ガッチャ!!




ドアを開けると、銀髪の美女が立っていた。


「先生!!開けてッッ!!あけてください、せんせいッッ!!」


か細い啜り泣きの混じる、女の叫び声。日付が変わったばかりのこんな夜中に、女の手でドアを叩かれる謂
われはない。イルカは訝しみながらも、そのただならぬ気配と声色に慌てて玄関に飛び出した。


「先生ッッ、イルカせんせいッッ!!」

「ええッ!?・・・・あ、あのッ、ちょっと!!」


降り出した雨に濡れそぼった見知らぬ女の身体が、腕の中に飛び込んでくる。このところ久しく味わうことの
無かったその柔らかな感触に微かな眩暈を覚えたが、動揺を無理矢理呑み込み女の顔を覗き込んだ。

背中まで届く、うねる銀髪。尖った顎に紅い唇、形の整った眉に高い鼻梁。イルカの頬に伸ばした細く白い指
先は細かく震えているのに、その体躯から立ち上る色香は妖艶とも言える艶やかさでイルカの理性を直撃し
た。

しかもこの初対面の筈の美女からは、何故か酷く懐かしく馴染んだ気配がする。涙袋に涙を湛えた両眼は赤
と青のオッドアイ、しかも赤い瞳にはご丁寧にあの巴の紋__これは、もしや。いや、おそらく間違えようもな
く。


「ええっと・・・・あの、もしかして・・・・カカシ、さん?」

「うわーーん!!イルカせんせーー!!」


押しつけられた豊満な胸に息が詰まる。再び強く抱きつかれ、よろけた拍子に柱で頭を打った。目の前にちら
つく星と一緒に、イルカは呆然と女体化したカカシを見下ろした。








「・・・・それで、火影様のところへは?」

「もちろん、いの一番に行きました。でも雲の国の術系でしょ。風とか土とか雷とか、近隣国の忍の術ならまだ
しも、遠すぎて何の手掛かりも掴めないし・・・・手の施しようがないって言うんです」

「そんな・・・・!!」


銀の髪をタオルで拭ってやりながら、イルカは絶句した。女体化した所為か随分と柔らかくなった髪質は心地
よく指に絡み、全身もいつものカカシより二回りは小さくなっている。着替えさせたアンダーも勿論ブカブカで袖
と足首の周囲を何度も折り込んだ。


「そりゃあ雲の国はかなりの遠隔地で情報も不足してますけど、そんな手強い忍がいたなんて・・・・」

「手強い、つーよりタイミングが悪かったんですよねぇ。オレがヤツの首を落としたのと術が発動したのが殆ど
同時だったんです。こんなの滅多にあるコトじゃないんですけど、お陰でコピーする間もなくて」

「それでその身体のまま固定されちゃったんですか。」


いつもの間延びした喋り方、見上げる視線。それは確かにカカシのものであるのに、受け入れがたい違和感
がある。当然のことながら赤い唇から漏れる声は数段トーンが高く、身振り手振りで話をする度豊かな胸が上
下左右に揺れる。どうにも目の遣り場に困り、イルカは頬を染めて横を向いた。

カカシが雲の国での単独任務に赴いたのは、もう二週間以上も前のことだ。任務内容はある巻物の奪還だっ
たが、そこにはかなり希少な秘術が記してあるとの触れ込みだった。しかも国を三つ越して行く手の掛かりよ
うで、見送るイルカも一ヶ月は固いと内心覚悟していた。だがカカシの話では女体変化の目眩ましが効果てき
めん、難なく潜入に成功し巻物を手にいれた。__そこまでは、よかった。しかし楽勝楽勝とほくそ笑んで帰
還する途中、そのトラブルは起きた。

リサーチ済みの絶対安全圏に現れた、大量の忍。女体化したままの身体で交戦し、漸く包囲網から脱出出
来たはいいが__気付けば変化が解けなくなっていた。


「油断しましたねぇ。どうしたんです?あなた程の人が、珍しい。」

「・・・・・返す言葉もないです、面目ない。最後の一人だったんですよねぇ、もう少し殺るタイミングを図るべき
でした。一体何の術を掛けられたのか、それすら分からないんですから」

