田園交響楽 〜その後のグッバイガール



座卓の上で、暖かい食事が湯気を上げている。


里のエリート上忍と中忍未亡人教師の関係は、今巷でかなりの話題を呼んでいるようだった。だがそんな事
は俺達にとってさしたるハードルにもならなかった。イルカはあの通りマイペースな人間だし、俺にしたって数
年前の地に墜ちた様な噂に比べたら、今度のなんざ皆から祝福されてるようなもんだ。

それに比べ、もっか今一番の問題はナルトだ。隙あらばイルカの所に上がり込もうとするナルトと、俺は日々
仁義なき戦いを繰り広げつつ過ごしていた。ナルトにしてみれば、俺の存在なんてのは突如後ろから割り込
んできたエイリアンみたいなもんだろう。なまじっかイルカが配偶者を亡くしたときも、流産した時も傍にいて支
えたのは自分だという自負の所為で、ナルトのイルカに対する執着は頑なで強固だ。加えて何時までもイル
カが甘やかすお陰で二人の間には擬似的な親子関係が出来上がっているようでもあり、俺が口を挟んだ所
でそう易々と変容するとは思えなかった。


だがそうはいっても所詮12歳のハナタレ小僧と27歳の男盛りじゃ、ハナから勝負は見えている。


ま、大人には大人の癒し方ってもんがあるのよ。そういうわけで、今日も俺の勝ち。だからそう地団駄踏むな
って、ナルト。なんてったって、俺は二週間の里外任務明けだ。火の国の大名の外戚とやらが拉致られて、そ
の奪還部隊の助太刀だった。さして面白味もない任務内容だが神経だけは使う。人質に死なれちゃ元も子も
ないからな。もちろんきっちり仕事はやり遂げた。だが、久しぶりにバッサバッサと人を斬りまくったお陰で身も
心もカラカラだ。そうなれば里で待ってる恋人に、のんびり癒されたいって思うのはあたりまえだろ?当然の権
利だろ?だからさぁ、お前もちょっとは上司に遠慮しろっての。どうせ俺のいない間、さんざっぱらイルカに甘え
てたんだろうが。だったらいいだろ、ハイ、選手交代。お前は退場。俺入場。あ、これから暫くはお前の出番無
いから、そこんとこ良く覚えとくように。悔しかったらさっさか一人前になりな。


イルカは一度家庭を持っていた所為か、人をもてなす事に実に長けていた。それこそ痒い所に手の届く世話
の焼き様に、俺はイルカの所に来れば、座卓の前に座りっぱなしで一歩も動かないぐうたらぶりだ。その優し
さが以前は別の人間に向けられていた事を思えば、正直胸が焦げる。しかしそんなネバついた感情もイルカ
の笑顔を前にすれば霧散した。用意されたすき焼きをかっ込む俺を静かに見つめるイルカの顔は、自惚れで
なく、今この幸せに満ちている。


だが俺は、そんなイルカの微笑みに、時折妙にザワつくことがあった。


疲れた身体で恋人を訪ねれば、用意されている風呂。暖かい食卓。労りの言葉。口の中の肉は甘くとろける
上等モンだし、味付けも絶妙だ。男として、これ以上の幸せがあるだろうか。

・・・・しかし・・・違う・・・何かが変だ。何だ・・・この言い知れぬ不安感は・・・重大な何かを・・・何かを見落とし
ている気がする・・・・

確かに、ポワンとした熱っぽい瞳を俺に向けるイルカの顔には、好きだ好きだと書いてある。だが、その目は
どうも俺自身を見ていない様な・・・俺自身を透かして、時間軸のズレた別の人間を見ているような・・・


