など、商品の容器や包装に使われている「プラスチック」は、商品を取出した後はそのまま「ごみ」になってしまいます。「容器包装リサイクル法」は、これらの容器・包装プラスチックについて、容器包装を製造、使用する事業者(特定事業者という)に再商品化の義務を課したものですが、多くの事業者の場合、自ら商品化するのではなく、指定法人に、費用を払って委託契約をする形を取っています。そして分別収集を行なう自治体では、その指定法人に引渡すために「圧縮・結束」という中間処理が必要となり、財政的にも大きな負担となっているが実態です。しかも、「商品化」には製鉄所の高炉での事実上の「燃焼」や、油化も含まれています。
リサイクルの名の下に大量生産・大量廃棄という構造を温存させているこの国の政策は、まさに三流以下といわざるを得ず、少なくとも回収費用の負担を生産者責任として追求すべきと、拡大生産者責任を求める声はますます高まっています。
さて、町田市においても、この「廃プラスチック」について「容器・包装リサイクル法」に沿った「圧縮・結束」という中間処理をするための施設の建設が計画されています。当初、リサイクル文化センター内に予定していたものの、地元の了解が得られず、次いで南地区において民間資本の導入によって進めようとしましたが、これまた反対に遭い、現在暗礁に乗り上げています。
化学物質の固まりであるプラスチックを処理することの安全性の問題もさることながら、物事を決めてから地元の了解を得るという、相も変わらぬ住民無視の行政手法に対する"まった!"の声をこれから行政はどう受け止めていくのでしょうか。
今回、この問題について環境行政の職にある町田市の職員の方(個人的見解として)と、廃プラスチック処理の安全性の問題で焦眉の的となってきた杉並中継所と杉並病問題に携わってこられた、前杉並区環境審議会長の勝木渥さんのおふたりにご意見を寄せていただきました。行政職員の言回しには、かなり辛辣?な表現もありますが、これを契機に議論を深めていくためにも敢えて修正は求めず原文のまま掲載しました。 (編集部)


■容器包装プラスチック中間処理施設問題の今後について

町田市環境部職員

私は、環境部の施設建設部門から少し離れたところに身を置いているので、多少自由に物を言える(と言っても限界があるが)。容器包装プラスチック中間処理施設問題(以下、「施設建設」いう。)について、内部から批評・批判と建設的提言をしてみたい。なお、限られた紙面であることで、誤解を受ける不十分な説明になっていると思うので、機会が与えられれば、今後も説明責任を果たしていきたい。

1. 施設建設必要性と問題の概要
 施設建設を述べるには、それまでの経過(2度の施設建設の失敗)を整理する必要がある。これを簡単な図式にすると次のようになる。

<施設建設の必要性>

プラスチックの焼却
環境汚染
(ダイオキシン・CO2等)
     石油資源の枯渇等々

プラスチックを
燃やさない

リサイクルする
(容器リサイクル法)

