ダウン・バイ・ロー



右よし、左よし。上下異常なし。


周囲に人気がないのを慎重に確認して、鍵穴にかがみ込む。
鍵を差し込んで一度左に回し、印を組みそのままリサーチ済みの術を唱える。バチッと鈍く弾ける音がして、
重い扉はあっけなく開錠した。


予想通り、部屋の中に人影は無い。含み笑いを堪えながら、中央に鎮座する巨大な机に忍び寄る。机の引き
出しにはこれと言って凝ったトラップが仕掛けてあるわけでもなく、俺は手当たり次第開閉を繰り返した。

鼻歌混じりに開け閉めしていると、下から二番目の引き出しに手応えがあった。一気に引き抜いて奧を探って
みると__おーおー、あったあった!これだよ、これ!!初めて触ったが以外と軽い。それに思っていた程大
きくない。何にせよ手に入れちまえばこっちのもの。俺はニンマリと微笑んで懐にしまい込もうとベストのジッ
パーを下げた、その時。

カッツンと小気味良い音がして、俺の頭頂部に激痛が走った。


「──・・・イッツ〜〜ッッッ!!」


思わず尻餅をついて頭を抱え込んでいると、草履履きの足が目に入った。いつから後ろにいたんだか。いや
それはどうでもいいがキセルで殴るのだけは止めて欲しい。先が丸く尖っているだけに力が一点集中して、痛
いことこの上ない。__現に今、目の前で大小の星がチカチカと舞っている。


「上忍が火影の執務室で家捜しとはのう。無駄に長生きしてみるものよ、これ程珍妙な光景が見れるとは
の。」


キセルを吹かす三代目の口元から煙が吐き出された。__ッ!!吹かしてる!?火が着いてる!?俺は恐
る恐る頭皮に指を這わせてガックリと項垂れた。・・・・ちょっと焦げてるかもしんない。


「__して儂の水晶玉に何ぞ用かの、カカシ。」

「お願いおじいちゃんこれちょうだい」

「お主のような不肖の孫を持った覚えは無い。」

「お正月のお年玉いらないから」

「__だれがやるかっ!!」


あっという間に取り上げられた。頭をさすりながら、涙目のまま渋々立ち上がる。三代目は俺をギロリと睨み
付けると、深く編み笠を被り直した。


「お主の膿んだ脳味噌で考えて居る事などお見通しじゃ。どうせこれでイルカの姿が見たいだの、そんな戯け
たコトを抜かすつもりじゃろ。」

「──っ!なーんだ、そこまでお分かりなら話は早いですよ!!いーじゃないですか、そんな出歯亀・・・いや
水晶玉のひとつやふたつ、どうせ同じものがあと二、三個は隠してあるんでしょ。__まぁくれとは言いません
から、ちょっとの間くらい貸してくださいよ」

「・・・この大バカ者ッッッ!!!」


今度はキセルの代わりに編み笠が飛んできた。高速で回転するそれをすんでの所で避けると、後ろの窓ガラ
スにブチ当たってヒビが走った。


「これはなっ!儂の火影就任を祝って先代風影殿より頂いた由緒正しき一点モノ、砂の国の奥深く、険しき鉱
山より切り出された貴重な品じゃ!!それをだーれがお主なんぞに」

「ケチ!ケチケチケチケチ、火影様のケチ!!」


親指を噛んでシナを造ってみたが無駄だった。水も滴る写輪眼の色男振りも枯れたじーさんの生理の前には
全く効果ナシ。


「大体な、お主がこれを手に入れたとて宝の持ち腐れよ。この玉は儂のチャクラと儂の唱える術にしか反応せ
んのよ。」

「えーーー!!!マジ!?」

「それよりお主、明後日より雪の国じゃろう、準備は整って居るのか」


何だよ、骨折り損のくたびれもうけかよ。その長期任務の為にわざわざ出歯亀玉を借りに来たってのに、ガッ
クリ。任務の精度落ちるね、こりゃ。


「・・・そりゃあもう。あのーちなみに術の方だけでも教えて貰うって訳には・・・・」

「いくか馬鹿者」


そーだよねぇ。あーあ、何やってんだか、俺。
黒髪の情人が瞼に浮かんだ。もう、それだけで胸が疼く。膨大な時間と手間を掛けて口説き落とした中忍教
師は、俺と肌を合わせるようになって最近富みに艶めいてきている。その変化が人の目に留まらない筈はな
く、ここのところ俺の気が休まった試しがない。そこにもってきて長期任務だ。出歯亀玉が拝借出来ないとな
ればしょうがない、暗部の後輩に監視を頼むか。しかし内緒で暗部動かしたのバレたら、じーさん怒るよなぁ。


