議員(国民からの立法の受任者)の犯罪備忘録

国民が立法・行政という私達の社会のありようを決する最も重要な仕事を委任している議員・官僚の犯罪について概観しておこう。こういったことは忘れやすいので、何度忘れても思い出せるようここにまとめておこうと思う。国政を担う議員や政党の中にはこんな人たちがいる現実を認識し、議員や政党を選ぶ際にはもう一度読み直して欲しい。以下では議員の犯罪概観の後、最近の事件のうち特に悪質な、 について個別に記して記憶にとどめる。なお、文中の茶色文字は筆者が書き加えた部分であり、原文と区別して読まれたい。

(出典、2001年1月24日の日本経済新聞朝刊)
   最近の閣僚辞任例
*カッコ内は当時の首相
スキャンダル型
1995年10月 田沢法相(村山) 国会質問削除疑惑
1999年3月 中村法相(小渕) 石垣島リゾート開発への捜査指示など
2000年7月 久世金融再生委員長(森) 大京巡る利益供与問題
2000年10月 中川官房長官(森) 右翼団体幹部との交際疑惑、女性問題
2001年1月 額賀経済財政担当相(森) KSDからの資金提供問題
監督責任型
1991年10月 橋本蔵相(海部) 金融・証券不祥事
1998年1月 三塚蔵相(橋本) 大蔵省検査汚職事件
1998年11月 額賀防衛庁長官(小渕) 防衛庁背任事件
問題発言型
1993年7月 小泉郵政相(宮沢) 首相の退陣要求発言
1998年12月 中西防衛庁長官(細川) 改憲発言
1994年5月 永野法相(羽田) 「南京大虐殺はでっちあげ」発言
1994年8月 桜井環境庁長官(村山) 「侵略戦争の意図はなかった」発言
1995年11月 江藤総務庁長官(小渕) 植民地統治正当化発言
2000年2月 越智金融再生委員長(小渕) 金融検査「手心」発言
その他
1993年4月 渡辺副総理兼外相(宮沢) 病気
1993年6月 船田企画庁長官(宮沢) 内閣不信任案に同調
中島科技庁長官(宮沢) 同上
1993年8月 田名部農相(宮沢) 自民党離党
1997年9月 佐藤総務庁長官(橋本) ロッキード事件批判
越智(伊)農相(橋本) 病気

[議員の犯罪概観]

議員の犯罪には主として受託収賄、あっせん収賄と政治資金規正法違反、所得税法違反があり、口利きから始まり、やがて政治資金の公私の区別が失せて私腹へカネが流れ込む過程をたどることが多い。1976年の田中角栄、橋本登美三郎、佐藤孝之らのロッキード事件、1986年の稲村佐近四郎、横手文雄らの撚糸工連事件、1988年の田代富士男の砂利船汚職事件、1989年の藤波孝生、池田克也らを含むリクルート事件、1990年、稲村利幸が所得税法違反に問われた国際航業事件など、議員の犯罪は引きも切らず連綿と続いているが、これらを生み出す構造は変わっていない。そこで、左の「閣僚辞任例」をFUKUSHI's Web Page ザ・20世紀で補足しながら、ほぼ第2次海部内閣時代以後2001年のKSD事件までの時期についてまず見てみよう。

まず、内閣自体について。

1989年8月、宇野首相自身の女性スキャンダルで69日の短命に終わった宇野内閣は海部内閣(1898年8月9日−1990年2月27日)に引き継がれ、その後、1994年3月には、細川首相が佐川急便から1億円を借り入れていたことが問題になり、さらに、首相のNTT株購入問題をめぐって与野党が対立、4月8日には細川首相が辞意を表明した。
2000年4月2日に小渕首相(当時)が脳梗塞で緊急入院したが、その当日、自民党幹部の5人組(森、村上、青木、亀井、野中)が都内のホテルに集まり、首相臨時代理問題や後任問題を話し合い、村上が「森さんでいいんじゃないの」と口火を切って森首相が決まったとされる。国会法では首相が欠けた時は直ちに国会に通知することになっているが国会へ正確な情報が報告されず、国民を完全に無視し法手続きにも問題を残した密室の政権交代劇となった。この件に関し、4月10日:【首相臨時代理に指定されたと官房長官が嘘】 青木官房長官は2日夜に小渕前首相に「有珠山噴火対策など一刻もゆるがせにできないので、検査の結果によっては青木官房長官が臨時代理の任に当たるように」との指示を受けていたというこれまでの説明をくつがえし、「有珠山噴火の心配もあり、何かあれば万事よろしく頼む」と言われたので臨時代理の指定があったと判断したと訂正した。 5月14日:小渕首相が死去。医師団が経緯を説明。「長い言葉を明瞭に話すのは難しかった」との見方を明らかにし、青木官房長官の説明を聞いてびっくりした」と疑念を示した。青木発言の信頼性がさらに大きく揺らいだ。森内閣は首相以外の閣僚は全員再任され小渕内閣をそっくり引き継いだ異例の内閣であったが、これは不祥事以前の民主制の根本をゆるがす内閣の正当性に関わる問題といえる。