自治体がプラスチックを集めてリサイクル施設(指定法人)に送る

指定法人に搬送する経費を節減するためにプラスチック圧縮施設を作る


<施設建設の反対の理由等>

プラスチック圧縮施設の不安
(杉並病・有害物質、等々)
ごみ処理施設の一局集中批判
施設そのものの存在の安全性
施設建設決定に市民参加がない

リサイクル文化センター内建設では、
不安解消できず
 

南の施設建設では、住民説明にも入れず

 まとめると、「容器包装プラスチックリサイクルのため、施設建設が必要。」「施設は公害を発生する可能性があるから反対。」となる。

2.容器包装プラスチック中間処理施設の安全性 施設建設の問題の第一に、安全性の問題をわたしなりに整理する。
プラスチックそのものの安全性にも多くの議論があることは承知しているが、紙幅の関係もあり、そのことは省くこととする。ここでは、圧縮行為により有害物質が発生するかどうかを争点としたい。反対する市民は、杉並病を最大の売りにして不安をあおっているが、その問題点を指摘しておく。
第1に、杉並区の施設と町田市の施設の違いである。杉並が、有害物質を含む可能性の高い不燃ごみの圧縮施設であるのに対して、 町田は、プラスチックごみに限定した施設であること。住民訴訟で彼らが指摘する原因物質は、プラスチックごみから発生しないこと。
第2に、プラスチックの圧縮が、ごみの中から空気を抜く程度のもので、このことで新たな有害物質を生むとは考えられないこと。それでも不安な市民に対しては、その解消のために、町田市で検証すれば良い。そもそも、「不燃物」と「プラスチック」という、異質なものを同じ土俵に持ち込んでいるようなものだから混乱する。別の目的でこの問題を利用しているとさえ感じてしまう。早晩、杉並病を根拠にした安全性議論は消滅するであろう。

3.市民参画について
 私が、一番問題にしたいのは、施設建設に関して市民の理解を求めるための行政手法の部分である。これについて、町田市は、二度の建設中止に追い込まれた。準備に費やしたものの全てが税金であることを考えると、環境行政組織にいる者として、直接責任が無くとも申し訳なさを感じている。その問題点を整理したい。
 第1には、市民参画のあり方である。結論から述べれば、喜ばれる施設(町内会館等)で、取り入れている建設委員会等の市民参加の手法を、迷惑施設と呼ばれるものについても導入すべきである。善意で考えると「市民には、このような問題を預けられても対応できない。かえって困るであろう。」「泥は、行政がかぶればよい。市民は、総論賛成、各論反対である。」との考え方が
根強いのであろう。今回中止になった施設建設でも、内容を決めて、それを市民に理解を求めるとの旧来の手法を取った。
 当然のことながら、事前に議会説明を行って了解を得ているが、そのことが、市民の理解を得る第一歩にならなかったし、議会はそのことに責任を持たなかった。このことは、「議会」→「町内会」→「市民」との旧来の方法が、この種の問題では通用しなくなったことを知るべきである。もっと、市民を信頼しても良いのではと考える。
 第2には、情報の公開と積極的提供である。従来、与党議員とか、ボス的市民には、情報操作の観点から行政が恣意的に情報を流してまとめ役を行わせている(国や都では、未だにこの手法が行われている)。市民が成熟した自治体においては、既にこの手法が通用しなくなっていることが明らかになっている。特定行政課題については、議会軽視と言われても、直接民主主義の手法をとらざるを得なくなっている。
 その根本となるのが、情報の公開と積極的提供である。このことがあって初めて、市民と行政が相互信頼と対等の立場に立った政策立案の共同作業が可能になる。今回の問題に対する市民の意見は、「施設建設の必要性は認める(本音は不明)。」「場所の選定や施設計画を行政が勝手に決めている。」との内容であった。どこまでを、市民が自ら意志決定できるかについては、市民自治
の成熟度によるが、行政は地域市民との合意に基づいて、地方自治体が存在するのだということを基本に、行政の専門的知識を有する者としての役割を果たせばよい。施設建設に関しては、「騒音」「悪臭」及び「交通渋滞」など、市民の理解を得なければならない課題も多い。これを解決するための知識を市民に提供するのも行政の役割である。

4.プラスチックリサイクルの今後について
 最後に、プラスチックリサイクルの今後について問題提起したい。結論から言うと、10年以内に、「プラスチックごみは燃やさない。」から「プラスチックごみを燃して発電する。」との方向への大きな政策転換が行われるだろう。 現在の、プラスチックリサイクルの中心は、製鉄所の燃料としての高炉還元だ。言い換えれば、燃やしているのである。
 もう一つの問題であるダイオキシン対策も進んできている。民間での研究では、プラスチックごみをリサイクルするより、ごみ発電で利用する方が、環境に対する負荷(CO2の発生量)が30%程度低いとの試算がでている。環境庁における検討でも、同様の方向性が出されていると聞く。しかしながら、容器包装リサイクル法が施行され、80%の自治体が容器包装リサイクル法に基づいたごみ処理システムを進めようとしている。
 政府は、製造者責任が不十分のまま、自治体負担の大きい容器包装リサイクル法を作った手前、すぐには政策転換できないであろう。ただ、このことで、プラスチックに関する製造者責任が免罪されても困る。プラスチックごみが存在しその処理が必要である限り、21世紀の地球環境にとって、「プラスチックごみを燃して発電する。」方が負荷が低いのであれば、当面、これを選択することもひとつの道ではないか。


