情報センター通信第18号
2002.8.31発行


福祉の町・町田って・・ほんとう?

 町田市は「福祉の町・町田」として知られている。市民もその意味において「暮らしやすい町」として安心している感がある。しかし、どうもこの間その福祉が怪しいとの「声」が聞こえて来る。そこで、編集部では、障害当事者や、関係者の方々に話を聞いてみることにした。その第一回として、関根善一さんにお伺いした。
 関根さんは、現在、町田ヒュ−マンネットワ−クの代表をしています。ご自身重度の脳性マヒの障害をもっておられますが、以前より、詩を創り、作曲し、パ−トナ−の由紀さん、それに友人を加えて、ポピ−ズと言うバンドを結成。演奏活動をもさせている、活動的な方であります。

聞き手・編集部


○はじめに、町田に住んで何年になりますか?

  11年です。12年目になります。それまで、約10年間埼玉の鴻巣市で自立生活をしていました。田舎は何処もそうなのでしょうが、かなり保守的な所でした。福祉制度もひどく、子どもを育てながらの生活なのに、ヘルパ−も週2〜3回、それも短時間でした。ほとんどが、ボランティアに頼っていました。

○なぜ、町田を選んだのですか? 

 鴻巣市では、障害者の仲間も少なく、町で出会うこともほとんどなかった。コミニティ−センタ−が出来てもエレベ−タ−も無かった。高崎線も橋上駅にどんどんなってきて、障害者が益々使いづらくなってきた。改善要求を出したが、全く聞き入れてもらえなかった。なにも、僕らは、障害者だけが使える専用の設備を「お願い」しているわけではなく、お年寄りも、子どもも、誰でもが使用できる設備をと考えていたんですが。その年は丁度障害者年スタートでもあったんです。
 交渉の最後の場で、「物理的(経済的?)に無理なら、階段の所にブザ−だけでも取り付けて、係員を呼べるようにしてほしい!」と言ったら、「なんだ、ブザ−でいいんですか!」と、もう疲れました。地元に一緒に活動する仲間がいなかった。そんな時、東京では、「頑張らねばいけないと言うのではなく、ありなままで生きて行こう!」という「自立生活運動」が始まっていて、ヒュ−マン・ケア協会主催のピアカウンセリング講座があった。僕は行きたくなかったが、パ−トナ−がどうしても参加したいと言うので行った。それが、決定的なことになって、仲間の居るそして、福祉の町と言われていた町田に移る決心をした。

○実際の町田はどうでしたか?  

 町の中で障害者によく会うし、市役所にも障害当事者の担当者が居てくれて安心した。忙しそうに仕事をしていて活気があったし、対応も人なつこく「ようこそ町田に!」と言ってもくれた。期待以上にヘルパ−も多く派遣してくれた。

○最近の町田はどうですか? 

 今は普通の所と同じになっている。担当の課にほんの少しベテランのスタッフが居るが、その人たちが移動になったら、どうなるのか心配。最近、駅の回りにビルがどんどん出来るが、バリアフリ−でない建物が多い。「まちづくり条例」があるのにどうなっているのか。たとえば、ジョナサンや大きなレコ−ド・ショップ。また、せっかくあるものがそれとして使用されておらず、たとえば、トイレが物置になっているし、掃除もされずえらく汚れていたり。それは、「障害者専用」とされていることで、普段に使用されていない。「ユニバ−サルデザイン」になっていない。僕たちは、年寄りや大きな荷物を持っている人など、誰でもが気楽に利用できればそうにはならないと考えている。来年から「支援費」(注1)になっていくが、大変心配。「福祉の町」が過去のものになっていて、いつの間にか置き去りにされている。

○これから、どのような取り組みが必要ですか? 

  (ここでご本人から文書にて寄せられたものがありますので紹介します。)
  私たち町田ヒュ−マンネットワ−クは1989年12月に自立生活センタ−として発足しました。
 活動内容としましては、エンジョイ自立生活をテ−マに「どんなに重い障害があっても、当事者のニ−ズに適したサポ−トさえあれば、地域の中で共に生きていける」と介助派遣・自立生活プログラム・ピアカウンセリング(注2)等を行ってきました。
 その中で、何人もの自立生活者を出し、また、何十年もの間、施設に入所していた人の切なる自立への希望により、本人、措置行政、町田市、そして親兄弟の間に立って、調整した後、自立生活を可能にしました。そして24時間介助体制も実現させてきました。
 現在では知的の方や重複の方をサポ−トしたり、様々な所に出かけて、様々な経験をしてみる「たまり場」プログラムも行っています。
 それに加え、障害者の親向けプログラム、肢体の方向けの「制度に強くなろう」プログラム、他一般の方々にピアカウンセリングとは何かを理解してもらうためのセミナ−も行っています。
 1996年には市町村障害者生活支援事業の委託を受け、2000年4月にNPO法人取得と同時にホ−ムヘルパ−派遣業者として委託を受けています。
 これは、町田市が2003年度から実施される支援費制度を見据えたもので、多くの民間の業者に前倒しという形で整備したものですが、1年半事業を展開してきた中で、不安要素もたくさん見え隠れしてきました。

1.今まで多くの障害者は、「措置」という形で福祉下におかれ、自分では、大事なものほど判断し、決定することを一切認められてきませんでした。即ち幼い頃から選別という形で社会性や主体性というものが、著しく奪われている人が多いいのです。それが、今度は制度が自己選択による契約関係を締結させるということに成るわけですから、かなり無理があり、混乱することが予想されます。