次に、元閣僚及び政界実力者にひろげた場合の事件について。

(1992年)共和汚職事件
北海道のリゾート事業に絡み、鉄骨加工会社「共和」から8千万円を受け取ったとして、阿部文男・元北海道開発庁長官が受託収賄罪で起訴された。(最高裁有罪確定済)

(1993年)佐川献金疑惑で金丸議員辞職
「東京佐川急便」の渡辺広康前社長ら経営陣が、広域暴力団稲川会の石井進元会長らの関係会社などに、巨額の融資・債務保証し、逮捕された。捜査の中で、自民党の金丸信元副総裁に5億円が渡ったことが発覚、東京地検は政治資金規正法違反にあたるとして略式起訴し、金丸元副総裁は罰金20万円(たった20万円?)を支払った。10月14日、議員辞職。

(1993年) 3月6日:金丸元自民党副総裁を脱税容疑で逮捕
自民党の金丸信元副総裁が、ゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入し、3月6日、所得税法違反の容疑で逮捕された。(一審中死亡)

(1994年)(ゼネコン汚職事件)
3月6日:鹿島からの収賄容疑で前建設相の中村喜四郎衆院議員に出頭要請。8日、逮捕状請求。11日に国会で許諾議決がだされ国会の会期中に逮捕。(一審有罪判決控訴中)

(1995年)2信組乱脈融資事件
経営破綻に陥った東京協和、安全の2信用組合の元理事長らが背任容疑で逮捕されたほか、12月6日、元労相の山口敏夫代議士が不正融資に関与したとして背任容疑で逮捕された。(一審有罪判決控訴中)

(1997年)
1月29日:参議院議員の友部達夫容疑者を詐欺の疑いで逮捕。(「オレンジ共済」事件。一、二審有罪上告中)
第2次改造橋本内閣(9月11日〜1998年7月30日) ローキード事件に関連した佐藤孝行が行政改革の要である総務長長官として入閣した。運輸政務次官の職務にからんで1972年全日空から賄賂を受け取り収賄罪で「懲役2年執行猶予3年」の判決を受け、1986年に確定した。有罪確定議員の入閣はもちろん過去に例がない。佐藤孝行は記者会見で、「過去のことは忘れて…」と発言した。世論の非難を浴びて22日に辞任。9月25日:橋本首相、国会で、佐藤孝行を総務庁長官に起用したことについて、「深い反省」と「おわび」を表明。

(1998年)
2月19日:【新井将敬代議士が自殺】日興証券に不正な利益供与を要求し株取引を通じて約2900万円相当の利益を受けたとして国会に逮捕許諾請求されていた新井将敬代議士が、宿泊していた東京都内のホテルで首吊り自殺した。
(この年、中島洋次郎被告が「防衛庁汚職」事件で受託収賄などで起訴される。一、二審有罪判決、上告中に自殺)

(1999年)
3月8日:憲法批判発言やシュワルツネッカーの入国書類を私臧していた(これは一覧表記載の件とは別件)などとして野党各党から辞任を求められていた中村正三郎法相が辞表を提出。 10月20日:西村防衛政務次官が、週刊誌の対談記事で「日本も核武装したほうがええかもわからんということも国会で検討せなアカンな」などと発言、その責任をとって辞任。

