キスキス、バンバン



ねぇ ぼくらがユメ見たのって

誰かと同じ色の未来じゃない

                   Progress / kokua










白刃が、翻る。


__ごめんね、母さん。


生命の危機に晒され絶望の淵に立たされ脳裡に浮かんだのは唯一つ、里で自分の帰りを待つ母の顔だ。

出来れば__いや無論の事、生きて還りたかった。

忍だった夫を早くに亡くし、それ以来女手一つで自分を育て上げてくれた母だ。掛け続けた苦労を数倍の孝
行で返したいと、願わない日は無かった。だがその誓いも虚しく、自分の命は今この夕闇迫る薄暗い森で潰
えようとしている。

向かって来る敵忍は複数。しかも放たれる気配からその実力は自分より数段上と知れた。

大木を背に、眼前にクナイを掲げ形ばかりに防御の構えをとる。__深追いを、し過ぎた。追っていた筈の自
分が、いつの間にか追われる立場にいる。追いつめられている。自分も忍だ、手負いの獣が人間がどれ程の
反撃力を持つのか知らぬ訳が無い。今更ながらの判断ミスに気付き、縋る視線で周りを見回してもバディを組
んでいるテラヤマはおろか仲間達の姿は誰一人、何処にも見えない。

正しく文字通りの、孤立無援。

零れた水が盆に戻らない様にこの状況で後悔は何の役にも立ちはしない。濃い殺気を撒き散らす影が、荒い
息と共に足元に忍び寄る。噛み締めたつもりの奥歯が、カタカタと鳴った。


『おのれ、木の葉め!!計画の邪魔をしてくれたばかりか仲間達まで・・・・・!!』

『お前なんぞの命、捻り潰した所で糞程の価値も無いがせめてもの気晴らし。その首掻っ切って、我が里の大
門に晒してくれるッッ!!』



「偉そうなコト云ってんじゃなーいよさらい屋が」



鋭利な空気の切っ先が、鼻先を掠めた気がした。ギュッと閉じていた目蓋を恐る恐る開けると、自分を取り囲
んでいた敵忍達は音も無く声も無く、皆一様に地面に倒れ伏している。既に骸と化したその身体は全て、血
溜まりの中で首と胴を綺麗に寸断されていた。


「かーどーまーつー、てめ、何よそのへっぴり腰は?」

「・・・・・隊、長・・・・・ッッ!?」

「ったく、ガタガタブルブル震えやがってんなこっちゃ折角のエロカッコイイ暗部装束が台無しでしょうよ、あ?」


狐面の下から漏れる馴染みのくぐもった声。赤褐色の夕陽を乱反射する銀色の髪、同色のピアス。長い鉤爪
が面を頭上に押し上げると、男も見惚れる秀麗な素顔が顕わになった。


「つーか、追いかけた挙げ句に囲まれてるって何?オレ言ったよねぇ、粗方掃除は終わったから雑魚はほっと
いていいって」

「あ、あの・・・・」

「言・っ・た・よ・ね!?」

「・・・・・は、はい・・・・すみません、はたけ隊長・・・・」


睨め付ける視線はそのままに、血糊のついた長刀を一振りし背中の鞘に収める。その所作は優美ですらあっ
たが自分を見下ろすオッドアイは紛れもない怒気を湛えている。気まずい沈黙が束の間周囲に漂い、再びト
シユキが詫びの言葉を吐こうと口を開き掛けた、その時。


