情報センター通信第14号
2001.8.31発行


胃ガン摘出手術を終えて3年目、今−−−

S.S.
−濡れ落葉は語る−

振り返れば寸詰まりの人生、そして余生
「人生をどのように全うするかは、70歳を過ぎてから口にするものだ」と人は言う。
私は齢70を目前にした一昨年の夏、胃原発 ガンの告知を受け、胃・脾臓の全部と食道の噴門部5pの摘出手術を行った。
入院直後、ノートに走り書きしたヘボ句を読 めば「水無月や、ついうかうかと69年」とあ った。
この句がガン闘病記のプロローグとなる。
闘病記の一部始終は、お許しがあれば又の機会に願うとして、ともあれ術後すでに2年も過ぎ、8月からは寸詰まり3年目の「ついうかうか」とした余生を迎えるはめになった次第で、やっとのこと「人生どのように全うするか 」を自問自答してもよい年齢になった。
さて、どうしょう、どうもならん、が実状であろう。他人様からみればどうでもよい話で はあるが−−−。
胃漿膜ガン(胃ガン第4期)手術予後5年の平均生存率は40%前後のようだが、運よくその 40%の仲間にいるとしても、6年目からの生存の保証はない。6年目にさしかかってころりとあの世へ、つまり「閻魔様久しぶりです 6年目」が辞世の句となるやも知れない。
今、こうして元気な口調で語りかけているが実のところ、術後の後遺症(食後発熱等々)脊椎3ヶ所の圧迫骨折、狭心症発作の頻発などの三重苦に苛まれ通院加療しつつやっと生きているのが実状で最早、認識に於いては半ば破れかぶれであり、自身の死活に関する確率にも、虫のよい期待は抱いていない。
この三重苦を克服しつつも、今日ここにあるのを振り返ってみようとノートを開いてみたら題名には「一筆計上仕る」として次のような句があった。
*行く道は 初めて歩むガン歩道(ガン告知、覚悟はしていたが…)
*虚ろに見えるオペルーム 地獄の旅の 一里塚 (死ぬかもしれないという実感)
*屁一発 放って冥途に別れ告げ(手術後の腸閉塞ナシ ああ生きている)
*心込め 如何ですかと研修医 (澄んだ目 それはやさしい女医の卵だった)
*神無月 生暖かい娑婆の風 (退院は世紀末十月であった)
*輝けるあしたを夢見るとき、又新しき日が昇る (生きるだけ生きてみよう、あせらずに)
*人生終焉の鐘の音は、かすかではあるが聞こえてくる(要は気を取り直す心がけ次第か)

ガン再発・転移のリスク
胃ガンとか大腸ガン等のように性ホルモンと直接関係のないガンは、年齢比の n乗でガン再発・転移のリスクが増加するという物騒な脅し文句がある。このことは、K大の先生に直接聞いたわけではないので、臨床統計上の話かあるいは推計学上のことなのかよく分からないが一般式として考えられるのは、次のようであろう。

Li = 〔(N+1)/N〕n
ここで Li ; 年齢N歳の時にガンが再発・転移するリスク
N ; 満年齢(当年)
N+1 ; 来年の年
n ;4〜6 (ヒット数という)

例えば、小生現在満71歳であるから来年の ガン発生・転移のリスクは次の通り。
Li =〔 (71+1) /71〕4〜〔 (71+1) /71〕6
= (1.014)4 〜 (1.014)6
= 1.057 〜 1.087


即ち来年72歳になれば、ガンの再発・転移または多重ガン(小生の場合は胃ガン以外のガン)の罹患リスクは、主治医が告知する、しないに拘らず約6%〜9%を覚悟しなさいということにる。
ガンが完治したように見えてもガンは再発するか、転移するか、多重ガンになるか、いずれかであろう、という誠にやりきれなくもオゾマシイ話もある。
現代医学もこの程度か、と思うと甚だ寂しいことではなかろうか。
ままよ、こうなれば金婚式を迎える78歳まで生きてやるか?を検算してみると
Li= (78/71)n = (78/71)4~6
= 1.457〜1.758
であり、約46%〜76%の割合でガンになる可能性がある。
どうも平均寿命まで生きられそうにない。

ガンの遺伝と遺伝子について一考
ガンは、ガン遺伝子とガン抑制遺伝子が変異を重ねる「遺伝子の病気」であると医学的に認識されている。ところが「遺伝子の病気」というと、一般的には「遺伝する病気」と解釈される。加えて、ガンは基本的には遺伝しない病気であると医師達はいう。そうなると「遺伝子の病気」と言われながら何故遺伝しないのかという素朴な疑問につきあたる。
身体を構成している細胞は、次世代を創るための生殖細胞と、体を構成する体細胞に大別されるが、ガンは体細胞中の遺伝子の変化で発生する。どんな異変があってもガン細胞は身体と運命を共にし、次世代に遺伝することはない。遺伝するのは生殖細胞に起こった異変だけである。
さあそうなると、そもそもの「遺伝子」と いう言葉は、甚だ誤解を招きやすい日本語の医学的専門造語であり、本来は日常語ではない。その生い立ちを辿ってみると甚だ雑な話で、DNAの構造が分からない時代に於いて親から子への「遺伝」を担う架空の"素粒子"としてその存在が考えられ、その用語として「遺伝子」という名前が無造作に付けられたらしい。
時間経過とともに「遺伝子」の本態は、蛋白質をつくるための情報であることが判明してきた。勿論、その情報は生殖細胞を通じて親から子と遺伝はするが「遺伝子」そのものは、DNA上の一定の配列を指すので、遺伝とは別の次元で考えねばならない。英語では遺伝(hereditary) と遺伝子(gene)は別の単語になっているから混乱はまずないだろう。しかし、日本で昨今盛んに使われている『遺伝子診断』や『遺伝子治療』なるものが、またぞろいい加減な医学用語として幅をきかし我々一般大衆の頭を混乱させているのは如何 なものか。むしろ、DNA診断、DNA治療それぞれに一本化してその範疇を明確にしておくほうが、正しくその意味が伝わってくるのではなかろうか。