(2000年)
5月15日:森首相が「日本は神の国」と発言。
6月30日:建設省発注工事の指競争入札をめぐる受託収賄容疑で、東京地検は元建設相で自民党代議士だった中尾栄一容疑者(70)を逮捕した。(「建設省汚職」事件。一審公判中)
7月27日:【金融再生委員長に利益提供】金融再生委員長の久世参議院議員が、三菱信託銀行側から事務所経費など総額2億3000万円近い利益提供を受けていたことが発覚(これは一覧表記載の件とは別件)。27日、1991年にも大京側から1億円の資金提供を受けていたこともわかった。30日に委員長を辞任し、森首相は後任に相沢秀之を起用した。
9月4日:【山本譲司議員逮捕】名義だけの政策秘書を雇い、給与名目で国から約2360万円をだまし取ったとして、東京地検特捜部は、東京21区選出の衆院議員、山本譲司容疑者(37)=民主党を4日離党=と、公設第1秘書の今井昭徳容疑者(35)を詐欺容疑で逮捕した。また、東京都立川市の事務所や自宅、東京・永田町の議員会館などを家宅捜索した。(「秘書給与詐欺」事件。一審有罪控訴中)



[KSD事件−村上元労相に実刑]

旧ケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)をめぐる汚職事件で、総額7200万円のわいろを受け取ったとして受託収賄罪に問われた元労相(92年宮沢内閣で初入閣)、村上正邦被告(70)ら二人の判決が20日、東京地裁であった。中谷雄二郎裁判長は村上被告に懲役2年2月、追徴金7200万円(求刑懲役3年6月、追徴金約7200万円)の実刑判決を言い渡した。国会の代表質問を巡る汚職事件に実刑という厳しい判断が下され、同被告側は即日控訴した。中谷裁判長は贈賄側のKSD元理事長(82)=有罪確定の公判証言に高い信用性を認定。「参院議員が職務の中核に関し、わいろを収受した」として、村上被告側が否認した請託とわいろの受領を認定した。中谷裁判長は「与党による代表質問が具体的施策の実現に結び付き得るもので、村上被告の代表質問も労働省の姿勢転換に多大な影響を与えた」と指摘。「国民の信頼を大きく損ない、国会の威信を失墜させかねず厳しい非難を免れない」と述べた。また、犯行当時、党の最高実力者だった点に触れ「他の議員の模範となるべきなのに、わいろ申し込みに何らためらった形跡がない」と指弾。無罪主張にも「犯行の意味や結果の重大さを直視していない」とした。判決によると、村上被告は1996年1月、KSDが推進する大学設置構想に関する国会質問をすることなどの請託を元理事長から受け、謝礼として同年6月から2年間、事務所家賃名目で約2200万円、96年10月には現金5000万円のわいろを受け取った。共犯の元秘書、中野茂宏被告(56)は懲役1年6月、執行猶予3年(同1年6月)とした。一連の事件では7人が起訴され、元理事長をはじめ贈賄側4人の有罪が確定。受託収賄罪に問われた元参院議員、小山孝雄被告(59)は一審で懲役1年10月、追徴金3166万円の実刑判決を受け控訴している。(出典、日本経済新聞2003年5月20日夕刊)。(結局、次に掲載する立花氏の警鐘は生かされず、ただの質問汚職、事務所家賃汚職で片付けられ、事件の本体にメスは入らなかったようである。自民党の存立の基盤に関わる問題を含むこの事件は、「党員獲得ノルマ復活」と合わせ、自民党の自浄作用の欠如を示すものとして失望の深淵に引き込まれる思いがする。)

[党員捏造こそ事件の本質−立花隆氏寄稿](日本経済新聞2001年3月2日朝刊掲載)
 巷(こう)間伝えられているように、もし事件が7200万円の受託収賄容疑で終わってしまうなら、事件はただの質問汚職、事務所家賃汚職で終わってしまい、事件の本体にメスを入れたことにはならない。
 本当の事件の本体はどこにあるのか。これは、自民党幹部による前代未聞のニセ党員大量捏(ねつ)造事件である。その数9万人に及び実に都内の党員総数の約半分になる(証人喚問時に明らかにされた事実)という。このニセ党員によって、村上前議員は98年参院選自民党比例区名簿二位(一位は党外の著名人)になったが、時の参院選を仕切っていた自民党参院幹事長が村上前議員自身なのである。
 彼は片手で大量ニセ党員作りをし、片手で自分を2位(党員トップ)にする比例区名簿を作っていたのである。これによって、彼は自民党最高幹部のひとりとなり、小渕前首相が倒れたときに、次の首相を密室で談合した5人組の一人となったのである。
それだけ大量のニセ党員を作るために、KSDに雇われて入党申込書作りをした人たちは両手の指を真っ赤にして、指印を押しまくったという。証人喚問でこの話を聞かされた村上前議員自身まで「身の毛のよだつ思いがする」と言ったが、全くその通りだ。
 それだけ大量のニセ党員の党費をKSDが肩代わりし(2年分で推定5億円をこえる)、送られてきた党員章は片はしからシュレッダーで裁断したといわれる。
 これはもちろん選挙法違反であり、有印私文書偽造であり、収賄である。金額からいっても、事件の悪質性からいっても、問題にされている受託収賄より、こちらのほうがはるかに問題である。天下一の公党が、全国民に公表し投票をお願いした比例区名簿がこのようにしてデッチ上げられたのである。こういうことを不問に付したら、日本の民主主義の根幹がゆらぐことになる。検察に言う。事件の本体から眼をそらすな。