『隊長ォォォォッッッ!!!』


耳を劈く大声と共に、風を巻いて三つの影が降り立った。鷹揚に見守るカカシの足元に揃いの暗部装束が躙
り寄り、素顔を晒している上官に倣い男達も次々と面を跳ね上げる。


「隊長ッッ、こちらに!?」

「ガドマツ!!まぁぁたテメェかッッ!!任務の度にどんだけ隊長の手ぇ患わせたら気が済むんだよお前ぇは
ッッ!!」

「ひぃぃぃぃッッ、すみませんすみません、副長すみません」

「うるせーッッ!!そもそもお前みてぇなヘタレが暗部にいんのが間違いなんだよッッ!!とっととケツ捲って
里に帰りやがれ!!」

「まぁアラマキ、そのへんにしときなよ。もう鼠は片付けたんだし。」

「・・・・・隊長ッッ、お怪我は!?」

「ああ、オレはいいよなんともない。それよりテラヤマ、カドマツの手当てしてやって。左肘附近の出血が酷い」

「は」


頷いたテラヤマに上腕部を掴まれた。覗き込む薄茶色の瞳はカカシと同じく、荒い怒気に満ちている。


『カドマツ、お前何勝手なコトしてんだよ!!深追いすんなって、彼程云われたろうがッッ!!』

『すみません、先輩・・・・・相手は随分ヨレてたみたいだったし、自分にもヤれると思ったんです・・・・』

『ぺーぺーが色気出すんじゃねぇよ、自分が殺られちまったら意味ねぇだろうが心配掛やがって。コッチに飛
んできたのは隊長だけど、お前がいねぇって真っ先に気付いたのは副長なんだぜ?』


正論をぶつけられぐうの音も出なかった。__功名心が無かったと云えば、嘘になる。暗部に放り込まれて数
ヶ月、本意とは言えないながらもはたけ隊の一員として過ごした日々は、唯ひたすらに役立たずと貶され罵ら
れ殴られ蹴られて過ぎた。だからこそ戦果の一つも望むのは無理からぬ事と、トシユキは自分に言い訳をして
唇を噛む。そんな末端構成員の忸怩たる胸の内も知らず、副長のアラマキと部下のシメカケは上官の前で片
膝を付いていた。


「処理班は呼んだ?」

「は、既に式は飛ばしました。追っつけ到着するかと」

「うん、なら首だけは残しとくように言っといて。動かぬ証拠だ、霧隠れのジジィのところに送りつけてやる」

「やっぱりドンパチ始まりますか、霧隠れと。」

「そりゃあそうでしょうよ、人んちの女子供を勝手に浚っちゃあ弄んでくれたケジメ、ツケさせない訳にはいかな
いよねぇ」

「何でも霧隠れには、寺子屋のガキ共に殺し合いをさせる悪習があるって話しですが・・・・隊長」

「ああ、噂は本当らしいよ。んな馬鹿させといて、余所から子供浚ってりゃ世話無いよね。まぁ大方術憑けにし
て、兵隊にでもするつもりだったんだろうけどさ」

「なんならこれから殴り込みますか?俺は構いませんよ、隊長と副長の指示があれば何処までもついていき
ます」

「ハハハハ、そりゃいいなシメカケ!!いっそのことこの首、俺らで霧隠れまで運びますか隊長?」

「あーそれから、今後オレとカドマツでバディを組むから」

「「「えッッ」」」


野太い笑い声を上げていたアラマキとシメカケばかりか、包帯を巻き付けていたテラヤマまで驚愕の声を上げ
た。トシユキの顔色に至っては紙のように白い。


「た・・・・ッ、隊長自ら!?」

「イヤ隊長ッッ、バディとして今回フォロー出来なかったのは確かに俺のミスですがッッ、次は絶対にありませ
んから!!」

「そうですよ、カドマツとじゃあ実力の差が有り過ぎて逆に隊長の身が危ないっスよ!!」


最後のシメカケの台詞に、トシユキも蒼白な顔で何度も頷いた。正直ここまで言われて傷付かない筈は無い
が、それを詰る権利は今の自分にはない。シメカケの言葉は紛れもない事実であるし、何より自分の代わり
はあってもカカシの代わりは無い。


「シメカケの言う通りです、コイツがお荷物になるのは分かり切ってますッッ、万が一隊長の身に何かあったら
どうするんスか!?コイツの代わりはごまんと有っても隊長の代わりは二つと無いんですよ!?ゴルァッ、カド
マツ!!てめぇもボーッとしてねぇで何とか言わねぇかッッ!!この俺ですら隊長にバディを組んで貰ったコト
なんざねぇんだぞ!?」

