赤い航路



奪い合う吐息が、快楽に染まる。


絡めた舌が密やかな音を立て、押しつけあう腰の衣擦れの響きがそれに重なる。


お互いの髪をまさぐりあい、下半身に手を伸ばす。アンモニアとビルビリン酸の臭気に包まれた、狭い個室で
の猥褻行為。その背徳的かつ刺激的行為に、元恩師の理性はとうの昔に瓦解している。赤い舌を突き出し、
腰を捩らせて誘う姿__その挑発を受け、互いのジッパーに手を掛ける。


生理的に逃げを打つ身体を押さえ込むと、俺に穿たれた腰は微かに震えた。壁に手を付き腰を突き出す姿に
既視感を覚える。__そうだ、以前見た異国のドラマだ。犯罪者がこんな格好で取り締まりを受けていた。
あの取締官のように、体中に手を滑らせる。義務ではなく、淫蕩な欲求に従って。


中をかき混ぜるように大きく穿つ。波状に走る粘膜の震えに、俺は危うく浚われそうになる。その溶かされそう
な熱に抗議と愛着を込めて、見下ろす項に口づけた。そのまま強く痕をつけ、片手で前を扱けば大きく背中が
しなり、汗が散る。やがて首筋に食い込んだ犬歯の刺激に耐えきれず、手の中の熱は弾け白濁を散らした。
つられた俺も、同時に弾ける。元より、喘ぎを耐える努力はしていない。__俺達は大声をあげて、達した。


遠く校舎から予鈴が響いて、夢の舞踏会は終わりを告げる。何度も口づけ合いながら互いの衣服を整え、腕
の中の灰かぶりを午後の受付業務に送り出す。短く名を呼び合って、別れた。



ここでどんな大声をだそうと喚こうと気を遣う必要は無い。
アカデミーの敷地内とはいえ、広大な広さの校庭の、こんな外れの公衆便所を使うヤツなどいない。いや使わ
せない、と言った方が正しいか。四方を囲む、しなやかで微細な結界。それは透明な天鵞絨の様にしっくりと
空気に馴染み、溶け込んでいる。__我ながら惚れ惚れする、この完成度。同業の忍にすら気取られない自
信がある。


ひとり残された俺は強い日差しに顔を顰め、真新しい煙草の封を切った。壁に凭れて火をつけながら、これか
ら数時間、素知らぬ顔で晒され続ける赤黒い所有印を思った。__そしてそれを目にした瞬間の、色違いの
双眸を。底意地の悪さを自覚しながらも、俺は俄然その現場に立ち会いたくなった。知らず笑みが浮かぶ。
立て続けに三本吹かすと吸い殻を爪先で踏みつぶし、ゆっくりと受付所に向かった。



__だが待ち人は来なかった。間抜け面で時間を潰している間、当の本人は木の葉病院の集中治療室に担
ぎ込まれていた。








「『未成年の喫煙は法律で禁じられています。吸いすぎは貴方の健康を損ねる恐れがあるので注意しましょ
う。』」

「さんざっぱら俺を花街に誘ったその口で、良く言うぜ」


数日後、一般病棟に移ったと聞かされ見舞いに行った。持参した花の香りがきついと文句を付ける元上司の
表情は、明らかに精彩を欠いていた。俺はせめてもの気遣いで天井に向けて煙を吐く。灰と吸い殻を床に落
とすと爪先で踏みにじった。


「・・・可愛げのない。オマエに千鳥を教えたのは誰だと思ってる。」

「基礎だけな。応用と修得は俺の努力の賜だ。」

「暗部ってのはそんなに偉いのかね?ガキが大層な口を利くようになったもんだ。」

「・・・元暗部の言葉とも思えないな。神様仏様暗部様。汚れ仕事の総棚浚えだ、それくらいの特権は許され
るだろ?」


腕に落ちる点滴以外、色白の痩躯にチューブは伸びていない。だが喉と胸に包帯が巻かれていた。その下に
分厚いガーゼが見える。俺は眉を顰めた。まったくなんて所を切られてやがる。急所を二ヶ所。下忍レベルの
傷の負い方に、最早同情よりは憐憫を覚えた。


