経済的手段の具体的なかたちは様々だが、その代表は環境税である。その導入が資源配分効率を高めることは早くから知られていたが、租税の中立性の要請から租税を政策目的実現の手段とすることには根強い逡いがあった。しかし、環境消費(汚染)のコストをその外部に残したままの市場経済における租税の中立性を議論することの不毛が気付かれるにつれこの逡いは霧消に向かい、環境税は晴れて経済的手段の代表としての地歩を獲得してきている。
「所得税や法人税など経済活動のプラスの成果に対する課税をゼロにし、代わりに環境破壊に結び付く汚染物質や廃棄物などのマイナスの部分に対する課税を強化させることで、税収バランスを考えるよう発想を転換させるべきだ」(米国のジョナサン・ラッシュ世界資源研究所長)、「グッズ(Goods)への課税からバッズ(Bads)への課税に移す」(世界資源研究所のロバート・レペット氏)「自然資本に対する付加価値(労働と資本はもはや制約因子ではない)から価値が付加されるもの(自然資本より生ずる天然資源のフロー)への税基盤シフト」が必要(Herman E. Daly ゼロ・エミッション149頁ダイヤモンド社)という声も大きくなりつつある。
環境汚染による損失に値段がつけられていなくて、汚染者が汚染から発生する損失を考慮しないで生産や消費などの経済活動を行っているとき、外部負経済としての環境汚染があるといわれる。このとき、経済活動を行う者がある水準より余分に生産や消費を行い追加して支払う費用(私的限界費用)は、この生産や消費の増加に伴って追加的に発生する環境汚染損失(環境汚染の限界外部費用)を含んでいない。私的限界費用と環境汚染の限界費用の和を社会的限界費用と呼ぶとすれば、私的限界費用と社会的限界費用が乖離していることになる。このとき、この乖離分をちょうど埋め合わせる税率で課税すれば、経済主体が環境汚染による限界外部費用を考慮して生産や消費の水準を決めるようになる。つまり、市場の外部にあった環境汚染による損失が市場の内部に取り込まれることになる(外部負経済の内部化)。このような税はピグー税と呼ばれる。ピグー税は以下の二つの経済的効率性を満たす。
私的限界費用曲線や社会的限界費用曲線が求めることができそうでできない得難い情報であれば、次善の策として、環境汚染を社会が許容できる目標水準を定めたうえで、次の手続を踏むことが考えられる。
このHPで提唱する環境消費税の税率は限界費用曲線を求めて決めるものではないから、環境消費税はピグー税ではない。また、環境汚染の目標水準を決めて環境消費税率を試行錯誤的に定めようとするものではないから、ボーモル=オーツ税とも異なる。それでは、環境消費税は何に根拠をおく環境税なのだろうか?これについては本章の「環境消費税の根拠」をご覧頂きたい。