[収奪型農林水産業から持続型農林水産業へ]

1.[農業]

[収奪型農業] 農業や森林開発など人間が原因の荒廃地は地球上で20億ヘクタールに上り、これは地球上の土地の15%にあたるという。NHKスペシャル「地球 豊かさの限界 第2集 大地はどこまで人を養えるか」は次のような例を提供している。
[例1]1998年、アメリカ中西部では大規模灌漑システムであるセンターピボットによるとうもろこしの大規模栽培が限界に達し、その年の水不足とあいまって収量が激減した。毎分1万リットルの水を地下からくみ上げ散水するセンターピボットが古代に蓄積されたオガララ帯水層の水位を既に12メートル以上低下させ水資源の枯渇を引き起こしている。地層の構造により、オガララ帯水層には再び水が供給され蓄積されることはないという。
[例2]1934年4月14日、やはりアメリカ中西部を最大のダストボールが襲った。第一次世界大戦開始による穀物相場の高騰が、もともと耕作に適さない多くの土地まで耕作を拡げ、小麦の単作を大規模に行うよう農業を駆り立てた。単作は土壌の有機物を減少させて土質を変え、また、収穫後のむき出しの土を風にとばされやすくする。このため大量の表土を含む砂嵐であるダストボールが土壌の肥沃さを奪っていった。風食である。ビジネスとしての農業・農業をマーケットとする農業ビジネスのありかたも反省すべき問題を含んでいた。
[例3]旧ソ連の穀倉地帯と呼ばれたカザフスタン。ここでは耕地が最盛期の3分の2に減少した。マブロダール州では収量が最盛期の10分の1にまで減少した。冷戦下、1954年からフルシチョフ時代の処女地開拓計画によって、大型トラクター、若い農民が大動員され、わずか数年で日本の全面積に匹敵する耕地が開拓された。地下核爆発を灌漑用人工湖の建設に利用することさえ行われた。そして大規模な小麦の単作が行われた。豊作は続かず、1960年代になると風食が始まり、かつてのアメリカのような黒い砂嵐が襲った。「養分のかけらもない土だ。風食のせいだよ。いくら肥料をやってもすべて風が運び去ってしまう。いい土地だったのに。」かくて、耕地の3分の1が失われた。
[例4]インドのパンジャブ州。1961年、緑の革命をもたらした高収量品種の小麦の栽培が本格的に開始した。高収量品種、トラクターなどの農業機械、農薬、化学肥料、大規模灌漑が投入された。化学肥料の投入は10年で6倍に上った。大地がこんなに富をもたらすとは思ってもみなかったというほどの高収量を見て、他のアジアの国々、パキスタン・インドネシア・フィリピン等が高収量品種の導入に追随し、やがて食料自給が達成されたかに見えた。しかし、1980年代に入り、異変が現われてきた。Water Loggingという現象によって、田畑が水浸しになったり、塩類集積によって、農業ができなくなる土地が拡がった。「我々はまるで空気銃を与えられ、ばんばんと打ちまくる子供でした。高収量品種と化学肥料を無計画にばらまいたのです。水の管理をどのようにするのかも知らされていませんでした。ただ、水や化学肥料が多いほど収量が上がると思っていました。そしてある日突然飽和状態に達したのでした。」塩類集積によって5分の1の土地を失った者の述懐である。
[例5]過ちは繰り返される。ダストボールを経験したアメリカでさえ、1970年代、農産物の輸出拡大策のもと、再び大規模な耕地拡大が行われ、中西部では15%も耕地が広げられた。そして、ガリ・エロージョンと呼ばれる大人の腰まで沈めるほどの表土侵蝕をはじめとする土壌の喪失がおこった。1973年だけで6000万トンの土壌が失われ、56億ドルの損失をもたらしたという。調査の末、土壌の保護を義務づけた1985年農業法が制定された。補助金が交付され、耕作地の10%が休耕地とされた。毎年9000万人の人口が増えている地球。食料増産のプレシャは高まる一方である。近代農業技術の限界もみえてきた。他方、更なる農業のビジネス化、バイオ・テクノロジーの力で乾燥や塩に強い穀物を作って対応しようする動きがある。インドで第2の緑の革命をねらう企業もある。しかし、土と水にどのような影響が及ぶことになるのかは、まだ、誰も知らない。

[持続型農業] 化学肥料から有機肥料への転換、殺虫剤や除草剤などの農薬使用から生態系の連鎖を利用した自然的駆除などは持続型農業の重要な要素であろう。しかし、既に述べたように我国の農業の持続可能性は、収奪型の農業形態によってよりは、農業従事者の減少と高齢化によって危機に瀕しているように思われる。その土地の特性や気候風土に適合した農業技術の蓄積も同時に失われつつあると考えなければならない。

 近代社会は法人化によって「労力の補充」の問題を解決しようとし、この面での商法、労働法等の法制を整備してきた。筆者は必ずしも大規模農業経営の信奉者でないことを予め断っておきたいが、農林水産業においても世襲制を超えて、土地の現物出資により法人化の方向を進め、他産業からの人材に門戸を解放し、積極的な担い手に株式を部分的に譲渡していくことを考えるべきではないかと思う。法人は永遠であって、株式を一部手放しても、土地も農業も残る。

 1999年2月22日と3月9日の日経朝刊に掲載された「あなたの仕事として農業を考えてみませんか」という広告は目を引いた。以下にこの「企業人から、農業人へ。」と題した社団法人全国農村青少年教育振興会(Tel:03(3291)5727)の広告文を引用する。

『「農業に魅力を感じている人」、「転職して、農業をはじめたいが、どうすればよいかわからない人」、実はたくさんいるのではないでしょうか。そこで今回、「農業を仕事にするための相談窓口」を開設しました。農業技術を身につけるには?資金はどのように調達すれば?など就農に関する様々な疑問にお答えし、情報を提供していきます。セカンドキャリアとして就農を希望する社員への企業研修の支援や、研修等の受け入れを行う市町村・農業法人・研修教育施設とのマッチング支援など、企業からの就農希望者に対し農業技術や資金などの適切なコンサルテーションを行い、企業人から農業人へ、と円滑に導く橋渡しをしていきます。』

このような作業も欠くことができないだろう。同時に、農林水産業の提供する環境サービスを見直すなかに、一方で失業率が5%を越え、他方で農林水産業の担い手が足らないというミスマッチを解消する方向も見えてくるのではないだろうか。
Initially posted February 21, 1999.