[農林水産業の特殊性と補助金]

[環境能動性] 農林水産業における生産は自然に対して直接働きかけることによって行う。このため、その生産方法のありかたが自然環境の保全にも破壊にもつながるという両面的性格を持っている。例えば、ある農法が温暖化ガスの固定、生物的多様性の保持・促進、景観の保全、洪水・地滑りの防止などの環境保全をもたらし、逆に、他の農法が肥料や農薬・除草剤などの化学物質による地上水・地下水・大気の汚染、そこに生息する動植物や生物的多様性の逸失、土壌の塩分集積や劣化などの環境悪化をもたらしたりする。
 ある場所での農業、林業、水産業が、その場所の内外の環境へ悪影響を与えずに、長期にわたり同種・同量の産物をもたらし続けるとすれば、このような農業、林業、水産業を持続型農業、林業、水産業と呼ぶことができるだろう。持続型農林水産業は、単に一度利用された資源の再利用にとどまらず、資源を産み出す基盤である自然の再生力自体を同時に保全することになる。したがって、我々の社会は持続型農林水産業からよき収穫とよき自然環境という二つの効用を同時に得ることになる。

[環境受動性] 環境悪化は農林水産業の持続可能性に悪影響を及ぼす。大気中に放出される硫黄酸化物や窒素酸化物は酸性雨となって土壌を劣化させ、森林の枯死を招くばかりでなく、溶解によって海水や湖沼を汚染する。90年のUNEPの報告(Regional Seas Reports and Studies No.115)によれば、海洋汚染の44%が陸地からの流入によるのに対し、大気を通ずる汚染も33%にのぼり、船舶からのバラストや廃水や事故による汚染12%、海洋投棄による海洋汚染は10%と推定されている。工業廃水や生活廃水が農業用水、河川、湖沼及び海水を汚濁し、農産物やプランクトンや魚介類の生育環境を変えて生産量を減少させたり、生産物への重金属やPCBの蓄積を引き起こしたりする。成層圏のオゾン層の破壊による紫外線の地表到達量の増加が大豆のように紫外線に敏感な作物やプランクトンの生育にも影響を与える。スプロール的都市化が通風条件を変えて野菜の病虫害を誘発したり、干拓や水際の開発が藻場や湿地や干潟等の水生生物のゆりかごを根底から破壊したりする。夏季の高温化は生育期における水分の蒸発量を増加させ干ばつ発生の頻度を高める。極端な高温は主要食料作物の受粉を妨げるから収量の激減をもたらす可能性をはらんでいる。また、農業での窒素肥料や農薬の使用が下流の水系を汚染し、漁業に富栄養化や有害物質による被害を与える原因ともなる。このように、人間の生活や他産業からの環境汚染によって、農林水産業は大きな影響を受ける立場にある。

[相対的衰退化現象] 農林水産業には第2次及び第3次産業と対比したとき、相対的衰退化現象と呼びうる傾向が顕著である。第一に生産面において、第二に生産技術面において、第三に、担い手面において。
 工業であれば、一定期間内により多く生産するため、残業や休日出勤をしたり、1交替を2交替に、さらに3交替にして対処する方法がある。より長期に高水準の生産を続ける見込みがあれば、生産ラインを増設することもできる。さらに技術進歩の成果をとりいれてより効率的な生産方式に移行することも可能である。他方、農林水産業では動植物の自己再生力を超えた生産は不可能である。人間が3交替で働いても、稲は早く実ってはくれない。農耕地や漁業資源や林地は全体として限りがある。また、農林水産技術は、その対象が産物自体であるか又は産物の生育支援や生育妨害要因の除去緩和技術であるかによって大きく二とおりに分かれるとしても、いずれも動植物の自己再生力によって限界づけられている。バイオテクノロジーによる技術進歩に期待が寄せられているが、これも現存する種の多様性に依存しており、その新種の生産性確認のための期間短縮も一般に限界がある。工業製品についての技術開発のスピードと比較して農林水産業が後塵を拝することは避けがたい。
 この農工間の生産性上昇格差は直ちに収入面の格差としてはねかえり、収入面の格差は担い手を産業内に留めまたは吸引する力を弱める。殊に、我国の農林水産業は世襲制が主流であって、一般の法人企業のように就職や退職といった人材の出入りが自由でない。まず親が子に農林水産業を継がせようとしない場合が多く、そのための教育にも力が入らない。親が農作業で忙しいときに子供は受験勉強をやっている。そして子供は大学へいって大企業や官庁に就職することをめざすといった例は珍しくない。逆に、サラリーマン家庭に生まれた者が農林水産業に従事するためには婿や嫁となってイエに入るしかない。つまり、職業を選択するときに、同時に一生を左右するような決断をしなければならないのである。これでは一旦その世界に入ったら後戻りができない。そんな二つの大きな選択を若くしてできる者はむしろ例外だろう。その結果が下の表に現れていると言えるのではないだろうか。
農家人口 (単位:千人) 就業人口(単位:千人) 左のうち65才以上人口
1975 23,197 7,907 1,660(21%)
1980 21,366 6,973 1,712(25%)
1985 19,839 6,363 1,855(29%)
1990 17,296 4,819 1,597(33%)
1995 12,037 4,140 1,799(43%)
1997 11,549 3,931 1,873(48%)

