3年B組うみの先生 1.5



にぎやかだった教室には さよなら夕陽が染まる
「はじめて」をたくさんくれた先生 ありがとう

                  サヨナラのかわりに / モーニング娘。









うなじを撫でる風にもはや先鋭的な冷気は潜んでいない。ぬるく溶けだした南西の風圧に身を任せ、イルカは
屋上のフェンスに凭れて校庭を見下ろした。送り出す在校生と送り出された卒業生にその保護者達、合間に
点在する何人かの教師。各自思い思いに語り合い絡み合い巫山戯合いカメラを向ける姿は緊張から解き放
たれた爽快感と安堵感に満ちている。__無理もない。固く形式張った卒業式は、ついさっき終わったばかり
だ。

はぁ、と吐いた息は忽ち青く抜けた空に浚われていく。

一房の後れ毛もないようにと高く結い上げた髪は、そのきつさの所為かこめかみに僅かな痛みを生んでい
た。

黒髪に刺さる幾つものピンや結わえていたゴムをゆっくりと外す。途端に振り下りた髪と緩んだ頭皮の心地よ
さに誘われつい内ポケットのマルボロに手が伸びた。肺深く吸い込む有害物質の芳しい香り、涙ながらに別
れを惜しむ眼下の生徒達__胸を締め付ける郷愁。しかし残念ながら、その諸々の余韻に浸る時は長く続か
なかった。

非常口の階段を上がってくる派手な足音と混じり合う、調子っ外れの鼻歌が聞こえて来る。・・・あぁ、また面
倒なヤツが。


「せっ、んっ、せーーーっっ!!」


バカ者が。後ろを振り向かず煙を吐いて呟いた。だが聞こえているのかいないのか、軽やかな足取りで間合
いを詰めた当のバカ者はあっという間に背中に貼り付いてくる。後ろから抱き込まれた衝撃で煙草を取り落と
し、ゲホと咽せた。


「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーーンッッ!!ア・ナ・タのカカシが参りましたーーッッ・・・ってアレどした
の先生、しんみりしちゃって?・・・ははぁ、やっぱオレがいなくなるの寂しいんデショ。もしや今までの熱烈ア
プローチとか猛アタックとか口説き文句とか、オレとのあれやこれや思い出してた!?」

「・・・そうね、思い出すわね。君の担任になって初めてのHRで教室に行ったらはたけ君、机の上に足のっけ
ててしかもガムくちゃくちゃ噛みながらケータイ弄くってて」

「あっ、あッ、あのッッ、・・・まぁそんな昔のハナシはホラ、まぁ水に流してさ!!オレが言いたいのはさぁ、せ
んせにフォーリンラブしてからのことをさぁ」

「・・・『うっせんだよクソババッッ!!』って言い返されたのよね、君の態度を注意したら」

「ああああいやあのだからそれはさぁ!!オレもついチョイワル気取っちゃったっていうか!!せんせのあまり
のキュートさに軽くパニクッちゃったっていうかぁぁ」

「傷付いたわ・・・すごく。私次の月に誕生日を控えてたから、そりゃあはたけ君みたいなティーンエイジャーの
子たちから見たらかなりの年上には違いないだろうけど、でもああそうなんだ、私もうそんな年なんだ・・・って
しみじみ」

「あーもー勘弁してよーそりゃその、確かにオレも昔はせんせに言いたいこと言ってた時もあったけどさぁ・・・
アレだよ!!クソババってそのまんまの意味じゃなくてKYみたいな!!」

「・・・KY?」

「苦しい時そんな時、頼りになるババ」

「結局クソババじゃないよ!!マンガのセリフそのまま使ってんじゃ・・・きゃあぁぁぁぁぁッッ!!ど、ど、どうし
たのはたけ君ッッ!!なに、何なのその髪は!?」

「えへー、似合う?」


大切な卒業式をすっぽかしても尚、反省の一つすらないらしい生徒の頬でも思い切り抓ってやろうと振り向き
腰が抜けた。元々肌も瞳の色もずば抜けて色素の薄かったカカシの髪の色は、眩く視界を刺す白銀に変わっ
ていた。


「な、な、な、何!?どうしたの!?一体どうしてそこまでッッ」

「えへへ」

「ヘラヘラ笑ってる場合じゃないでしょうッッ!?こんなになるまで、どうして黙ってたの!!」

「え、あの、せんせ?」

「君はいつだってそうよ!!調子良く周りに合わせている癖に肝心な時に肝心な事を言わない・・・そこまで悩
んでることがあるなら、どうして一言相談してくれないの!?私、君の担任なのよ!?」

