情報センター通信第15号
2001.11.30発行



青田川の堤を歩いてみよう

                            

 上野継義(京都在住)

 この文章は,私の郷里新潟県高田(現在の上越市,上杉謙信の生誕地といった方がイメージしやすいでしょうか)で進んでいる河川工事に不安を覚え,地元の人が運営しているメーリング・リストに投稿したものです。街の中心部を流れる青田川は(おそらく江戸時代に)高田の城下を外敵から守るために人為的に作られた河川ですが,数百年の歴史に洗われたその土手は野草が一面に生い茂り,私が幼い頃には川に入って遊ぶこともできました。都市型河川ではまれなくらい人と自然との共生が上手くいっている川なのですが,その土手をコンクリートで固めるというのです。欧州では,もとの生態系に戻すための河川工法が発達し,いくつもの成功事例が日本でも紹介されているというこのご時世に。ローカルな問題ではありますが,環境問題はどこでも共通の性格をもっており,ここに記した問題へのアプローチは他のケースにも応用可能だと思います。          

青田川の堤を歩いてみよう。さしあたりは司令部通りに架かっている橋のあたりから上(かみ)に向かって,瀬音を聞きながら土手を散策するのはたのしい。桜の花の散る頃ならば水面に粉雪を掃くがごとし。高田出身の文人,小田嶽夫の『高陽草子──ふるさと記──』にこんな一節があります。「わざわざ花の名所の濠ばたへ行かなくても,寺町通りにも桜並木はあるし,市内の屋敷町を流れている青田川の堤に蜿蜿(えんえん)と連なった桜などこそゆっくりと賞でるにふさわしい。」もちろん四季折々に風情があって,桜の季節だけが特別というわけではありません。秋には深い影しみわたり,古都の風雅を観ずるにはうってつけの散策路となります。

ですが,郷里の高田に帰るたびに,わたしは情けない気持ちにさせられます。昔の美しい街並みが壊され,高田公園や金谷山の山肌が削りとられ,重厚な洋風建築の数々がいずれも安っぽい様式に取って代わられていくのを目の当たりにしてきました(とくに本町通のいまの市役所・分所はグロテスクで品がない)。殺風景な街になってゆくのが痛々しい。もとより古いものを残すほうが,たとえば建物ひとつとってみても,財政的に大変なのはわかりますが,つまるところ住人一人ひとりの美意識と,住んでいる土地の将来をどれくらいの時間的視野で考えていくのか,という点に問題は収斂していくとおもいます。短期的にみていかにも良さそうなことが,はたして永続的な価値をもちうることなのか否か,その辺の判断力がいま厳しく問われているのではないでしょうか。

青田川に話しを戻しましょう。現在すすんでいると聞く河川工事に,いったいどのような社会的利益が,あるいは〈誰にとっての利益〉があるのでしょうか。「自然保護対開発」というおきまりの抽象的な対立図式では問題の所在そのものがみえてこないはずです。環境民族学の知見によれば,「われわれの先人たちは,自然環境との対立をかかえつつも,開発が自然の回復力や再生力を逸脱しないよう,見事なバランスをとってきたということです。暮らしの中に,自然との共生を志向する自然観,民俗モラルを持っていた」。そこには自然と人間による立体的なドラマがあったのであり,いまでいう「自然保護」とは異なっていたといいます(『日本経済新聞(夕刊)』2001927, p. 20.)。したがって,わたしたちの世代もまた,後の世代(子や孫やさらに後の世代)に対して禍根を残さないような生活様式と美意識が求められている。また,市場経済を前提とする現代社会にあっては,あらゆる環境問題は,市民生活の「ほんとうの豊かさ」と民主主義の視点から,つまり経済学と政治学の問題として検討していく必要があるでしょう。