ウォール街



昔は一本筋が通ったイイ男だったのに
よーく考え直せよ 借金大王
変わるなら今だ、 そのきっかけにまず

貸した金返せよ 貸した金返せよ あした金返せよ おう!
貸した金、はした金なんでしょ

                        借金大王 / ウルフルズ







「・・・・・ごちそうさま・・・・・」

「はい、おそまつさん」


まただ。いるかの置いた箸と皿を下げながら、かかしは眉を顰めた。

皿の上には食べかけのオムライスが、二口ほど残してある。一緒に添えたサラダも同様だ。

__米には八十八の神様が宿っている、よって食べ物を粗末にしたらバチがあたる。常日頃それが口癖であ
り信条であるいるかには、甚だ似合わない行為だ。今日だけではない。ここ最近のいるかは心ここにあらずと
いうか覇気がないというか、明らかに様子がおかしかった。共に休むベッドの中でも頻繁に物憂げな溜息を吐
き、それが妙な具合にかかしを煽ったりもするのだがそれはまた別の話。どこからどう見ても尋常でない恋人
の姿を目の当たりにすれば、誰だって心配になる。かかしは一旦掴んだ皿をまたちゃぶ台に戻し、そっといる
かの肩を抱いた。


「なぁ、いるか。・・・・い・る・か!!」

「・・・・え?・・・・あ、なに?」

「何やあらへんで、いるか。この頃どうしたんや、なんやえらい元気ないやんか・・・・どっか体の具合でも悪い
んと違うか?」


言いながら、俄に浮かんだ考えにハッと息を飲んだ。・・・・・まさか、妊娠か!?いや、そんな筈はない。いる
かの生理はこの間終わったばかりだし、勿論避妊だってちゃんとしている。なら一体何なんだ。答えを探るよ
うに顔を覗き込むと、フイと視線を逸らされた。


「・・・・・べ、別になんでもあらへんわ。かかしの気のせいや、いたって元気やで、ウチは。」

「そうか・・・・?ならいいけどな」


ウソつけ。絶対何かある。そう思ったがいるかの性格を考えれば、ここでゴリ押しするのは返って逆効果だ。
辛かったらいつでもいいや。そう言って再び皿を手にして腰を上げる。はっきりとした疑念を抱きながらも表面
上はあっさり引いてみせ、とりあえず台所に向かった。

だがその効果は、以外と早くに現れた。

両手を泡だらけにして洗い物をするかかしの後ろに足音が忍び寄り、様子を伺っている。上目遣いに見ている
その表情までモロ分かりで、敢えて振り向かないままかかしはこっそり笑った。