「杉並病」と杉並中継所

 前杉並区環境審議会長   勝木

 公害等調整委員会は、杉並中継所操業初期の「杉並病」の原因が杉並中継所の操業にあるという内容を含む裁定を下しました。これはある意味では画期的な出来事ですが、他方、操業開始から半年後以後の発症に関しては、杉並中継所との関係を認めることをしませんでした。裁定内容には、大きな論理的な矛盾が含まれており、現在なお新たな発症者が現われつつあるという事実から、強いて眼をふさごうとしたのだと言えます。

 ここで、大局的な観点から環境問題の根源について考察してみましょう。

 それは、環境問題の「3つの源泉」ということです。生物の長い長い進化の過程を通じて、陸上生物でも水中生物でもその生存環境の中で、「ある限られた有機物だけの存在」「原子核の安定性」「細胞核の基本的安定性」という3つの基本条件が保たれていました。それが損なわれたこと、そこに環境問題の自然科学的側面があり、そのような問題が発生した背景には、人類社会の現在の状況があります。

「ある限られた有機物だけが存在」という言葉で私が思い描いているのは、次のようなことです。

 人類が1828年に尿素の合成という有機物の生体外合成に始めて成功するまでは、有機物はすべて生物によって造られるものでした。ある生物が接する有機物は、自分自身が造ったものか、他の生物が造ったものでありました。ある生物が接する有機物の種類は、それぞれの生物にとってある限られた種類のものであって、その種類が変化することがあっても、それには長い時間がかかり、その生物がゆっくりと時間をかけてそれに対処していくことが出来るような変化でした。つまり生物は「自分のまわりに存在する有機物は、ある限られた種類のものだけである」ということを大前提として、存続してきたのです。

 その前提状況を、石油化学工業・合成化学工業・薬品工業等の大発展による「人造有機化学物質の大量生産」が崩壊させてしまいました。大量の、短期間にめまぐるしく出現・変貌する多種多様の新種有機化合物。それは生物の対応能力を大幅に超えるものでありました。環境ホルモン問題や化学物質汚染問題を理解するためには、この事実に着目することが肝要です。

 腐ったものに対する汚い・臭い・味がおかしいというような、また、魅力的な食べ物や飲み物に対する美味しい・いい匂い・きれいというような生理的な反応の能力を、生物は長い進化の過程で獲得してきたのです。

 われわれは、プラスチック類に対して「汚い・臭い・触るのも嫌」というような生理的嫌悪感を持ちませんが、それはまだわれわれが、プラスチック類に対して抱くべき正常な生理的嫌悪感を、プラスチック類があまりにも急激に大量に多種多様に出現したために、まだ獲得するに到っていないだけのことなのです。

 生物の進化の過程で「原子核の安定性」や「細胞核の基本的安定性」が保たれていたという認識は、環境問題としての原子力問題や、環境問題としての遺伝子組換え農産物のことを考察するさいの基本的な拠り所になりうる概念ですが、ここではこれについては論じません。

 さて、プラスチックは、それにいろいろの添加物を混ぜることによって、きれいで安くて丈夫で長持ちする、様々な特性−−燃えにくかったり、硬かったり、軟らかかったり、電導体であったり、絶縁体であったり、磁性を帯びたり帯びなかったり、好みの色を持ったり、特別の光に反応したり、等々−−をもったものを、いわば望むがままに作ることができます。それゆえ、その応用分野は限りなく広く「夢のプラスチック」などと呼ばれることもあるのです。