「ひぃぃぃぃッッ、すみませんすみません副長すみません僕も今それを言おうと」

「ハハハハ、アラマキ、まぁそのへんにしときなって」


ごぃんごぃんと脳天に響く拳骨と蹴りを受けて、トシユキはダンゴ虫のように地面を転がった。ある意味、恐ろ
しいのは敵よりこの日々振るわれるアラマキの暴力だった。動作がトロいと殴られ構えが甘いと蹴られ、目つ
きが顔付きが緩いと言われてはまた殴られた。面を付けていて顔付きも何もあったもんではないが、それを口
にすればもっと酷い目にあうのは必至なので黙っている。要するにアラマキの難癖には暇がない。アラマキ程
手酷くはないが、シメカケにもなんのかんのとよくシバかれた。それを隊長のカカシも、バディを組んでいるテラ
ヤマも一切止めに入らない。いつも薄く笑って(るような気がする)、唯遠くから眺めているだけだ。


「カドマツはエナダのじーさんからの預かりもんだ。ぶっちゃけご指名されたところで有り難くもなんともないが
オレにもプライドってもんがある。あの糞ジジィのとこに意地でもコイツを無傷で届けて、目の前で中指突き立
ててやんのさ。そのお楽しみの為にも、コイツの任期明けまでオレが付き合うよ。__テラヤマ、半端なコトし
て悪かったな、お前に預けてみたのは様子見のつもりだったんだが」

「いえ、隊長それは」

「それからな、アラマキ、シメカケ。オレがお前らとバディを組まなかったのはその必要が無かったからだ。オレ
が認めた男に先輩も後輩も無いよ、お前達はもう忍として完成してる。オレの自慢のチームだ。」

「・・・・・ッ、た、たいちょう・・・・ッッ」

「カドマツだってそうだ、どんなに未熟だろうとはたけ隊を名乗るからにはコイツはもう仲間だ。安心しろカドマ
ツ、お前はオレが死んでも守ってやる。オレの仲間は、絶対殺させやしなーいよ」

「・・・・・・ッ、・・・・・・ッッ」


頭を庇っていた腕の隙間から、カカシの足元で三人の男が泣いているのが見える。トシユキはあくまでも内心
でのみ、溜息を吐いた。『舌先三寸の猛獣使い』 木の葉暗殺戦術特殊部隊、はたけ隊隊長はたけカカシがこ
う称される所以である。トシユキと僅かの年の差しか持たないこの年若き部隊長は、とにかく天才的に口が上
手かった。その人心掌握のテクニックにはいつも目を見張る物があったが、特にシチュエーション設定に長け
ていた。今だってそうだ。赤く蕩け落ちそうな夕陽に染まる森で部下達を傍に侍らせ、呼びかける声は腹の底
から力強く、しかしあくまでも肩の力は抜き放つ気は柔らかく暖かく。おまけにカカシがここ一発のセリフを吐く
時はいつも素顔を晒す。シラフで聞けば赤面モノの言葉も、美麗な容姿と耳障りの良い声で衒い無く告げられ
ればそれは一つの鋭利な武器となる。あの色違いの双眸をギュッと細めた気取りのない笑顔と共に向けられ
た時、墜ちない男も女も、まずはいない。(後にこのテクニックが全く通用しない強敵が出現するのだが、それ
はまた別の話) とにかくカカシは自分自身の使い方を、実に良く弁えた男だった。


