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ミシン
ミシンは、布、皮、紙、ビニールなどを糸で縫うのに使われる機械。また、この縫い目の形から、紙などに空けた切り取り用の破線状の孔などもミシンもしくはミシン目と呼ぶ。


シンガー製ミシンSinger Symphonie 英語のsewing machine(ソーイング・マシン)の「machine」の音を示したもの。
「裁縫ミシン」の略が一般化した。種類は多く、布などを縫うミシンの他に、布の端を始末するロックミシン、畳を縫うミシン、
しるし付け用ミシン、縫い糸を使用せずに高熱で溶接する高周波ミシンなど、多種多様となっている。

動力源としては、昔(1960年代まで)は足踏み式ミシンや手回し式ミシンが主流であったが、近年では電気(電動機)が動力源となっている
ミシンが主流となっている。足踏み式ミシンとは、踏板、ピットマン棒、ピットマンクランクなどにより、人の足の上下反復運動を回転運動
へと変換する仕組みを動力源として持つミシンである。(電動フットペダルで操作するミシンではない。)

一般に、電気で動くミシンは、電動ミシン、電子ミシン(電子速度制御ミシン)、コンピューターミシンなどに大別されている。その他にも、
ハンドミシンといわれるホッチキスのような形をした小型のミシンがある。

先進国ではほとんど使用されなくなった足踏み式のミシンだが、電気が不要なことが発展途上国内の電力供給のない地域での使用に有効なことから、
NGOの努力などにより収集され、通常は無償で譲渡されている。


原理 [編集]

家庭用ミシンの針周辺のクローズアップミシン針は手縫い用の針と異なり、針の先端付近に針穴がある。まず針穴に糸(上糸)を通した状態で針が布を貫通する。
次に針が布から抜かれるが、このとき針・糸間の摩擦力よりも糸・布間の摩擦力の方が大きいため、糸は布の下面にループの形で余った状態になる。
このループに下糸等を通して上に抜けないようにすることで糸が抜けない縫い目が形成される。

代表的な縫い方式を示す。

本縫い
単環縫い
二重環縫い
縁かがり縫い
扁平縫い
安全縫い(インターロック)




本縫い [編集]

本縫いの糸の動き本縫いは上糸のループに下糸をくぐらせる方式である。解けにくく強度に優れる。伸縮性は乏しい。

通常の家庭用ミシン(本縫い&下送り)の場合、布の上から、穴のあいたミシン針の穴に通された糸(上糸)が、針ごと布を貫通する。
布の下には別に下糸があり、貫通した際に2つの糸を交差させ、縫い目をつくる。ミシン針が上に戻った際に、布をわずかにずらし、
再び布に針を刺す。この動作を機械により連続的に行うことにより、縫い目が作成される。各部品には釜、天秤、送り歯、など独特の名前が付けられている。

上糸が下糸の入ったボビンを回る必要があるため、連続して縫える量はボビンに格納できる下糸の量によって決まる。



単環縫い [編集]

単環縫いの糸の動き一本の針と一本の糸で縫う方式。糸が切れた場合に連続して解けやすい。

一つ前の縫い目のループの中に次の縫い目のループを通すことにより、糸の抜けを阻止する。


歴史 [編集]
1589年、イギリスで、ウイリアム・リーが編み機を発明する。

1755年、イギリスのワイゼンソール(Charles Weisenthal)が、1790年、同じくイギリスのトーマス・セント(Thomas Saint)がそれぞれ別の仕組みのミシンを発明。
ただし、どちらも量産はされなかった。

1810年、ドイツの靴職人クレムス(B. Krems)が針先端付近に針穴がついたミシン針を発明。近代ミシンの原理の基礎となる。

この後、フランスのティモニエ(Barthelemy Thimonnier)が1830年に特許をとったミシンが、軍服を縫う目的で1840年に80台生産されたが、
失業を恐れた他の仕立て屋によって破壊されたという有名なエピソードが伝わっている。