[党員獲得ノルマ復活](出典、日本経済新聞2003年5月20日夕刊)
 KSD事件では、立件に至らなかったものの、自民党の巨額の党費をKSD側が肩代わりしていた問題も明らかとなった。参院比例代表候補者に無理な党員獲得義務を課したことへの反省から、自民党は前回2001年の参院選では党員獲得ノルマを廃止。しかし、「党員・党費の減少歯止めに不可欠」として廃止からわずか2年で再導入を決めた。
 自民党の参院選比例代表制ではかつて、集めた党員数などが名簿搭載順位に大きく影響、候補者間で党員獲得競争が激化する傾向があり「業界との癒着の温床」との批判が強かった。
 村上被告の場合、KSDの関連政治団体が1998年の参院選の際、KSD会員に無断で党員名簿を作成し総額約5億3千万円もの党費を肩代わりしたとされ、村上被告は名簿順位2位で当選。小山孝雄被告もKSD側から約4億8千万円分の肩代わりを受けたといい、新人議員としては異例の12位で95年の参院選に初当選した。
 KSD側による肩代わりは自民党全体で91-99年に約15億円にも及んだとされる。KSD関連の議員連盟に名を連ねる議員も多数にのぼり、KSDマネーが自民党を「丸抱え」との批判も噴出した。
 名簿の上位登載のための厳しいノルマから、支援企業・団体に党費を肩代わりしてもらう例は過去にもあった。2000年7月には当時の久世公堯・金融再生委員長が(大京からの)1億円分の肩代わり依頼が発覚、委員長辞任に追い込まれている。
 この問題を受け、制度改革論議が急展開。2001年の参院選では、個人名での得票数に応じて当選者が決まる「非拘束名簿式」が導入され、党内の名簿順位はなくなり党員獲得ノルマも撤廃された。
 ところが、長引く不況も影響して自民党員の減少は歯止めが掛からず、97年末の336万人をピークに5年連続で減少。昨年末時点でピーク時の半分を切る約162万人となるに及んで、癒着の温床となったノルマ復活に踏み切った。



以下の記述には、鈴木宗男氏の名誉を不当に汚すものが含まれている可能性が高い。いずれも日本経済新聞記事からの引用であるが、検察側主張がそのまま検証プロセスを経ることなく記事にされたように見える。いわゆる鈴木宗男事件は、ムエオハウス事件、国後島ディーゼル発電施設事件、やまりん事件、島田建設事件、イスラエル学会事件、政治資金規正法違反事件、モザンビーク共和国洪水災害国際緊急援助隊派遣介入事件の7事件からなるが、これらは鈴木宗男氏に対する国策捜査であるという指摘もなされている。したがって、以下の記述は鈴木宗男氏をめぐる報道が当時どのようになされたかの一端を示す資料として掲げるものである。もちろん、その妥当性を判断するための記述も併せて掲載しない限り、公平・公正なものとはならないので、これを掲載できるよう努めているところである。

[「ちゃんと面倒みてやれ」−鈴木議員初公判]