「アホがみーるー、ブタのけーつー」


突如頭上で聞こえた脳天気な歌声に、飛び上がった。気配を全く感じなかった。


「かーかーしー!!何勝手に移動してんのよ、西翼のアンタ達がこんなトコ来てちゃ陣形滅茶苦茶じゃないの
さッッ!!」

「あー、いたいた、こんなトコにいた、はたけ隊みたらし隊みーっけ。黙って置いてくなんて酷いなー、ケツ持ち
の俺らの身にもなって下さいよー」

「ちょっとおッ、アタシ達まで一緒にしないでよゲンマ、うちらだって今追いついたとこなんだからねッッ!!」


共同戦線を張っていた不知火隊とみたらし隊全員が、音もなく次々と着地する。ランちゃんだ、ミキちゃんだ、
スズちゃんだ。周囲から熱い囁きが漏れる。みたらし隊は隊長のアンコを筆頭とするフォーマンセルだった
が、隊員は全員くの一。暗部装束を内側から押し上げる瑞々しい肉体の曲線美、隠しても隠しきれないしな
やかな雌の匂い。今ここにいる男達の視線の殆どが、アンコの後ろに控える三人娘に注がれていた。


「やー、悪い悪い。一身上の都合ってヤツだ、そう喚くなよ」

「好き勝手するんなら、アンタ達だけでヤってよねッ。今まで誰がどんだけ内偵して来たと思ってんのよッッ」

「まーそうカリカリすんなって、それよりどうよ?これから任務成功を祝ってパーッと騒ごうかと思ってんだけ
ど、お前等も来る?」


そっちのカワイ子ちゃん達もどう?艶めいたウィンクを投げられて、不知火隊ぱかりかアンコを除いたみたらし
隊からも大きな歓声が上がる。今日はうちの隊長の誕生日なんですよ。どこか誇らしげなアラマキの言葉に、
おめでとうございまーす、はたけ隊長ー、と三人娘が華やかな声を揃えた。


「ちょっとちょっとッッ、何が目出度いのよみたらし隊の打ち上げは甘栗甘って決まってんでしょッッ!!アンタ
達んなバカにフラフラくっ付いてくんじゃないわよ、悪い病気が染るっての」

「「「ええーーッッ」」」

「吹くじゃねぇのアンコ、股干上がってっからって八つ当たってんじゃねぇよ」

「ハッ、超級バカのアンタに何度でも言ってやるわ。うちの可愛いロリポップ達に指一本でも触れてご覧?そ
の腐れ摩羅チョン切ってホルマリン漬けにしてやるからね、このバカカシ」

「摩羅の形も味も知らないガキが言ってくれるよ、股の間に生やした蜘蛛の巣早いとこどっかの物好きにとっ
ぱらって貰ったらどうよ、あ?」

「んだとおッッ、この万年淋病持ちがもう一遍言ってみろゴルァァッッ!!」

「まーまーまー、お二人さん!!今日はこの辺で、ねッッ!?ホラ処理班の皆さんも到着しちゃったみたいだ
し、此処でタマってても邪魔になっちゃうしホラホラッッ!!」


睨みあう隊長二人の間に、年長者のゲンマがそつなく割って入る。険悪な雰囲気は暫く続いたが、カカシの
放った『撤収!!』の言葉に漸く空気が弛緩した。くるりと背を向けたカカシの肩に、アラマキとシメカケが間
髪入れずに長いマントを羽織らせる。総絹織りの純白の生地に踊る深紅の炎、天空を駆ける龍の刺繍。金糸
銀糸で縫い取られた極太の文字は、『天上天下唯我独尊 天下無敵 鬼死暴神 はたけ隊隊長はたけカカ
シ』 とあった。極彩色のマントをはためかせ悠然と歩み去る姿にくの一たちの口からは素敵、最高ッッ、と悲
鳴混じりの溜息が漏れたが、トシユキは割れんばかりの頭の痛みにこめかみを揉んだ。


