情報センター通信第15号
2001.11.30発行


練馬発市民参加の都市農業

金沢悦子(練馬区在住)

 

はじめに 
 こんにちは。練馬区在住の金沢悦子です。今日は、今私が参加している練馬区の「農作業ヘルパー養成研修」について、町田のみなさんにお知らせしようと思います。.練馬区の農地面積は、23区内では圧倒的1位で、東京都内でも、町田市に続く第3位です。練馬大根というのを聞いたことがあると思いますが、昔から農業が盛んな所で、今も地元の農産物を食べたい、さらには、農業を大事にしたい、という区民の期待が大きいようです。練馬区では、そんな区民の期待に応えるためと、農家の担い手不足解消のために、この研修を開講しました。10ヶ月で16回の研修において、10種類の野菜の育て方を学びます。120名を越える応募者の中から選ばれた、第1期生28名が、熱心に畑に足を運んでいます。私は、受講生の一人として、この研修のレポートを、みなさんにお届けしようと思います。

参加のきっかけ
 実は、私は1年半前の36才の時に乳ガンの手術を受け、今、自宅療養のため、休職中の身です。でも、この闘病体験が、私に多くのことを気づかせてくれ、それが今回の研修を受けるきっかけにもなったのです。私事になりますが、そのきっかけからお話させていただくことにします。
 私が自宅療養を初めて間もない頃、とても印象に残る出来事がありました。手術を終えて、退院した私は、リハビリと気分転換を兼ねて、毎日、散歩に出かけることにしました。どんより曇った冬空のある日、私が住んでいるアパートの裏に、2mくらいある椿の木が、きれいなピンク色の花を咲かせているのに気づいたのです。新芽が出る気配もない冬枯れの庭に、見事に花を咲かせた一本の椿は、まるで宝石の様に色艶やかに私の目に映り、その美しさに感動するのと同時に、自分が今まで、そこに椿があったことにさえ気づいていなかった事実に、大変な衝撃を受けました。
 私は、練馬区に住むようになって13年になります。毎朝会社へ通う道すがら、その椿の前をもう何百回も通っているのに、これまで一度も目を留めることがなかったのです。これは一体どういうことでしょう。私は、この美しい椿を見ないで、一体何を見ていたのでしょう? たぶん私は、今の今まで、自分のことだけしか考えていなかったんだ…。そのことに気づいた時、これまでの自分は、何かとんでもなく間違った生き方をしてきたのかもしれない、と思いました。本当に大切なものとは、私の願望や欲望を満たしてくれるモノではなく、ただそこにそっと居てくれるだけでいい様なモノでした。そしてそれは、私の思い描く未来や夢の幻想の中にあるのではなく、なにげないこの日常の中に溶け込んでいて、私のすぐ傍らにあったのでした。
 それ以来私は、まるで昨日引っ越ししてきたばかりの人のように、散歩中に出会う人やモノに、あいさつをするようになりました。玄関先で寝そべるイヌに。ビニールプールで遊ぶ女の子に。葉っぱに溜まっている丸い露に。庭の手入れをするおばさんに。そして、季節毎に様子を変える花や、木や、空に…。
 そんなふうに日々を過ごしているうちに、細くて、弱々しいのですが、私の身体から、一本の根が土の中に降りていったような感じがしてきて、この土地に暮らしているんだという実感がすこしづつ湧いてきました。そして、土に根を下ろした植物が芽を出し、花を咲かせ、実を付け、また土に帰る、といったごくあたりまえの自然の営みの中にこそ、いのちとか、シアワセとかの、色んな秘密が隠されているような、そんな気がしてきたのでした。私もそんな自然の仲間に入れてもらいたいなぁ…と思っていたところ、「練馬区報」で、今回の研修生募集の記事を見つけました。子供時代から都会の真ん中で育ち、大人になってからも、仕事に忙しく、空を仰ぎ見る余裕のない生活を送ってきた私です。そんな私を、きっと自然はそう簡単には寄せ付けてはくれないでしょうが、ゆっくりと、ゆっくりと、土の香りが身体に染み込んでいくのを、感じてみよう、と思いました。