「弱い犬ほど良く吠えるってな?そうだろ、サスケ?・・・・咬ませ犬が、なんとか言えよ。」

「咬ませ犬上等。咬めるだけ幸せだよな?指をくわえて遠吠えしてるよりはさ」


こめかみの傍を、唸りを立てて花瓶が飛んだ。後、派手な音を立てて壁に激突する。投げたのは分かったが
掴んだ所は見切れなかった。__まぁその辺は、さすがと言うべきか。


「そのくらいの元気があるなら回復も早いだろ。ただでさえ人手不足なんだ、さっさと復帰してくれよ」

「・・・・小僧。覚えてろ」


次に飛んでくるとしたらサイドテーブルか。俺は一向に構わないが、流石に周囲に迷惑だろう。早々に腰を上
げると栗色の髪をした女と入れ違った。どこかで、一度__多分、カカシの女房だ。床に散った花が匂う。確
かに香りがキツイ。見舞いに百合はさすがに不味かったか。


消毒臭と雑多な喧噪が入り交じる空気を掻き分け、建物の外に出た。高く強烈な日差しと蝉の声が、絡まり
合って俺の身体を突き刺した。



俺がガキの頃からあからさまだった二人の関係は、里の名物と揶揄されるほど人目を引いていた。その二人
が別れを決めた時、一体どんな会話が交わされたのか、俺は知らない。聞いたこともない。俺はその隙間に
無理矢理入り込んだ、というよりはぽっかり空いた隣の椅子にいち早く座り込み、そのまんまずっとイルカの
傍にいる。結果カカシは女房を娶り、子を成した。__だが。


最近のカカシは明らかにおかしかった。元々突拍子のない男ではあったが、昔から平静を欠いた姿だけは見
せたことが無かった。しかしその男が、情緒不安定との噂を立てられて久しい。
物事には総て原因と結果がある。その原因に嫌と言う程心当たりのある俺は、背中を丸めて家路に就いた。




「今日、見舞いに行ってきた」

「・・・・へえ、どうだった?」

机に向かう背中に呟く。イルカは採点する手を止めず、ちらと肩越しに視線を寄越しただけだ。今更誰の、とは
聞かない。

「・・・・花瓶を投げられた」

イルカは初めてペンを置くと、身を仰け反らして笑った。

「どうせまた怒らせるようなことを言ったんだろ、お前は。」

「・・・知るかよ。あの元気なら、直ぐに退院だろ」


俺はイルカの背後ににじり寄り、抱え込んでその肩に顎を乗せた。首筋には数日前俺のつけた咬み痕がまだ
薄く残っている。それを舌先で舐め上げると、腕の中の身体がひくりと震えた。


「・・・まったく、毎日毎日・・・・お前もよくもまぁ、飽きないもんだ」

「仕方ないよな、そういうお年頃だから」

「自分で言うな」


身体を入れ替え前に回り込み、赤ペンを取り上げる。顔に首筋に何度も口づけを落とすと、押し倒された躰は
流石に慌てだした。まだ三クラス分残っていると、懸命に主張する。__勿論俺は、薄く笑って聞き流す。


「いいだろ、後で採点手伝うからさ。」


抗議の言葉を唇で塞ぐ。時と場所と理由を選ばないのが、若さってヤツの特徴なんだからしょうがない。手前
勝手な理由を付けて組み敷く俺と、程なく快楽に戦慄きだす恩師の身体。いつもながらのセオリー通りに進む
俺達のやりとりを、窓の外の三日月だけが眺めていた。




暗い森で、狩りは続いていた。

木々の枝から枝へ、軽く飛翔する俺の両側に、狐と鳥の面が並ぶ。


『隊長、敵捕捉。前方三十五度。』

「よし、狭斜の陣を開け。一気に囲い込む」

『了解。・・・・・ッ!?』


異変に気付いた部下と同時に、上を振り仰いだ。自分達の遙か頭上を、何かが移動していった。しかも恐ろし
く高速で。


「・・・新手か?」

『いいえ!そんな筈は・・・第一結界も破られていません。』


一つ思い当たった俺は全速力で影を追った。慌てる部下達を振り切り、敵を屠る予定の場所に降り立った。
背中の長刀を抜刀する。目の前に現れたのは、やはり見覚えのある背中と、__ついさっきまで人の形をし
ていたであろう肉塊の山だ。
カカシ、そう呼びかけようとして立ち竦んだ。背中越しに向けた蒼い瞳には、一片の感情も浮かんでいない。
握ったクナイからは鮮血が滴り落ち、その身体全体を霧のような白い結晶が包んでいた。見るからに高純度
のチャクラが身体を覆い、殺気と混じり合い共鳴している。チャクラが具現化するなど有り得ない話だが、今目
の前の事象はまさにそうとしか思えない光景だった。__その凄惨な輝きに、流石に俺の背筋も伸びる。