「相変わらず目に沁みるバカさ加減よねー、アンタんとこの隊長」


それが自分に掛けられた言葉だと瞬間理解できず、目を瞬くトシユキにアンコは構わず続けた。


「上が上なら下も下ってか?アンタでしょ?エナダの爺さんに弟子入り志願してココに放り込まれた馬鹿って」

「あ・・・ッ、ハ、ハイそうです!!はたけ隊第五席、カドマツトシユキです、ご挨拶が遅れましたみたらし隊長」

「まったくどんなヤツかと思って顔見るの楽しみにしてたらさ、まんま子供じゃないの。笑っちゃうね」

「・・・・はぁ・・・・」

「ありがとうね」

「え・・・・ッ!?」

「エナダの爺さんはアタシの先生、だった人間の先生だったからね・・・・医療忍術の。あんなコトがあって、今
は爺さんもやっかいな立場にいるけど嬉しくない筈はないよ、アンタみたいなモノ好きが出てきてさ」


まだトシユキが下忍だった頃、『三忍』の一人大蛇丸が里抜けした大事件は、はっきりと記憶に残っている。
直弟子だったアンコはその余波を喰らい、懲罰に似た形で暗部に入れられたと以前テラヤマから耳にした。し
かし見目麗しいくの一達を率い縦横無尽に戦場を駆け抜けるアンコに、懲戒を受けた者の影や暗さは微塵も
無い。トシユキが弟子入りを願って止まない医療忍術師エナダもまた、大蛇丸事件で立場を悪くした一人だっ
た。


「・・・・僕には、何もありませんから」

「ん?」

「医療忍術は禁術に近い秘術です、志願したところで簡単に伝承出来ない事情は分かってます。優秀さが認
められて上忍師の推薦か、あるいは金銭的余裕でもあれば良かったのですが・・・・僕には、そのどちらもあり
ませんから」

「・・・・・・」

「それなのに、二年の暗部勤めで弟子入りを認めて頂けるならこんなに有り難い事はないんです。誰が何と
言おうとエナダ先生は素晴らしい方です、その先生が直接上層部と掛け合ってくれたと聞いては・・・・・僕も
生きて帰らない訳にはいきません。ここで出来る限りの努力をしようと思ってます」

「・・・・はぁ?『出来る限り』って何よ?腑抜けたコト言ってんじゃないよッッ、死んだって這いずっても帰る、くら
いの根性なきゃこの地獄から生きて戻れっこないでしょうよ!?」

「は、ハイッッ!!何が何でも帰りますッ!!絶対生きて帰りますッッ!!」

「よーし、その意気だッッ」


バァンと肩を叩かれゲホゲホと咽せた。血の色に染まった木々の向こうから、トシユキを呼ぶ声がする。


『カドマツッッ!!なーにトロトロしてやがるさっさと来ねぇかこのウスノロッッ!!』

「ひぃぃぃぃッッ、すみませんすみません副長すみません今行きますッッ」


バカカシに愛想尽かしたらウチに来なさいよー、会釈をして走り去るトシユキの背中に、アンコの笑い声が響
く。そんなこと言われたら今すぐにでも入隊したいくらいだ。トシユキは一滴も酒が飲めない。だからこれから
の酒池肉林を思うと気が重かった。新人の自分はきっと体の良い玩具にされるに違いない、甘栗甘でくの一
達と一緒に汁粉を啜れたら、どんなにか幸せだろうか。滲む涙を堪え鼻をスン、とすすり、トシユキは地を蹴る
足に力を込めた。













にしからのぼったおひさまがー、ひがしーにしずーむー


「やだぁ、何ですかその歌?カドマツ先生」

「えー?知らないー?昔のマンガの歌でね、ありえないってコトを端的に表してるんだけど・・・・」


木の葉病院の医局の窓から見る空は、今日もスコンと青く突き抜けている。昨日久しぶりに元上官の顔を拝
んだ所為か、今日はその空に昔の思い出ばかりを浮かべてしまう。トシユキは看護師のアヤネが煎れてくれ
た緑茶を受け取りながら、首を傾げた。

いや、正直に言えばあの狂騒曲と呼ぶに相応しい二年間の記憶は、強烈な残滓となって今でも脳裡から離
れない。蛮勇で知られたはたけ隊の日常は、任務中も任務後もとにかく全てが型破りだった。


