同じ月を見ている



「ねーイルカせんせー、もーいい加減こっち見てよーー」


濃い葉影の向こうの青空が、吹く風に煽られ見え隠れする。小鳥の囀りが響き渡る鬱蒼とした森の中、うみ
のイルカは手にした小枝でコナラの葉を弾くと、手を翳して上を見上げた。


あ、アケビ。美味しそう

「イールーカーせんせー。ホントオレが殺ったんじゃないってー、信じてよーー」


火兒嶋家との一件からほぼ十日後。件の拉致監禁場所より事件の被疑者と共に里に帰還して後、アカデミ
ー教師うみのイルカと『写輪眼』はたけカカシ両名の身辺は多忙を極めた。木の葉の看板を背負う里一の忍
が抜け忍まがいの挙動に出たこともさることながら(実質抜けたとも云えるが)、帰還した折の手土産が大き
過ぎた。火の国大名家一族に名を連ねる火兒嶋家の嫡男が、昨今頻発していた遊女行方不明事件の首謀
者だったという事実。しかもこれまでかどわかした商売女たちが全て凌辱の果てに惨殺されていたことの証
は、忍四名の報告と上忍猿飛アスマの忍鳥『唄い鳥』の膨大な録音記録から揺るぎないものとなった。被疑
者被害者が如何なる階級にあろうと、誘拐殺人・殺人未遂は大罪である。火影の断固たる指示の元、火兒
嶋武明とその妹は牢に繋がれ裁きを待つ身となった。体面を重んじる大名家との間に激しい応酬があったこ
とは想像に難くないが火影は一切の横槍を退けている、との噂であったが__しかし。


「大体百歩譲ってオレが殺ったとしてもさー、あんっなに暗部が回りをガチガチに固めてんのよ?どーやって出
し抜くのよ、アイツらを」

暗部なんてカカシさんのホームグラウンドじゃないですか、今でもこれからも、偉大な先輩なんでしょ?

「やだなやめてよ照れるなー、って何!?オレが裏で糸引いてるっての!?んな訳ないじゃんオレなんかもー
すっかり過去の人よ!?下忍と葡萄畑で葡萄もぎってるOBの云うことなんか、今更聞く訳ないでしょヤツらが
さーー」


火兒嶋武明は二日前の未明、牢内で遺体となって発見された。所謂突然死であったがそれが自決であるの
か病因に拠るのか、それとも他の理由があるのか__未だに正式な発表は無い。


「勘ぐり過ぎだって、イルカ先生。好き放題やってきたボンボンがさー、キッツイ牢屋暮らしに堪え切れなくなっ
たって、それだけでしょ」

・・・・

「まーその、イカレたあの妹のあしらいが悪かったのはホント反省してます、ゴメンなさい。警護で顔を合わせ
たことがあるのも忘れてたけど、云い寄られたのは確かだったし木戸を突くにしてもまぁもうちょっと・・・云い方
があったのかも知れないし・・・でも誓って指一本触ってないのよ!?それでよーーくもまぁ、腹いせにせんせ
を掻っ攫うだなんて話になるもんだよね!!マジイカレ兄妹・・・ッッ、っていや!!ホントに殺ってないからそ
れだけはホント!!信じてよせんせー」

・・・本当に・・・?

「ホントホント!!だって何でわざわざ生け捕って帰ってきたのよ、殺るんなら乗り込んだ時ヤっちゃってるって
ーー、ね、ね!?」

・・・うん・・・

「信じてくれる?イルカ先生」


前を往く足を止め立ち止まった。途端に後ろから抱き込む男の唇が、何度も頭頂に口づけを落とす。私事によ
る旅程にある為、最低限の武具は携帯してはいても身分を露呈する額当ても忍服も身につけてはいない。イ
ルカはくるりと振り向くと、素顔を晒したままの恋人の唇に自分の唇を重ねた。