研修のしくみ 
 私自身は、この研修の受講生の一人に過ぎないのですが、今回この原稿を書くに当たって、みなさんに、出来るだけこの研修のしくみを詳しく伝えたいと思い、本研修の担当者である「練馬区産業課都市農業係」の古橋さんを訪ねて、お話を伺がってみることにしました。
 古橋さんのお話によると、本研修のしくみは、次のようになっています。財源は、ちょっと長い名称ですが、「緊急地域雇用特別補助金」というものです。平成11年度から13年度まで、国から雇用対策として、各自治体に交付されたらしいです。「このお金を使って、地域の雇用に役立てましょうね」という趣旨のもので、練馬区では、駅前の自転車撤去作業や小学校での英語教育などに役立てたりしてきましたが、今年23区内で初めての、“雇用を前提とする農作業ヘルパーの育成”に乗り出したわけです。近年、全国に農業ボランティアが広まっているみたいですが、今回の研修は有償ヘルパーの育成です。報酬を発生させることによって、ボランティア活動につきまといがちな農家とヘルパー間での“甘え”や“遠慮”を取り除いて、作業にとりくめるようにすることがねらいです。そして、この研修の実施を全面的に委託されているのが、農業のノウハウを持った区内唯一の公共的団体である「JA東京あおば」です。
  「JA東京あおば」は、研修用農地の選定や、研修カリキュラムの作成、苗、種、農具などの教材の準備、畑の管理などを一手に任されており、実際畑で私たち受講生に手取り足取り教えてくださったり、会議室で講義を開いたりして下さいます。そしてさらに、もう一人忘れてはならないのが、研修用農地を私たちに貸してくださっている地主さんです。練馬区や、もちろん町田市でもそうだと思いますが、地価の高い都市部での、農地の維持管理は大変なようです。地主さんにとって、今回のような区への農地の貸付は、固定資産税の軽減や、農地の維持管理など、色々なメリットが保証されているようです。
 ちょっとかたい話になりますが、みなさんは、都市農業を守るための「生産緑地法」という法律をご存じですか? 私は、この研修に関わるまで、全く知らなかったし、興味もありませんでしたが、今回、この研修に参加するにあたって、少し調べてみました。それによると、都市部の農地には、「生産緑地」と「宅地化農地」の二種類があります。30年間農業を続けることを義務づけられますが、「生産緑地」に指定されると、固定資産税が大幅に軽減されます。(10aの土地で70万円〜100万円も軽減!) でも、地主さんが高齢であったり、跡継ぎがいなかったりで、今後長期の耕作が不可能な場合は、「宅地化農地」となり、当然宅地並みの課税となります。農業経営だけではその税金をまかなえず、農地を駐車場や賃貸住宅に転用するケースが増え続けています。こうして、都市部の緑がどんどん失われてゆくんですね…。でも、今回の研修でのケースのように公的目的で貸し付ける場合は、「宅地化農地」であっても、固定資産税が大幅に軽減されるというわけで、地主さんは大助かりです。練馬区ではこの他に「区民農園」、「市民農園」、など様々なかたちで地主さんから土地を借り上げることによって、区民に自然を楽しんでもらうことと同時に、農地の保全に力を注いでいます。こうした練馬区の試みに、農家とそれ以外の区民が、共に生きてゆけるような街づくりを模索している姿が、うかがえるのではないでしょうか。
 さて、以上のような経緯で、平成13年2月から11月までの8ヶ月で、16日間の学科・実技講習をおこない、じゃがいも、きゅうり、なす、トマトなど、約10種類の野菜を990uの畑で育てるという、私たちの農業研修が始まったわけです。参加資格に「現在無職であること」が含まれていたせいか、男性は全員が定年退職者で、女性はほとんどが主婦のようです。平均年齢は、55才ぐらい。私はその中の最年少ですが、年輩の方々のパワーにはたじたじです。なにしろ、その日の決められた作業が終わってもなお、炎天下、彼らは延々と草むしりをし続けるのです。まるで、「自分のこれからの居場所はここなんだ」と、懸命に確認しているかのように…。

今後の課題
 さて現在、研修は半ばを過ぎたところですが、私自身の成果はどうかというと、正直いって、この研修が終わってすぐに、ヘルパーとして働けるようになるとは…、思えません。なにしろ16日間という短期間なので、教わることも限られてしまいます。でもまずそれ以前に、生まれて初めて畑に足を踏み入れた私は、鍬や縄などの道具が未だに全く使いこなせないし、掘り起こしたや土や、葉っぱの裏に潜んでいる見たこともない虫にいちいち「きゃー」と怯える始末。こんな自分が情けないやら、太陽は照り続けるやら、蚊がよってくるやら、実習中はかなり辛い気持ちでいることが多い私です。やっぱり自然はそう甘くはなかった! それでも、やはり会社に行くよりはこっちの方が断然ええわぁ、というのが正直な気持ちです。
 全体的な課題としては、古橋さんと話していくうちに、次のような点が見えてきました。今後この「農作業ヘルパー制度」を現実のものとして根付かせていくためには、ヘルパーの雇用先を確保することが必要となります。そのためには、農家とヘルパーがもっと交流を重ねて、お互いをわかりあうきっかけを持つことが、大切であるということです。練馬区の窓口では、職業安定法の関係もあって、ヘルパーを農家に斡旋する業務は行えませんが、ヘルパー登録カードを作ったり、1日農業体験講座など交流の場を設けたりして、今後農家とヘルパーの橋渡し役を担っていくようです。
 まだ、始まったばかりのこのヘルパー制度。農家とヘルパーと練馬区の試行錯誤は、これからも続けられます。私の中に起こった、小さなうねりも、毎回研修に参加するごとに、次第に高まっていくようです。このうねりが、みなさんの町田の街にも届くことを願って、このレポートを終わらせていただきたいと思います。