はたけ隊は司令塔のカカシを中心とした、部隊と云うよりは歴とした小規模の軍隊だった。戦場ではカカシの
状況分析と命令の元、隊員全員が一丸となり一個の武器として戦う。カカシが是と告げればどんな死地にも
突っ込み、泥水を啜ってでも任務を遂行した。隊員達は皆カカシの頭脳と度胸を信頼し、根本から自分の命を
預けていた。だからこそ成し得た、完璧に近い任務達成率だった。

しかし「打ち上げ」と称するカカシの隊員達に対する慰労もまた、桁外れであった。

大規模な、あるいは難易度の高い任務の後は必ず花街の老舗『槇乃屋』に皆を引き連れ、徹底的にハメを外
す。口にするのも憚られる程の馬鹿騒ぎに、トシユキは任期中に幾度となく居合わせたが一度共にしたカカシ
の誕生祝いは、その中でも群を抜いていた。

__あの時初めて、『女体盛り』って見たんだよなぁ

お馴染みの槇乃屋を貸し切り店に出ている遊女全員を揚げ、飲んでは歌い食べ踊り酒樽を次々と空けるド派
手な喧噪は花街中に響き渡った。トシユキは早々に混濁した意識の中で、素肌に赤い襦袢を引っ掛けたカカ
シが蝶のようにヒラヒラと舞っていたのを覚えている。おまけにどうやらその夜、自分は筆下ろしをしたらしい。
その後勃発した霧隠れとの『二十日間抗争』の最中にも散々それをからかわれ、トシユキはとことん閉口し
た。

勿論霧隠れとの抗争には勝利した。はたけ隊を中核とした木の葉暗殺戦術特殊部隊は、霧隠れに乗り込み
他国を震撼させた大規模な誘拐組織を壊滅させ、一組織の暴走とシラを切る水影に冷や汗を掻かせた事実
で一段とその名を馳せた。楽な戦いではなかった。帰還を果たした時誰もが満身創痍であったが、この作戦
に名を連ねた事はトシユキの生涯の誇りとなった。ただ単に戦っただけではない、身内の__アラマキの拳
固に耐えつつ勝利をもぎ取ったのだ、誇るなと云われようと無理からぬ事だった。


鬼の副長アラマキは、トシユキの除隊の日まで拳を落とした。その真意を知ったのは、トシユキがエナダの元
から独り立ちし木の葉病院の医師として働き始め、暫く経ってからだ。


『命あっての物種だろうが、何も医者になるのが、いや忍の道だけが人生じゃねぇよ。ともかくアイツは暗部に
向いてねぇ』


自分の暴力に音を上げ暗部から離脱することがトシユキの一番の幸福と、信じた故の行為だった。シメカケの
口から漏れた初めて聞くアラマキの言葉に、トシユキは机に突っ伏し大声を上げて泣いた。アラマキは三年
前、単独で駆り出された犀の国の戦場で、殉死していた。


__俺の仲間は、殺させやしねぇよ


それが口癖だったというアラマキはその信条通り、仲間を庇って死んだ。アラマキの犠牲で命を永らえた兵
は、二桁に登るという。その行為は英雄的行為に他ならないと火影も犀の国国主も絶賛を惜しまず、里では
大々的な葬儀が行われた。トシユキは急患に手こずり葬儀に参列出来ず、そのまま日々は過ぎた。後日風
邪を引いた娘を診せに現れたシメカケと思い出に花を咲かせるうち、ポロリと零れた話だった。アラマキの言
葉だけではない。遺髪だけを収めた棺にテラヤマが縋って泣いた事、葬儀後もカカシが一時間も席を立たず
に居たこと、全てがトシユキの胸を締め付け、突き上げた。死の無情が、身を心を深く苛んだ。涙が眼窩から
溢れ、止まらなかった。

