センター通信18号
2002.8.31発行


あなたの家が博物館に?「地域まるごと博物館」のヒミツ
〜エコミュージアムがつむぐ、あたらしいまちづくり〜


武田 悠

はじめに
 あなたは自分の家が博物館として、1年を通して多くの来訪者を迎えることになるなど、想像ができるだろうか。博物館と聞くと、いかめしい建物の中で、古めかしいさまざまなモノが柔らかな間接照明に照らされ、ガラス越しに整然と展示されている様子を思い浮かべる方が多いと思う。ところが、この典型的な「博物館観」を根底からくつがえす、奇想天外な博物館が存在することをご存知だろうか。それが、今回ご紹介する「エコミュージアム」である。
 今年(2002年)の3月はじめの夕刻、この「エコミュージアム」をテーマとした勉強会が相模原市のJR橋本駅前にある商業ビルの一室で開催された。主催したのは、橋本からも程近い、町田市相原地域で誕生したまちづくりNPO法人、「夢連(ゆめれん)」。冒頭の勉強会は、そのメンバーを対象におこなわれ、その一人である筆者も参加する機会を得たというわけである。「夢連」そのものもたいへん魅力的なNPOであり、その活動について語るべきことが多々あるが、そのことは別の機会にご紹介することとし、本稿ではかの勉強会の興味深いテーマについて触れてみることにしたい。

「えこみゅーじあむ」とは?
 この日、講師を務めたのは「夢連」の代表でもある、法政大学の馬場憲一教授。じつは、「夢連」の活動拠点である町田市相原は、いくつもの大学がひしめく文教地域でもあり、法政大学のキャンパスも置かれている。同大学の学生はもちろん、教員の中にもこの地に住まいを定めている方もあり、「夢連」の前代表で、マスコミにもしばしば登場し、江戸学で名高い田中優子・同大教授もその一人である。話を元に戻そう。この日のテーマは馬場教授の研究テーマである、「エコミュージアム」。聞きなれない言葉であるが、当日の資料にはそれについて次のような説明がされている。少し長いが、紹介することとしたい。
 『(エコミュージアムとは)人々が生活する地域全体を博物館とみなし、そこでの自然・歴史・文化・生活など環境そのものを調査・研究対象とし、地域遺産を現地において保存・展示するとともに、住民参加による運営を原則とする「博物館」と定義されている。エコミュージアムは、1960年代フランスで誕生したものであったが、日本に紹介され取り組まれるようになったのは、今から10年ぐらい前(筆者注:正確には1974年)のことであり、その歴史は浅い。』。
 何か、分かったような分からないような内容であるが、筆者の関心を強く掻(か)き立てたのは、世界遺産ならぬ「地域遺産」という言葉の響きである。世界遺産がかけがえのない地球の記憶、全人類共通の財産ならば、「地域遺産」は遠い過去からはるかな未来に向かってつむがれる地域の記憶、そこに関わるあらゆる時代のあらゆる人々の宝、財産であろう。そのように考えたとき、エコミュージアムの可能性の一端が見えてくる気がしたのである。

■ エコミュージアムの「生い立ち」
エコミュージアムが日本に紹介されたのも最近のことならば、その生い立ち自身も新しい。1960年代のフランスで、地方文化の再確認と中央集権の排除という思想の中で誕生し、生態学(Ecology)と博物館(Museum)の造語として、人間と環境のかかわりを扱う博物館として考案されたものである。現在、フランスの約50ヶ所を筆頭に、スウェーデン、カナダでも普及し、日本でも、「地域おこし」として施設の設置や整備が試みられるようになっている。それでは、エコミュージアムとは何か、ということについて、もう少し掘り下げて考えていくこととしたい。次に紹介するのは、現在おおよそ、その説明として妥当と考えられているものである。
@ エコミュージアムは、行政と住民が一緒に構想し、運営していくものであり、行政は専門家や施設、資金を、住民は知識と能力を提供しあってつくり上げていくものである。
A エコミュージアムは、居住する地域の歴史・文化・生活などを理解して住民が自らを認識する場であるとともに、来訪者に自らが生活する地域を理解してもらう場でもある。
B 人間は伝統的社会・産業社会の中でも自然と関わって生活してきており、それを理解する場所がエコミュージアムである。
C エコミュージアムは先史時代から現在に至るまでの時間の流れの中で人々の生活をとらえ、未来を展望していくものである。しかし、エコミュージアムは未来を決定する機関ではなく、情報と批評的分析の役割を果たすところである。
D エコミュージアムは歩いたり、見学することができる恵まれた空間である。
E エコミュージアムは外部研究機関と協力しながら地域研究に貢献し、その分野の専門家を育成する「研究所」である。
F エコミュージアムは自然遺産や文化遺産を保護し、活用を支援する「保存機関」である。
G エコミュージアムは地域研究や遺産の保護活動に住民の参加を促し、将来、想定される地域のさまざまな問題に対して、理解を深めるための「学校」である。