「イルカ」

「・・・はい?」

「アンタ一体さっきから誰を見てんの」

「・・・え?・・・なっ、何ですか、いきなり?か、カカシさんに決まってるでしょう」


おかわりお持ちしましょうか、あっ、生卵も要ります?そう言いつつ慌てて台所に引っ込もうとする姿に、俺は
はっきりと誤魔化しを感じた。


「あー、それはいいから。それより、ちょっとこっちに座りなさいよ。・・・そうだな、質問を変えるか。さっきまで
俺の顔見て、何考えてた?」

「な、何って、アレですよ、・・・お、お口に合えばいいな、とか・・・あ、お肉どうですか?硬くなってません?」

「いーるーかー」


こうなると、俺はとことんしつこい。それを重々知っているイルカは、宙に泳がせていた視線を恐る恐る俺に戻
すと、ポツリと呟いた。


「あの・・・随分とお父様に似てきたなぁって、思ってました・・・」

は?

「・・・親父ィ?俺の!?」


思いがけないイルカの言葉に、俺は少々混乱した。


「何・・・?アンタ、親父を知ってんの?・・・なんで?」

「___ごめんなさいっ!!」


イルカは突然ガバと平伏すると畳に額を擦りつけた。


「ごめんなさいっ、カカシさん。実は私、いままで一つだけ嘘をついてました。__私以前、カカシさんと初めて
お会いしたのは巳の国の戦いだって言いましたよね・・・?」

「ああ、そうね、・・・確かに。」

「実は違うんです、巳の国でお会いする、もうずっと以前から私・・・カカシさんを存じてました。何度も話したこ
ともあるんです。でも私、それがどうにも恥ずかしくて・・・今までどうしても言えずに来てしまって、黙ったまま
で・・・あのほんとに!!ごめんなさいっ!」


何が何だか訳が分からないが、えらく真剣なイルカの表情に、俺は取り敢えず箸を置いた。


「いやあの、それはいいけど、・・・それがどう親父と関係あるわけ?」

「__カカシさん、昔よくお父様に連れられて、私の家に来たことがあるんです。私、何度も遊んでもらいまし
た。箒川の向こうの、烏山を越えた長閑なところだったんですが・・・覚えてらっしゃいませんか?もう随分と小
さな頃の話ですけれど・・・」

「はぁぁぁ!?」


嘘だろ。そんなことを急に言われたって、全く身に覚えがない。・・・いや・・・ちょっと待て・・・そういえば子供
の頃、やたらと山奥のど田舎に親父と連れだって出掛けたことがあるかも知れない。俺が中忍になるかなら
ないかの頃だ。田んぼの広がるど真ん中に一軒家があって・・・だいぶ広いが、かなりくたびれた家だった。
確か忍同士の夫婦者が住んでいて、俺とおない年くらいの子供もいた。その子供がやたらと小汚いうえに小
ザルそっくりで、会えば必ずいじめてやった記憶がある。小ザ・・・・


「・・・・小ザルっ!?あの!?」


自分のことだと思い当たったイルカは、はにかんだ笑みを浮かべた。


「うそぉ・・・いやだって、顔が全然ちが・・・」

「お恥ずかしい話、私、今のナルトくらいまで父にそっくりだったんです。思春期過ぎて、ようやっと母に似てき
たんですけどね・・・でも嬉しい、思い出して下さったんですね。カカシさん、会うたび私の髪の毛にガムくっつ
けたの、覚えてますか?」

「・・・・えっ・・・・」

「青大将首に巻かれたこともあったな。あと、カエルの卵とか。あっ、楡の木のてっぺんまで登って、カカシさん
に置いていかれたことありましたよね!私、恐くて一人で下りられなくて、泣いたなー。そうそう、裏山で鬼ご
っこしててはぐれたことあったじゃないですか、迷ってどんどん奥に入っちゃって、そのまま夜になってさすがに
焦りましたよ。寒いしお腹は空くし・・・家に帰れた時は心底ほっとしましたねぇ。」

「ぅ、あー、その・・・・どうもすいませんごめんなさいもうしわけない・・・・」


形勢逆転。イルカの屈託ない物言いに邪気はみえず、単に昔を懐かしんでいるのだとは分かっていたが、ど
うにも居たたまれなかった。俺はイルカに言われるまでもなく、まざまざとそれを思い出していた。