ごめんなさい、カカシさん。そんなことある筈ないとは思ってましたけど、でも万が一なんて、考えてしまっ
て・・・。やっぱり自決されたのでしょう、かあの人は

「まぁそんなトコじゃないの?大方これから待つ恥辱の日々を、考えただけでも耐えきれなかったってことでし
ょ」

・・・残念です、こうして全てが闇に葬られてしまうのかと思うと・・・高子姫の精神状態も尋常でないと聞きま
すし、あの人が・・・あの人が正当な裁きを受けてこれまでのことが白日のもとに晒されることが、亡くなった方
達に対する一番の供養だと、そう思っていたのに・・・

「まぁ後残ってる証人は火兒嶋に女納めてた女郎屋の主人だけど、火兒嶋本人がいなくなりゃどうとでも云え
るしね、脅されてただの本意じゃないだの。痛いのは確かだよねー、主犯をお白洲で吐かせられなくなったっ
てコトは・・・せんせ、もっかいチューして」

・・・は?えッッ!?

「大事な恋人のこと疑ってくれたお仕置き。オレがいいって云うまでキスして」

え、あ、ちょ、ちょっとカカシさ・・・あッ、アッッ、ン・・・ッッ


大木に背を押しつけられ唇を貪られた。強請られた筈の唇は、堪え性のない掠奪者から吐息交じりの悲鳴が
上がるまで奪われる。身体を弄る骨張った忍の手。淫猥な指先。__ねぇせんせ、たまには外でってのも、
いいよね?熱い息と共に吐かれた淫らな言葉に、視界も思考も眩みそうになる。だが背中に感じる固い木の
表皮の感触に朦朧としていた意識を破られ、イルカは慌ててカカシの固い胸板を押した。


・・・だ、ダメですッ、何云ってるんですかッッ、お父様にご挨拶に伺う前にそんなことしたらバチがあたります、
折角火影様も気持ち良く送り出して下さったのにッッ

「なーに云ってんの、これだからイルカ先生は。この時期にオレらを外に放り出すなんて、体の良い厄介払い
に決まってんでしょ?どーせ当事者なオレ達がいない間にざっくり後始末しちまおうって、魂胆見え見えだっ
てのあの妖怪変化」

もうッそんな云い方して!!火影様のお気遣いを何だと・・・キャッッ!!なななな何、何押しつけてるんです
かッ、あああ当たってますよ何か、何か固いのがッッ!!

「イルカせんせー、一度スイッチが入ったら引き返せないオレの性分知ってるでしょ?もういい加減学習したよ
ね?このまんま収めるトコに収まんないとさ、オレの真剣がうなりを・・・アダッッッ!!」

カカシさんッッ!?

「なーにやってんだい人んちの庭先で。お前は相変わらず我慢ってもんがきかないねぇ」


目を見張った。ゴン、と頭に何かをぶつけられ半ば気を失って座り込むカカシの向こうに、もう一人カカシがい
る。影分身かと瞬間訝ったイルカの眼にも、それがカカシに良く似た別人であることが直ぐに知れた。カカシよ
り二十、いや三十近くは年上だろうか。目尻に刻まれた深い皺、項で一括りにされた腰まで届く長髪、長身
のカカシよりもさらに高い痩躯。しかしカカシと酷似した顔を持つその男も、頭を抱えるカカシではなく自分を凝
視していることにイルカは気付いた。


「・・・サチさん!?あんたもしや、サチさんかい!?」

え!?

「いやいやまさか、そんなことがある筈がない・・・だがなんてこった、まるで同じ顔じゃあないか・・・一体どうし
て?・・・失礼だがあんた、うみのサチさんをご存じかね?サチさんとあんた、実に良く似た顔をしてるんだ
が・・・」