 農林水産業経済局統計情報部構造統計課「農林業センサス 農家調査報告書」「農業構造動態調査報告書」によると、右の表のように我国の農業人口の減少と高齢化は著しい。この20年余の間に農家人口、農業就業人口は半減し、農業就業人口に占める65才以上人口の割合は2.3倍の48%に達している。農業は既に衰退過程から、崩壊の危機にさしかかっていると言ったほうがよい。

 我国の農業問題は何よりも担い手の問題であるように思える。担い手難は収入格差と職業選択の不自由が招いたものと考えられる。農林水産業がこれらの傾向を自力で逆転することを期待するのは現実的でない。手を拱いてみていればこれらの傾向はさらに進展してしまうだろう。

[貿易と環境] ウルグアイ・ラウンドは、貿易拡大は常に善との前提の下、各国の産業を世界貿易の新たな枠組みの中に取込んできた。我国農業はその重要なターゲットのひとつとされた。OECDやWTOは貿易の自由化が世界の資源配分の適正化を促すという基本的考え方をとり、ガット事務局はウルグアイ・ラウンド合意による経済効果が2005年時点で世界全体の国民所得を5100億ドル(90年価格)、貿易を3400億ドル以上押し上げると試算しているが、そこにはかつて「成長の限界」という考え方がなかった頃のような「貿易の限界」の認識の不在がある。今、「世界貿易システムは公共財。日本はこれまでその最大の受益者でした。日本にはこの世界貿易システムを維持発展させる責任があります。」という主張に我国は肯くしかない。実際、それまで只だとばかり思って乗っていた貿易システムから、農産物のミニマムアクセスや関税引下げという乗車賃を我国は請求され、94年10月、政府・与党はウルグアイ・ラウンド合意に伴う農業対策費として、総額6兆100億円の請求書を今度は国民に対して付け回すことに決定した。農業は世界貿易の脈絡の中で極めてセンシティブな状況におかれていることが分かる。

 輸出には意図せざるマイナスの輸出が伴っていることを見逃すことができない。我国が「経済力にまかせて食料輸入を拡大し、国内生産を縮小させていくことについては、『食料輸入発展途上国の食料調達を困難にするもの』、『農産物の輸出は「土壌」と「水」の輸出であり、輸出国自身の環境破壊を助長するもの』などの国際的批判を惹起するおそれがある。」(農林水産省92年6月「新しい食料・農業・農村政策の方向」、いわゆる「新農政」)とする主張もあらわれてきた。それぞれの国がモノカルチャから脱し、ある程度の食料自給力を保持するなかで環境保全がはかられ、長い間農林水産業を土壌として育まれてきたその社会固有の文化も守られるという考え方もある。工業品の輸出でさえ失業の輸出というマイナス面を伴っていることは日米自動車摩擦の例をみればよく分かる。また、国民経済の格差が大きい場合には食料の輸入が飢餓の輸出になることもあり、その飢餓を受け止めるのはその食料の輸出国・輸入国に住む低所得者と相場は決まっている。我国政府が93年9月「冷害総合対策」に基づくコメの緊急輸入(契約輸入総量254万5000d)を決定するや否や、バンコクやシカゴのコメ相場が急騰し、コメ輸入国である食料不足の途上国のみならずコメ輸出国であるタイなど途上国の人々の台所を直撃したことは記憶に新しい。前述のガット事務局の試算に上に掲げた意図せざる輸出のマイナス面は含まれているのだろうか。

 「貿易と環境」が次期ラウンドの重要テーマとされることは環境保全の観点からは前進であるが、新らしい貿易秩序が様々の利害対立を超克して成熟していくにはいくつかの条件が必要である。そのうち最も重要な条件は貿易紛争処理機関の構成員に環境保全の立場を代弁できる者が含められることと、その審議プロセスの公開ではないだろうか。ガット・パネルの報告書は一般に公開されていなかった。我国が通商政策、農業政策及び環境政策を整合的に組み立て実行することを基盤として、我国が国際社会に向かって「適度な貿易」を提唱するリーダーシップを発揮することも切望される。