 そして、まさにそこにプラスチックのアキレス腱があります。応用分野が限りなく広くて、漁具としても使われたこの「夢のプラスチック」は、廃棄物となったとき、まさに丈夫で長持ちするという特性のゆえに、海の動物たちを苦しめつづけてきています。多種多様の物質を添加物として含むことによってお望みの機能を備えた材料としてわれわれの生活の場の隅々にまで行き渡っているプラスチック類は、それが廃物となって棄てられたとき、プラスチックそれ自体および様々な添加物に由来する多種多様の有害有毒化学物質を排出して環境を汚染し、人々(および動植物)の健康をむしばみます。「杉並病」問題はまさに上に述べたことの典型的な現われにほかなりません。

 杉並区環境審議会長として「杉並病」問題に関心を持った私が、東京都や杉並区の杉並中継所周辺の環境調査結果に関する一連の報告書を精読して痛感したことは、公害発生施設の操業に携わる機関と、公害発生施設を監督・指導する機関が同一だという、システム上の欠陥でした。杉並中継所は、20004月に都から杉並区に移管されましたが、それにともなって、環境部は環境清掃部に衣替えし、環境清掃部の清掃課が杉並中継所の操業にあたることになり、環境調査の実施やそれに基づく監督・指導の責任は環境清掃部の環境課が持つことになりました。これらはそれぞれ環境清掃部の中の一つの部署ですから、公害施設の操業と、公害施設への監督・指導とが同一機関でなされることを意味します。システムとして不健全です。

 もし、杉並中継所の操業が私企業によって行われていたら、東京都ないし杉並区は問題発生とともに直ちに「指導」ないし「操業停止」に必要な措置を取ったでしょう。しかし、実際はそうなりませんでした。それどころか、看過できない欺瞞的な措置が取られました。科学技術的な装いを凝らした、その実まったくでたらめな、禍学欺術的な「調査報告書」を作り上げて、それを人々に信じ込ませようとしてきたのです。

 「調査報告書」がどんな具合に人をたぶらかそうとするか、その一例を示してみましょう。1998820日にダイオキシン類を含む内分泌撹乱物質の調査が、中継所の排気塔・換気塔からの排気、中継諸周辺の3地点(中継所から約200)と比較対照地点(中継所から約5km)の大気についてなされました。その調査結果は、東京都清掃局の「東京都杉並中継所に係る環境調査結果について」と題する一連の報告書の中の 98/12/21付の報告書で報告・公表されています。周辺3地点の大気中のダイオキシン類のその時の濃度は、当時の毒性当量の環境基準値0.8pg-TEQ/3 (現在の数値は0.6)を上回る1.1 0.96 0.94 というものでした。環境基準値を上回る調査結果が得られたのですから.報告書はこの事実を直視する物でなくてはなりません。しかし、報告書はこの結果について次のように述べました。<<平成10(1998)6月、 8月に実施した、都環境保全局の「東京都内大気中のダイオキシン類の調査結果」によるとダイオキシン類の濃度は 0.0451.2pg-TEQ/3 の範囲で検出されており、今回の調査ではこの範囲内となっています。>> と。ここにかかれた内容に嘘はありません。ここに書かれたことは事実です。都環境保全局のこの調査では、2地点で(6月清瀬市下宿 1.2; 6月小金井市本町 1.0) で環境基準値を上回っており、都市部での最低値は 8月目黒区碑文谷での0.045でした。確かに周辺3地点での測定値は、最高値 1.2と最低値0.045の間に入っています。しかし、環境保全局の調査結果をみると、6月の値がおしなべて高く、8月の値がおしなべて低くなっているのです。清瀬市下宿の8月の値は0.45 小金井市本町の8月の値は0.48でいずれも6月の値の半分以下でした。このような8月に杉並中継諸周辺の調査では、1.10.94という値になっていたのです。このような結果が得られたとき、誠実な役所であったら、この事実を直視し、区民に <<周辺3地点でのダイオキシン毒性当量値は環境基準値を上回っていました>> と告げ、引き続き、たとえば11月とか2月とかにもダイオキシン類の調査を行なうことにしたでしょう。しかし、都はそうしませんでした。測定技術がまだ低くて、換気塔や排気塔の排気からはダイオキシン類が検出されなかったことと、<<燃やしていないのだからダイオキシンが出るはずはない>> との思い込みから、上のようなコメントで、上の事実を糊塗したのです。ダイオキシンは、実はそれぞれ毒性の強さの違ういろいろのダイオキシン類の混合物なのです。毒性当量値が得られていることは、個々のダイオキシン類の割合が分かっていることを意味します。毒性当量を算出する前のなまのデータを入手して、同族体ごとの割合をもとめてグラフを描いてみました。ダイオキシンの研究者たちによって、都市ゴミ焼却炉の排ガスだとか、自動車の排ガスだとか、都市大気だとか、医療系廃棄物焼却炉の排ガスだとかの中のダイオキシン類の同族体ごとの割合のデータがグラフになって示されています。杉並中継所周辺地点の大気中のダイオキシンの同族体別の割合のグラフは、これまでのどのグラフとも似ていませんでした。私は物性物理学者ですが、その分野の勉強や研究に携わってきた中で培われたある考え方に基づいて、同族体別の割合は、原因物質がどんなものかということと、発生までのプロセスを反映したものであるだろう、だとすれば、同様のプラスチック主体の家庭からの不燃ゴミの中継所として杉並中継所と同様の作業をしている新宿中継所周辺大気中のダイオキシンの同族体別の割合は、杉並中継所周辺大気中のそれと似たものになるだろうと考え、杉並区選出のある都会議員を介して、新宿中継所周辺のダイオキシン調査結果のなまデータを入手し、同族体別の割合を算出してグラフを描き、杉並中継所周辺のそれと比べてみました。グラフは非常によく似ていました。

