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<HEAD><TITLE>AUSTRALIA SYDNEY</TITLE></HEAD>

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<H1><FONT COLOR="#FF8800"> オーストラリア </FONT></H1>
（シドニー−ゴールドコースト）<BR>
1990/12/30 - 1991/01/15
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会社に入社した年の冬休みは、さっさと研修論文を上げて、オーストラリアに
行きました。帰って来たら席がないと脅されながら。。。

会社で知りあった友人の両親がノースシドニーに住んでいたので、そこに本人
共々転がり込むことになった。

着いた日は次の日は大晦日。スリーシスターズ近辺にトレッキングに連れてい
かれ、大晦日であることなど忘却の彼方に消え去った。その時見た景色はまさ
に「青い山」のブルーマウンテンだったのである。

正月も２日から会社の始まるオーストラリアでは、今思えば日本の食って寝る
だけのだれきった正月気分の微塵も感じさせられなかった。
そう、この年の正月はなかったことになる。

その後、数日はシドニーを徘徊し、オペラ座の見える公園で昼寝をしたり、毎
日が馬鹿になりきっていた。

そろそろ飽きようかいう頃になり、ゴールドコーストのコンドミニアムに泊ま
るツアーに申し込むことにした。

ブリスベンまでは飛行機で移動し、はじめに行ったところと言えば、シーワー
ルドである。暑いので乗物には乗らずにほとんどプールで過ごした。
ウォータースライダーを試したのはこのときがはじめてである。

サーファーズパラダイスでは、海育ちの私でもその波の大きさにビビリ、泳ぐ
ことはあまりしなかったものだ。右も左も何処までもがビーチである。何処で
泳いでもいいように思うが、波の強い時はライフセーバーの監視できる僅かな
区間がフラッグにより仕切られており、その範囲でしか泳ぐことができない。

もっと馬鹿になった私は真っ黒に日に焼け、現地人にも道を聞かれるほどになっ
ていた。シドニー最後の夜は、お決まりのシドニータワー最上階にある回転レ
ストランで、日本人ツアー客で混み入る中、食べ放題にまかせて腹を膨らませ
たのである。オイスターは、そんなことはないんだろうが、どうもあたる気が
してならず、結局４つ程しか食しなかった。

この２週間強で、やらかした大失敗は、バス停にパスポートやあり金全部を入
れたセカンドバックを置いてバスに乗り込んだことである。

幸い、走り出して数十メートルで気がついたため、バスを停めてもらった。
バス停までの百数十メートルのダッシュは、きっとベンジョンソンより早かっ
ただろう。

オーストラリアは、働かないでも暮らしていけるようになっている。
なにせ失業保険で数人集まって暮らせば、結構いい生活ができるからだ。
だから、働く人と働かない人がきっちり分かれているのだ。

それと、行けば気がつくであろうが、オーストラリアタイムと言われるように
なにもかもがゆっくりと行なわれる。レジでお釣りを貰うにも時間がかかるの
だが、そんなことで腹を立てていてはいけない。

Take it easyな国、オーストラリア。 しかもゲイが多い。
いい国だと思うよ。ほんとに。

帰国後、社会復帰に相当かかったことは言うまでもないか。

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