「刑事責任を問われるべきものではない」。11日、東京地裁で始まった衆院議員、鈴木宗男被告(54)の初公判で、同被告は起訴された4事件についていずれも否認した。6月の逮捕以来、約5ヶ月ぶりに公の場に姿を見せた同被告。外務省など複数の省庁に介入した「ムネオ流政治」の実態が検察側冒頭陳述で明かされた。
喪が明けたら売ってやれ 木材会社「やまりん」の会長(故人)らは1998年8月、林野庁の(無断伐採の)行政処分に対し「鈴木大臣に頼んで、林野庁を動かしてもらおう」と画策、首相官邸で内閣官房副長官だった同被告に同庁への働きかけを依頼した。同被告は、4つの祝儀袋の5百万円を「ありがたく頂戴しておきます」と受領。その場で同庁に電話をしたが幹部が不在だったため「この国難の折、どこに行ったかわからないのか」と激高、電話を折り返した幹部に「喪が明けたら(木材を)さかのぼって売ってやれ」と指示した。その後も(同紙夕刊一面から引用すると、「処分後に契約を挽回させてほしいというやまりん側の要望を『行政処分の意味がなくなるでしょう』と拒絶した林野庁幹部に、鈴木被告が『だいぶ(やまりんに)厳しいことを言ったようだな』に続き、」)「ちゃんと面倒みてやれ」と怒鳴るなど口利きを続けたが、やまりんが違法伐採で釧路地検の捜査を受けたため、発覚を恐れて同年12月、わいろのうち4百万円を返金した。(あっせん収賄)
いつもすまんね 島田建設は、北海道開発局発注工事の受注が不振だったことから「来年の工事で宗さんにお願いをしておきたい」と97年10月、開発庁長官室を訪問。「メモを置いていってくれれば、ちゃんとしておくから」と了承し、同社社長らが「小遣いを持ってきたから使って下さい」と渡した金を受領した。98年1月、詳細な工事名を記した「受注希望・特定工事メモ」を作成して社長らが再度、受注を要請すると、開発局の部長を呼び出し、「一つ力を貸してやって下さいよ」などと指示した。わいろ提供は計4回、6百万円にのぼった。同被告は自ら受けるのを避けて議員会館に運ぶよう指示する一方、「いつもすまんね」「社長のような後援者のおかげで大臣をやっていられるんだから」と礼を述べた。(受託収賄)
おれは聞いていない 島田建設の資金提供は、わいろを含め計8百万円にのぼり、私設秘書の給与の肩代わりも受けたが、今年3月の衆院予算委員会の証人喚問ではヤミ献金を否定、偽証した。さらに2000年2月、外務省がモザンビークに洪水被害の緊急援助チームを派遣しようとした際に「何だそれは。おれは聞いていない。絶対に認めない」と語気荒く迫って出発を差し止めたが、喚問では「私が反対するとかは考えられない」と虚偽答弁した。(議員証言法違反)
今、手持ちがない 鈴木被告は東京・南青山の自宅購入費の一部を資金管理団体「21世紀政策研究会」の資金で賄おうと考え、98年10月、経理担当者に「36百万円を現金で準備してくれ」と指示。事務所で確認して「女房に渡してくれ」と伝え、不動産業者に支払わせた。同被告は99年1月、経理秘書に「今、ちょっと手持ちがないんだ。いずれ返すから何も書かずに出してくれ」と指示。約1億円のパーティー収入も除外させ、収支報告書の虚偽記載を主導した。(政治資金規正法違反)
(出典、日本経済新聞2002年11月11日夕刊)。

(出典、日本経済新聞2002年11月11日夕刊)
   鈴木被告を巡る一連の事件の被告
(同被告を除く)
被告 役職 罪名 状況
秘書
多田 淳(51) 政策秘書 受託収賄、あっせん収賄、政治資金規正法違反 11日初公判
宮野 明(54) 公設秘書 偽計業務妨害、政治資金規正法違反 公判中
外務省
佐藤 優(42) 元主任分析官 背任、偽計業務妨害 公判中
前島 陽(38) 元課長補佐(懲戒免職) " "
企業
飯野 政秀(44) 三井物産社員 偽計業務妨害 公判中
島崎 雄介(39) " " "
渡辺 寿一(57) 前渡辺建設工業社長 " 一審・懲役1年、執行猶予3年
犬飼 勝(60) 前犬飼工務店社長 " "
菊池 透(54) 日揮社員 " "
軽部 照夫(54) " " "
石井 良次(54) 元日本工営社員 " 15日判決(求刑懲役1年)
[鈴木議員の捜査終結](出典、日本経済新聞2002年9月14日朝刊)