「・・・・あのな、かかし。ちょっと聞きたいことがあるんやけど・・・・」

「んー?なんやぁ?」


いるかの指が、かかしのエプロンの紐を弄ぶ。その遠慮がちな仕種に速攻で欲情した事実はおくびにも出さ
ず、のんびりと問い返した。


「・・・・アンタ、株にはいくらか詳しいやろ?」

「株ぅ?そら家業が家業やから、詳しないことはないけどな・・・・なんや珍しいなぁ、いるかが株なんて」

「うん・・・・あのな、『上場廃止』てあるやろ。株取引が出来なくなってまう、アレや。」

「へえ、よく知ってるなぁ。そうや、上場廃止になったらその会社の株は売り買いが出来ん。」

「そ、それでな、『ファイブドア』てあるやろ」

「ファイブドアぁ!?この間捕まったノリエモンのとこのかいな」

「そ、そうや・・・・その今騒がれてるファイブドア株やけど・・・・あんたアレ、上場廃止になると思うか・・・・?」

「ま、そうやなぁ、おそらくなるやろなぁ。十中八九、あと一ヶ月後くらいにはなってるやろな」

「・・・・ッ、ホンマにッ!?もしも、もしもやで、アレを持っているとして、売り差しをしとってもその時まで売れへ
んかったら・・・・」

「そりゃ紙屑やな、売買が出来へんのやから。まぁ破産とは違って株主の権利は残るし配当は受け取れるけ
ど、それも難しいやろなぁ、今あそこの状態やったら」

「紙屑・・・・・ッ!!」


振り向いて認めたいるかの顔色は見事なまでに青ざめていた。いつもは赤くふっくらと色付いている唇まで
も、色を無くし戦慄いている。


「なんや急にファイブドアのことなんか、授業にでも使うんかいな。・・・・・ッ!!いるかッ、まさかオマエ!!」

「ち、ちゃうでッッ!!ウチやないで、と、友達や!!友達から相談されてな、ちょっと聞いてみただけや!!」


ぴゅうっと風を巻いて逃げるいるかの背中を、呆然と見送った。
・・・・そうか、そんな訳だったか、どうりで。__すべての謎は解けた。よりによってファイブドア株ときたか。潜
り込んだ布団の隙間から覗く爪先を見下ろして、呆れた溜息を吐いた。同時に、常にないいるかの狼狽振り
にムクムクと嗜虐心が湧く。


「ふぅん、友達ねぇ。いったいどこの誰やろなぁ。紅か?安子か?せやけどあの二人はそんなことするタイプに
見えへんなぁ。静音さんか?それともあのべっぴんの夕顔ちゃんか?いずれにしろいるかの友達なんてたか
が知れてるやろ、いったい誰やろなー」

「う・・・うるさいなッッ、アンタの知らん友達や!!ウチかて、そんな知り合いがおるんや!!」

「ほーお、オレの知らないねぇ。それで?いったい何株幾らで買うたんや、その『お友達』は?」

「・・・・・・」

「いーるーかー」

「・・・・う・・・・」

「あんなぁ、もうここまで来たら隠してもしゃあないやろ?この際や、正直に言うてみい。」

「・・・・ひ、一株600円の時に500株・・・・・それ以降、買い増しはしてへんのやけど・・・・」


かかしは素早く計算した。日々変動しているとはいえ、ファイブドア株は現在の所100円前後を推移してい
る。仮に今100円で手持ちの500株全部が売れたとしても五万円。だがそれはあくまでも仮定の話だ。買い
を売りが大きく上回っている今の状況では、いくら売り差しをしても見通しはかなり厳しい。おそらく上場廃止
を迎えるその日まで、売り抜け出来ない可能性は限りなく高い。


「あちゃー、なんのかんので約三十万の損益かいな。えらいこっちゃなー」

「うぅ・・・・」

「いるかぁ、なんで事前に一言相談せんかったんや。まぁ、信用買いなんかに手ぇ出してないのが救いやけど
な」

「う・・・・そ、それはそうやけど・・・・せやけどな、ウチとこのクラスの子かてやってたんやで!せ、千円買って
八千円儲けたとか、そんなこと言うててな・・・・・」

「それでつられてもうた訳か。しゃあないなぁ、まったく。立場逆やろ?フツー」

「そんなこというたかて・・・・・」


すん、と鼻を啜る音が響く。さすがに、つつき過ぎたか。しおらしいいるかの声に、今度は現金にも憐憫の情
がわき上がり布団ごと抱き締める。もうええから顔見せてえな。そう柔らかく囁くと、ようやっと上半身だけ覗
かせた。


「せやけど、腹立つわ。この間テレビで見たけど、ノリエモンて海外にぎょうさん口座持ってるんやろ?隠し財
産が何億てあるんやろ!?まったく人をこんな目にあわせておいて、自分はのうのうとしてるなんて許せへん
わ。なぁ、株主が起こせる訴訟てあるんやろ?アレやったら、いくらか損した分は取り戻せるんやろか。もしそ
うやったら、ウチ絶対やるわ!!」

「ハハハ、いるかがいうてるのは株主代表訴訟やろ。あれは会社に対して賠償を求めるもんやからな、結局
個人投資家には還元されへんで。やるなら損害賠償請求や。けどなぁ、提訴費用にいくら掛かるか知ってる
か?着手金やら印紙代やら、もちろん弁護士に払う報奨金もいるしおまけに訴訟が結審するまで2,3年はか
かるで。その間の手間と損益を天秤に掛けたら果たしてどっちが重いか、これは疑問やで。」