■ 実際のエコミュージアム
これまで、理念的な側面からエコミュージアムについてみてきたわけだが、抽象的で分かりづらいという読者の声が聞こえてきそうである。そこで、実際のエコミュージアムがどのように運営されているのかを次にみていきたい。
まず、施設配置という点からである。一つのコア施設と複数のサテライト(アンテナ)施設、それと地域文化遺産から構成されるのが一般的である。フランスのブレス・ブルゴーニュ地方のエコミュージアムを例にとると、約1、690平方キロメートルの範囲(人口約7万人。115のコミューン。)に、コア施設であるピエール・ド・ブレス城、サテライト(アンテナ)施設として、小麦とパンの館、森と木の館、椅子とわら細工職人のサテライト、ブドウ栽培とワイン造りのサテライト、新聞印刷所のサテライト、水車展示施設などが散在している。「地域文化遺産」は、歴史的建造物であるユダヤ人の農家や市立病院、瓦工場跡、鍛冶職人の家である。
次に、組織と運営についてである。これも、前掲のブレス・ブルゴーニュを例にとると、運営主体はアソシエーション(協同体。会員は約350名で、個人・コミューン・会社などが参加)で、その運営は権限を分散させるために委員会方式(学術委員会、管理委員会、利用者委員会)をとり、常勤職員8名(館長兼学芸員1名、研究員2名など)を置く。スタッフについてもっとも特筆すべきことは、それぞれの施設において多くの住民ボランティアが献身的に活動を担っているということである。
最後に、エコミュージアムのテリトリー(領域)については、土壌によって、住居や農業・林業など生活文化に共通性が見出せる文化圏、歴史的風土の同一性が認められる範囲、といったことが決め手となっている。
 
■ エコミュージアムの現状・課題と可能性
馬場教授は、現在の日本におけるエコミュージアムの現状と課題を次のように分析する。
【現状】
@ 行政主導型の「地域おこし」事業として取り組まれてきている。
A 開発に対する自然保護的視点から取り組まれてきている。
B 博物館としての機能が欠落している。
C 地域博物館の活動や文化財保護行政の実績や成果を無視して展開している。
【課題】
@ 博物館としての機能・組織を踏まえて、住民参加によって運営を図る。
A 総合的な文化政策(文化保護行政、博物館活動、地域住民参加型の文化活動など)としての視点からアプローチを図る。
エコミュージアムに必要なものは、まず、1)テリトリーの決定、2)地域文化遺産の洗い出し、である。そのどちらにも共通するのは、自分たちの地域の特性・属性について歴史、風土、産業、文化など幅広い視点に立って正確に把握するという作業である。なお、地域文化遺産とは必ずしも過去のものを指すわけではない。比較的最近のものや現代のものであっても、その地域らしさを表現するものならば、「地域文化遺産」になりうる。地域文化遺産のメニューには以下のようなものがある。
建造物、彫刻、絵画、工芸品、古文書、民族資料(民具・風俗慣習・民俗芸能・工芸技術)、史跡、名勝、動物、植物、地質鉱物、地場産業、寺社建築、古民家、橋などの土木構造物、石造物(石仏、石塔、道標)、民具、祭り、伝承(記憶)、昔話、写真、庭園、古道、個人所蔵のコレクションなど。もちろん、既存の博物館や類似施設の存在を忘れてはならない。
最後に、エコミュージアムの可能性に触れてみたい。これまでみてきたように、エコミュージアムは「世界遺産」と同様の意義・価値を持ちながら、対極的に極めて私たちの身近なところに多く存在するモノをその対象として取り扱う。冒頭に、あなたの家が博物館に、と述べた。もしあなたの家が少しばかり周囲と比べて古い歴史のある家ならば、またあなたの家の庭先に少し変わった庭石が置かれているならば、また、あなた自身が何かの語り部であったり伝統的な技能をもっていたなら、それだけで「地域遺産」となる可能性があるのである。エコミュージアムの取り組みは、地域に暮らす人々がその地域や暮らし、また自分自身さえも再発見し、地域の歴史のつむぎ手としての自分たちを意識させることになる。その過程においては、従来のコミュニティやコミュニケーションは一層活発になるであろうし、住民相互に新たな関係を生み出すことも十分に考えられる。まち(地域)とは何か、自分とは何か、そうした哲学的な問いにも、エコミュージアムは応えてくれる、そんな気がしてならないのである。

□ 参考:NPO夢連 勉強会資料(2002/03/05)
「エコミュージアムについて」 馬場憲一