『まいったなぁ、お前ぇを泣かせるつもりじゃあ無かったんだ、許してくれよ』

困り果てた表情で呟く父親と、突然泣き出したかかりつけ医を、シメカケの娘は目を丸くして交互に見つめて
いた。やがておずおずとトシユキに近づき俯せる背を撫でたが、もみじの手の温もりは更に涙を横溢させた。
シメカケの大きな掌が何度も肩を叩くまで、トシユキはそのまま子供の様に泣き続けた。



そのシメカケには、なんと五人の娘がいる。どうしても一人息子が欲しいと、チャレンジし続けた挙げ句の結果
だった。常に人材不足に喘ぐ里にとって、子沢山は讃えらて然るべき行状だ。しかしシメカケにとって、この現
実は羞恥に耐えないらしい。

__俺にはとことん、運が無ぇ。身軽なお前ぇが羨ましいぜ。

子供は頻繁に病気をする生き物だ、当然シメカケが木の葉病院の世話になる機会も増えた。診察室でトシユ
キと顔を会わせる度、シメカケはそっぽを向いてそう吐き捨てるのが常だったがトシユキにはよく分かってい
た。シメカケと家族の絆は深く、強い。子供が一人体調を崩せば母親の他に娘達も全員付いてくる。そこにシ
メカケも出来る限り同行していた。落ちつきなく動き回る小さな娘達を叱りとばしながらも、シメカケの鋭い眼
はいつも父親としての慈愛に満ちている。せんせーこんにちはー、せんせーさよーならー。父親に促され、子
供達が声を揃えて頭を下げる愛らしい光景を、トシユキは内心心待ちにしていた。

テラヤマはアラマキの遺志を継ぐ優秀な戦忍として、里と同盟国との間を飛び回る毎日だ。激務の合間に傷
を負い、木の葉病院に駆け込む事も多い。飄々とした口調と表情で、傷の痛みにも愚痴一つ零さないテラヤ
マだったが家庭に恵まれたシメカケをいつも羨んだ。

__結婚すればいいじゃないですか、先輩すごくモテるって風の噂に聞いてますよ

__バーカーヤーロー、女がみんな、シメカケさんとこの奥方みたいだと思うなよ。俺んトコに寄ってくるのなん
ざ、口八丁手八丁のどうしようもねぇのバッカよ。ホントあの人は運がいいぜ。

テラヤマはカカシとはまた違ったタイプの優男だった。それを揶揄するとテラヤマの柳眉が寄った。

__そういや隊長が上忍師請け負ったって知ってるか?この間久しぶりに飲んだんだけどな、お前もフラフラ
女遊びばっかしてんじゃねぇ、って説教喰らったぜ。イヤ、あの隊長がだぜ!?ブッ飛んだなんてもんじゃなか
ったね全く!!


それから程なくして、トシユキはテラヤマの驚きをそのままなぞる事になる。はたけ上忍が急患です、そう告げ
られて慌てて駆けつけた診察室にはカカシではなく見覚えの無い、一見凡庸な男が横たわっていた。


『も、申し訳ありません先生、中忍のうみのイルカと申します』
 

起き上がろうとするイルカと名乗る男を、カカシが無理矢理押しとどめている。トシユキはカカシとイルカが唯の
上官と下士官の関係ではない事に、直ぐに気が付いた。カカシが他人を診てくれと連れてきた、それだけで
既に異常事態だったがそのカカシの視線も常に泳ぎ落ち着きが無い。イルカを問診している間も何のかんの
と口を挟みたがり、放つ気も揺らいでいる。何よりカカシが『この人』とイルカを呼んだ表情を、暫く忘れられそ
うにない。__目の前の中忍はどこから見ても男。どう見ても男。しかし元上官の全身から諾々と垂れ流され
ているのは、紛れもない恋人に対する情愛だ。トシユキは出来るだけ冷静を装い、初めて見るカカシの情人を
診察した。