カカシはそんな俺を無表情に一瞥すると、クナイを一振りして姿を消した。いや、俺を認識していたのかも怪し
い。俺の傍に、獣の面が集い始めた。


『なんじゃこりゃぁぁぁ!!』

『あらまー、こりゃまた凄まじい・・・しかし、皆殺しとは参ったねぇ。もしかして今の、はたけ上忍?』

『もしかしなくてもそうだろ、あのナリ。何だよ一体、何がどーなってんだ!?』

『マズいですね隊長、どうします?一、二匹お持ち帰りの予定が・・・・』

「こうなったら仕方がないな、そのまま報告するしかないだろう。・・・それとも、穢土転生で誤魔化すか?」


忍び笑いが拡がる。が、犬の面が思い出したように悲鳴を上げた。


『隊長ォォ!!始末書オレらが書くんスか?それともはたけ上忍に頼むんスか!?』

『ゲッ!やだよオレ、あの人のそばに寄りたくねーよ、最近特におっかねーもん。』

『オレだってヤダよ!じゃあどーすんだ!?ジャンケンか!?』

「・・・・やらかした本人に書かせるのが筋だろう、俺が行く。一応はネジ込んでおかないとな。」


詰った所で、所詮自分の獲物だったとシラを切られるのが関の山だ。だがこのていたらくが先日の意趣返しと
いうなら、責任の半分は自分にある。

「死体を処理班に引き渡し、のち解散。各自それまで持ち場で待機。」

あからさまに安堵の気配を漂わせる部下達を待たず、俺は飛翔した。瞬間、後ろを振り返る。カカシに切り刻
まれた血塗れの肉塊が、月光に照らされて静物のように鎮座していた。





だがその始末書を持って、俺は再び木の葉病院にいた。

以前と同じ、ベッド脇のパイプ椅子に座って横たわる顔を覗き込んだ。無防備に晒されたままの素顔に血の
気は無く、白鑞の様な色をしている。つかまえた主治医の話によると、腹にかなりの深手を負っているらしい。
俺が傍にいるのを知ってか知らずか、その閉じた両眼と表情に全く反応はなかった。
カカシ、年寄りの冷や水って知ってるか。
そう憎まれ口でも叩いてやろうと思っていた俺の意気は、その姿に完全に削がれてしまった。思いの外深刻
な状況に言葉もなく、結局そのままその場を離れた。




「話し合った方がいい。」

「・・・・・何を。」

鯖の塩焼きに目を落として呟く。今更誰と、とは言わない。イルカは台所に立ったまま、肩越しに視線を寄越
しただけだ。

「それはアンタとカカシが決める事だ。・・・・俺が口出しする事じゃないかも知れないが、ここのところアイツが
おかしいのは知ってるだろ。やたらと任務を詰め込んで__この間は俺の仕事にまでチャチャを入れてきた。
かと思えば、あんな無様な怪我を負う。普通じゃないだろ、針の振れ方が。無茶苦茶だ。このまんま放置しと
けば、遅かれ早かれアイツは確実に死ぬ。・・・・それはマズイだろ、さすがに」

「・・・・うん・・・・そうだな・・・・ああ、いいよ、分かった。」

気付けばイルカは隣に座り込んでいた。腕組みをして俺の話を聞いていたが、視線と顔を上げて俺に合わせ
ると、屈託無く笑った。

「口出ししろよ。」

「・・・は?」

「もっと拗ねて怒って、転げ回って泣き喚く位の我が儘言ってみろよ、お前はいつだって我慢しすぎなんだ。
言っとくがな、若いうちからいい格好してやせ我慢ばっかしてると、早く老けるぞ。」

「な・・・っ!」

なんだよ、ほっとけよ。俺は横を向いた。その隙にイルカは笑って俺の缶ビールを飲み干した。


「『お酒はハタチになってから』」


そう言って俺の頭をこづくイルカの傍に、ゴロリと横になった。何だよ、あと一年くらいどうってことないだろ。
俺は今も昔も、衒いのない愛情をぶつけられることが一番苦手だ。どう感情を表現したものか皆目見当が付
かないし、それはガキの頃から変わっていない。__せめてもの照れ隠しに、俺は狸寝入りを決め込んだ。