「まぁ怪我一つ無いのが、不幸中の幸いですけど・・・・」


ちら、と見上げ絡む視線に動悸がする。何度も瞬きを繰り返す長い睫には、今だ数滴の涙の雫が乗ってい
る。元々カカシは秀麗な素顔の持ち主だったが、性別が変わっただけでこうも強烈な色香を振りまくとは。イ
ルカは長くその美貌を直視することが出来ず、濡れたタオルを片付けながら立ち上がった。


「だ、大丈夫ですよカカシさん。五代目は今も昔も医療忍術のエキスパートです。口ではああ仰っても、きっと
手を尽くして解術の式を探してくれますよ。」

「イルカせんせぇッッ!!!」


ガクリと衝撃を覚え見下ろすと、カカシの両手がイルカの太股に絡みついていた。これから残りの人生で、こ
れほどの美女に縋られる機会など二度と無いに違いない。


「どうしよう、オレ、ずっとこのまんまだったらどうしよう!!」

「か、カカシさん・・・・」

「ガキの頃から忍やってて、そりゃあ今まで色んな目に合いましたけど、変化が解けないなんて初めてなんで
す!!ねぇ死ぬまでこのまんまだったらどうしよう、せんせぇッッ!!」


見開かれた瞳から大粒の涙が零れる。美人は泣こうが笑おうが怒ろうがどうあっても美人だ。涙とフェロモン
を同時に垂れ流すカカシの傍に、イルカは吐息をついて膝を付いた。


「大丈夫ですって、カカシさん。微力ながら俺もちゃんとお手伝いさせて頂きますから。まず朝になったら資料
室と図書館を漁って、出来る限りの資料を集めてみます。それから医療班と薬剤班の知り合いにも全員声を
掛けて・・・・」

「だって五代目ですらお手上げだって言ってたのに!!そんな保証どこにも無いじゃないッッ!!」

「う、だからそれは」


しゃくり上げながらしがみつかれ、銀色の頭を思わず撫でた。確かに保証は何処にもない。しかしあらゆる万
策を施すつもりではいる。その覚悟を分かって欲しかった。


「分かってます、オレ。せんせ、オレの事が気持ち悪いんでしょ」

「はッ!?あの、何言ってるんですカカシさ」

「だってだって先生、さっきからオレの顔まともに見ないじゃない!目、合わせてくれないじゃない!!」


ビスクドールも逃げ出す白い肌、熱く潤む瞳。どうあっても男の欲を煽り立てる色と艶に、イルカは俯いて頬を
赤らめるしか術がない。


「そ・・・・、それは、その・・・・・あなたの姿が、あんまり扇情的だから」

「──・・・・・ホントに?オレのこと、嫌になったんじゃなくて?」

「あのねぇ、そんなことある訳ないじゃないですか。どんな格好してたってあなたはあなたです。変化してもあ
なたって本質まで変わるわけじゃないんですから」

「だってオレ、こんな身体だし」


下着を付けていない胸をグイと押しつけられる。赤い唇と一緒に迫るたわわな肉の感触に、一気に熱が上が
り思わず後ずさった。が、縋るカカシの指もそれを許さずイルカの腕を強く掴んで引き寄せた。__力だけは、
上忍且つ男のままだ。


「ホラ、やっぱり!!アンタもうオレのことヤなんだ!!女になった男なんて、見るのも触るのも嫌なんだ!!
オレもう一生アンタとエッチ出来ないんだーーーッッ!!」

「ちょっとカカシさん落ち着いて!!なに逆ギレしてるんです、誰もそんなこと言ってないじゃないですかッ」

「うッ、うッ、うッ、だってせんせ」


震える細い肩を抱いた。確かにこの状況で、気持ちが不安定になるのは致し方ないかも知れない。上忍だっ
て一人の人間だ、不安なものは不安だろう。そっと抱き込み背中をさすると、カカシが鼻を啜ってしがみつく。
イルカはその額の生え際にキスをすると、銀の髪を指で梳いた。


