『信じたい。しかし信じられない』と悩んでいる人ばかりです。
誰を、何を信じたいのでしょうか。ほんとうは自分を信じたいのではないでしょうか。
幼ない時、私たちは親を信じ、家族を信じ、友達を信じて幸せでした。しかし成長して、接する人々の心の“裏と表”に触れ、私たちの心の中から、人を信じる幸せが失われて行くことを知りました。
そして信じられる人を“さがし求める”人生の旅が始まりました。
『山のかなたの空遠く、幸い住むと人の言う』という詩人の歌は『信じられる人を訪ねる人生』を歌ったものではないでしょうか。
新聞やテレビの記事は、世の中には『ほんとうに信じられる人』をさがしている人達を失望させるものばかりです。
しかし聖書は告げています。『神に求めなさい。そうしたら与えられます。 神とともに探しなさい。そうすれば見出します』と。
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者を助けられる。
― ヘブル2章 19節 ―
エリヤの言われた主のことばのとおり、
かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。
― 列王1 17章 16節 ―
主イエスを信じなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。
― 使徒 16章 31節 ―
みことばについて
『言って聞かせ、やって見せ、させてみなけりゃ、人は判らん』とは、有名な指導者のことばです。
“稽古事”は、一つ一つの『かたち』を身につけることから始まります。
何度も『かたち』の稽古を繰り返すうちに『かたち』が身につくようになると、自分も出来るようになったことを知って、出来た自分を信じます。それが自信がつくと云います。
始めて自動車に接した人は、どんな人でも『自分は無理』と思います。
しかし、学科を学び、教えられた通りに手や足を動かして自動車を運転しているうちに、ハンドル操作もブレーキも、バックミラーを見ながら自由に自分の思う通りに動かせて、車の運転が出来るようになった自分に対面させられます。
信じてやってみせて、させてくれた人のことばを、自分も信じて繰り返してやってみた結果です。
大切なことは、信じて始める心があるかどうかが問題です。
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
みことばを実行する人になりなさい。
自分を欺いて、ただ聞くだけのものであってはいけません。
― ヤコブ 1章 22節 ―
その方が「人の子よ立上がれ」と語りかけられると、
すぐ霊が私のうちに入り、私を立ち上がらせた。
― エゼキエル 2章 2節 ―
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、
救いを受ける私たちには、神の力です。
― コリント第1 1章 18節 ―
みことばについて
聖書の中に『放蕩息子のたとえ』という有名な話があります。
人々から尊敬されて成功した父親の成功は『金の力』であったと思いました。『金の力』を信じて、父に求めて、受けた財産のすべてを『金』に換えて、父の影響をうけない遠い地で『金の力』を用いて、人に尊敬される幸せそうな生活を送り始めました。
幸せそうなその息子の周囲には『金の力』に魅かれていろいろな人たちが集まり、楽しいときを過ごしました。しかし『力』を持っていた『金』が、その息子から去った時、彼への尊敬も失われて行きました。
信じるものを見失ったその息子が、父のもとに帰った時、息子を信じて待っていた父の愛を始めて知りました。
『信じることは愛すること』ほんとうの神の愛を体験する時、自分を信じられないこの私を信じて待っていてくださるほんとうの神の愛も知ります。
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、なだめの供え物として御子を遣わされました。
― ヨハネ第1 4章 10節 ―
一つの声が裸の丘の上で聞える
「背信の子らよ帰れ、わたしがあなた方の背信をいやそう」
― エレミヤ 3章 22節 ―
神が私たちに与えてくださったものは、
おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みの霊です。
― テモテ第3 1章 7節 ―
みことばについて