夢を見た。

ああ、俺は夢を見ている。自分でそう自覚できる程のあからさまな夢の中で、俺はまだガキだった。背丈もま
だ、大人達の肩にも届かない。横を見ると、ナルトとサクラもいた。奴らもまだ子供のままだ。前方には見慣れ
た背中があった。広い肩に、銀色の髪。その真ん中を、斜めに額宛ての結び目が走っている。
俺達は可能な限り共に行動し、様々な下級任務をこなした。犬探し猫探し、除草作業に子守り、農作物の収
穫。イモ堀りまでやった。その日は清掃作業だった。川の水に膝までつかり、背負ったカゴにゴミを集める。
例によって片目の上司は、河原でのんびり読書中だ。すると頭上から俺達を呼ぶ声があった。ナルトとサクラ
は歓声を上げて、声の主に飛びつく。それを後ろで眺める俺に、その影は優しく声を掛けた。

『サスケ、元気でやってるか』

俺は内心嬉しくて嬉しくて、直ぐにでも駆け寄りたかった。だが子供特有の羞恥心が先に勝って、俺はフイと
横を向く。お約束通りの反応を返す俺に、影は苦笑した。するとその後ろから、手甲をはめた腕が伸びた。

『イルカ先生。』

通りのいい声がその名を呼ぶ。呼ばれたイルカは振り返り、その鼻筋を、頬を、唇を伸ばされた指がなぞる。
陶然として身を任せるイルカの額宛てを、髪紐をその手がほどき、やがて今度は唇と唇が重なった。
俺は驚いて声を上げる。__やめろ!なぜそんなことをする!?俺だけじゃない、ここにはナルトもサクラもい
る、恥ずかしくないのか?それが大人のすることか!?
だが辺りを見渡すと、ナルトとサクラの姿は消えていた。浸かっていた水は黒く染まり、墨汁のようにテカリを
帯びている。空を厚い雲が覆い、今にも一雨来そうな生臭い風が吹いた。

『カカシ先生、カカシ先生』

潤んだ声に振り向くと、イルカは全裸でカカシの愛撫を受けていた。カカシの赤い舌がイルカの全身を滑る。
恥じることなく嬌声を上げるその黒い瞳には、俺の姿など欠片も映っていない。カカシが足の間に顔を埋め
る。その背がしなる。その指がカカシの髪を混ぜる。__俺は耐えきれず、大声で叫んだ。

やめろやめろやめろ!!お願いだから、やめてくれ!!

俺は泣いていた。いやそれは降り出した雨だったのかも知れない。だが俺は叫ぼうとして、声が出ないことに
気が付いた。舌が膨れ上がって上顎にくっつき、息をすることさえ難しい。俺は苦しさに、喉を掻きむしった。
苦しい!助けて!誰か助けて!お願い、誰か、誰か、誰か!・・・・母さん!!

かあさん!かあさんかあさんかあさん!!

すると細い指が俺の肩を掴み、揺さぶった。

『サスケ』

その懐かしい温もりは肩から二の腕をなぞり、肘まで降りるとポンと叩いた。息苦しさは嘘のように去ってい
た。

『サスケ、お弁当。グズグズしてると、遅刻するわよ。』

そうだ、これから俺はアカデミーだ。随分とのんびりしてしまった。今から走らないと、本当に間に合わないか
も知れない。

『サスケ、帰ってきたら手裏剣のお稽古見てあげる。だから今日もしっかりね。』

お稽古じゃない、修行だろ。俺はお袋から弁当を受け取ろうと手を伸ばした。だがその時、異変に気が付い
た。お袋の表情は凍り付き、その両の目から涙が溢れていた。自分の身体を見下ろすように項垂れた後、ま
た顔を上げて俺を見る。その間も涙は流れ続け、俺の名を呼び続ける。俺はお袋の真似をして下を覗き込
み、恐怖のあまり後ずさった。お袋の身体が下半身から土塊のように乾いて、崩れ始めていた。

母さん!母さん母さん母さん!