 この時点で、私は燃やさなくても、集めてきたプラスチック主体の不燃ゴミを大きなコンテナに詰め替えるだけの、本当にゴミに優しい穏やかな操作を加えるだけでも、一般的な予期に反して、ダイオキシン類が発生するのだと確信したのです。でも、多くの人々は、燃やさなくても、こんな「ゴミに優しい取り扱い」でも、ダイオキシンが発生するということに耳を傾けてはくれませんでした。

 ところが、19998月の調査では、排気塔からも換気塔からもその排気中からダイオキシンが検出されました。分析会社がかわり、測定の定量下限値が低くなり、1年前には検出できなかったものが、検出できるようになったからです。この調査結果を発表したとき、都清掃局は、「燃やしていないのだからダイオキシンが出るわけがない。(1)区民が焼却灰を持ちこんだか、(2) 測定器具が前もって汚染されていたか、(3) ゴミを搬入するディーゼル車の排ガスのせいか、であろう」とコメントしました。コメント(2)は、発注者である都の意向に反するような結果を出した分析機関に対する威嚇以外の何ものでもない、看過できない暴言です。

 測定の定量下限値が下がった結果、その後の測定でも、測定のたびごとに、杉並中継所の換気塔・排気塔の排気からダイオキシンが検出されています。

 断っておきますが、私は中継所から排出されるダイオキシンが「杉並病」の原因だといっているわけではありません。出ないと思われていたダイオキシンが出ていることは、他の多種多様な毒性化学物質が排出されているであろうことを強く示唆するといいたいのです。そしてまた、お役所の報告書が、どのように人々をたぶらかそうとするか、その典型例を示したかったのです。

 公害等調整委員会の裁定が出る前は、推進側はきっと「大丈夫なことは、杉並中継所が問題ないことで明らかです」などといっていたことでしょう。公調委の裁定以後は、きっと「杉並中継所とはこんな所が違うから、大丈夫だ」という議論を展開してくるでしょう。違いの強調は、論理的にはなんら大丈夫なことの論証にはなっていないのに。