「じゃ、そーいうことで。どーもお騒がせしました。」

「ちょっと待て」


もうこんな所に用はない。さっさか帰ろうと背を向けた俺は、三代目の厳しい声に引き留められた。


「お主ここの鍵と開錠の術、どこで手に入れた。」

「・・・・えーっとそれはプライベートなことなのでちょっと申し上げる訳には・・・・」

「戯けたことを申すな!・・・・まぁいい、場所を改めてゆっくり聞かせて貰おうかの」

「は?」

「建造物侵入と窃盗未遂の容疑で警務部隊を呼んである。一晩クサイ飯でも食って反省してこい。」


扉の向こうに見知った顔があった。木の葉警務部隊隊長と他数名の部下らしき男達。三代目が目の前で手を
翳したと思った途端、俺の両手首から下は完全に拘束されていた。


「──何コレッ!!ちょっと三代目、なにマジになってんですか!冗談でしょ、止めて下さいよっ!!」

「お主のしたことは立派に犯罪じゃ。その膿んだ頭を薄暗い場所で冷やして来るが良い。任務前の精神鍛錬
に丁度良かろうて」


印を組んでトンズラしようにも指先の自由が利かず、どうにもならない。俺は両腕をむくつけき男達にガッシリ
と掴まれ、ズルズルと引きずられた。


「ちょっ、三代目っ!!話合いましょ!ねっ、ねっ、三代目ーっ!!」

「まぁそう心配するな。お主の留守中は儂がしっかりイルカの番をしてやろうほどに。気兼ねなく任務に打ち込
んで来るがよい。」


暫くポカンと三代目の顔を眺めていたが、言葉の裏の色に気付くと瞬時に血が上った。


「・・・・・こんのエロジジィーーっっ!!!」

「ホッホッホッ、この儂を出し抜こうなんぞ、百万年早いぞカカシ」

「うわーーーん!!」


引きずり出されるドアの向こうで皺だらけの手がひらひらと舞っていた。その口元が実に美味そうにキセルを
噛む。吐き出される煙は、器用にドーナツの形を描いていた。












その三代目も、鬼籍に入り、今は亡い。










カッツンと小気味良い音がして、キセルが打ち付けられる。
古い刻み煙草を煙草盆に打ち捨てると、新しいものに詰め替える。顔を顰めてその姿を眺めた。俺は常々、
はっきりとそのキセルを吸ってくれるなと言い渡してある。だが黒髪の情人はそんな俺の気持ちを知ってか知
らずか、悠々と煙草を吹かし始めた。




あの木の葉崩しから一年。当時は甚大な被害を被った里も、ここ最近は以前と変わりない復興を取り戻しつ
つある。そんな中里にいる上忍中忍が集められ、三代目の一周忌がしめやかに執り行われた。珍しく手漉き
だった俺も出席して、後はそのままイルカの家に上がり込んだ。

法要の最中から、ひん剥いてやろうと狙っていた喪服をあっさり脱ぎ捨てて、イルカは濃紺の浴衣に着替えて
しまった。
俺の存在など気にも留めず、押入れの中を引っ掻き回して煙草盆を取り出し、縁側に座り込む。身を丸めて
一心に火を起こし着火すると満足気に微笑んで、ゆったりと吹かし始める。__その憎らしい背中に躙り寄っ
て、俺は後ろからキセルを取り上げた。


「これ嫌だって前から言ってるでしょ。苦いし匂いはキツイし。」

「カカシさん、亡くなった人間に嫉妬しても何の役にも立ちませんよ。自分だって煙草吸う癖に。」

「・・・・ハハッ、バレてたか。」


黒曜石の瞳できつく睨まれると何も言えない。俺は俯いて頭を掻いた。


「アンタの膿んだ頭で考えてることなんか、全部お見通しです。大体こんな日くらい吸わなくてどうするんで
す、折角の形見なのに」


遺言状に添って行われた形見分けで、イルカは三代目が愛用していたキセルと煙草盆を下賜された。酷く驚
いたイルカは血縁であるアスマに譲ろうとしたがアスマも笑って固辞していた。結局は故人の意志を尊重し
て、それはイルカの手元に収まったが__俺はイルカがそのキセルを嗜むのを見たくなかった。