・・・うみの、うみのサチは・・・、私の母の名です。あの失礼ですが何故、亡くなった母の名を・・・

「えええッッ!!」


『写輪眼』の名を轟かす忍を間に、絶句して対峙するくの一と年嵩の男。これがアカデミー教師うみのイルカ
と、『白い牙』はたけサクモの初めての邂逅だった。







なんと清冽な空気だろう。井戸の水を汲もうと外に出たイルカは、深呼吸をして目を閉じた。重工業がそれほ
ど発達してない木の葉も自然環境においては未だ良好さを保っているが、だがこの深く濃密な酸素濃度とは
比較にならない。イルカは微かに流れる水音に耳を澄ました。近くに川が流れているのだろうか・・・すこしだ
け、見てみたい。背後の明かりが漏れる小さな庵では、未だサクモとカカシが酒を酌み交わしている筈だ。少
し周囲を散策するくらい何の支障もないだろう。何よりこの影すら浮かぶ眩い月明かりなら、迷う心配もない。

絶え間ない水音を辿って分け入った藪の向こうに、小川はすぐに見つかった。夜目にもそれと分かる清流が
月光に照らされ、まるで銀糸の如き輝きを放っている。その美しさに息をのんだイルカの目に、川の畔に突き
立てられた細身の丸太が映った。十字に組まれたその根元には大小さまざまな花が置かれ、彩りを添えて
いる。

・・・墓標・・・?

花々は供えられたかのようにぐるりと丸太を囲んでいる。イルカは知らず膝をつき、手を合わせていた。果たし
て誰かが葬られているのか、そうでないのかは分からない。しかし胸に湧き上がった敬虔な感情には逆らえ
なかった。目を閉じ深く頭を垂れ黙祷を捧げていると、背後の藪が乾いた音を立て一人分の足音が近づいて
きた。


「あれぇ、何だこんなとこにいたのかい」

サク・・・お、おとう、さま

「ハハッ、いいんだよぉ、そんなに畏まらなくったって。サクモでいいさぁ。丁度いいやイルカちゃん、ちょっとこ
っち来て話でもしないかい?」

はい、あの・・・カカシさんは?

「あいつなら酔っぱらって寝ちまってるさ。暫く邪魔は入らないだろうよ」


手招きされサクモの隣に腰を下ろした。足元を流れる水音と多重に響く虫の音に包まれ、ふたりは視線を絡
ませた。


「なんてことだろうねぇ・・・うちの坊主から『一緒になりたい人間がいるから連れて行く』とだけは聞いていたん
だが、それがまさかあのサチさんの娘さんとはねぇ・・・俺がまだどれだけ驚いてるか、アンタには分からない
だろうねぇ・・・」

私もそれを、お聞きしたいと思ってました。サクモさんと、母は・・・一体どんな関係・・・いいえあの、繋がりが
あったのでしょうか?失礼ですが私、母や父の口からサクモさんのお名前を伺ったことは無くて・・・

「うんまぁ、そうだろうねぇ・・・。アンタは他ならないあのサチさんの娘だ、これまでの経緯を知るのはそりゃ当
然の権利だが、その前にどうしても一つ聞いておきたいことがある。・・・どうか、嘘は吐かないでくれるかい」

は、はい。何でしょう?

「うん、イルカちゃんあんた・・・、本当にうちの坊主と本心から一緒になってくれるのかい?もしかしてアイツに
脅されて、無理矢理ここまで連れてこられたんじゃあないのかい?」

えッッ!!


絶句して後、笑いが込み上げた。『白い牙』の前での欠礼は承知しながらも、湧き上がるおかしさを堪え切れ
ない。目尻に涙を滲ませて忍び笑いを飲み込んだ後、『違います』__そう告げると強張っていたサクモの表
情が明らかに弛緩した。


「本当かい?本当にあんたの本心でここに来てくれたのかい?」

はい、本当です。私は私の一存でこちらに伺いました。誰からも強制されたものではありません。

「・・・そうかい・・・!!あの利かん気の坊主に嫁なんかと思って半信半疑だったんだが・・・そうかい、そうな
のかい!!」


カカシのものよりも肉厚の掌がイルカの肩を包む。サクモはその手に力を込めると、口角を上げてイルカの顔
を覗き込んだ。


「ならぶっちゃけても安心だ、何の支障もないねぇ。サチさんもアイツも、それを望むだろう。・・・イルカちゃん、
俺はねぇ、あんたの母さんにそそのかされて里を抜けたのさ」