「太陽って、ホントに西から昇るんだなぁ」

「え?何か仰いました、先生?」

「あ、ううん。いいんだ、こっちの話」

「・・・・・ヘンな先生」


アヤネのからかいともつかない呟きに耳を染め、トシユキは湯飲みを啜った。アヤネはいつもこうして何くれと
なく世話を焼いてくれながらも、時折随分と近しい口を利く。それは明らかに医師と看護師の垣根を越えた、
睦言に似た囁きだった。もしやアヤネは、自分に好意を抱いてくれているのだろうか。およそ男女の駆け引き
に疎いトシユキには、その判断が全くと云って良い程つかない。これがある種の誘いで有るならば、次に行動
を起こすのは自分の番という事になる。だが其処に考えが至る時、アヤネの愛らしい熱を孕んだ視線とぶつ
かる時、トシユキの足はいつも竦んでしまう。

__自分には、何も無い。カカシやテラヤマの様に端麗な容姿も、シメカケの様な剛胆な度胸も、忍としての
実力も地位も、そして金も。あるのは唯、ここ数年がむしゃらに向き合って来た医療忍術師としての実績だけ
だ。

アヤネは里でも有数の資産家で木の葉病院の理事長でもある男の、一人娘だった。

こんな時カカシなら、あの女あしらいに長けた元上官ならどうするのだろう。決まっている、トシユキの様に考
え込むこともなく、最もスマートな方法で素早く相手を口説けるのだろう。そうだ、いっそのことカカシが里に在
駐しているなら全てを打ち明け、相談してみようか。


いいや、それはダメだな。


湯飲みを覗き込み、揺れる緑茶の表面に昨日の情景を映しひっそりと笑う。


トシユキが細菌検査の結果を携えカカシの元に向かうと、人気のない待合室には微かな啜り泣きが響いてい
た。それに被るように、男の低い囁きが続く。どうやら泣いているのは先程の中忍で、熱心に語りかけている
のはカカシらしい。足を止め隠れた壁の向こうからこっそりと様子を伺い、硬直した。カカシは中忍の頬を両手
で包み込み、顔中に何度も口付けを落としていた。対する中忍も、カカシの腕の中でうっとりと身を任せてい
る。__驚きに、決定的なトドメを喰らった。世界がひっくり返った。


カカシの暗部除隊と共に、はたけ隊が解散して久しい。カカシに元々、同性愛を是とする素養があったのかは
分からない。理解出来ない訳ではないが、自分にとっても恋愛対象はやはり異性だ。けれど、今こうしてあの
時の二人の姿を思い返しても不思議と嫌悪は湧いて来ない。寧ろトシユキはカカシに、暗部部隊長とその部
下として出会ってから初めて、抱いたことの無い深い親しみを感じていた。

何かを詫びているらしい中忍を必死に慰撫するその姿に、その昔カリスマ的な父権性で部隊を率いていた男
の面影は、微塵もない。だがトシユキにははっきりと分かった。カカシは生まれて初めて、望んで望まれた関
係の中にいる。誠実な愛に、身を置いている。そして自分にとって同様の幸福も、今手を伸ばせば掴める場
所にある。

カカシと初めて、同じ位置につけた気がした。横一列の、スタートをきれた気がした。


「カドマツ先生、お電話が入ってます」

「あ、ありがとう」


受話器を渡そうとするアヤネと受け取ろうとするトシユキの指が触れ、小指が絡んだ。慌てて腕を引っ込めた
アヤネの頬が耳が首が、見る間に朱に染まる。その潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめ、トシユキは心に決めた。


とりあえず、とりあえずあと一歩だけ、自分の足で前に進んでみよう。__まずは、それから。


静まる気配を見せない動悸を無理矢理押さえ、受話器を耳に当てる。昨日会ったばかりなのに何故か懐かし
さを感じさせる元上官の声が、電話線の向こうから賑やかに響いてくる。


「はい、お待たせしました診療部カドマツです。あ、隊長ー、昨日はどうもー・・・・えッッ、熱?四十度!?座薬
入れても?隊長ー、僕昨日説明したじゃないですかー・・・・・・」




〈 了 〉




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