ゆっくりと時間をかけて吸いながら、虚空を彷徨う視線の先に誰がいるのかは明白で__その度に俺の胸は
ジリジリと妬けた。例えそれが偉大な忍であっても、親代わりに慕った人間であろうと、俺以外の面影をその
胸に宿すなど許さない。俺は確実にイルカより先に死ぬだろう。だがイルカが寂寥と哀惜を抱いて偲んでいい
のは、俺だけだ。その死に涙していいのも、俺だけだ。狭量なのは十分承知しているがこれだけは、__絶
対に譲れない。


「・・・・まったく、冗談じゃないですよ。」

「は?」

「先になんか、逝かせませんからね。もうこれ以上、置いて逝かれてたまるか」


イルカの呟きに我に返った。微かに眉を顰め、俺の顔を覗き込んでいる


「俺は一分一秒でも、アンタより先に死にますからね。絶対にアンタを出し抜いて、向こうでアンタが追いつく
のを笑って眺めてやる。」


俺は暫く固まっていたが込み上げてくる笑いに耐えきれず、イルカの背中に抱きついた。


「・・・・まいったなぁ、やっぱりバレてた?」

「だから言ったでしょ、アンタの考えてることなんかお見通しです」

「せんせがそう言うならしょうがないな。アンタは俺の法律だ、仰せのままに従いますよ。」

「__よろしい」


チロリと流し目をくれてから微笑んだ。肩先で乱れる黒髪、襟元の鎖骨、裾から覗く太股。これで誘ってない
なら何になる。アンタは毒だ、天然の猛毒だ、俺はその毒にやられて痺れっぱなし、アンタに触れるたびに思
考は停止状態だ。


「俺明日から長期任務なんですよ。」

「知ってます、水の国でしょ?お気をつけて、御武運お祈りしています」

「えー、それだけ?つれないなぁ、イルカせんせ。夫の出張を前にした夫婦がやることっていったら、一つでし
ょ?それからいつも言ってますけど、浮気したら許しませんよ__水晶玉で覗いてますからね」

「だれが夫でだれが妻だ・・・・大体アンタ、ホントにあの玉扱えるんですか?」

「勿論。」


もちろん、嘘だ。
三代目から俺への形見の品として指定されていたのは、武具でも術書でもなく、__あの出歯亀玉だった。
だが玉の能力を解放するチャクラも術も知らない俺にとってはただのガラス玉でしかなく、これを俺に遺した三
代目の洒落っ気に笑いつつも、イルカを脅す材料に使っていた。


「アンタの言ってることの、どこまでがホントなんだか」


胡乱な視線はまたも俺の嘘がバレバレなのを物語っていたが、素知らぬ顔で固い体をまさぐった。


「傷つくなぁ、イルカせんせ。すごーく傷ついたから責任とってもらお」


仰け反った首筋に歯を立てた。俺の情人は時折驚くほどはすっぱな言葉を吐く癖に、閨の中では少々被虐的
だ。舐められるよりは噛まれるのを、擦られるよりは扱かれるのを好む。頚動脈の上にきつく咬み痕を残すと
それだけでイルカの息は上がり、しどけなく力の抜けた身体は俺の胸に凭れている。


アンタが先に待っていてくれるのなら、死ぬのもそれほど恐くない。けれどまだまだ、アンタの身も心も貪り足
りない。この感情に、底があるのかすら分からない。だからどんな任務であれ、もう暫くはキッチリ生きて帰っ
て来るとしよう__俺より先に死にたがる、愛しい情人の為に。


「──・・・・ッ、今日、くらい・・・・我慢、出来ないんですか、バチあたりな・・・・」

「なーにを仰る、こうやって熱いところを見せつけるのも供養ってもんでしょ」


外耳を舐り胸の突起をきつく摘み上げると叫び声が漏れた。握っていた手からキセルが転がり落ちて、俺は
それを鍵手に戻した。ビクビクと濡れた魚のように捩れる身体を抱きしめると、そのまま縁側に押し倒す。


烏羽玉の黒髪と熱い吐息が俺の腕の中で、たゆたう波のようにさざめいた。



〈 了 〉





TEXT