叫びながら崩れた身体を戻そうと、土塊を掻き集める。だがお袋の崩落は止まらない。とうとう首から上を残す
だけになって、それでもお袋は泣いていた。その涙が何度も落ちて、蹲っていた俺の頬を伝う。まるで、俺が
泣いているかのようだった。あっという間に頭の先まで崩れ去ったお袋の身体は、その何も無い空間に土煙
だけを残していた。そして、その煙の向こうに・・・・何か薄ボンヤリとした、二つの赤い灯が浮いている。
あれは__あの赤い光は__



__万華鏡写輪眼



俺は絶叫して、目を覚ました。



月明かりがカーテンの隙間から零れている。布団の上で起き上がり、荒い息を吐きながらイルカを見た。良く
眠っている。俺は安堵の溜息を漏らすと寝台を降り、ふらふらと部屋を出て縁側に座り込んだ。

煙草に火を付けようとして、自分の手が震えていることに気づいた。両膝に肘を突き、そのまま深く項垂れる。


カカシの回復を待って、イルカは俺の忠告に従い話をつけに行った。おそらく、二人が別れてから初めてのこと
だろう。それは文字通り俺自身が望んだことであるにも拘わらず、俺の内心は酷く掻き乱れ__挙げ句帰宅
したイルカを問答無用で押し倒し、数時間揺さぶり続けた。


目を閉じて、頭を抱えた。
背はイルカをとうに追い越し、煙草を吹かし酒を飲み、暗部分隊長としての地位を手に入れても、所詮俺はガ
キのままだ。七班の頃の自分と、今の自分。未だ何一つ変わっていない。__これくらいの事でガタつく自分
が、心底情けなかった。


「お、わし座が綺麗だな」

イルカが浴衣を引っ掛けて、俺の後ろに立っていた。その合わせ目から、赤黒い鬱血の後が幾つも覗いてい
る。俺は目を伏せて、詫びの言葉を吐いた。

「__いいさ。そんなお年頃なんだろ?」

大きな手が俺の頭を撫でた。イルカは隣に腰を下ろすと、俺の手から燻る煙草を取り上げた。

「・・・・こんな、星の綺麗な夜だったな」

深々と煙を吸い込み、吐き出す。何を言い出すのか、俺は眉を顰めてイルカを見た。


「あの頃、上層部の命令で、カカシさんに子作りの話が来て__すったもんだの挙げ句、結局あの人はその
話を受けたんだ、任務という形でね。その代わり今後一切、自分達の関係に口を出さないという約束を取り付
けて__選抜された何人かの女達と、数日共に過ごした。その『任務』に就く前の晩だったな、こんな綺麗な
星空を見上げながら、あの人は言ったんだ。『種付けが終わったらすぐに帰ってくる。そしたら自分達は自由に
なれる。あとは子供が生まれようが死のうが関係ない』ってね。」


指に挟んでいた煙草が皮膚を焼きそうな程短くなっていた。それを促したかったが口には出来ず、黙ってイル
カの指に視線を落とした。


「俺はその言葉を聞いて、正直覚悟を決めたよ。この話がこのまますんなり終わる訳がない、確実に面倒なこ
とになるってな。いや、実際その後暫くはそれまで通りの生活をしてたんだ。だが案の定、子供が生まれてか
らあの人は明らかに揺れだした。__子供に情が移ったんだ。」


指先の熱に気付いて、イルカは煙草を投げ捨てた。念入りに草履の裏で踏みつぶすと、暫く口を噤んでいた。


「・・・・血の繋がりってのは、恐ろしいよな、サスケ。他人なら、話は簡単なんだ。消したかったら、消せばい
い。切りたかったら、切ればいい。だけど血縁ってのは、そうはいかない。そんな簡単なもんじゃない。・・・・繋
がりがあるからこそ、苦しいんだ、そうだろ?だからこそ、それ相応の覚悟がなけりゃ、家族なんて持つべきじ
ゃないんだ。あの人はそこを、分かってなかった。見くびってた。同時に持ってはいけないものを持とうとした。
口では色々言っても、あの人は根っから非情になれる人間じゃない。そのうち子供への愛情と俺への罪悪感
が相反して、収拾がつかないほど混乱し始めた。__だから結局、引導を渡したのは俺なんだ。」