 林野庁と北海道開発局を舞台にした二つの汚職事件では、鈴木被告は地元業者の依頼を受け、役所に口利きし、それぞれの業者からわいろを受け取ったとされる。
 「ちょっと来てくれ」。関係者によると、鈴木被告は地元業者の陳情を受けると電話で官僚を呼びつけた。依頼を渋る官僚に「どうしてできないんだ」と大声を上げた。ゆがんだ政治力を使うたびに、業者からの献金は増えていった。
 官僚や企業が議員の虎の威を借り、不正行為を働いた実態も明るみに。三井物産による入札妨害事件では、同社の担当者がライバル社側に対し「鈴木先生が怒っている」と圧力をかけ、落札断念を迫ったという。
 元外務省主任分析官、佐藤優被告(42)は鈴木被告に忠誠を誓うことで省内で隠然たる影響力を持つようになり、国際機関「支援委員会」の資金を不正支出させた。周囲は背後に「鈴木案件」を感じ取り、上司ですら口を挟めなかったという。
 こうした政官業の癒着の根底は「有権者が政治家に頼んで特別扱いを求める政治的風土が改まらないため」(政治家秘書)との指摘も多い。
 鈴木被告の集金手法は「広く薄く」が特徴のうえ。「休眠団体などを駆使した複雑なカネの流れは予想以上だった」と検察幹部は振り返る。外務省が内部調査で「異常な関係」と認めた同省と鈴木被告との癒着など、職務権限や時効などの壁に阻まれ立件に至らなかった点もある。

[支援委廃止/談合体質あらわ]  一連の事件は商社間談合など構造的な腐敗を次々とさらけ出した。事件の舞台となった組織の傷は依然癒えず、問題の根深さをうかがわせる。
 ■外務省 支援委員会の年度末までの廃止が決まった。ただ、議員に近い職員らが支援委を私物化していた実態解明は進まず、百数十億円の繰越金の扱いも未定だ。
 外務省は目玉だった「事務次官の大使転出禁止」などが盛り込まれなかったことから批判が相次ぎ、急きょ見直す事態に。鈴木被告への機密公電の漏えい疑惑解明も棚ざらしのままだ。
 ■三井物産 「説明責任が不十分だった」。30日付で新社長に就任する槍田松瑩専務はこう話す。モンゴル政府高官への政府開発援助(ODA)を巡る贈賄疑惑については不正な利益供与が小額だったことなどから立件見送りに。とはいえ、社内調査の結果を明らかにしていない。
 モンゴルの入札には国後島工事にかかわったコンサルタント会社、談合協力金を受領したライバル商社など同じ顔ぶれが並び、同様の構図で受注したことを伺わせる。
 ある商社関係者は「相手国の担当者や競合他社へのリベートは、はじめからODA経費として見込んでいる」と言い切り、談合の常態化を示唆する。



[裏献金要求執ように・・・坂井議員初公判]

 衆院議員、坂井隆憲被告(55)は26日の東京地裁での初公判で、裏献金の受領や秘書給与を詐取したとする検察側の主張に真っ向から反論した。一方、検察側は冒頭陳述で、同容疑者が現金や高級車を自ら要求したり、裏献金を減額した企業をどう喝したりするなど、国会議員の威光を背景に、露骨で執ような資金集めをしていた実態を明らかにした。
 ◇「随分減っているじゃないか」
 後援企業の人材サービス会社「日本マンパワー」側は1997年、毎月百万円の資金提供を始めたが、2001年に入ると、業績の低迷などから坂井被告に対する裏献金の額を減少させた。坂井被告は同年9月、当時の同社会長らを呼び出し「このごろは随分減っているじゃないか。ちゃんとしてくれないと困る」「あなたの所の仕事をできなくすることもできるんだ」とこれまで通りの裏献金を執ように要求した。
 定期的な裏献金以外にも、坂井被告は盆暮れに百万円を計5回、2000年6月の衆院選と総理府政務次官のポストに就いた際にも、それぞれ2百万円ずつを受領するなど、ことあるごとに資金提供も受けていた。
 ◇「公用車だけでは不便だ」
 坂井被告による要求は現金だけにとどまらなかった。99年6月には会長に対し「車が欲しい。公用車だけではいろいろ不便だ」と高級車の提供をねだった。企業が了承すると、政策秘書の塩野谷晶被告(38)と相談した上で、車種はセルシオ、色を若草色と指定、同社は注文通りの乗用車を7百万円で購入、境被告に提供していた。
 ◇「損はさせないから、ひとつよろしく」
 坂井被告らが詐欺罪に問われた時期以前の95年から知人に名義を借りて政策秘書として登録、国からの秘書給与を事務所が受け取っていたことも明らかにした。
 前任者が秘書を辞めることになったことに伴い96年6月、坂井被告は公認会計士の男性に対し「損はさせないから、ひとつよろしくお願いしますよ。うまくやってください」などと名義借りを持ちかけた。
 98年12月に中島洋次郎・元衆院議員=死亡により公訴棄却=の政策秘書給与詐欺事件が発覚し、名義人の公認会計士が中止を懇願。しかし、坂井被告は「今辞められると、逆にいろいろ取りざたされてかえって困るんだ」と名義借りの継続を言い含めたという。(出典、日本経済新聞2003年6月26日夕刊)。