アメリカ人のハント(Walter Hunt)は、現在のミシンとほぼ同じ構造の、ミシン針の先端に穴があいていてそこに上糸を通すしくみのミシンを1830年代
はじめに発明したが、特許をとらなかったため、この後、複数の業者による特許紛争の原因になった。ハントとほぼ同じ構造のものが、
ハントの発明の後に同じアメリカのハウ(Elias Howe)によって特許がとられている。

1850年、シンガー(Isaac Merrit Singer)は現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。翌年特許をとり、I. M. シンガー社(のちのシンガー社)をつくった。


日本のミシン [編集]
1854年にペリーが2度目の来航をしたときに、将軍家にミシンを送った、というものがもっとも古い記録である。この後、1860年にはジョン万次郎がアメリカから
ミシンを持ち帰っている。ちなみに、日本で最初にミシンを扱ったのは、天璋院だといわれている。

ミシンが普及をはじめるのは明治期になってからである。初期は輸入のみで、修理などを通じて技術を取得した技術者によって、徐々に国内生産が開始された。
最初の製造業者は、江戸時代までは大砲職人であった左口鉄造であるとされ、1881年に東京で開かれた第2回内国勧業博覧会に国産ミシン第1号として展示された。

日本のミシン製造の量産は、1921年に創業したパイン裁縫機械製作所(現在の蛇の目ミシン工業)によってはじめられた。このころ(大正時代)から、
日本でもミシンの量産がはじまった。ただし、量・質ともに、シンガーなどの輸入品にはかなわなかった。

しかし、外国製品は故障が多く、加えて品質が安定していない点に、ミシンの修理で生計を立てていた安井正義、實一兄弟(ブラザー工業創始者)が着目。
彼らは、性能の良い国産ミシンは売れると確信し、製造に着手した。1928年(昭和3年)に「麦藁帽子製造用環縫ミシン」を発表し、販売し始める。
発表年に因んで「昭三式ミシン」と呼ばれ、全く壊れないと大評判となり注文が殺到し、安井兄弟のミシンは瞬く間に広がった。耐久性の秘密はその
「造り」にあると云われ、針があたっても壊れないよう「糸受け」を硬く加工しながらも内部に柔らかさを残す為、「浸炭焼入れ技術」という独自の方法を採用した。

第二次世界大戦が始まると家庭用ミシンの製造は禁止され、戦時中、ミシンは軍用ミシンのみ製作されることになる。

1945年に終戦を迎えると、ミシンの需要が飛躍的に増大した。これは、繊維製品(アパレル)が日本の主な輸出品になったことが大きい。1947年、
家庭用ミシンの規格が統一され、1948年から規格に基づいた製品の出荷が始まった。また、国内販売分だけでなく、ミシンそのものも重要な日本の輸出品となった。
ミシンは工業用のほか、家庭用が多く作られた。当時、日本の女性は、結婚後は家庭外で労働しなかったため、内職に使用でき、
副収入を得やすいミシンが嫁入り道具として多く使われたことも大きい。ただし、国内ミシンメーカーの家庭用ミシンの工場が、
1970年あたりを境として中国や台湾などに移転し始め、現在は高級機種等を除き、国内では家庭用ミシンは殆ど製造されていない。
さらに、近年、工業用ミシンも低コスト化やアパレル産業の海外への移管などもあって、海外製造にシフトし始め減少傾向にあるが、
ミシンは精密機械であるため、高精度の金属加工技術が要求され、部品の多くは依然日本で製造されている面もある。


ミシンの種類 [編集]