「えぇぇぇぇッッ!?そうなん!?せやったら結局泣き寝入りいうことになるやん!!もうッッ、ウチいややそん
なん!!」

「まぁ先のことは分からんで、ゴジテレビはファイブドアと業務提携してるやろ。ゴジテレビもかなりの含み損
出してるしな、あそこがノリエモン個人に賠償請求したら、ノリエモンは身ぐるみ剥がれる可能性があるで。」

「ほ、ホンマ!?フンッ、いい気味や!!人をえらい目にあわせて、ちょっとは肝が冷えたらええんや、ホンマ
腹立つッッ!!」

「・・・・・あんなぁ、いるか」


かかしは布団から丁寧にいるかを引きずり出すと、膝に乗せた。いるかも隠し事をしていた罪悪感からか、今
日ばかりは大人しくされるがままだ。かかしはそんないるかに目を細めると、諭すように言い聞かせた。


「株取引なんて耳障りのいいこというてるけどな、所詮はギャンブルや。確かに信用取引で成り上がったジョ
ージ・ソロスみたいな男もおるで。けどな、あんなんは神がかった人間のやることや。ほとんど奇跡みたいなも
んや。いや奇跡いうてもな、実はソロスかてぎょうさん負けてるんやで。ただそれを上回る儲けがあった云うだ
けの話でな。・・・・いるか、本来『株』いうのはそういう恐いモンなんや。株で身上潰したり、身投げしたなんて
話聞いたことあるやろ?ノリエモンかてあんなえげつない偽計やら粉飾決済やら、そらやったことは犯罪や
で。でもなぁ、必ず勝てる賭け事なんかあらへんように株で必ず儲けようとしたかて、それは無理な話や。先
の見えない勝負の世界が、そんなに甘い訳がない。そうやろ?」

「・・・・・うん・・・・・」

「なぁいるか、ええやんか。いるかにはオレがいて、オレにはいるかがいて、それだけでもう十分やんか。
死んで金を墓場に背負っていけるか?あの世で使えるか?あぶく銭なんて結局身につかんで。それより毎
日、二人一緒に笑って暮らすことの方がよっぽど大事やろ?」


金なんかどうでもいいと言えるのは、金で苦労したことの無い人間だけだ。いつものいるかならそう斬って返し
歯牙にもかけない所だろう。だが抱え込んでいた秘密を吐露した安堵と解放感で、この時いるかの思考回路
は緩みきっていた。貧弱な胸に凭れて顔を擦りつけると、潤んだ瞳でかかしを見上げた。


「せやかて、ウチ知ってるんやで。アンタかて時々やってるやないの。それでウチに服買うてくれたりしてるや
ろ?せやからアンタが出来るならて思て、それで・・・・」

「なんや、知っとったんかいな。けどな、オレは固いとこでしか商いはせぇへんで。その分儲けは格段に少ない
けど確実や。絶対に得体の知れん新興株には手を出さん。」

「得体が知れんのか・・・・やっぱり・・・・」


がっくりと項垂れるいるかを抱え直し、かかしは嬉しそうに笑うとその額に口づけた。くたりと身体を預ける、そ
の体温が心地よい。


「まぁ今回の事は勉強させて貰ったと思うしかないな、随分高い授業料やったけど。それになぁ、今更オレに
気ィ使う必要なんてあらへんで。オレといるかの仲やないか。」

「それはそうやけど、アンタ、着るもん着たらえらい見栄えがええのに・・・・。いつものウニクロばっかやのう
て、たまにはパリッとしたもん着せたいて思うやんか。」

「ハハハ、気持ちはありがたいけどな、そんなえらいもん着てどこ行くねん。銀行やら東証やらに勤めてるんな
らまだしも、毎日この部屋におるか商店街ブラつくだけやのに必要あらへんがな、ウニクロで十分や。やらか
いし着易いし、オレ好きやで。」