「・・・・大声だしてすみませんでした。でも大丈夫ですよ、俺が傍に付いてます。絶対になんとかなります。い
え、してみせます!・・・・・でももし、もし万が一、解決策が見つからなくても・・・・・俺はずっと、あなたと一緒
にいますから・・・・」

「せんせ。・・・・ホント?」

「ええ、本当です。約束します。男に二言はありません」

「ホントにホントにほん」

「何度も同じ事聞かない!!いい加減恥ずかしいじゃないですかッ」

「うん・・・・じゃ、その代わりキスして。案外『王子さまのキス』で元に戻るかもしんないよ?」

「またバカなこと言って」


小さく笑って、同時に顔を寄せ合い唇を重ねた。いつもよりほんの僅かに柔らかい、、肉厚の唇。けれど交わ
す唾液の甘さと息遣いは違えようもなく愛しい恋人のもので、軽く触れ合っていた口づけは程なく濃厚な愛撫
に取って変わった。


「・・・・・ン、ん、・・・・せ、んせ・・・・」

「やっぱり、効きませんね、俺のキス・・・・」

「ん・・・・ね、オレもうダメ、我慢できない・・・・しよ、せんせ」

「え、えッ!?あの、このまま・・・・!?」

「決まってるでしょ、何度も言わせないでよ。それとも、さっきの言葉は嘘?」

「そんなことッ」

「じゃ、決まり。・・・ね?」


凄味のありすぎる美貌が迫り、イルカは後ろ手に仰け反った。その腹にすかさずカカシが乗り上げ、動きを封
じる。血の滴るように赤い唇と舌が、イルカの耳介を舐め上げ囁いた。


「お願い、・・・・・抱いて」


イルカの耳元で『理性』という名の防壁が、脆くも崩れ去る音が響いた。







「あ・・・・ッ、は、・・・・あ、あ、あ・・・・・ッ」

「すごい・・・・もう、こんなに痼ってる・・・・」

「そ、んなこと、言わないで、よ・・・・ッ、ん、んんッッ!!」


イルカの歯列が胸の先端を甘噛みし舌が舐る度、全身が跳ねた。嬲られる快楽が殆ど全裸に剥かれた身体
の奥に直結し、秘裂からしとどに淫液を滴らせる。時折カカシの反応を凝視するイルカの視線が、それに更な
る拍車をかけた。カカシは身を捩って、そのあからさまな視姦に耐えた。


「なに・・・・ッ、そんな見て・・・・ッ」

「いいえ。でも誘ったのはそっちですよ?」

「答えになってな・・・・・あああああッッ!!」


イルカの指が分泌物を掬い上げ、裂け目の内に外に塗り込める。弾みで触れた肉芽を再び摘まれて、カカシ
は高い声を上げた。

女体化しての性行為は、これが初めてではない。上忍とはいえ仕事を選り好んでいられないのが忍の家業、
変化したまま寝技に持ち込んだことも数度ある。__だが。

好きな男との交わりは、これほどまでに違うものか。

女の身体で抱かれている異常な状況に、興奮している所為もあるだろう(生物学的にいえばこっちが正常だ
が)。しかしそれを差し引いても、イルカの舌と指が与える愉悦はカカシの脳髄を跡形もなく蕩かし掻き回し
た。這う舌の熱さが皮膚を剥ぎ、剥き出しになった神経の一つ一つが快楽の粒を拾う。武骨な指が白い太股
を撫でさすりながら、大きく足を広かせる。その間にイルカの顔が埋まると、カカシは甲高い悲鳴を上げた。


「やだぁッッ!!せん、せ、・・・・あああ、もう、死んじゃうッッ!!」

「何度も言いますが誘ったのはそっちです。・・・・・遠慮はしませんよ」

「や・・・・だ・・・・は、あ、あ、・・・・イ、イ・・・・ッッ」


滑る舌が粘膜を掻き回し肉芽を嬲った。淫猥な水音と共に抜き差しされる指を追って、細い腰も揺れる。膣と
肉芽で共鳴する快楽に髪を振り乱し、カカシは涙ながらに強請った。