「俺が弾劾された経緯は知ってるかい」


衝撃の余韻はまだ醒めてはいない。イルカはようやっとサクモの問いを理解して答えた。


はい・・・詳しくは存じませんが、任務の遂行より人命を優先して、それが原因と・・・

「そう、それが全てさ。『白い牙』っつったって結局は一忍だ、俺もいろんな目に遭ったがあん時は全くどうにも
ならなくてねぇ・・・命を賭したとして戦況が変えられるならまだいい。だが犬死に何の価値があるんだい?無
駄に命を散らしても何も変わらないのに?俺はそう思ったから引き返したし今でもその判断が間違ったとは思
っていない。__だが里は違った。帰還した俺を待っていたのは謗りと非難の嵐だったよ。何故死んでも任務
を遂行してこなかったのか、それでも忍か、ってね。馬鹿な話さ、死んでどうやって働くんだい?命あっての働
きだろう?俺も最初はそう鼻で笑っていたが、風当たりは弱まるどころか強くなるばかりでね。挙句命からが
ら一緒に逃げ帰って来た仲間達まで『あそこで死にたかった』なんて云いだした。助けてやった、なんて恩に
着せてたわけじゃあないが、さすがにこれには参っちまってねぇ・・・正直、そりゃないだろうと思ったさ」


蝶よ花よと持ち上げていた対象を、一転突き落として散々に叩きのめすのは群衆心理においてデフォルトだ。
比類なき忍として高名を欲しいままにしていた『白い牙』だからこそ、その反動も大きかったに違いない。サク
モもそして幼いカカシもその吹き荒れる暴風の真っ只中どんな気持ちでどんな日々を過ごしたのか、想像する
だけでイルカの胸は痛んだ。


「流石の俺も鬱々としちまってね、そのうち家から出るのも嫌になっちまった。うちの坊主にも心配掛けてると
は分かっていたが、あの頃はどうにもならなくてねぇ・・・殆ど引きこもり同然になっちまった俺のところにある
日あんたの母さんが訪ねて来て、こう云ったのさ。『こんな里抜けちまえ』ってね。」

・・・えッッ!!

「豪胆だったねぇ、俺も見知った忍は数知れないが、サチさんほど度胸と腹の据わったくの一を見たことが無
い。何度も上忍試験を受けろと薦めたが、一度も首を縦に振ってくれなくてねぇ・・・返す返すもそれが残念だ
った。医療忍も顔負けの薬学の知識を持っていた人だったから、その縁での付き合いだったんだが」


__そうだろうか。イルカの記憶の中で母はごく平凡な兼業主婦だった。家事と仕事の両立に腐心し時に愚
痴を零しつつ、それでも何より家族を愛した、どこにでもいる平均的な母親だった。特異な点は母の職業が忍
である、その一点だけだ。


「イルカちゃん、あんた今、そこでお祈りしてたね」

は・・・、はい。どなたかのお墓かと・・・お花が、供えてありましたし

「うん。そこに眠ってんのは俺の女房さ、カカシの生みの親だ。カカシは短冊街で生まれたのさ」


サクモは腰を上げ胸ポケットから小さな黄色い花を取り出すと、地面を埋めている花々の中に加えた。そのま
ま胡坐を組み、イルカに背を向けたまま言葉を続けた。


「『銀狐』と云ったらあの辺で知らぬ者とてない花魁でね、うっかりカカシを身籠っちまった後も俺が必ず落籍す
って約束で産ませたんだが・・・霰の国の大名から横槍が入って、無理矢理掻っ攫われちまった。カカシを産
んでまだ、半年も経っていなかった・・・ちょっとないくらい綺麗な女だったからねぇ、聞いた話じゃアイツの体
重と同じだけの黄金を積んだそうだ。そこまでされりゃ見世も一溜まりもないさ、何しろアッチは一国の大名、
こっちは一忍だ。俺が騒げば国交にも影響が出かねない。悔しいなんてもんじゃなかったが、歯軋りして見て
るしかなかったよ」

