2018サロマ湖100kmウルトラマラソン 夢のあとさき |
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ゴール会場の常呂町スポーツセンターではゴールへ向かうランナーへメッセージが読み上げられていた。『サロマに残してきた17年間の足跡は僕の誇りです』 このメッセージを聞きながらゴールゲートの手前で一度立ち止まり、振り返って深く一礼。一途に思い続けてきたサロマ湖100kmウルトラマラソンへ精一杯の感謝の気持ちを表現した。 2018年サロマ、僕が思い描いていたゴールシーンだった。 だけど・・・実際はそうならなかった。 最後のサロマは思いがけない形で、あっさりと終わってしまった。いや終わらせてしまったといったほうが正しいのかもしれない。42.195km地点、妻が待つ応援ポイントで僕のサロマは完結した。 2018年2月1日、この日を境にしてサロマのトレーニング期間に突入する。いつもと同じスケジュールだった。近所の5km走から始め徐々に距離を伸ばしていく。やっていることはいつもと同じだった。ところが気持ちが付いてきてくれなかった。 『走らなければいけない』と分かっているのに、『走る気になれない』 距離を伸ばしていこうとすると益々その傾向は強くなっていく。3月、4月、5月・・・日に日に暖かくなり、咲いている花の種類が変り、公園に漂う匂いは変っていったが、気持ちが変わる事はなかった。大会が近づいてくれば、気分が盛り上がって、走り出そうという意欲が湧いてくるに違いない!と思っていたが、そうはならなかった。 全く走らなかったわけではない。距離に換算すれば例年の2/3程度の距離は踏んでいた。負荷は軽かったが、完走するだけなら何とかなるような気がしていた。実際、身体のほうはそれなりには出来ていたような気がする。でも心を置き去りにしてきた代償は小さくなかった。 ウルトラの神様が集うサロマは僕にとって神聖な場所だった。だから出来る限りの準備をして結果は神に委ねる!それくらいの覚悟で挑んできたレースだった。中途半端な準備で走るくらいなら、走らないほうが良い。そう思っていた特別な大会だった。それなのに、いかにも中途半端な状態でスタートラインへ向かおうとしている自分に気づいてしまった。僕にとって唯一無二の大会であるサロマですら、真剣に立ち向かえないほど、自分の潜在意識が大きくなっている事を知り、ひとつの決断を下した 結果の如何を問わず、サロマを走るのは今年限りにしようと。 スタートラインに立つ事をためらった時期もあったが、最後にもう一度、サロマのコースに別れを告げながら、16年間の思い出を振り返る時間が欲しくなり、最後の出場を決めた。 2018年6月24日、僕にとって17回目のサロマがスタートした。レースについて語るべき事は殆ど無い。最後と決めたサロマだったので、コースの風景とこれまでの思い出をリンクさせつつ進んでいくつもりだった。ところがレース直前に引いた風邪と服用した薬の影響からか、消化器系が不調に陥り、給水がうまく行かず20km付近で早くも脱水症状の兆候が現れた。慌てて水分を多めに摂ったが、それを吸収することはできず、繰り返し嘔吐した。さらに気温の上昇とともに意識がぼんやりし始め、全身の力が抜けていくのを感じ、30km付近で歩き出し、35km付近で歩みを止めた。 エイドの奥で立ち止まり、しばらく目の前を通過していくランナーを眺めていた。そのとき妙な感覚に陥った。僕はその中の1人でなければならないのに、通過していくランナーが違う世界の人に見えてきたのだ。僕の目に飛び込んでくるランナーの姿は軽快とは言いがたく、みな辛そうに、中には足を庇うような仕草をしながら走るランナーもいた。それなのにみんな、前を向き、ゴールへ向かおうとする強い意志をもっているように見え、その姿が崇高に映った。 僕はこれまで16年連続でサロマを完走している。トラブル無くゴールへ行けた事なんて一度もなかった。幾度と無く見舞われるトラブルに対処し、気持ちを奮い立たせ、前を行くランナーに喰らいついてゴールを目指してきた。一度だって乗り越えられないトラブルなんてなかった。今回のトラブルが特別酷かった訳ではないと思うし、目の前を行くランナーだって、この程度のトラブルは抱えていたかもしれない。それなのにその中の1人になれず、圧倒されている自分に気づいてしまったのだ。 この瞬間、心が折れた。トラブルを乗り越えてゴールを目指すというウルトラランナーにとって最も大切な執念を失ってしまった。あとの事は良く憶えていない・・・ 42.195km地点にいる妻の応援ポイントまでトボトボと歩いた。この時点で僕はもう競技者ではなくなっていた。ゴールを目指すランナーの邪魔にならないようコースの一番端を歩いた気がする。直近のリタイヤポイントをスルーして応援ポイントまで歩いたのは、最後にコースを去っていく姿を妻に見届けて欲しかったのかもしれない。本当はそれがゴールであれば良かったのだが、あまりにも遠すぎた。 抜け殻になっていた僕を、妻はコースへ戻そうとして色々と対応してくれたが、何ひとつ受け入れる事が出来なかった。妻はレース後、『なんだかんだ言って、いつも完走してくる僕の事をちょっとだけ誇りに思っていた』と語った。でも今回はその期待に応える力が残っていなかったんだ、本当にごめん。ザックを背中から降ろし、胸のゼッケンを外した。 僕にとってサロマは輝くステージだった。レース当日だけでなく、そこへ向かって準備をしていく一日一日に心が踊るようなワクワクがあった。サロマンブルーという夢へ向かって突き進む意欲と、心の底から湧きあがってくる“走りたい”という欲求が一致していた。 でも、夢のサロマンブルーを達成して何年かが経過したある頃から、準備をしていく一日一日が息苦しく感じるようになっていった。完走回数を重ねてグランドブルーへ近づこうとする意識に、心からこみ上げてくる欲求は“走りたくない”に変ってきていた。ここ数年間は、“走りたくない”という欲求を無視して、無理矢理、走り続けてきたが、そのせいで、心を置きざりにしてしまった気がする。 しばらくは走る事から少し距離を置いて、置き去りにしてしまった心が追いついてくるのを待とうと思う。何となく走りたい気分になったら走り、辛いと感じたら歩き、そして立ち止まる。距離や時間など決めずに自由気ままに走ること、歩くこと、立ち止まることを楽しんでいこうと思う。そして、もしもまた走り始めた頃のような新鮮な気持ちを取り戻し、大きなチャレンジがしたくなったら、目標に向かって走り出すつもりだ。それが何年先、何十年先になろうとも。 サロマヘは今後も足を運ぶだろう。来年からはコース沿道で、仲間の走る姿を見守っていくつもりだ。たとえ僅かでも選手のサポートになれるように、たとえ一瞬でも選手を苦痛から解放できるように力を注ぐ。この17年間応援し続けてくれた妻と共に、仲間たちの夢のあとさきを見守ろうと思う。 サロマに憧れ、サロマに鍛えられ そして、サロマを一途に思い続けてきた サロマに残してきた17年間の足跡、1642.195kmは僕の誇り たくさんの思い出をありがとう 金子尊博 |