三つ数えろ



グラスに入った温い水に、午後の日差しが反射する。


その日イルカは随分と遅い昼食をとっていた。生徒のしでかした不始末に駆けずり回って一時間。火影に小
言を食らって三十分。その後の教員同士の打ち合わせでさらに三十分。共に尻拭いに奔走した同僚達と職
員食堂に辿り着いた頃には、空腹が過ぎて感覚が無くなりかけていた。やれやれと安堵しつつ、お互いの顔
を見合わせれば正直酒でも酌み交わしたい。しかし生憎ここは職場でまだ昼だ、笊蕎麦を啜って我慢する。
付けた天麩羅がせめてもの慰労の現れか。自分達の慎ましさに苦笑しつつ、和やかに食を進めた。




__ドサリ、と隣の椅子に落ちた腰と一緒に、銀髪が視界を掠めた。イルカは内心大いに嘆息したが、もちろ
ん顔にもおくびにも出さない。それが中忍の処世術だ。大体こんな安食堂に上忍が現れる事さえ異常事態だ
が、追い回されてその奇行に慣れっこのイルカは最早何も言わない。黙って蕎麦を啜り続ける。大方同じ意
見だろう同僚達も、突然涌いた上忍に棒を飲んだような顔をしていたが__やがて無言の威圧に競うように
席を立った。




「・・・お帰りって、言ってくれないんだ、イルカ先生?」


__お疲れ様です、はたけ上忍。・・・確か、火の国にお出ででしたか?


「そ、ご指名でね。何かと思って行ってみりゃあ、単なる大名の警護で。しかも今時、鷹狩りですよ」



カカシは長い指で茶の入ったカップを弄んだ。



「いやもっとたまげたことに、殿様の傍に控えてろってご命令でねぇ。忍の身辺警護なんて、姿を消してヤるの
が当然でしょ?お陰で俺はずーっといい晒しモンですよ、驚いたのなんの。」


__・・・権力者は得てしてブランドもので身を飾りたがるものですよ。災難でしたね。


「アハハ、何それ、皮肉?それとも褒めてくれてるの?なら嬉しいんだけど。」


__・・・失礼しました、単なるものの例えです。ご容赦下さい。



イルカは表情を変えずたらの芽の天麩羅を摘んだ。眺めていたカカシが僅かに顔を顰めたようだったが、おそ
らく気の所為だ。・・・美味い。鼻腔に拡がる微かな苦味に季節を感じる。カカシのぬめった視線が自分の口
元に這っているのを知りつつも、意に介さず咀嚼を続けた。やがてそのぬめりが体中を這い回ることも予測可
能の範囲内で、大概もう慣れた。



「まぁそんなしょうもない任務でしたけどね、一つだけ面白い話を聞いたんですよ・・・イルカ先生、聞きたい?」


__ええ、是非。



イルカは視線だけ机の下に落とした。カカシの左手が、自分の太股に乗っていた。



「・・・・鷹狩り用の、鷹の話なんですけどね。まぁたいがいはオオタカとかクマタカ、イヌワシなんかが使われ
てるのは先生もご存じでしょうけど。その調教の方法がまた面白くてね・・・・掴まえてくるでしょ、野生の若い
猛禽類を。そしたら真っ暗な部屋に閉じこめるんだそうですよ、ソイツをね__光一つ差さない、ホントの暗闇
の中に。モチロン、餌はやらない。水すらあげない。すると当然の如く体は弱る。
・・・まず感覚からやられるそうですよ。鳥なのにあちこちに体をぶつけて、そのうち飛ぶことすら出来なくなる。
でもまだ手は出さない。__もっと追い込んで、衰弱させる。まぁ最終的に、仮死状態にまで持っていって
・・・仮死っていうよりは、殆ど死ぬ一歩手前までいってるそうですけどね。そこまで来て、ようやっと鷹匠が扉
を開けて連れ出す。外の空気を吸わせて、食事を与える。・・・そうするとね、その鷹はもう鷹匠の手からしか、
ものを食べない__食べられない体になってるってワケ。」


__・・・成る程、興味深いお話ですね。



カカシの指が内腿を撫で上げる。一度の戯れで終わるかと思われたその動きは、粘着質に何度も反復され、
しかも終わりを告げる気配すら無い。__そんな刺激でどうにかなる程ヤワい体では無いが、イルカにとって
有り難い行為でないのは確かだ。



「やっぱり?食の面から服従させる、ってのが面白いよね。そこをしっかり握っちまえば、あとは簡単。総てを
コントロール出来るって話。・・・・どう?イルカ先生、気に入って貰えた?」


__ええ、勿論。



ついと上がったカカシの小指がイルカの股間を掠った。__困ったな。初めてあからさまな溜息を吐くイルカ
に、カカシは実に嬉しそうに右目を細めた。



「でしょ?俺もこの話を聞いた時は、ちょっと興奮しましたよ。凄くスリリングだし__美しい。」



もうとっくに昼を過ぎた時間で人影も疎らとはいえ、こうして嬲られている姿を誰に見咎められるかも分からな
い。これから中間テストの準備も控えているし、なにより中忍選抜試験も始まる。だからこそ身辺に余計な波
風を立てたくない。



そろそろ、決着をつけないといけないな。



上忍の気まぐれに、まともに付き合うのも馬鹿馬鹿しいと軽くいなしてきたつもりだったが__こうもしつこい
と、さすがのイルカも手に余る。頭を下げてご退場願うのも一計だが、今まっで被った精神的被害を鑑みれば
それも業腹だ。いや今この感情ですらカカシの想定範囲内かと思えば__更に面倒な事態が予測される。



最後の蕎麦を啜ろうと蕎麦猪口に身を屈めたその時、今度は項を撫でられた。



二度目の溜息は胸の中で吐いた。どうやら用意周到に張り巡らされているらしい目前の罠に、敢えて飛び込
むべきか__それともヒラリとかわしてみるか。



口内の蕎麦を規則正しく咀嚼して、呑み込む。カカシの視線を右頬に受けたまま。



「__カカシ先生。」


「なあに、イルカせんせ」



温い水を口に含んで飲み干す。空になったグラスを机に置くと、イルカはゆっくりとカカシに向き直った。




TEXT