・・・なんてこと・・・

「そんな騒ぎで連れていかれて、大事にされたってのならまだいい。だが結局は大名の傍にいられたのも数
年で、病気を理由に廓に売り飛ばされたらしい・・・その情報を持ってきたのはサチさんさ。丁度俺が件の弾劾
を受けてる時だ。あの状況に憤慨していたサチさんは俺に里を抜けて逢いに行けと云ってね・・・今を逃したら
チャンスは無い、この騒動を丁度隠れ蓑に出来る。残ったカカシの面倒は責任を持って必ず見る、後は心配
するな・・・ってね。俺は逡巡の末その話に乗った。絵は全部サチさんが描いた。俺は無事里を抜けコイツを廓
から連れ出し、ここで看取ることが出来た・・・イルカちゃん、こっちへおいで」


震える足を叱咤しサクモの横に並んだ。サクモの手が、降ろしたままのイルカの黒髪を撫でた。


「母さん、見えるかい、聞こえるかい?俺たちに娘が出来たよ、何てことだろうねぇ、あのうみのサチさんの、
俺たちの恩人の娘さんだ、その娘さんが坊主の嫁になってくれるそうだ、信じられるかい、こんな奇跡を?本
当にこんな幸せが、あっていいんだろうかね?」


もう耐えられなかった。イルカは顔を覆い、声を上げて泣いた。覆った両手の隙間から、幾筋もの涙が零れ落
ちる。サクモはイルカの肩に腕を回し、黒髪に頬を寄せた。


「夫婦ってのはねえ、看取るのも看取られるのも、手に手を取って別れを云えればそれだけで僥倖ってもんな
のさ、それが忍であるなら尚更・・・。俺は幸せだった。病みやつれて最早昔の面影は無かったとは云え、最
後までコイツの面倒を心ゆくまで見れたんだからねぇ・・・。コイツもそりゃあ安らかな顔で逝ったもんさ、何度も
俺に礼を云ってね。だが本当に礼を云うのは俺にじゃない、サチさんにさ。あの時サチさんが俺の尻を叩いて
くれなければ、こんな幸せを手にすることも無かった。コイツも看取れなかった。・・・その大恩人の娘さんがこ
んな場所まで尋ねて来て、坊主と一緒になってくれるって云う。イルカちゃん、今の俺の気持ちが分かるか
い?盆と正月が一遍に来て、天国にいるみたいな気持が?」

・・・わたし、私、は・・・

「ん?」

・・・母は・・・、私の母は、サクモさんと、お母様に、とって・・・特別な、人間であるのかも、知れません・・・で
も、でも、私は・・・そんな風に、有難がって、いただけるほどの・・・そんな立派な人間でも、しのび、でも、あり
ません・・・

「どういうことだい?」

・・・此処に伺う、前・・・私はとある人物に拘束され・・・命も危うい状態でした・・・。結局カカシさんや、上忍の
方々に救出され里に帰れましたが・・・私はただ見ているだけで、何も・・・あの、九尾の災厄の時だって、同
じ、です・・・私、私は何も・・・父や母が命をかけて、たた、戦った、のに、私、わたし、は、なにも・・・いつだっ
て、何、も・・・

「なぁんだ、そんなことかい。・・・九尾の時に何も出来なかったのは俺だって同じさ、話を聞いた時にはもう里
も焼け野原だった。あんたの父さん母さんまで命を落としたって聞いて、そりゃあもう・・・悔しくてねぇ・・・。だ
けどねぇイルカちゃん、あんたがあの時、役に立てなかったといって悲しむのは間違ってるねぇ。あんたはまだ
子供を産んでないから分からないかも知れないが、子供ってのはねぇ・・・オギャーと生まれて可愛い顔を見
せてくれた瞬間に、一生分の親孝行をしちまうのさ。だから・・・ああ、ああ、そんなに泣かなくったっていいん
だよ、美人さんが台無しじゃないか」


