曲目紹介


■ フランク・エリクソン : 祝典序曲

エリクソンは1923年ワシントン州生まれ。幼少の頃からトランペット、ピアノ、作曲を学び、第2次世界大戦中は陸軍軍楽隊のメンバーとして実地に編曲の経験を積んだ。
戦後は南カリフォルニア大学で作曲を学び、出版社で編集を経験した後1958年から61年にかけてカリフォルニア大学で作曲を教え、サンノゼ州立大学の教授をつとめた後1996年に亡くなった。
この「序曲祝典 Overture Jubiloso」は、ミズーリ大学のバンド創立50周年記念の委嘱により作曲された。急緩急の3部形式で、最初の速い部分では2つの主題が華やかな雰囲気を盛り上げ、中間部ではコラール風のメロディが歌い出される。その後再び速い部分にもどり最後に第1主題が拡大されて低音楽器にあらわれクライマックスとなり堂々と終わる。
■ アルフレッド・リード : 吹奏楽のための第2組曲
リードは1921年ニューヨーク生まれ。ラジオやテレビ局の専属作編曲家として活躍したのち、1966年にはマイアミ大学の教授になり、さらに1980年フレデリック・フェネルの後をうけ同大学のウインドアンサンブルの指揮者に就任した。吹奏楽のための多数の優れた作品があり、日本でも人気が高い作曲家である。
曲は4つの楽章からできていて、いずれもラテン・アメリカ(中南米)の音楽のスタイルを用いている。
第1楽章 ソン・モンテューノ : キューバやカリブ海の島々の音楽であるカリプソに似た2拍子の軽快なリズムが用いられている。
第2楽章 タンゴ : "サルガッソー・セレナーデ"という副題のついた、物憂い感じのタンゴ。
第3楽章 グワラチャ : 2拍子のにぎやかなアルゼンチンの酒盛りの歌。
第4楽章 パソ・ドブレ : パソ・ドブレとはスペインからメキシコに伝わった闘牛場の行進曲のことだが、ここでは華やかで情熱的な舞曲のスタイルで書かれている。
イリノイ州スターリング高校ウインド・アンサンブルによって1979年に作曲者の指揮で初演された。
■ アルフレッド・リード : アルメニアン・ダンス パート1
この曲はリードがイリノイ大学バンドの指揮者ハリー・ベギアンの依嘱で作曲し、1973年1月10日同大学で開かれた全米大学バンドディレクター協会の総会の席上で初演された。
曲にはアルメニア音楽の蒐集家コミタス・ヴァルタベッド(1869-1935)のアルメニア民謡から、“あんずの木”“やまうずらの歌”“ホイ、私のナザン”“アラギアス”“ゆけ、ゆけ”の5曲が採られている。
冒頭の部分が“あんずの木”。途中から少し速くなってシンコペーションの伴奏のリズムに変わる部分からが“やまうずらの歌”。そのあと打楽器の複雑な5/8拍子のリズムに導かれる変拍子の部分が“ホイ、私のナザン”。そのあと緩やかで叙情的な 3/4 拍子の“アラギアス”に移り、最後に速い2/4拍子の“ゆけ、ゆけ”でエキサイティングに曲を閉じる。
なおパート1というのは、リードは最初からこの曲を全4部構成の組曲として計画していたので第1楽章(パート1)、第2〜4楽章(パート2)となっているためである。残りの3楽章は1976年に初演された。
ダンス(舞曲)の躍動感とアルメニア独特の哀愁に満ちた旋律など真に傑作である。
■ カミーユ・サン=サーンス : 歌劇「サムソンとデリラ」よりバッカナール
サムソンとデリラの物語は、旧約聖書の中で最もよく知られたものの一つで、「土師記」に出てくる。
イスラエルの民はペリシテ人に支配されていた。その時、イスラエルの若者サムソンはエホバの神に見いだされた者として、支配者ペリシテ人の横暴に反抗して立ち上がる。
力ではかなわぬと悟ったペリシテ人は、美姫デリラをつかってサムソンの心を奪い、その力の秘密を探らせて虜にしようと図る。彼女の魅力と誘惑に負けたサムソンは、怪力の源が黒髪にあることを知られてしまう。サムソンは髪を切り落とされ虜となり、神に背きヘブライの民まで苦しめたことを深く後悔する。
やがて、ペリシテの神ダゴンの祝祭でサムソンは、エホバの神通力を失いながらも最後の奇蹟を祈って再び怪力を取り戻し、壮大な神殿を崩壊させてペリシテ人とともに自らも死ぬ。
この物語を主題とする音楽の中で最も有名なものが、フランスの作曲家サン=サーンス(1835-1921)のこのオベラで、この異国情緒に彩られた曲は第3幕で演奏される。


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