スクエアダンス 前




その1 ノックは無用

 
『最ッッ低!!ホンッットに最ッ低ッッ!!』

『畜産科のはたけカカシでしょ、知ってるってそんなこと』


扉に手を掛けようとして引っ込めた。中から聞こえる話し声に、自分の名前が出ていたからだ。


「三股四股は当たり前、節操無し倫理観無し、食べられてそして捨てられた女は数知れず」

「フン、アンタ醸造科学科のクセにヤケに詳しいじゃない。まさか・・・・アイツに興味あるんじゃないでしょうね、
イルカぁ?」

「あのねー、いないって、はたけカカシの女癖の悪さを農学部で知らない人間なんて。いや農学部だけじゃな
いよねぇ、ココに入学した時から鳴り響いてた話だもん。なのにまた、それ分かってて何でみすみす付き合う
かなぁ・・・・、あんな『いかにも』なロクデナシと。」

「・・・・だって、だってさ・・・・そりゃ、ソッチ方面でトラブルが多いのは知ってたけど・・・・私なら、もしかしたら
変えられるかもって、思うじゃない?やっぱり・・・・」

「ハハーン成る程、そんないじらしいセリフで訥々と口説かれちゃったワケだ?お願い、僕を変えてくれるのは
君しかいない、とかなんとか。牛の鳴き声と芳ばしい匂いのする牛舎をバックに」


扉に身を預け、思わず吹き出しかけた。・・・・ロクデナシね。散々な言われ様だがそう、正にその通り。オレは
女を口説く時、敢えて堂々と自分を肯定する。振りまかれている噂を、否定しない。しかし女ってのは格段特
別扱いに弱い生き物だ、その上で『お前だけ』と耳元で囁けば相手は100%に近い確立で容易く落ちる。
__其処をご承知とはこの女、なかなかに鋭い。


「信じられる!?四人よッッ!?私の他に女が四人ッッ!!あんなに甘い顔して口説いといてッッ」

「だからー、三股四股は当たり前って・・・・・」

「そりゃあ実家は大きな牧場もっててゆくゆくはソコの跡取りで、しかもルックスも信じられないくらい抜群かも
しれないわよッッ、でも何よー!!今付き合ってる女の前で堂々と別の女口説く!?おまけにその女とどっか
に消えちゃったりするッッ!?」

「ハハハ、しかもその他に四人別の彼女がいた、と」

「うわーーーんッッ!!バカバカバカーーーッッ!!」

「ハイハイ泣かないの小雪ちゃん、ホラ鼻かんで」


オレの放蕩癖を論って泣き喚いている昨日まで彼女(のひとり)だった女はともかく、イルカと呼ばれているも
う一人の相方は名前も顔も知らない。同じ農学部でも学科が違えば、学生同士の接触もその機会もグンと減
る。如何に女に敏感なオレでも、大規模なキャンパスで聞いたことも見たことも無い人間が居たとしてもそれ
は致し方ない。


「だいたいねぇ。男前で金持ちで誠実、そんな人間がそもそも存在する訳無いでしょ。そんな夢みたいな話が
あるんだったら、私この校舎を裸でマラソンしてあげたっていいけど?火傷覚悟で付き合って、それでこうなっ
たのなら文句言えないんじゃないの。タラシもしょうがないけど、札付き男に夢見る方も悪いよ」

「なによーッッ、イルカってどうしていっつもそう辛辣なのよーッッ、私達高校の時からの友達でしょ!?ならも
うちょっと優しくしてくれてもいいじゃないよぉぉ」

「あーハイハイ、ご愁傷さまでございました」

「くッ、くッ、くッ、くやしーーーッッ!!」


女二人のかけあいは聞いていてかなり笑えたが、ハタと気付き頭を掻いた。__この笑い話の一番の当事
者は、誰あろうオレ自身だ。昨日の今日で愁嘆場を演じた女と顔を合わせるのは流石に気まずく、のらりくら
りと逃げ回って来たがしかし、この部屋の中に置き忘れたノートがどうしてもいる。かといって中に入れば女に
捕まり、また面倒な事になるのは確実に間違いが無い。どうしたもんかとそのまま思案していると馴染みの
髭に肩を叩かれた。


「なんだカカシ、壁にへばりついてあからさまに怪しいなお前」

「アスマッッ、お誂え向きだよお前神だよ、何にも言わずにオレのロッカーからノート取ってきてくれ」

「あぁ!?」


顔を顰め声を潜めると、アスマはすぐに察した様だった。中で続いている女二人の会話に耳を峙て、ニヤリと
笑う。


「お前またヤらかしたのか、小雪ちゃんとやらだろ?中にいるの。ったくお前の辞書にはてんで学習能力って
文字が無ぇな」

「ウルサイよ!!飼料製造管理と食鳥処理衛生管理、午後のゼミでどうしても使う。アレだ、もう中にあるモン
はあらかた持ってきてくれ面倒だ」

「そりゃ俺のセリフだってーの。いいじゃねぇか構わねぇ、涼しい顔して入ってみりゃ」

「ヤだねッッ。とにかくギャーギャー煩い女は嫌いなんだよ、まさかサークルの部室で待ち伏せてるとは思わ
ないだろ!?・・・・なぁ頼むって、何なら後で美味いモン食わせるからさ」