家庭用ミシン
家庭の部屋に置ける大きさで、現代のものは通常、電気を動力源としている。古くは足踏み式や手回し式のものが多く使われ、直線縫いしか出来なかった。
家庭用ミシンは直線縫いの他に、多種類の模様縫いやボタン穴かがり、刺繍などのできる機能もある。模様縫いは、かつては「カム交換式」であったが、
現在は「カム内蔵式(ダイヤルで切り換え)」か「コンピューター式(ボタンで選択)」となっている。最近のものは、一般に持ち運びでき、
水平釜で自動糸調子や自動糸切り機能を搭載しているものも多く、使い勝手を中心に改良されている。ミシンを使う敷居が下がってきて、
誰でも簡単に使えるようになってきた。
縫い速度はそれほど速くない(最高約700〜1000針/分)。
しかし、縫い模様の多種類化・使い勝手・機能面を優先してきたため、プラスチックの多用・電子回路の採用・機構の複雑化を招いている。
そのため耐用年数(耐久性)の減少や、複雑化多様化によるメンテナンスや整備の困難さの原因となっている。また、戦後にごく
一般的に使われていた黒い家庭用ミシンは、JIS規格によって寸法や材質などが定められており、使われている部品にはある程度の汎用性があった。
一方、現在の多様化したミシンにおいては、メーカーが各自独自に製造しており、メーカーはいつまでも過去のミシン部品を製造しないため、
数年以上前のミシンでは既に部品が無くなっているケースも多い。さらに現在の電子化・複雑化・多様化したミシンでは自分で修理することは困難であり、
メーカーに高額な修理費用を払って修理を依頼せざるを得ない状況があり、1台のミシンの使用年数低下に拍車をかけている面がある。
また、近年は既製服の値段も非常に廉価になり、その為需要が減少している上に、また家庭用ミシンは一般の家庭で使う事を念頭に置いている為、
一般の人が購入出来ない様な価格帯に上げる事も出来ず、その上で職業用や工業用と異なり、一台でオールマイティな使い方が出来なければならないという
板挟みとなっている為、非常に製造・販売自体が難しい商品であると言われている。
その様な問題から、近年おとり商法等の悪徳商法用の商品として販売される事が多く、問題とされる事がしばしある。

職業用ミシン
仕立て屋やミシンの使用頻度の高い(洋裁をするような)個人向けの直線縫い専用ミシン。工業用ほどは巨大ではなく、特に最近の
ポータブル型職業用ミシンは軽金属を用い、持ち運びも出来るようになった。家庭用よりやや速い速度(最高約1500針/分)で縫う事が出来、
直線しか縫えないので構造が比較的簡単で、その分故障も発生しにくい。工業用ミシンほどではないが、各種業務にも使われるので高精度の
ミシン製造・金属加工技術が要求され、直線縫いだけにも関わらず比較的高価である。また、豊富な工業用アタッチメントの一部が利用できるため、
縫製技術がなくとも比較的綺麗に縫える。
過去にはジグザグミシンもあった。
専用ミシンとすると、(小型)ロックミシン、(小型)スクイ縫いミシンも職業用ミシンと言ってもいいのかも知れない。

(小型)ロックミシン
縁かがり専用ミシン。仕様によって糸を2本、3本、4本、5本使うものがある。小型ロックミシンは職業用的に使われていたが、
洋裁をする人を中心に普及しつつある。最近は、「カット アンド ソー」といって、ニット地の縫い合わせにも使われる。
また、家庭用ミシンと同じように樹脂部品も多くなり、便利さでは難しいルーパー糸通しまで自動的にできる機種も出て来ている。
しかし、それ以外も含めて構造がかなり複雑になっている。便利さなどを優先していくのと、メンテナンス性や耐久性とは、トレ−ドオフの関係である。
(小型)ロックミシンは、主にオーバーロック専用機を指すことが多いようであるがカバーステッチ専用機もある。またオーバーロックおよび
カバーステッチの両方が可能な複合機もある。

工業用ミシン(産業用ミシン)
多くは縫製(アパレル)工場などに備え付けられており、大型で重いために移動はきわめて困難である。各縫製工程を綺麗に便利に高速に縫う
ことが出来るように特化しているために、1台でただ1種類の動作しか行うことができない。高速対応性は、針熱対策や自動給油システムや太い軸径、
適した釜方式等の多く要素によって支えられている。また、低速な工業用ミシンもある。工業用ミシンの具体的な種類には、直線縫い専用ミシン、
ボタン穴かがり専用ミシン、刺繍専用ミシン、すくい縫いミシン、インターロックミシン、オーバーロックミシンなどがある。

参照
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』