トシをとってみたものの。

ハタチの頃のわたしは、25才以上の人たちのことを全部一緒くたに「おじさんおばさん」という別世界に住む人種だと思っていた。(ずいぶん強引だけど、正直いってそんな感じだった)そして、オバサンになった自分の姿など、想像もできなかった。

世の中のオジサンオバサンを見ても、ちっとも楽しそうに見えなかったし、何かにつけて「近頃の若いもんは」と威張りたがる割には、ぜんぜん立派なことをしているようにも見えない‥‥だから当時のわたしは「トシをとるのはイヤだから、27才になったら死ぬもんね!」などと半分本気で公言していた。

おばさんたちを遠目にみながら、面妖なお化粧や独特のファッションにビビり、カルチャー教室帰りに騒々しくランチする姿を見て眉をひそめ、和食器や庭など生活の細部にわたって「こだわり」を持ったり、女性の地位向上のために活動する立派な方々に腰が引け‥‥そんな若造だったわたしも、あれから20年余り経ち、しっかりおばさんと呼ばれるトシになった。

いざ自分がそのトシになってみると、ちょと拍子抜けした。おばさんファッションも、カルチャーも地域活動も、それらに打ち込みまっとうするには、それなりの時間と財力と体力が必要であり、わたしにはしょせん縁のない世界にすぎないことがわかった。

「なーーんだ。体が老けただけのことじゃないか!!」

あいわらず、貧乏。徹夜はもう無理だし、すぐに疲れる。ジーンズをはくと「おしゃれ」というよりどことなく「ビンボーくさい」、全身にみすぼらしさが漂う。肩凝りや四十肩で鍼灸や湿布が手放せない‥‥わたしはそんな、オバサンになった。ははは。

それにしても、あんなに忌み嫌っていた「オバサン」になったというのに、この楽しさは何なんだろう?若かったころよりよっぽど気分がラクだったりする。なんかだまされたような気分だ。

若者が大人のことを歌うときは、どうもマイナスイメージのことが多い。彼らから見れば、大人というのは「夢をあきらめ」「流され」「疲れ」たりして「つまらない人生」を送っている人種らしい‥‥でもほんとにそうなのかなあ??と思う。若い頃イメージしていたような、つまらない毎日ではないし。むしろ、結婚して子供を持ったことで、将来への漠然とした不安感が減り、気持ちがラクになった。それに、若いころは何とも感じていなかった、ささいなことにもありがたみを感じることができるのがいい。

たとえば仕事ひとつとっても、昔はくだらないことで上司とモメたり、こっそりサボってみたり、給料に不満を抱いたりしていた。今はとにかく「きょうも仕事ができてありがたいなあ」という思いが強い。自分や家族が元気だからこそ仕事に行ける。逆にいえば、もしかしたら明日にはもうこの仕事ができなくなるかもしれない、ということ。だから毎日「きょうで最後かもしれないんだ!」と思いながらありがたく仕事ができるようになった。

また、「長い年月を経てはじめて得られる喜びというのもあるんだな〜」ということを実感できるようになったのも、実際にトシをとったおかげだ。フランスに行くという、中学生時代からの夢をかなえるまでに25年もかかったけど、それだけに実現できた時は、「夢をかなえることができた」という特別な喜びと、「これからもきっと何があってもがんばれる!」という自信を与えてくれた。

今、もしも神様に「二十歳に戻してやるから、もう一度人生やってみる?」と言われたら、丁重にお断りしたい。今の自分を失いたくない。これまでコツコツ積み重ねて手に入れてきたことすべてがリセットされるなんて、考えただけでぞっとする。もう一度若い頃からやりなおしてみたところで、今よりしあわせになれるような気はぜんぜんしないし。(これを「夢がない」と言われればそのとおりかもしれないけど)出会った人、経験したこと、今まで過ごした時間がわたしをつくってくれたと思うから、昔にかえりたいなんて思わない。いつもわたしは「いまが一番いい時!」だ。

「いつも前のめり」わたしのメールのサインだ。いつも前を見ていきたい。むやみに過過去をなつかしがったり、わかりもしない老後のことを想像してもんもんとしていても何も始まらない。とりあえず、次のフランス行きめざして先へ進もう。ぼんやりしているひまはない。やるべきことは山ほどある。まっしぐらにいこうと思う。


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