「も・・・・ッ、おねが・・・・ッ、せ、んせぇ」

「ん・・・?ここ、ですか?」

「は、あああ、・・・・・ん、んッ、ね、・・・・・ちょうだ、い・・・・」

「俺は構いませんが・・・・いいんですか?本当に」

「な・・・・に・・・・いまさら・・・・ッ」

「そう仰るなら結構ですが、・・・・・後の保証はありませんよ」

「・・・・・え?」


閨には不釣り合いな静かな声にようやく気付き、カカシは目を瞬いた。自分を組み敷いている男の顔が、静謐
な眼差しで自分を見下ろしている。


「カカシさんもご存じでしょう、女体化した身体との性行為がどれ程の快楽をもたらすのか。あなたがそうしてく
れと言うなら俺は構わない、けれどこの後自分の性的嗜好がどちらに傾くのか・・・・・俺だって予想がつかな
いと言ってるんです。」

「・・・・・つまりこっちの身体に夢中になって、男のオレじゃ満足出来なくなるってこと・・・・?」

「可能性、の話です。そうなるかならないかは、試してみないと分からない。」

「何ソレ!!せんせ、だってさっき・・・・ッ!!」

「ええ、あなたの姿が男であれ女であれ、あなたを想う気持ちに変わりはありませんよ。けれどそれはあくま
で精神面での話であって、肉体的身体的にどう影響が出るのかは予測出来ない。__申し訳ありませんが、
これは偽らざる事実です。」

「せんせ、・・・・何?一体どうしちゃったの?さっきまであんな優しかったのに、なんでそんな・・・・・意地悪言
う訳?」

「意地悪?人を誑かしてるのはどっちです、『華』の恐ろしさを知らないあなたじゃないでしょう。」


カカシは目を見開いた。『華』とは暗部とは異なる別動工作部隊の通称で、主にくの一に変化し極秘裏に暗殺
任務に就く忍を指す。その恐るべき閨房術の数々は、時に暗部をも凌ぐと耳にした。だが内勤の、しかも教職
に就くイルカの口から聞ける言葉では無い筈だ。


「『華』が携わる任務の達成率が何故彼程までに高いか、あなたも知ってるでしょう。男の生理を想像するし
かない女と違って、彼らはダイレクトにその『欲』の在処を知っている__閨でして欲しいこと、したいこと、望
むこと総てね。だからこそ男にとって理想的な存在であり且つハンターなんです。・・・・カカシさん。」


イルカの身体が、横たわるカカシの上に乗り上げる。あられもない格好のカカシと違い、イルカはアンダーすら
脱いでいない。その身体から放たれる無言の圧力に、カカシは息を飲んだ。


「ちょっ、ちょっと待ってよ先生!!なんでそんなコト知ってんの、『華』の存在は暗部だって知らないヤツが殆
どだよ!?──・・・・ッ!!せんせ、アンタまさか!!」

「俺のことはどうだっていいんです。カカシさん、あなただって『写輪眼』の二つ名を持つ身だ、そのあなたの変
化がいい加減なものであるわけが無い。『華』と同等かそれ以上の女体化で俺とコトに及んで、その後どんな
ツケが来るか考えなかったんですか?・・・・・人を詰る暇があったら、その馬鹿な変化を解きなさい。」

「──・・・・・ッ!!」

「変化を解きなさいッ!!こんなバカなことに変化を使って、命懸けで任務をこなす彼らに失礼だ!!・・・・・そ
れとも続きをしますか?挿れたっていいんですよ、俺だってこんな美人とできる機会は滅多に無い」


細い手首を掴まれて悲鳴が漏れた。腰を押しつけられ慌てて身を捩り、気付いた時には印を切っていた。軽
い爆発音と共に上がった白煙の向こうに、均整の取れた男の裸体が浮かび上がる。


「・・・・・やっぱり・・・・・」

「せんせッッ!!お願い、聞いてッッ」

「うるさい!!道理でおかしいと思ったんです。普段から軽はずみな所はありますけど、あなたの危機管理能
力はこの里でピカ一だ。なのに何の確証もない、こんな異常事態で俺を誘うなんて普段のあなただったら絶
対に有り得ない。いたずらか、悪ふざけしてるんじゃなけりゃね。」

