2017サロマ湖100kmウルトラマラソン
雨ニモマケズ、風ニモマケズ
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2017年6月25日(日) 午前3時20分 紋別プリンスホテル
 ホテルの玄関から一歩踏み出すと、叩きつける様な強い雨が降っていた。気温の低さはそれほど感じなかったが、にわかに止むとは思えない雨粒の大きさに希望的な観測は完全に消し去られていた。1年前も雨模様の1日だったが、この時間帯は東の空にうっすらと太陽の放つ光が見え隠れしていた。そう、あの日はまだ微かな希望を持てていたのだ。

 宿泊地の紋別から、スタート会場の湧別まで移動する車中は、天気を反映するかのように重苦しい雰囲気が漂っていた。サロマ湖100kmウルトラマラソン完走を目指すサムズアップ☆チームサロマ2017のメンバーは28名、これにサポーター3名を加え合計31名の一団が4台の車に分乗し、一路、湧別へ向けて車を走らせていた。集合時間になっても、“まだ寝ていた”という強気な3名を除いて。車中の雰囲気を重くしていたのが天候のせいなのか、寝ぼすけ3人組のせいなのか それは定かではない。ちなみに彼らのお陰で出発は10分近く遅れた(笑)

      

 会場に到着したのはスタート約1時間前。選手は各自のペースで準備を整え、その合間を縫って撮影担当の金子一枝が選手にインタビューをする。『今の調子は?』『コースの中で好きなポイントは?』『ゴールしたあとの自分に言葉を掛けるとすれば?』選手は矢継ぎ早の質問に笑顔で応える。ここで撮影された映像はのちにチームサロマのDVDとして編集され、解団式で上映、配布されるのだ。年々、進化していくチームの状況を垣間見て、僕は思わずニンマリした。

      

 僕がこのレースに参加するのはこれが16回目、過去15回は全て完走しているので、今年は16回目の完走を目指すことになる。大会自体は今年が32回目なので15回完走と言っても、それほど目立つ実績ではない。それでも多少は目に留まるような存在になってきたという自負がある。表彰台に立つような優秀な選手は一瞬の閃光で人の目を引きつける事が出来るが、平凡なランナーは豆電球のようにボンヤリした光を数多く点灯させることでしか存在をアピールできない。

 スタート時間15分前になり、チームサロマの面々が集結して円陣を組んだ。100kmという途方も無い距離、そしてこのあと予想される、過酷な気象条件に立ち向かうため、覚悟を決めるのだ。円陣の中心で、全員右手を合わせ、行くぞ!の掛け声にあわせて、勢いよく手を引き、大声でシャー!!と叫ぶ。心拍数が上がり、身体の奥が熱くなるのを感じた。

      

 スタートポジションは、最前列から5列くらい後方、スタートラインを5秒ほどのロスで通過できる絶好のポジションをキープした。通算10回以上完走した者(サロマンブルー)に与えられるブルーゼッケンを装着していると、前方からのスタートが許される。後方からスタートする速いランナーにとっては邪魔かもしれないが、出来るだけ前からスタートするというのは、後々有利に働くので、権利を主張させてもらった。強い雨に打たれながら、スタートの瞬間を待った。

 サロマへ向けてスタートを切ったのは今年も2月1日だった。好結果が得られている数年間の練習パターンを変えることなく、地道にコツコツと距離を踏んできた。3月末から練習の軸となる30km走へ移行し、週末毎に8週間にわたり30km走を実行、その後50kmのマラニックと20kmのトレイルランニングで仕上げ、6月に入ってからは徐々に距離を落として疲労を抜きながら体調を整えた。昨年は直前に体調を崩し、一頓挫あったが、今年は順調にこの日を迎える事ができた。準備に関しては一点の曇りもない万全の状態に仕上がったと言える。この状態ならば、例え悪い結果がもたらされても、スンナリと受け入れる事が出来るだろう、反省すべき点が、ひとつも見当たらないのだから。