黒い睫が微かに震えたように見えた。俺はほんの少しだけ、イルカと間合いを詰めた。


「もう顔も見たくないから、此処に来るなと言ったよ。今後一切私用で俺に近づいたら、舌を噛み切ると言って
やった。みっともない話、最後は刃物まで持ち出してね。
__あの人は、泣いたよ。子供みたいに大声で、身も世も有らぬほど、俺に縋って泣いた。
・・・・だが俺には分かってた。この人がこれ程動転するのも、それだけ子供に対する愛情が深いからだって。
だったら優先されるべきなのは、子供の方だろ?俺じゃない。だから俺はきっぱり、気持ちを整理してあの人
との関係を清算したんだ。__だがそれはもう随分と昔の話で・・・・、あの人の子供も、順調に成長している
んだがな・・・。」


イルカは急に顔を上げると酷く真剣な面持ちで俺に告げた。


「サスケ、俺は里を出ようと思う。」


俺は二の句が継げなかった。衝撃で喉がヒュウと鳴った。イルカはそんな俺の様子を見て取ると、あやすよう
に柔らかく笑った。


「心配するな、出るったって、抜ける訳じゃないさ。以前、砂にウチの教育システムを移譲して成功しただろ?
あの効果が知れ渡って、各国から教育者の派遣依頼が引きも切らないんだ。砂だけじゃない、土、水、雷・・・
様々な国の里を廻ることになる。・・・まぁ、軽く数年は帰って来れないな。
__ここまで言えば、分かるよな?これは指導教官としての任務だけじゃない、諜報活動も兼ねてる。
その中で『曉』との接触もあるかも知れない。・・・・サスケ、俺と一緒に行くか?」


俺は固まったまま両手を握り締めた。イルカも無言で、俺達は暫く、じっと互いの目を眺めていた。均衡を破っ
たのは、イルカだった。


「・・・どうした?急な話なんで、驚いたか?そうだな、まぁ、今すぐって訳じゃない、よく考えてみてくれ。だが
俺も出来るだけ迅速に行動したい。なるべく早く・・・」

「・・・知るかよ。」

「ん?」

「今の、プロポーズだろ。だったらそんな有り難いお話、断るわけにはいかないだろ。・・・・ったく、誰が離れる
かよ。」


イルカは目を見開いていたが、突然腹を抱えて爆笑し始めた。まったくお前は突拍子のないヤツだよ、そう言
って身を捩る姿に、俺も笑った。以前の俺だったら、戯けるイルカに拗ねるかムクれるかしていただろう。だが
その時、俺ははっきりと、イルカの中の深い愛情を感じ取れるようになっていた。


「・・・ありがとう。今まで、済まなかったな。」

イルカも、深く微笑んでいた。

「お前が俺を気遣って、腹ん中に色んなモノを抱えながら我慢して来たのは分かってたんだ。分かってたの
に、それに甘えて俺も今までズルズル来ちまった。・・・だがもう良いんだ、お前はもう立派に一人前だ。誰の
ものでもない、お前の人生はお前のものなんだ。お前のしたいことをしていい、好きなように生きていいんだ
よ。・・・今まで、本当に済まなかったな。言い訳するわけじゃないが・・・・お前を愛してるよ、サスケ」

俺はイルカを引き寄せた。下ろした髪に、顔を埋めた。

「・・・絶対に、生きて帰ってこよう。」

イルカの背を撫でる。蒸し暑い夜なのに、伝わり合う体温が酷く心地よかった。

「絶対に生きて帰って、またここで美味い酒を飲もう。ついでに二人して報奨金ガッポリ戴いて、後はそのまま
楽隠居だ。」

「・・・・それは俺のセリフだろ。大体その若さで隠居してどーすんだ、殴られるぞ。・・・・ま、それもいいかも知
れないけどな・・・・」


イルカが俺の首に手を廻した。庭では既に、秋の虫の鳴き声がしている。腰に手を廻す。キスや愛撫やセック
スに頼らなくても、俺は深い部分でイルカを感じる自信がついていた。それはなんの根拠もなく、脈絡のない
ものだったが、その静かな感情に俺は充分満足していた。イルカが俺の名を呼ぶ。俺も呼び返す。明るく照り
返す月光の下、俺達は深く口づけあって、__そのままいつまでも抱き合って過ごした。