「あのーせんせ、何かものっっすごく同情してくれてるみたいだしそれはそれで嬉しいんだけど、これさぁ」

「私ってそんなに頼りない?悩み事どころか、最後まで本音すら打ち明けてくれないの!?」

「せーんーせー!!これ染めたの!!ちょっと落ち着いてヒトの話聞こーよー」

「そりゃ君のチャランポランな言動には散々振り回されたし泣かされたけど、真面目な話なら・・・え?」

「脱色剤買ってさ、昨日アスマんちの風呂場で染めたの、自分で。いやーもー、液が目に入っちゃって沁みる
の沁みないのってもー!!あ、沁みたんだけどね」

「・・・・・」

「そんでこんなナリだし今日の式はパス、ってアスマに言っといたんだけど・・・せんせアイツから何にも聞いて
ないのー?」

「・・・・『蹴っても殴っても起きねー寝汚いヤツなんで放置してきました夜露死苦』ってそれだけ・・・」

「なんだもー使えねーなーあの髭熊!!あ、せんせ、だからこれどっかのフランス王妃みたいに一晩で白髪に
なっちゃったワケじゃないから心配しないでv」


膝裏の力が抜けズルズルと頽れた。迫るコンクリの床が、滲んで掠れる。


「結局は私、何も出来なかった・・・何も」

「・・・せんせ?」

「知ってる?『教師』って言葉を辞書で引くとね、「学業を教える人」って説明が載ってるの・・・最初に」

「せんせ」

「でもね、でもそうじゃない・・・もちろん勉強を教えることも大切だけど、それだけじゃないでしょう?同じくら
い、ううん一番大事なのは生徒一人一人を最も的確と思える道に導くこと・・・私は君にも、そうしてあげたかっ
た。君の手を取って、君に相応しい場所に送り出してあげたかった」

「・・・・・」

「今更こんな事を言ったってどうにもならないって分かってる。でもとても、とても残念で仕方がない・・・君が不
出来な生徒ならまだいい。諦めもつく。でも君の偏差値は彼程の数値なのに・・・」

「せんせ、ごめんね」

「センター試験も受けない、大学も専門学校への進学もしない、さりとて就職する気も無い・・・こんな、こんな
結果に、なるなんて」

「泣かないでせんせ、ごめん」


薄い唇に頬をなぞられて、イルカは初めて自分が涙を流していると知った。膝を抱えていた腕をそっと解か
れ、抱き込まれて顎を掬われる。額に、目蓋に、鼻梁にカカシの唇が落ちる度、光を弾いて揺れる白銀の髪を
呆然と眺めた。


「せんせ、卒業おめでとうって言って。その為にせんせのこと探しに来たんだから」

「・・・どの顔でそんなこと言えるの。最後まで散々好き勝手して」

「ええー?自分じゃ結構イケてると思ってたんだけどー?」

「・・・バカ」

「せんせ、好き。大好き。オレは何時だってせんせに本音ぶつけてたよ、分かってるでしょ?・・・愛してる」

「巫山戯たこと言わないで、子供の癖に」

「そーやって逃げ回っていられんのも今日限りだよ先生。卒業したらオレ達、ただの男と女だからね。オレの
本気の攻めを甘く見ない方がいいよ」

「いい加減にして、そんな言葉誰が」


本気にするか、と続けたかった言葉はカカシの唇で塞がれた。顎に手をかけられ強い力で無理矢理こじ開け
られた唇の隙間に、カカシの舌が侵入する。入るなりイルカの口内を蹂躙し始めたそれは、まるで暴君の如き
奔放さで縦横無尽に暴れ回った。せめてもの抵抗にと振り上げた腕は易々と捉えられ、身体ごと背後のフェ
ンスに押しつけられる。__最早口付けなどとは呼べない荒々しい愛撫に身体ごと錐揉みにされ、視界が回
った。


「卒業式にはじめてのチューなんて、一生忘れられないね先生」

「・・・馬鹿ッッ!!が、が、学校で、な、な、なんてことッッ!!」

「だって卒業式終わったじゃん、オレもう生徒じゃないし」

「お家に帰るまでが卒業式なの!!生徒の癖に、こ、こんなッッ」

「あー早くせんせとぐっちゃんぐっちゃんのエッチしたいなー、溶け合って混ざり合って、お互いの皮膚も境界線
も分からなくなっちゃうみたいな」

「な、な、な」

「好き、せんせい、だいすき。オレのものになってね、絶対」

「・・・嘘だわ、そんなの・・・クソババって、言ったクセに」

「えーまーだ根に持ってんのー?アレはさ、クールでソーキュートな」

「結局クソババじゃないよ!!」

「もー、ホント可愛いなぁせんせーは」


僅かに緩んだ拘束の隙を突き、藻掻いた身体と腕は再びいとも簡単に捉えられてしまった。近づくカカシの顔
に、ついさっきの奪い蹴散らすような愛撫が浮かび身が竦む。だが意外にも、降りてきた唇は軽くイルカの唇
を啄むとまた離れた。

好き。好き。好き。好き。大好き。だからオレのことも好きになってね

吐息交じりの囁きと唇が交互に、イルカの顔中に落ちる。駄目だ、こんなことを生徒に許すべきではない、そう
訴える理性と身体の自由をカカシの口付けは魔術に近い効用で奪ってゆく。スカートの中、太股の内側に忍
び込もうとする手指の動きすら叩き落とす事が出来ない。だが耳殻を噛まれ上がりそうになった声を辛うじて
飲み込んだその時、殆どのし掛かっていたカカシの身体が急に離れ立ち上がった。


