曲目紹介


■ ジェリー・ビリク : マーチ「ブロックM」

ビリクはミシガン大学作曲科の卒業生で、卒業後も母校の作曲科の助教授として活躍した。
タイトルの「ブロックM」とは、ミシガン大学マーチング・バンドがフットボール競技場に作る大学のイニシャルを表す人文字のこと。
曲はリズムやハーモニーがモダンできびきびしていて、コンサートでの演奏効果も優れており現在でも人気が高い。
■ ヨハン・セバスチャン・バッハ(リード編) : 主よ人の望みの喜びよ
原曲は、1716年に作曲され1723年に改作された教会カンタータ147番「心と日々のわざもて、主の証しとなさん」の中の曲で、合唱と管弦楽で演奏される。
ドイツ・プロテスタントの作曲家にとって主日祝日ごとにカンタータを演奏することは一番大事な務めであり、バッハはそのため約200曲を作曲している。
イギリスの女流ピアニスト、マイラ・ヘスがこの曲に魅せられアンコールピースとして以来、バッハの作品のなかでも広く親しまれるようになった。
今回は、アメリカの作曲家アルフレッド・リード(1921-2005)の編曲によるものを演奏する。
■ ニコライ・リムスキー=コルサコフ : トロンボーンと吹奏楽のための協奏曲変ロ長調
ロシアの作曲家リムスキー=コルサコフ (1844-1908) は、海軍軍楽隊の監督官時代にミリタリーバンドのための作品を3曲書いた。そのうちの1曲が1876年から翌年にかけて作曲されたこのトロンボーン協奏曲である。
曲は、「急−緩−急」の3つの部分からできているが、終止線が使われていないことと、それぞれがあまりに短いことから、全曲は1つの楽章とみなされる。
約12分の短い作品であるが、トロンボーン協奏曲の古典的名作である。
■ アルフレッド・リード : オセロ
アルフレッド・リードは1921年ニューヨーク生まれ。放送局や軍隊のバンド指揮などを経て、ジュリアード音楽院で作曲を学んだ。1966年にはマイアミ大学の教授になり、さらに1980年フレデリック・フェネルの後をうけ同大学のウインドアンサンブルの指揮者に就任した。日本では88〜05年、洗足学園音楽大学客員教授。
多数の優れた作品があり、日本でも人気が高い作曲家であるが、特に「アルメニアン・ダンス」(1972)は、彼の最高傑作であり、アメリカの吹奏楽作品の代表作としての認知度も高い。2005年9月17日米フロリダ州で死去。84歳。
この「オセロ」は、「ハムレット」につづいてシェイクスピアの戯曲によるシリーズの第2作として1977年に出版された。イサカ音楽大学がそのバンド・ディレクターであったワルター・ビーラーの追憶のためにリードに委嘱して作曲された。シェイクスピアの悲劇を見事に音楽で描きあげた曲でリードの重要な作品の一つである。
曲は次の5つの楽章からなっている。

第一楽章 : 前奏曲(ヴェニス)
 オセロがヴェニスの司令官に任命され、「戦争こそ私のこよなき寝床」と言った場面を示している。
第二楽章 : 朝の音楽(キプロス)
 音楽家たちが演奏する朝の音楽で、オセロのいる部屋の下で「おはようございます、将軍」と言っている場面を描写している。
第三楽章 : オセロとデズデモナ
 オセロとその妻デズデモーナの情感を表す曲。オセロの台詞「彼女は私の経験した危険がゆえに私を愛し、私は彼女の憐れみの気持ちを愛した」による。
第四楽章 : 廷臣たちの入場
 宮廷に入ってきた廷臣たちの前で、嫉妬心を抱き平常心を失ったオセロがデズデモナを殴り、オセロの部下イアーゴが「見よ、ヴェニスのライオンを!」とあざけった場面を表している。
第五楽章 : デズデモナの死、終曲
 イアーゴの謀略にはまったオセロは、嫉妬心が故にデズデモナを殺してしまった後にそれを知る。真実を知ったオセロは自殺をするが、その直前の「今、私にできることはこうして自分を刺し、死にながらキスをすることだ」という台詞がもととなっている。


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