あの頃は丁度中忍選抜試験を受ける前か、その真っ最中か。『白い牙』の息子が最年少で試験に臨むとあっ
てその注目度は並大抵ではなく、俺は子供ながらにかなりのストレスに晒されていた。親父にしてみればそ
んな息子の気を晴らそうと知人宅に連れ出したのに違いないが、結果俺は鬱憤晴らしに其処の子供を虐め抜
いた。__まさかそれがイルカだったとは。あの『鬼ごっこ』の時も、俺は最初からイルカを山に置いてくるつも
りで出掛けた。日も落ちて一人で下りてきた俺を親父は派手にブッ飛ばし、アワを食って山に入っていった。
そりゃそうだ、その時は事の重大さに気付きもしなかったが、一歩間違えばイルカは遭難していた。忍犬を飛
ばした親父が無事イルカを連れ帰ったからいいものの、山に置き去りにされた幼女に何があっても不思議じゃ
ない。親父に張り倒されたのも当然だ、俺は実に安易に__イルカの命を危険に晒したのだ。


「__カカシさん?もしかして、・・・・気にしてるんですか?」


そりゃあねぇ。幾ら子供だったとは言え自分のバカさ加減に腹が立つし、何より今まで綺麗さっぱり忘れてい
た薄情さには言葉もない。


「そんな顔しないで下さい。__ご免なさい、私も余計なこと言いましたね。でも信じて下さい、私全然何とも
思ってませんよ?それどころか、良い思い出です。子供ならそんな体験の一つや二つ、誰でもあるじゃないで
すか。私にとってサクモさんやカカシさんに会えるのは、本当に心の底から楽しみだったんですから。」


萎んだ俺の頭を撫でるイルカの手に、不本意ながら喉が詰まった。今イルカの中で、俺もナルトも完全に同格
扱いなのは見て取れたが何も言えない。俺は机に突っ伏してくぐもった声で疑問を投げた。


「・・・・しかし、何だって親父はアンタの家に通ってたんだろうね・・・?」

「私にも、その辺のことははっきり分からないんです。父と母のどちらと繋がりがあったのか、あるいは両方な
のか・・・。でもよく父と話し込んでらしたような気がしますね。父は医療班にいましたし、当時あの辺は薬草の
宝庫でしたから。」


なるほど、それでか。大方独自の丸薬か、毒薬でも開発していたか。


「お会いするといつでも私を膝に乗せて、頭を撫でて下さったんですよ。『もうひとり娘がほしいなぁ』って言うの
が、口癖でした。いつもお土産を下さって、気を遣われて・・・・とても優しい、繊細な方でした・・・。」


そうだ、親父は忍としては最上の部類に入る人間だったが、妙にか細い所もあった。そしてその繊細さ故に、
発狂して死んだ。

『白い牙』の末路を知っているだろうイルカもそれきり口を噤み、俺達の間には暫しの沈黙が落ちた。



「・・・お箸を・・・」

「え」

「カカシさんの、お箸を使っている指が・・・ほら、少し変わった握り方をするでしょう、人差し指より中指が持ち
上がっているような・・・その使い方が、昔のサクモさんそっくりなんです。あの頃食事をご一緒したとき、傍で
見ていたのでよく覚えていて・・・それをさっき、思い出して・・・」


それを俺に見咎められたって訳か。


「・・・イルカ、今度一緒に墓参りに行こうか。親父のさ。」

「え?私と?・・・いいんですか?」


俺は答える代わりにイルカの身体を抱き寄せた。俺も随分と親父の所に行っていない。イルカを連れていった
ら、親父は驚くだろうか。あるいは『それみたことか』と笑うだろうか。