[農林水産業と補助金] ここ数年、農業の保護政策は我国のみならずEUや米国でも大きな改革を経験してきており、デカップリング手法(貿易中立的な農業保護策)が多用されはじめた。価格支持政策、輸出補助金などの貿易歪曲的な国内農業保護を削減し一層の市場指向を目指したものに転換しながら、環境保全・農村社会維持を図ろうとする動きである。この手法はウルグアイ・ラウンドの合意過程でも支持されてきている。
 この底流には、一方では上の「環境能動性」で述べたような農業の提供する環境便益=環境サービスの価値が見直されていることがあり、他方では農業の提供する環境サービスの公共財としての性格の認識があるだろう。一般に公共財はその対価の徴収や只乗りの排除が困難であるため、その便益を受ける個人は対価を支払わない。持続型農業の提供するアメニティ(美しい景観)、渡り鳥・留鳥・動物・昆虫・川魚などの棲息地としての機能だけをとっても、これらを好ましく思いながらもその地や水域を守る農家にお金を払う人はいない。農業が提供する環境サービスに対して個人が対価を支払うメカニズムがないため、社会が望むより低い水準の環境サービスが提供されることになる。このように個人の受ける便益が社会の受ける便益と異なるため、市場が需要と供給を最適水準に導かない状況は経済学で市場の失敗と呼ばれる。持続型農業による環境サービスの供給は市場の失敗と農業自体の相対的衰退化現象とあいまって次第に先細りになりつつある。市場経済にまかせながらこの潮流を逆転させることは不可能なのである。

 持続型農林水産業の提供する環境サービスに対して個々人が料金を支払うことがなく、しかし他方で、より多くの又は現状を下回らない環境サービスの提供を社会が望むならば、社会全体が環境サービスの提供者に対して料金を支払う必要がある。持続型農林水産業に対する補助金はこのような社会的な料金としての性格をもつ。その前提として、持続型農林水産業の判定基準とその環境サービスの評価方法を確立し、また、このような補助政策と整合的な農林水産業政策を組み立てていく必要があるだろう(農林業の外部経済効果、及びその評価手法についてはこの章の最終節に掲げた参考文献4を参照されたい)。

 ここで国民の負担がどうなっているかを垣間見ておきたい。国の歳出を見ると、1996年度主要経費別歳出額によれば、農業農村整備事業費として1兆6千億円が使われた。同年の目的別歳出額によると産業経済費としての農林水産業費は1兆3千億円である(これらの重複の度合いは調査不足で不明)。また、地方財政における1995年度の農林水産業費は都道府県が5兆3千億円、市町村が2兆7千億円の支出となっている。この他、食量管理特別会計(1996年度での歳入・歳出は3.2兆円)、米の関税やミニマムアクセス(最低輸入義務)(99年度で玄米ベース72.4万トン)のコスト、ざっと見渡しただけでも国民の負担は巨額である。これ以外にも農林水産業費はあるだろう。消費税収に匹敵する金額が農林水産業に注ぎ込まれているように見える。農林水産業のためという名目で土木工事を繰返すことが実際に農林水産業のためになっているのかどうか疑わしい。これらの支出をゼロベースで見直して大幅にカットし、他方、持続型農林水産業が生み出す環境サービスに対して正当な対価を支払うかたちに移行する必要がある。

 このホームページでは補助金に対して否定的な立場をとってきた。農林水産業に対する補助金はこの立場を否定するものではないかという疑問が湧く。この点については、次のように否と考える。補助金はPPPの原則に反するのが通常の姿である。ある環境汚染物質を排出するものがその排出抑制装置を設置する場合、その一部を公共支出が負担するあるいは租税を減免するといったことが行なわれる。これはある経済主体が環境を汚染するというマイナスの行為主体であるときに、そのマイナスの行為を緩和するためのコストを公共が負担することを指す。しかし、上で述べた農林水産業の補助金は、これらの産業がプラスの環境サービスを提供する限りにおいて支給される。これは、環境汚染コストの公共負担ではなく、農林水産業の提供する環境サービスという正(ポジティブ)の効用に対する正当な支払である。このために個々の農林水産業が持続型であるかどうかの判定が重要となるのである。持続型でなければ補助金の供与は行なわれるべきでない。

 持続型農林水産業が生み出す環境サービスに対する正当な対価をどのように算定するか、これはそれ自体大きな課題である。このHPでは残念ながらこの問題に踏み込むことができない。ここでは、ただ、1987年に導入され、既にUKの面積の15%をカバーするという英国のESA(Environmentally Sensitive Area)スキーム(この章の最終節に掲げた参考文献12の141-142頁参照。)による契約面積に基づく支給、及び、CVM(Contingent Valuation Method)に基づくこのESAスキームの評価金額との対比は手法として注目に値することを述べるにとどめたい(CVMについてはこの章の最終節に掲げた参考文献12の109-111頁が簡単に触れている。詳しくは参考文献4及び5が参考になる。特に参考文献5は統計処理ソフトの紹介まであり、CVMの丁寧な実践的解説書である)。この分野の研究は我国でも近年急速な発展を遂げはじめた。この課題に真剣に取り組む人々の輩出を期待したい。


Initially posted February 21, 1999.
Updated February 12, 2000.