しゃくり上げてサクモの胸にしがみ付いた。サクモの手が、ゆっくりとイルカの背を摩った。


「・・・イルカちゃん、あんたはうちの坊主が忍じゃなかったら一緒にならなかったかい?例えば病で、歩くこと
すら叶わない身体だったら?」

・・・いいえ・・・いいえ、決してそんなことは。私、どんなカカシさんでも、カカシさんであったなら・・・

「そうだろう、それが愛情ってもんさ。親バカで申し訳ないが、きっとカカシだって同じ答えを返すに決まって
る。・・・イルカちゃん、役に立つ立たないじゃあないんだよ、愛ってのはね。だからそんな風にめそめそ泣くの
はやめな、サチさんより可愛い、なんて云ったら怒られるかもしれないが、べっぴんさんにはいつだって笑い顔
が似合うってもんさ。ホラ、これで顔を拭いて・・・ありゃ!!ありゃりゃりゃ、悪いことしちまったねぇ、何だか余
計汚れちまった!!」


サクモが尻ポケットから出した手拭いは、どうやら洗いたてのものでは無かったらしい。頬に走ったざらりとし
た感触とサクモの慌てようがおかしくて、しかしまた込み上げてくるものがあって、イルカの顔は泣き笑いの様
相を呈した。


「なんでイルカが泣いてる・・・」


背後で上がったうめきに似た声に、二人同時に顔を上げた。煌々と周囲を照らす月をバックに、カカシが悄然
とした表情を隠しもせずに立っていた。


「イルカせんせ・・・!?なんて顔してんの、一体!?・・・親父ッッ!!」

「何だい何だい、みっともないねぇ、大の男がそんな蛙が潰れたみたいな声だして、おっと」


ひゅん、とサクモの頬を掠め地面に突き刺さったのはクナイである。サクモは手を伸ばしてそれを引き抜くと、
人さし指でくるくると回した。


「ったくお前は相変わらず堪え性ってもんがないねー、だーれに似たんだか」

「せんせに何したッッ!!正直に吐けッッ」

「何ってアレさー、父と娘が手に手を取って語らい合ってただけさー、ねーイルカちゃーん?」

「気安く呼ぶなッッ!!つーかアンタ、オレに一服盛っただろ!?」

「だってそーでもしないと可愛い娘と二人っきりになれないもんさ、仕方ないさねーイルカちゃーーん」

「よよよよよくもヌケヌケとッッ!!せんせっ、そのエロ親父から離れてッッ!!妊娠しちゃうッッ」

カカシさんッ、何仰ってるんです!?サクモさんと私、本当にここでお話してただけです!!

「せんせは知らないんだよッッ、親父は昔っから『たらしのサクモ』って云われてバッタバッタと女を・・・あーだ
ーからここ来るのヤだったんだよッッ、四代目との約束だったから仕方なく連れて来たけどおわッッ」


信じがたい速度で投げ返されたクナイを、カカシのクナイが辛うじて弾く。蹈鞴を踏んだカカシの前に、サクモ
はゆっくりと立ちはだかった。


「久ーしぶりに顔見せに来て少しは成長したかと思ったら何だい、やっぱり子供のまんまじゃないか。イルカち
ゃん、こんなバカ息子にはちったぁお仕置きが必要だねー?」

どうか厳しくご指導願います!!

「ちょ、何よせんせッッ!!どっちの味方してんのよ!!」

「イルカちゃーん、今夜は三人で川の字だからねぇ、悪いけど布団敷いといてくれるかい?なーに、すーぐにカ
タなんかついちまうからさーー」

「ジョーダンじゃないっての誰が一緒に・・・って、チョット待て待て待てッッ!!オレはアンタに薬飲まされたん
だってのッッ!!ハンデあり過ぎだろうがッッ」

「文句は一人前になってから云いな!!まんまと盛られといて偉そうな顔すんじゃないよ我が儘坊主が!!
そーーれ!!」


二人の忍の、男と男の、父と息子の影が重なりまた離れる。軽快な金属音と共に繰り返されるその跳躍と飛
翔を眺めながら、イルカはスン、と鼻を啜った。


白銀に似た色の大きな満月が、親と子の睦みあいを音も無く照らしていた。



<了>



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