「違うんです、イルカせんせ!!」

「朴念仁の俺に抱かれるのは飽きましたか?それでたまには女の身体でしてみようって、どうせそんな事でも
考えたんでしょう。お誂え向きに今日は『嘘をついてもいい日』ですしね」


取りつくしまもなかった。違う。決してイルカを貶める気持ちでした訳ではない。確かにイルカは融通が利かな
い。抱くのも抱かれるのも何時もこの部屋、ごく偶にカカシの部屋。気分を変えようにも男同士でホテルなん
か恥ずかしいと、一度だって行ったことがない。勿論道具や薬なんて使ったことがないし縛るのもダメ影分身
プレイも嫌、青姦なんて以ての外だ。__でも、それでも。

カカシはイルカが好きだった。その腕の中で、与えられる快楽に酔うのは至福の時だった。

カカシがイルカの初めての男であることは、閨でのぎこちない愛撫と拙い技巧ですぐに知れた。しかし悪戦苦
闘の記憶も、やがては時間と経験が笑い話に変えてくれる。カカシはイルカの愛情に、疑念も不満も抱いたこ
とはなかった。

だが自分もかつては散々に浮き名を流した身だ、女と番う快楽を、嫌と云うほど知っている。

自分が傍にいる限り、イルカがその淫楽を味わう機会は二度と巡って来ない。__イルカは、それで満足な
のだろうか。

イルカが愛しかった。その手を取って、更なる快楽の高みに連れていってやりたかった。円やかな丸みも柔ら
かさもないこの身体を愚直なまでの誠実さで抱いてくれる男に、せめてもの恩返しがしたかった。

女を宛ってやれたなら、話は簡単だろうか。しかしそれは不可能な話だ。あの腕が他人を抱き、その唇が快
感に戦慄く様を想像するだけで、気がふれる。

__なら、自分が。自分が女になって抱かれればいい。

それを思いついたのは、敵忍の最後の一人を弊した後だ。返り血に染まった女の肌は、戦闘の昂揚から抜け
きらないカカシの眼に、いとも美しく写った。




「・・・・・カカシさん。泣いてる美人がアンタだって分かった時、俺がどんな気持ちだったか想像できますか」


ガクリと項垂れ、唇を噛んだ。見下ろすイルカの瞳には、冷徹な怒りと哀しみが浮かんでいる。間違えた。こん
な筈ではなかった。作り話をした気まずさも、イルカと享楽を貪ってしまえばエイプリルフールの冗談に紛らわ
せてしまえる筈だった。けれど自分の嘘は、イルカを傷つけた。結果として、男のプライドを弄んだ。

アンタが好きなんだ。好きで好きで、堪らないんだ。ただアンタを、喜ばせたかっただけなんだ。

迸りかけた言葉を呑み込んだ。今のイルカにどんな言い訳をしようと、到底受け入れて貰えるとは思えない。


「任務の後でお疲れでしょう、そのままそのベッドで休んで頂いて結構です。俺はこっちで休みますので。」


一切を拒絶する厳しさで、イルカの背中が襖の向こうに消えていく。カカシは枕に顔を埋め、声を出さずに啜り
泣いた。






許して貰えたのは、結局一ヶ月の後だった。

ただひたすらに泣き落としを繰り返し、ようやっとイルカの部屋に上がるのを許された時カカシは嬉しさのあま
りまた泣いた。グズグズと鼻をすするカカシの前で、手土産にした水菓子はあっという間にイルカの胃の腑に
消えてゆく。紅梅堂一日10組限定のレアな甘味は、さすがに恋人の気を惹いたらしい。しがみついてイルカ
の唇に付いた餡を舐め取ると、笑って抱き締めてくれた。