2.支援費が始まれば、小さな民間事業所がたくさん出来ることでしょう。そこで問われることは、2級ヘルパ−以上の有資格者2.5人いれば、とりあえず    事業所として出来てしまうのです。しかし、この資格、なんの試験もなく、指定されたカリキュラム(老人介護がほとんど)をこなせば、内容を分かっていようと、いなかろうと誰でも取得できてしまうという恐ろしいもので、例えば、有資格者の中には「あんたにこそ、ヘルパ−が必要なんじゃないの?」と思われる人たちもいるのが現実です。10年近く介助を行ってきて信頼関係にある無資格の介助者が介助が出来なくなり、危ないヘルパ−に身を委ねなければならない事ほど怖いことはありません。奇しくも、自立生活を営んでいる障害者の殆どが、いわゆる無資格者といわれる学生やフリ−タ−等に支えられています。その人たちに資格を取らせたくても、まず資金がない、講座受講中誰が介助の穴を埋めるのかという問題もあり、なかなか厳しい状況です。

3.たくさん出来る事業所の中には、営利目的の所も出てくるでしょう。障害者を見かけたら金に見える、そんなことも起こるかもしれません。
 前記しましたように、多くの障害者は主体性や社会性というものが著しく奪われていますから、いとも簡単にゲット出来るでしょう。知的の方や重複の方も、もちろんタ−ゲットになります。それでもその事業所が良いサ−ビ  スをしていればいいのですが、もし、不本意な扱いをされていたとしたら、そしてそれがケア−マネ−ジャ−ぐるみだとしたら、どこに何をどんな風に言っていったらいいのか明白化しなければなりません。
 それには事業所とケア−マネ−ジャ−の関係を決別させなくてはなりませ  ん。オンブズマン機能も兼ねた第3者機関として機能させることが必要では    ないかと考えます。また、成年後見人制度も重複の方たちを念頭に置き徹底  的に見直さなければならないでしょう。 

4.私たちは、ここ20年に渡り障害者運動の中で、生活の中に「専門家はいらない、介助は誰にでもできるもの」という信念で様々な試みをしてきました。それによって、一人一人が個性的で可能性を秘めた生の生活ができるよう、地道に積み重ねてきたつもりです。
 しかし、支援費制度とはいえ、ベ−スが今のところ介護保険ですから、ヘルパ−に対し資格を問う以上、窓ふきはダメだとか、草むしりはいかんとか、何らかの制約が課せられてくるでしょう。
 街で出会ったフィ−リングの合う人を介助者としてロ−テ−ションの中に入れることが出来なくなるばかりか、言い方を極端に言えば、私たちにとって施設という枠が、地域に広がっただけのことだと思います。
 事業所やサ−ビスを選択出来るようになっても、それが専門職という枠から出ない限り、私たちはかごの鳥にすぎず、家事介護、身辺介護、医療行為という時間で生活が輪切りにされ、管理されし続けられるのです。 

5.今回の支援費制度実施には様々な事柄が見落とされたままです。本来なら統合保育、統合教育をはじめ、物理的精神的バリアフリ−がなされ、障害者が物を選ぶこと、そのことが可能な社会性を身につけられるような「社会」が先であり、また、それらが難しい人には成年後見人制度を使えるよう法整備をし、「措置」もまた、選択のひとつだと考えるべきではないでしょうか。  
 もちろん、制約などに振り回されない完全セルフマネ−ジメントが成立され、介助料も限度があるにせよ、何らかの形(バウチャ−方式(注3)等)で、直接障害者と介助者が雇用契約関係が成り立つようなシステムも欲しいものです。サ−ビスを選ぶ前に、制度自体を選べるくらいのことが必要でしょう。

6.こうした希望も儚く、来年4月には有無も言わせず支援費制度は実施されることでしょう。その時、障害者にとって不利益な制約が課せられたとしても、それにとらわれず、利用者に寛大な事業所(町田ヒュ-マンネットワ-ク)で、せめて、  ありたいと思う次第です。

○最後に、町田市に望むことは? ご自身の展望は?

 たとえば、風邪ひいていても今までは、介助者が薬を飲ましてくれていたが、これからは、それは「医療行為だから専門家でなければ出来ない」ということが起こり得る。そうなると、「専門性」が地域で普通に生活している僕らにとって邪魔になってしまう。先日、偉い先生方との懇談会があったが、先生方は「制度をやっていくなかで、改善して行くしかない」といっていた。これは、昔と同じで、障害者が死なないと、良くなっていかない。僕らが、「危ない!」と言っているのだから、いい加減にしないでほしい。

 今係わっている仕事にしても、単なる事業所にさせないで、あくまでも当事者性を追求していきたい。また、多くの情報を提供できる活動も拡げて行きたい。


(注1)支援費制度
  2000年の社会福祉事業法の改正(社会福祉法)を受け2003年度から導入される、障害者への新しいサービスの提供の方法。従来の措置ではなく、障害者自身が選択し契約によりサービスを受ける制度で、仕組みとしては介護保険をモデルにしている。しかし、障害判定・サービス量・自己負担など、様々な問題を抱えている。

(注2)ピアカウンセリング
  アメリカのAA(アルコール依存症の自助グループ)に始まるカウンセリングの方法。障害者など、社会的に同じ背景を持つ者同士で行うカウンセリングで、所定の講座を終了した者をピアカウンセラーと呼ぶ。

(注3)バウチャ−方式
  行政が金券などを高齢者や障害者に支給し、高齢者や障害者が直接サービスを購入する方法。これに対し、日本の介護保険や支援費制度ではサービス提供業者が担当者の代わりに代金を行政等から受け取る仕組み(代理受領)となっている。