言いながら、かかしの長い指がいるかの服のなかに入り込む。確かな熱を持って蠢くそれに、いるかの吐息
が重なった。


「・・・・あ・・・・ン、もう、・・・・・なにしてんの・・・・」

「なにて、傷心の姫様を慰めるのは小姓の役目やろ?辛いことなんかいっくらでも忘れさせてやるがな。」

「は・・・・・あ・・・・ッ」


今鏡を見たら、自分の口は耳元まで裂けているに違いない。浅く速く上下する豊満な胸。仰け反る喉。しどけ
なく崩れ落ち横たわる肢体。これぞ据え膳の真骨頂、舌なめずりをしつつ小姓というよりは悪代官の心持ちで
いるかを組み敷くと、濡れた瞳とぶつかった。


「・・・・なぁ、かかし・・・・もう怒ってへん・・・・?」

「怒るもなにも、オレの為なんていじらしいこと言われて誰が詰れるかいな。その代わりもう、隠し事はなしや
で?」

「あッ、・・・・は、・・・・あ・・・・かんて、かかし、風呂、まだやなのに・・・・ンン・・・・ッ」

「関係あらへんて、オレが綺麗にしたるがな。ホレ、ココもう、こんなやで・・・・?」

「あッ、アッアッ、・・・・あああッッ、も・・・・う・・・・ッ、そんな、あかんて・・・・ッッ」


震える首筋に吸い付き濡れた下肢をまさぐる。固くそそり立つ自分自身を潤むそこに擦りつけると、いるかの
身体が跳ね上がった。


「愛してるで・・・・いるか。すまっぷかて歌うてるやろ、ナンバーワンよりオンリーワンや。」

「う・・・・ん・・・・。ウチ、もうこりごりや。もう二度とあんなもんに手ェ出さへん・・・・」


もうここまでくると、互いに何を言っているのやら訳がわからない。舌を絡ませ髪をまさぐり、忙しなく這う手は
相手のイイところを競うように探っている。いるかの耳介を舐め上げ甘噛みし、かかしは低い声で囁いた。


「心配せんかているかの為やったら、オレはいくらでも我慢出来るがな。今まで小遣いにかて、文句言ったこ
とないやろ?」


いるかの肩がピク、と震えた。喘いでいた息が止まり全身が強張り始める。だが眼前の身体を貪るのに夢中
な余り、かかしは自分が最大の失敗を犯したことに全く気付いていなかった。


「・・・・我慢て何・・・・?」

「え」


痩せた胸を押すと、かかしの身体は簡単に押し退けられた。ゆっくりと身を起こしたいるかの眼差しは胡乱に
ギラついている。


「ウチがアンタに金を持たせへんのはな、放っとくとしょうもない駄菓子ばっかり買うてしまうからやろ!?」

「・・・・え・・・・あ・・・・ッッ!!」

「ウチはアンタの身体を想ってしてるんや、決して金が惜しいわけやないんやで!!せやのに人のことをしみ
ったれみたいにいうてなに!?」


ブン、と飛んだ鉄拳をすんでのところでかわし、かかしは慌てて後ずさったがもう遅い。立て膝をついて睨むい
るかの怒りのオーラに仰け反りつつ、必死に手を振った。


「ち、ちゃうで、誤解や!!今のは口が滑っただけやがな!!そんなこといっこも思ってへんて!!」

「口が滑ったてなんや、結局そう思ってるいうことやんか!?帰り。芦屋の広ーいお家へ帰り!!我慢してま
でここにいてもらう義理も理由もないわ!!」


ばふん、と掛け布団を被り、いるかが貝のように丸くなる。かかしはその上から飛びつき、必死に揺さぶった。


「いるかぁぁぁ、頼むから堪忍してや、間違いや!今のは何かの間違いや!!すまっぷのとこからやり直しや
ぁぁ!!」

「うーるーさーいッッ!!アンタなんかさっさと銀さんと同じ病気になってまえ!!ドアホー!!」


自分の恋人が世界一、いや宇宙一誇り高い女であることを忘れたツケは重い。この夜かかしの悪代官計画
は脆くも崩れ去り、涙ながらの懇願だけが響いたのだった。



〈 了 〉




この作品はあくまでもフィクションであり、
実在の人物、団体とは一切関係ありません(^^;)


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