不思議な心の働き

 『昔の子どもは素直だった。それに較べて今の子どもは・・・・』と云う大人たちがいます。しかしこどもたちは昔も今も変わりません。ただ気持ちの現し方が現代的になっているだけです。こどもと心と心のお付き合いをしている大人はみな、同じように思っています。
 ある時、こどもたちと一緒になって目隠し遊びをしました。どの位長く目を閉じていられるか、競走をしたわけです。最低1分は目を閉じていることを、みんなで約束しました。こどもたちは『1分ぐらいは』と考えて賛成しました。しかし大部分のこどもは『1分どころか10秒』も目を閉じていられません。『なぜそんなに目を閉じていられないの?』と聞くと、『何かこわい感じがする』大部分のこどもの答えでした。
 しかし『ぼくは神様にお祈りしていた』と返事してくれた子は、10分以上目を閉じていることが出来ました。
 祈りは、心の不思議な姿を教えてくれます。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
あなた方は、信仰により、神の御力によって守られている
― ペテロ 1章 5節 ―
人は一生、やみの中で食事をする。多くの苦痛、病気、そして怒り...
― 伝道 5章 17節 ―
そこでイエスは、彼らに云われた「祈る時にはこう云いなさい“父よ”」
― ルカ  11章 12節 ―
みことばについて

 
 昔の人も今の人も、ひとりひとりの心はみな『美しい心』を持っています。しかしその生活は例外なく、自分の心の願いとは逆の悪い方に、打算的な結果を選びます。聖書でもパウロは『私は自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています。私はほんとうにみじめな人間です』と自分の生き方を悲しんでいた時代の姿を告白しています。
 国会議員を見ていると、ひとりひとりは素晴らしい人たちばかりです。しかしその決定することは『現実的』と称して、ずい分良心の痛いような決定をしています。周囲の事情に心が流されてしまうからでしょう。
 中国の昔の学者、孟子の母は、こどもを悪い環境から守るために、幾度となく転居したそうです。環境のせいで子供の心がゆがめられると考えたからです。しかしそれは感情的な親心です。
『油断することなく、心を守れ。いのちの水は心から流れ出る』と聖書は告げています。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
私は善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っている。
― ローマ 7章 8節 ―
神は人を、神ご自身のかたちに創造された。
― 創世記 1章 27節 ―
わたしはあなたに言います。
自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
― マタイ 5章 44節 ―
みことばについて
 
  
 使徒パウロには、迫害者サウロと呼ばれて恐れられていた時、イエス・キリストによって霊の世界の扉が開かれる体験をしました。その結果『心の目』が霊の世界を見つめると、すばらしい人生のあることを知りました。その体験を『心の目が開かれる』と告白しています。
心の目が開かれる時、人は感情で心を動かそうとしないで、意志で心を動かす生き方が始まります。その意志は永遠なるもの、真理なるもの、愛の湧き出るもの、つまり目には見えない霊の働きによって、自分の思う以上の高い心豊かな人生を歩むものです。
 聖書は『絶えず祈りなさい。神がキリスト・イエスによって求めていることです』と、生きて霊の力をもって働く、イエス・キリストにより頼んで『祈る』事を求めています。
 すると『願いを起こさせて実現とさせてくださる、神の働き』が人生の現実となります。
心の不思議さは、霊の働きによって起こされます。自己中心的な悪い霊か、愛なる神の御霊か、あなたの心は今、どちらの霊に影響されているでしょうか。
 
【 あなたへお送りする聖書のみことば 】
するとただちに、サウロの目から『うろこ』のような物が落ちて...
― 使徒 9章 18節 ―
エリシャは祈って主に願った
「どうぞ彼の目を開いて見えるようにして下さい。」
― 列王2 6章 17節 ―
私は祈っています。
あなたがたの夢が、真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり...
― ピリピ 1章 9節 ―
みことばについて
 

ホームへ 前のページへ 次のページへ