[坂井議員起訴・・・東京地検「実質わいろ要求」]

 ▼献金毎月百万円
 「今月のあれ、まだもらってないけど」。坂井被告による人材サービス会社「日本マンパワー」(東京)側への献金要求は執ようを極めた。同社は1997年から毎月百万円の裏献金を始めたが、同被告は支払いが滞るたびに同社幹部に対する催促を続けた。
 約3年後、同社側が資金提供の中止を申し入れた際には金額や支払い名目の詳細を明記した文書を作成、献金の継続を強く求めたという。
 ▼官庁へ口利き
 坂井被告は資金を引き出すに当たり経歴をフルに活用した。大蔵官僚出身の同被告は96年、同社幹部の経営する別の人材派遣会社のメーンバンク変更を仲介した謝礼として1千万円を受領。新たな取引行の同社株引取り額にも「安すぎる」と注文を付け、さらに2千万円を手中に。
 人材派遣業界が派遣社員の社会保険料の未払いを会計検査院に指摘された97年には、同被告の元公設第二秘書が所管官庁の社会保険庁や検査院を訪問。当時は坂井被告が労働省の政策全般に影響力を持つ同省政務次官の役職を離れて間もないころで、同被告は1千万円の謝礼を受け取った。
 ▼「形式犯」の見方否定
 なりふり構わぬ資金集めの結果、坂井被告が手にした巨額の裏献金について、検察関係者は「自身の威光を前面に出し、繰り返し要求した実質的なわいろだった」と指摘。単に献金の報告を怠ったという「形式犯」との見方を否定し、犯行の悪質性を強調する。
 政治家の清廉さを判断する上で唯一の手段といえる政治資金収支報告書を偽り、国民の目を欺いた今回の事件。否認を続ける同被告に対し、検察幹部は「虚偽の記載作業を秘書に指示し、裏献金の管理に自らが関与していたことも明白」と立証に自信を見せている。(上の2003年6月26日の記事によると、坂井、塩野谷両被告の起訴事実に、「形式犯」を超えるわいろ性が反映されていない。恐喝もあったと思われるこの事件が、政治資金規正法違反と政策秘書給与の国からの詐取だけで済まされるのは納得がいかない。)(出典、日本経済新聞2003年3月29日朝刊)

[取引行変更仲介・・・坂井議員、2000万円手中に]

 関係者の話によると、この人材派遣会社は献金元の一つだった人材サービス会社「日本マンパワー」(東京)の会長(71)が経営。同社は1996年、メーンバンクに経営破たんの懸念が高まったことから、取引銀行を別の都市銀行に変更することを計画し、口利き役として坂井容疑者が関与した。
 変更に伴って、旧メーン行が保有していた同社株18万株を新たな取引銀行になる都銀が買い取ることになったが、都銀側が当初提示した買取額は約2億25百万円だった。
 当事者である二行と会長は適正な価格だとしてこの金額を了承。それにもかかわらず坂井容疑者は独断で、都銀幹部に再三にわたって買い取り額を上積みするよう要求したという。
 都銀側は一時難色を示したが、最終的には坂井容疑者の求めに応じて買い取り額を27百万円増額。株は会長が旧メーン行から2億25百万円で買い取った後、都銀が上乗せした額を会長に支払い、引き取った。売買成立後の97年に差額分のうち2千万円が会長側から坂井容疑者に渡ったという。
 坂井容疑者は96年にも、メーン行変更を仲介した謝礼として会長側から1千万円の報酬を得ており、一連の手続きへの関与で計3千万円を得たことになる。特捜部は同容疑者が自分の取り分を増やす狙いで高値での買い取りを無理強いしたとみて追及するもようだ。(出典、日本経済新聞2003年3月9日朝刊)
 この(取引行変更仲介の)際、同被告が「大物議員が『派閥内の坂井という若手を紹介するから、面倒を見てやってくれ』と言っている」と伝えたため、会長は坂井容疑者への毎月百万円の裏献金を始めたとされる。
(出典、日本経済新聞2003年3月8日朝刊)。
 坂井議員と同社会長は、脱税容疑で逮捕された忠村吉朗被告(70)の仲介で1996年ごろ知り合ったが、昨年1月忠村被告と取引のあったコンサルタント会社「業際都市開発研究所」幹部、尾崎光郎被告(57)=贈賄罪などで公判中=が、地方自治体発注工事を巡る口利き事件で東京地検特捜部に逮捕された。
 この事件の捜査の中で同2月、同研究所の関連先として日本マンパワーの名前が浮上。坂井議員が口裏合わせを指示したのは、浮上した約1週間後だったとされる。(出典、日本経済新聞2003年3月7日朝刊)
 坂井議員と資金の提供元との接点となった経営コンサルタント、忠村吉朗被告(70)と政界とのつながりは約30年前にさかのぼる。同被告は国会内情報誌の記者当時、同窓生の自民党衆院議員(故人)を通じ、旧福田派(現・森派)を中心に国会関係者との親交を深めていった。
 その後、人材派遣業の業界紙を創刊したほか、都内の大手人材派遣会社の経営に関与。1999年に同社から受領した約2億円の収入を税務申告せず、今年1月、所得税法違反(脱税)罪で起訴された。
 特捜部は脱税事件の捜査を進める過程で、同社などから坂井議員側への不明朗な金の流れを把握。2月上旬以降、坂井議員を後援していた同被告の顧問先の企業を家宅捜索したほか、周辺関係者からも事情を聴き、裏献金の実態をつかんだ。(出典、日本経済新聞2003年3月5日朝刊)
(坂井議員のタカリが度を過ぎていたので、マンパワーがねを上げてすべて暴露してしまい、起訴に至ったのではないだろうか。そこまで後援者からも嫌われていたのではないかと思わせる節がある。こういう議員は国民を、そして、日本を、環境問題をどう考えているのだろう。とても、そこまで頭がまわらないほど多忙のようである。このような議員は自分の給与も国民から騙し取っていることになるのではないだろうか。これも起訴事実に加えたらどうだろう。)