十日後、俺達は出立した。まだ夜も明け切らぬうちに家を出て、朝靄の立ちこめる大門に向かう。諜報活動に
出掛けるのに、万歳三唱で送られるバカはいない。俺達は今後の予定を、誰にも一切漏らしていなかった。
__だが。


大門の手前で、ナルトとサクラが待っていた。


この里の情報管理はどうなってんだ。咄嗟にそんな思いが過ぎったが、__やはり二人の顔を見れたのは嬉
しかった。

「よう、ドベ。」

俺の声に、ナルトが肩を怒らせて近づいて来る。肩と肩が触れ合う、その瞬間ヨロける程にこづかれ、同時に
息苦しい程抱きしめられた。二人とも言葉はなかった。昔、コイツと大立ち回りを演じ、頭に血の上った俺は危
うくコイツを殺しかけた。それは若気の至りなんて生易しいものじゃなかったが、その後もナルトの態度が変わ
ることはなく、俺達は互いに顔を突き合わせればガキのように絡みあい、ジャレあった。

突然眼前の金色が消え、視界が晴れた。

ナルトは俺の身体を放すと、今度はイルカに駆け寄り抱きついた。ナルトの背はイルカより頭一個分程高い。
そのデカい図体で子供の様に縋る珍妙な光景を、、俺とサクラは無言で眺めた。
ナルトのイルカに対する純粋な思慕を、俺は十分理解していた。だからこそ、俺はナルトに何度も罪悪感を抱
いたことがあった。こうして俺達を見送るアイツの心中も、実に複雑なものだろう。__ましてサクラに関して
は、言わずもがなだ。

サクラが一つ、肩で息を吐いた。俺に向き合うと、黙って右手を差し出す。俺もその手を握り返した。ナルトと
イルカが、そんな俺達の姿を見つめていた。


ゆっくりとサクラの手を離すと、ずっと感じていた視線に意識を向けた。俺はイルカを見た。イルカも俺を見てい
た。いや、ナルトやサクラでさえ__それはガキの頃から散々に浴び慣れてきた視線で、それが誰のもの
か、もうとっくに分かっている筈だ。
だがその視線に、荒んだ気配は感じられない。むしろ冷徹なほど静謐な__部下の任務遂行を見届ける、あ
の冷静さと同じ気配が漂っていた。


俺はイルカに歩み寄ると、一度だけ手を握った。
カカシ、アンタは一度、この手を離した。アンタが望むと望まざるとにかかわらず、それは取り返しのつかない
行為だった。


アンタは、嗤うだろうか。


里を出ることで問題が解決するなどと、俺は期待していない。イルカの不在は更にアンタを苦しめるかも知れ
ない。イルカの胸から、アンタの面影が消えることもないだろう。俺達の未来にも、確証など何もない。
俺達が乗っかったのは天国行きのバスか、それとも地獄行きの超特急か。それは誰にも分からない。

ただ、これだけは断言できる。

アンタが一度放したイルカの手を、俺は二度と離すことはない。

これからもずっと、イルカの生きる場所が俺の生きる場所、イルカの死ぬ場所が俺の死に場所だ。だてにアン
タの失敗を見てきた訳じゃない。アンタが果たそうとして出来なかったことを、俺は必ずやり遂げてみせる。そ
うしてイルカの手を握り、必ずここに帰ってくる。その時はまた、血管が切れそうな憎まれ口を叩いてやるから
__首を洗って待ってろよ。


カカシの気配に気を取られている間、イルカはナルトとサクラに何事か囁いていた。二人は神妙な面持ちで聞
いている。イルカは二人の肩を叩くと次の瞬間、思い切りよく地を蹴った。

俺も続こうと足を向けた。ナルトが歩み寄り、俺に向かって高く手を掲げる。その手のひらを高い音を立てて叩
くと、俺は爪先にチャクラを集め、軽々と飛翔した。


乳白色の重たい朝靄は嘘のように晴れて、昇り始めた朝日がすべてのものを黄金色に染めている。


飛翔しながら、瞬間後ろを振り向いた。ナルトが、サクラに話かけているようだった。バカだな、ナルト。お前が
気の利いたセリフ一つ、言えるわけがないだろ。そんな時は肩の一つでも抱いてやれよ、ドベ。


目を開けていられない程の眩い朝日が、駆け抜ける木々を照らす。俺は前を行くイルカを追い抜く勢いで、光
に向かい疾走した。





〈 了 〉





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