『悲劇の英雄』と俺の親父は称される。その要因の大半はあの死に方にある。

今まで親父を恨んだことがない、といえば嘘になる。特に子供の頃は置いて逝かれた寂しさから、胸の中で
幾度となく詰り続けた。だが何もかも親の所為、周囲の所為にしていた時期はとうに過ぎた。この年になって
みれば、はっきり分かる。世の中には世間と折り合いを付けられない人間が、ごく稀にだが存在する。

親父は自分のアイデンティティーと、社会と言う名の現実がぶつかることに耐えられなかった。親父にとって
自我が摩耗するのを眺めることは、拷問に等しい責め苦だった。だから自ら死を選んだ。

それを責める謂われは、俺にはない。

親父の人生は親父のものだ。自らそうと望んで選んだ人生の幕引きが、たまたま自死だった。ただそれだけ
の話だ。そしてその長くない生涯の中にも、確実に幸福な時間は存在した。鼻を垂らした少女を膝に抱いたと
き、腐る息子の手を引いてあぜ道を歩くとき、その胸には人並みの『愛』や『希望』が満ちていた筈だ。


親父は親父の生を生きた。その生き様で、短い時間を駆け抜けた。


だからその人生が憐憫の情で語られる必要性など、何処にもない。親父もそれを、最も嫌うだろう。




「・・・右目の色、お父様と同じですね。」


胸の中のイルカが俺の顔を覗き込む。


「髪の色も・・・・あ、でもサクモさんの方がもっと薄かったかな。肌なんか陶器のように白くて・・・すごく長くて
細い指に形の良い爪がついてらして・・・私の母なんかより、余程綺麗な方でした・・・」


そうかねぇ。アンタ記憶の中で都合良く美化しちゃってない?別にごく普通の顔してたと思うけどねぇ。そんな
に言うなら後で写真でも見てみるか。


「えぇっ!?あっ、あの・・・写真、があるんですか!?」


俺の呟きに食らい付いたイルカは興奮で赤く頬を染めていた。・・・あるよありますけど、それがなにか?


「あの・・・もしよろしければ・・・一枚頂けませんか?サクモさんの写真・・・」


・・・・何ソレ。昇ぶった黒い瞳は艶やかに潤み、口元を覆った手は期待で微かに震えている。・・・もしやまさ
かひょっとすると、俺の真のライバルはナルトでも死んだ配偶者でもなく、自分の父親だったってワケか!?
おいおい、勘弁してくれよ・・・これが因果応報ってヤツなのか。爆竹詰めたカエルを投げたり、背中にミミズを
突っ込んだ報いがこれなのか。・・・・悪い。本当に悪かったと思ってる。だから罪滅ぼしさせてくれよ。誠心誠
意頑張るからさ。

俺はイルカの顎に手を掛けて、唇に何度も口付けを落とす。イルカが『しょっぱい』と身を捩る。そりゃそうだ
よ、すき焼き食ってたんだから。逃げを打つ身体を押さえ込んで、耳元で囁いた。


「親父の所に行く前にさ、アンタの子供の所にもいこうか。」


え、と顔を上げたイルカに、すかさず口唇を寄せた。


「あるんでしょ、子供の墓。一度はきちんとお参りしないとね。」


戸惑うように俺を見ていたイルカは、やがて頷いて柔らかい笑みを浮かべた。


「遠いですよ。箒川の向こうの、烏山を越えた、私の実家の傍ですから。・・・・ところでカカシさん、ご飯のお代
わりどうします?」


不埒な俺の手を牽制する冷静な声に、俺の肝はちょっとばかり冷えた。やっぱりご機嫌取りがバレてたか。で
もさ、アンタにとって大事なものは、俺にとっても大事なの。そこのところはホントだよ、信じてくれる?


昔のいじめっ子といじめられっ子、いいトシをした二人で思い出をなぞる旅をするのも乙なもんだ。あの頃のよ
うに青く波打つ稲穂の海は、俺達の前にも広がっているのだろうか。


え?お代わり?勿論いるさ、生卵もつけてね。


俺達は短く見つめ合うと、割り下の味のするキスをした。



〈 了 〉





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