[『疑惑』説明せず・・・大島農相辞任]

 突然辞任した大島理森・前農相(小泉内閣)は31日午後、農水省内で会見したが、就任後半年にわたって疑惑の渦中にいたにしては、会見時間は約10分とあっさりしたものだった。肝心の辞任の理由については「国会運営に迷惑をかけたから」などと繰り返すばかり。数々の疑惑には「全く知らないこともあった」などと説明を避け続け、与野党を問わず永田町からは「疑惑の解明はこれから」との声が漏れた(出典、日本経済新聞2003年4月1日朝刊)。
元秘書の妻自殺・・・辞任した大島前農相の元政策秘書官の妻(51)が東京都世田谷区の自宅で自殺していたことが31日、分かった。遺書は見つかっていない。・・・(中略)・・・警視庁世田谷署の調べによると、29日午前11時半ごろ、自宅2階で妻が首をつっているのを家族が発見、119番通報し、病院に運んだが約1時間後に死亡した。(出典、日本経済新聞2003年4月1日朝刊)。

秘書官の口利き・想定問答・・・疑惑次々と浮上・・・疑惑の発端は昨年10月。「週刊文春」が「大島農相の政策秘書官が青森県八戸市の市民病院建設などに絡んで建設業者から口利き料として約6千万円をもらい、自宅の建設費に充てた疑いがある」との記事を掲載した。大島農相は秘書官を更迭したが「(秘書官は)挨拶程度の紹介はしたが、見返りに金をもらったことはないと報告を受けた」と疑惑を否定する説明を繰り返した。今年2月には、週刊文春の学校法人をめぐる別の口利き疑惑報道に、大島農相は謝罪広告の掲載などを求める訴えを東京地裁に起こした。しかし、直後にも別の秘書官が2000年6月、八戸市内の大手スーパーが入るビルオーナーから受け取った献金6百万円を着服していたことが判明(筆者注・・秘書官による受領については大島農相自身が2003年2月20日の衆院予算委員会で認めた)。元秘書は既に解任され献金は返却されていたが、スーパー撤退を防ぐ働きかけの見返りだったとの疑惑が浮上し、農相は否定している。野党側は「政治資金収支報告書に記載がない。政治資金規正法違反では」と追求。農相は「秘書自身が預り流用していた」との答弁を繰り返した。さらにこの献金着服疑惑に絡み。衆院法制局が農相の国会答弁用の想定問答を作成した疑いも浮上。法制局に相談したことを認めたが「議員個人としての相談だった」と主張した(出典、日本経済新聞2003年3月31日朝刊)。(その後2003年7月21日まで、大島元農相が逮捕されたり検察官の取調べを受けたというニュースにはお目にかかっていない。)


Initially posted August 15, 2003.