もちろん、仲違いした後のセックスと叱られた後のごはんは同義語だ。

馴染んだ部屋のありとあらゆる場所で、いつもより数段甘く激しく執拗に繰り返される攻めに、カカシの身体は
歓喜の悲鳴を上げた。

ようやっと最後に辿り着いたベッドの上で、息も絶え絶えに横たわる。上忍を此程まで消耗させた張本人は、
悠然と煙草を吹かしている。中忍の底力と呼ぶには余りある体力に眩暈を覚えながらも、カカシは荒く肩を上
下させてイルカの傍に寄り添った。

「あの・・・・せんせ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「は?何でしょう」

「うん、あの・・・・あの時せんせ言ってたでしょ、『華』のことなんですけど・・・・」


この一ヶ月、自問自答を繰り返してきた言葉を口にした。__大丈夫だ、覚悟は出来ている。職業に貴賤は
ないし労働は尊いしましてや自分達は忍だ。イルカの口から如何に衝撃的な過去が語られようとも、それを受
け入れる心づもりは出来ている。


「あ、あれですか」


イルカがフィルター近くまで減った煙草を銜えながら、次のマルボロに手を伸ばす。その横顔に見惚れるカカ
シに、恋人はあっさりと言い放った。


「あれはほんの冗談ですから、気になさる必要はありませんよ」

「へーそう、そりゃよかったよかった・・・・・って、えぇぇぇぇッッ!?何ソレッッ!!」

「何って、ちょっと考えてみりゃ分かるじゃないですか。俺みたいな武骨な男が『華』なんか務まるわけないで
しょ。いくら術とはいえ変化は自分をベースにするものですし」

「イ、イルカ先生オレはいいんですよ、何も気兼ねする必要はありません、アンタがどんな過去を背負ってよう
とオレはまったく」

「アハハ、『華』のことは昔ゲンマさんから酒の席で聞き齧っただけですから、そんな深読みしたって無駄です
よ」

「何イィィィ!?」


ゲンマ『華』だったのか。いやそれより!!何なんだ。それって何なんだ!?人のちょっとした出来心はあんな
に詰っといて、自分は一体何なんだ!?この一ヶ月、どれ程までに苦悩と煩悶に苛まれたか、イルカは分か
っているのか。苦悩を通り越して『華イルカ』を勝手に想像しておかずにしたことも多々あったがそれはもうい
い(よくない)。人の嘘を叱りつけて締め出した本人がいけしゃあしゃあと嘘をついてどうする。それが教職に
就く者のすることか?生徒に顔向け出来るのか!?教壇に立てるのか!?イルカは内なるカカシの声が聞こ
えたのか、涼しい顔で新しい煙草に火を付けた。


「あのね、勝手に勘違いしたのはそっちでしょ。ワンセクション戻って読んで貰えば分かりますけど、俺は自分
が『華』だなんて一言も言ってません。」

「うッ、・・・・た、確かに。でも何よ!!あんな思わせぶりなこと言ってオレがどんなに悩んだか、アンタ分かっ
て言ってんの!?」

「ハハハハ、カカシさん、分かってないのはあなたです。お灸は熱くて痛いから『据える』っていうんですよ。お
仕置きが生温くってどうするんです。それにエイプリルフールは『嘘をついてもいい日』でしょう?『他愛もない
嘘』に限ってはいくらでも」


こじつけだ。言い逃れだ。ギリギリと睨め付けてみたが、やがて無駄骨と枕に顔を埋めた。天下の写輪眼の
威光もネームバリューも、この中忍には毛ほどの刺激も与えない。その男前な笑顔にどうあってもときめいて
しまう男心はひた隠し、低い声で呻いた。


「プロポーズしたくせに。舐めんなよ、中忍・・・・」

「そんなこともありましたっけねぇ。でも何分エイプリルフールの話ですからね、はてさて嘘なんだか本当なん
だか。」

「・・・・・・ッッ!!くっそぉぉぉッッ!!人の純情弄びやがって!!来年は覚えてろーッッ!!」

「アハハハハハ!!楽しみにしてますよー」


せめてもの腹いせに太股を抓ると、イタタと笑いながらイルカが窓を開け放った。新鮮な草いきれと春の匂い
が、素早く部屋に忍び込む。早くも来年に向けて作戦を練るカカシの髪を、柔らかな五月の風が撫でた。




〈 了 〉



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