「残念、時間切れ。続きはまた後でね、先生」


せんせい、立って。差し出されたカカシの手を訳も分からず見つめていると腕を取られ無理矢理引き上げられ
た。依れたスーツの皺を伸ばした方が良いとカカシが笑って忠告したのと、階下に続くドアが開いたのが同時
だった。


「あ、、やっぱイルカ先生ここにいたーー!!せんせー、写真一緒に・・・キャーーーッッ!!ねぇッッ、もしかし
てはたけくんじゃない!?そこにいるのはたけくんでしょ!?」

「マジ!?あっホントだはたけ君だ!!」

「きゃあああッッ!!はたけ君どうしたのその髪!!すっごい色ーー!!」

「うん、もう春だしちょっとサイケな感じにしてみたんだけど、どう?」

「「「サイッッコーーー!!!」」」


チョーイケテルだのカラコン入れたら完璧外人だのゲーノージンだのモデルだの、口々に賛辞を捧げる同級生
達に囲まれカカシは喜色を隠さない。姦しく続く少女達とカカシの無駄話は終わる気配を見せず、イルカはと
にかく遠ざかった現実感を引き戻そうと内ポケットの煙草をノタノタ探った。ああ、そうださっきのが確か最後の
一本だった__ようやっとそこに思い至った時、名を呼ばれた。


「せんせ、あのコ達一緒に写真撮りたいんだって。コッチ来て」


腕を取られ思わずふらつく。穏やかな眼差しで見下ろすカカシの表情を直視出来ない。あの唇が、この指が
__そんな記憶は急ぎ脳内から払拭したかった。でないととてつもない罪悪感と羞恥で、どうにかなってしま
いそうだ。


「じゃあ撮ったげるよ、せんせ真ん中に入ってー、あ、デジカメこれでいいの?」

「ねえはたけくーん!!後ではたけくん写メっていーいー?」

「あ、あたしもー!!はたけ君待ち受けにしちゃおーv」

「私ムービーしちゃおうかなぁ・・・ねぇはたけ君いいよねー!?」

「バーカ!!ムービーではたけ君の何撮るのよーー!?」

「ナイショーv」

「「何ソレ、ムカツクー!!」」

「もうちょっとくっついてー、ブレるからちゃんと立ってよー」

「「「ハーーイvv」」」

「ねぇイルカ先生ー、腕組んでいい?」

「う、うん」

「あ、あたしもー」

「先生、何か顔カタいよー?スマイルスマイル!!記念なんだから」

「あ、う、うん」

「先生式の最中泣いてたもんねー、私先生の所為でもらい泣きしちゃったんだからぁ」

「あたしもー。なんかチョー泣けたよー」

「もー止めなよ、また先生泣いちゃうじゃん。先生涙脆いんだから」

「撮るよー!?」

「「「ハーーイ!!!」」」





スマイル、と言われて益々表情を固くするイルカが可笑しくてならなかった。加えてカメラを向ける自分の方を
決して見ようとしない。__まぁさっきは多少手荒く扱ったから仕方ない。見下ろしていた相手との立場が、突
然逆転すれば驚くのも無理はないか。


でもこのくらいのことで、腰抜かされちゃ困っちゃうんだなぁイルカ先生。


そう、オレは学業も自活の道も放り投げ、今朝顔を出した実家の父親からは暫く家の敷居を跨ぐなと言い渡さ
れた。息子の有効利用の道をしつこく探っていたオヤジの堪忍袋も、とうとう切れたと見える__所謂勘当、
というヤツだ。

けれど先生、道を踏み外したと嘆くこの状況の原因が自分自身だと知ったら、アンタは一体どんな顔をするだ
ろう。唯アンタの傍に居たいが為、すべての根源がアンタへの思慕だと知ったら?


・・・でもね、安心していいよせんせい、切り札はそう簡単には使わない。狩りの醍醐味をもう少し楽しみたいし
時間を掛けようと掛けまいとどうせ結果は変わらない__オレの振るう言葉の刃は簡単にアンタの全身を刺
し貫くだろう。奈落の底に落ちた身体をゆっくりと引き上げた時、アンタはもうオレのものだよ先生。


「じゃあ撮るよー、笑ってー!!」



嫌悪も嫉妬も動揺も煩悶も後悔も激情も、身を焦がすほどの欲情も、愛も。

はじめてをたくさんくれたせんせい、ありがとう。



ズームボタンを押せばイルカの顔が急速に近づいてくる。カカシはフレームの中、大写しになった恩師に向か
いシャッターを切った。



〈 了 〉



「苦しい時そんな時〜」は銀魂九巻より。

この作品をサイトマスターオザキココロ様に捧げます。
文字通り『私の世界を変えてくれた人』に愛と感謝を込めて。



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