医療技術の進歩と遺伝技術

(1) 第1次医療技術革新
1960年代頃までの抗生物資に代表される「第1次医療技術革新」は、結核等感染症の細胞レベルを主とした構造解明に立脚し、その根治を通じて大きな医療効果をもたらした。これら医療科学上の核心のルーツは、19世紀後半のパスツール、コッホら以降の流れを汲む細菌学や生化学上の成立とその発展であった。

(2) 第2次医療技術革新
1980年代のME(Medical Engineering)を中心とする「第2次医療技術革新」の位置付けをどうみるかである。
科学史的(むしろ工学史的)な観点からするとオートマチック・アナライザーやCT、MRIファイバースコープ等による診断・検査機器類、レザーメス、経皮衝撃波結石破壊装置などのエレクトロニクス関連技術を中核とした物理ないし工学的な技術革新に負うところが大きく、生体における疾病の機構解明そのものを内容としたものではなかった。
半面、これらの技術は疾病の早期発見や、診断技術の向上などに寄与したものの、感染症等に対する抗生物資のような形で疾病を根治する「純粋医療技術」でもなく、基本的かつ厳密に言えば「途上技術」であったと言えるし、現在の医療技術もまだまだこの延長線上にあると言っても差し支えない。

(3) 第3次医療技術の革新
1990年代以降現在にかけ、又将来に向かってコンピュータ・サイエンスの発展に支えられながら、分子生物学など生命科学系の諸科学が飛躍的な進歩を遂げつつあり、ある意味で前世紀初頭の物理学の革命に匹敵するような形で新たな理論科学の革命が起きつつある。こうしたなかで、疾病の発生機会/順序の遺伝子レベルでの解明や老化現象の解明、早期発見や予防を含めたこれらの斬新的な応用など、ベッドサイドへの道はなお多くの課題を抱えつつも、今21世紀の四半世紀までには、様々な「純粋技術」として結晶していくものと思われる。
即ち、生命科学そのものの発展に礎を置くような新たな「第3次医療技術革新」が、前面に出てくると考えるのも不合理ではないだろう。

(4) 遺伝子技術
昨今盛んに話題になる遺伝子治療は、「分子生物学の進展に伴う疾病メカニズムの分子レベルないしは遺伝子レベルでの解明」の成果の一つとして登場してきたものであり、単一遺伝病に限らずガンをはじめとする疾患全般に及んでいる。世間では遺伝子治療という「技術」だけを単独に取り出して、あたかも 夢の即効薬のように扱うきらいがある。
医療というものは、つい最近までは科学と いうより「手探りの経験技術の集成」であり文字通り「最年少」の科学であった。生命現象という最も複雑な事象を扱うものであるか ら近代科学の歩みの最も最後の段階で開化しようとする最年少科学と位置付けられる。

(5) 医療ブラックボックスの開放

医療は客観的な「サイエンス」としての基礎を、しっかり固め直すことが現在焦眉の急であろうと思う。
個々の医師達のバラバラな属人的能力、知 識、人間性等、その中を窺い知ることの出来ない「ブラックボックス」から、更には「不可知ゆえの権威」と結びついた魔術的な「専権」から、加えて官・学・業・閥などなど魑魅魍魎たるシガラミからもっと「透明」で、客観的な評価の可能なサイエンスの構築を切実に望むのは私ひとりだろうか。以上と平行して劣悪な医療行政の改革も、絶対必要とされるのは論を待たない。
ヒトゲノムに象徴されるヒト遺伝子研究は、こうした「サイエンスとしての医療」の確立を目指す最も基礎となるものではあるが、医 学・医療に関する研究・治療・教育は全人類的モラールに立脚したものでなければならない。
特に遺伝子診断や遺伝子治療は双刃の剣であって、目先の治療に惑わされ人類が数十億年かけて創りこんできた健全な遺伝子を、専権軍団に蹂躪されたらそれこそ人類のすべてが終わる。

(6) 自然や生命のメカニズムに目を
一言付け加えるならば、これからの医療技術の求めるべき道は、単なる診断や延命のための技術ではなく、疾病や免疫機能、老化などの生命をめぐるメカニズムそのものの本質的な解明と、その成果の応用を直接的な課題とせねばなるまい。
こうした中で科学そのものの性格も、人間として自然を切断した上で"自然を拷問にかけ答えを絞り出す"といったものから"自然や生命のより複雑で、より全体的なメカニズムそのものの解明"へと向かっていくはずであり、こうした方向は医療がともすれば陥りがちであった"身体を構成する部品、臓器"といった捕らえかたや、治療至上主義をいわば内側から変容させ「ケア本位の医療」に転進させ、「医学の超産業化・脱産業化」へのベクトル と融合させて行くことが可能となるのではなかろうか。
いま、求められているのは、ここのあたりであろうと思う。さらにもう一言、現在の医療ミスを防ぐ医療改革を断行すべきであり、
競争原理導入が絶対条件となる。