曲目紹介


■ エドワード・エルガー : 行進曲「威風堂々」第1番 OP39-1

近代英国の大作曲家エルガー(1857-1934)の最も有名な作品の一つ、行進曲「威風堂々」は全部で5曲が書かれた。「威風堂々(Pomp and Circumstance)」という原題は、シェイクスピアの『オセロ』にあるオセロの台詞から採られたものである。
第1番は1901年に作曲された。中間部(トリオ)の旋律はイギリス国王エドワード7世の耳をとらえ、のちに「戴冠式頌歌」にも用いられてからは第2の国歌として今も愛唱されている。
■ アルフレッド・リード : 小組曲
曲は、4つの楽章からできており、それぞれにはタイトルが付けられている。
第1楽章「イントラーダ」 荘重な導入曲。
第2楽章「シチリアーナ」 6/8のリズムが特徴のシチリア舞曲。金管が殆ど休止しメランコリックに奏でられる。
第3楽章「スケルツォ」 3部形式。軽快でリズミカルな曲。
第4楽章「ジーグ」 17-18世紀の宮廷舞曲。
1983年11月に作曲者自身の指揮によってノーザン・マニトバ・コンサート・バンド・フェスティバルで初演された。
■ クリフトン・ウィリアムズ : 交響的舞曲第3番「フィエスタ」
この曲は、テキサス州サン・アントニオ市の交響楽団の創立25周年を記念して委嘱されたもので1965年1月に初演された。
原曲は5曲のラテン・アメリカ舞曲による組曲で、ここから当時彼が教鞭を執っていたマイアミ大学のウィンド・アンサンブルの指揮者フレデリック・フェネルの依頼によって吹奏楽のために編曲したもので、1967年に初演されている。
曲はファンファーレ風の序奏に続いて 5/4 拍子 3/4 拍子などのラテン風の情熱的な舞曲が華麗に展開される。
作曲者は1923年アーカンソー州の生まれ。イーストマン音楽学校で作曲を学び、テキサス大学、マイアミ大学で作曲を教えたが、1976年に病没した。
■ ドミトリー・ショスタコーヴィチ : 交響曲第5番ニ短調作品47より第4楽章
ショスタコーヴィチ(1906.9.25-1975.8.9)は20世紀ロシア(旧ソ連)を代表する作曲家として多くの交響曲、オペラ、劇音楽、室内楽などを作曲したが、彼の作品はソ連政府の干渉を受けたことと切り離しては語ることはできない。
1936年1月28日、ショスタコーヴィチを語る上で避けることのできない事件「プラウダ批判」が起こる。当時、世界的に人気のあった彼のオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が共産党の機関紙プラウダにおいて「音楽ならざる荒唐無稽」として否定されたのである。
スターリン(1879-1953)体制の下で党内粛清(8月には第1次モスクワ裁判が行われる)が始まろうとしていたこの時期に、これは致命的だった。翌1937年1月には第2次モスクワ裁判があり、さらに多くの人間(「人民の敵」)に死刑判決が下った。
死の恐怖の中で、名誉回復のためには共産党に認められる作品を発表するしかなかったショスタコーヴィチは第5交響曲に着手する。曲は4月中旬に着手し7月中旬に完成というかなり早い時間で書き上げられた。
1937年10月21日のソヴィエト革命20周年記念日に、まだ無名のエフゲニー・ムラヴィンスキー(1903-1988)が指揮するレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団により初演。圧倒的な拍手と賞賛に迎えられ、彼は名誉を回復、再び「人民のための芸術家」としての道を歩むことになる。海外初演は翌年3月、ニューヨークでトスカニーニの指揮によって行われている。
交響曲は古典的な4楽章から成っている。悲痛な第1楽章からはじまり、シニカルな第2楽章、冥想的な第3楽章を経て、壮大なクライマックスを築く第4楽章を結論とする「暗から明」の流れをもっている。
第4楽章は冒頭ティンパニの連打に導かれる圧倒的な金管楽器の主題によって開始される。この主題を中心に発展、曲は次第に加速し一度輝かしい長調に達するが、再びドラの一撃で停滞。内省的な音楽になる。
この静かな音楽は徐々に明るくなってゆき、再び静かに冒頭の主題が回帰するが途中から3拍子に変わり上昇が始まる。上がりきった頂点において再び4拍子に戻り、金管楽器が輝かしいファンファーレを宣言する。最後はティンパニとバスドラムが連打される中、圧倒的に終わる。



ところでショスタコーヴィチを語る上でもうひとつ避けられないものに「ショスタコーヴィチの証言」という書物がある。これはショスタコーヴィチの死後に旧ソ連の亡命音楽学者ヴォルコフが1979年に発表したものでさまざまな論争の末現在は「一部の真実はあるが大半はヴォルコフの創作が混じった『偽書』である」と断定されつつある。
この本の中では共産党を中心とする旧ソ連体制に対し苦悩し反抗してきたショスタコーヴィチの姿が描かれていたため、それまで彼を旧ソ連体制の御用作曲家とみてきた西側社会でセンセーションを引き起こした。 そしてそれを示す代表的記述が、この交響曲第5番の第4楽章に対する「強制された歓喜」という有名な発言なのである。
この発言が真実だとすると、それまでこの第4楽章はショスタコーヴィチが名誉回復を目論み、旧ソ連(共産党)の肯定的な面を描いてみせた体制迎合の音楽とみなされてきていたが、それが実は作曲家の意に反した音楽だったということになる。これ以降この曲はショスタコーヴィチの反抗の意を汲んだ深い悲劇の曲として扱われるようになった。そして「証言」が偽書とされつつある現在でも、この記述だけは曲の解釈に大きな影を落としている。

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