「どーせお前んトコにひしめいてる牛か豚だろうが。・・・・そうだな、羊とそれから酒も付けろ。なら考えてやる」

「いっつもバカ食いしといてよく言うよ。分かった、分かったからさぁ、頼むからもう行ってこいよ」

「へえへ、仰せの通りにカカシ様」


ニヤニヤと笑ったままのアスマが勢い良くドアを開け、中に入っていく。よお、イルカじゃねぇかと響く野太い声
に眉を顰めた。ヤロウ、人のことは散々コキ下ろしといて自分は醸造科学科の女まで口説いてんのか。返す
女の声に元カノのキンキン響く声が重なる。オレは何処だとアスマに居場所を問い詰めているらしい。三十六
計逃げるに如かず、とは中国の古い諺だが今日は有り難くその兵法に従うことにする。オレは足を忍ばせ、
響く喚き声を背に速攻でその場から走り去った。





その2 マノン・レスコー


滑る舌の感触に、息が詰まった。

きつく窄めた唇で陰茎を扱かれ、絡みつく舌が裏筋を何度も舐め上げる。小刻みに緩急を付けた責めに堪ら
ず息を荒げると、狙いすました様に鬼頭に歯を立てられた。続けざまに伸ばした指で陰嚢を柔らかく揉みしだ
かれ、オレは思わず大声を上げた。


「ちょッ、ちょっと待ったッッ!!」

「・・・・・え?」


股間に顔を埋めていた女が、濡れた唇も顕わに目線を上げる。口元を拭いながら黒髪を掻き上げる仕草に、
ぞくりと背筋を凍らせる壮絶な艶があった。慌ててソコまで来ている絶頂感を誤魔化し、どうにかこうにか笑み
を浮かべる。内心冷や汗を盛大に掻きつつ、あくまで冷静な口調を装い女に声を掛けた。


「あの、あのさ・・・・ちょっとイイ酒があるんだけど、それ飲まない?・・・・ワインは好き?」

「ワイン?今から?」

「うん、69年ぶりにリリースされた、世界に2万本しかないヴォーヌ・ロマネの一級品だよ。美味しいと思うけ
ど」

「ロマネって、もしかしてあのロマネ・コンティ!?」


不審気に顰められていた眉が、あからさまな歓喜に染まる。密かに安堵の息を吐くと、オレもそそくさとベッド
を降りた。

体内に摂取した高いアルコールの作用は、間違いなく男性機能の低下を呼び起こす。それは先刻承知の上
だ。だがマズイだろう、幾ら何でもさすがにこのままじゃマズイだろう。何しろ女に咥えられ、まだ数分も経って
いない。ゆきずりの女の口技にかかって速攻で昇天、そんな噂が万が一でも流れれば『百人斬りのはたけ』
の沽券に拘わる。__ならば酔いで感覚が鈍るくらいで丁度良い。女の持つテクニックは兎に角、それほど
までに凄まじかった。


「あ、丁度良かった。なら私、珍しいおつまみ持ってるんだけど」


全裸の姿も厭わず、自分の荷物を探っていた女が手にした缶詰を差し出した。さっきまで見せていた熟れきっ
た表情とは真逆の、あどけない微笑みにどうしたことか鼓動が跳ねる。__息苦しい。頬と耳が、同時に熱
い。何故か女の笑顔をまともに正視出来ず、生返事でそれを受け取った。


「開けていいの?」

「ええ、どうぞどうぞ。」

「・・・・変わってるね、外国の缶詰?なんだか少し膨らんでるみたいだけど」

「珍味よ?スウェーデン産のニシンの缶詰なんだけど、うちの教授の大好物。滅多に手に入らないんだから」

「へえ・・・・」

「あ、ワインこれ?」

「うん、ついでにグラスも出してくれる」


キャビネットを覗き込んでいる女は、いつの間にかきちんと服を着込んでいた。どうせまた脱ぐハメになるのに
何故そんな二度手間を掛けるのか分からない。だが酒を飲み、剥ぎながら色々シてやるのもいいと思い直
す。何しろさっきは余裕が無さ過ぎた。散々に焦らし、善がらせて啼かせてやるのは次こそこっちの番だと片
頬を緩めた。そのまま台所で缶切りを探し、渡された缶詰に無造作に突き立てる。女の持ったグラスが触れ
合い、カチリと硬質な音を立てた。

__鈍く光る、鋭利な歯が缶の蓋を食い破った、その瞬間だった。



〈 続 〉



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