 サロマの練習過程でもっとも注意を払っているのは故障をしないことだ。そのために慎重に距離を伸ばしていき、また身体の具合を細かくチェックできるように出来るだけ毎日走るよう心がけた。走ることで感じられる違和感、痛み、張りなどに真剣に向き合った。大きな故障をしないように、気になるところがあれば、練習量を落としたり、負荷を下げたり、メンテナンスをする事で早めの対応を心がけた。それからレースへ出場する事は極力避けた。抑える気持ちを持っていてもレースになると、アドレナリンが出てしまって、痛みを感じずに過度な負荷を掛けてしまう恐れがあるからだ。

 これだけ注意しても故障するときはするし、体調を崩すときは崩すものだ。それでも今回に限っては、万全の状態で、今この瞬間を迎えられている。雨は相変わらず強く降っている。
スタートまであと1分のアナウンスがあった。レース当日までのカウントダウンは145日から始まったが、それもついにあと1分だ。単調で退屈で地味で孤独でつまらなくて、それでも、ひたむきに練習している自分の姿に酔いしれて、ここまでじっと我慢してきた。あと半日経てば、なんらかの決着がつく。

 万全の状態だからと言って自信があるわけではない、だからと言って不安な訳でもない。心の中は空っぽだった。準備は全て終わっている、あとはこのあと自分に降りかかってくる、いくつかの課題に瞬発力を持って対処すればよい。そんな決意だけを心に秘めていた。

      

 ファンファーレが鳴り響き、ピストルの音を合図に100kmの幕が開けた。まずは周りのペースに合わせながら走り出した。1kmの通過タイムは5分程度、上々の滑り出しだ。路面は昨晩から降り続いている雨のせいで轍の部分はほぼ水没している。空から降ってくる雨はさほど気にならないが、路面に出来た水溜りは気になる。序盤からシューズを濡らしたくないので、出来るだけ避けて走った。

 スタートしてカーブを4回曲がると、スタート会場へ戻ってくる。ここまでに見える景色は、畑に牧場に貝殻の廃棄場、そして老人ホーム。いつもなら老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃん、それにスタッフさんが賑やかに応援してくれるのだが、悪天候のせいか今年は数名のスタッフさんしか居なかった。きっとおじいちゃん、おばあちゃんも残念な気持ちだったろう。でもあの雨では仕方がない。

 スタート会場へ戻ってくるとサムズアップの応援隊がのぼりを掲げて待っていた。応援隊の場所をしっかりと確認し、沿道側へ寄っていき、手を振ってその前を通過した。こんな日は走っているランナーよりも応援隊泣かせなのがよく分かる。天候の影響をもっとも受けるのは、選手ではなく、大会スタッフであり、観戦者なのだ。アウトドアスポーツをする以上、競技者であれば大会が開催されたら、どんな気象条件だろうと受け止めなければならない。与えられた条件下でどれだけのパフォーマンスを発揮できるかが、そのスポーツの面白みでもある。いくら手を合わせ、空を見上げたところで、自分のチカラが及ぶものではないのだから、都合の良い希望は持たないほうがよい。持つべきものは的確な分析力と判断力だ。

 応援隊の前を通過したあと、すぐにトイレへ駆け込んだ。実はこの少し手前でお腹に差し込みがあったのだ。時間が経てば解消されるという質のものでは無かったので、どこのトイレにするかという選択を考えていた。出来るだけ待ち時間のないトイレという事で、思い浮かんだのがスタート会場にずらっと並ぶ仮設トイレだった。ここならば数が豊富にあるので選びたい放題だ。

 この作戦が功を奏し、トイレ待ち時間はゼロだったが、作業が終わるまでにはかなりの時間を要した。この日のウエア、下はインナーショーツの上にハーフ丈のスパッツ、その上に短パン。上はファイントラックの上にチームユニフォーム(半袖)を重ね着して、UDのランニングベストを装着。さらに雨対策で丈の長いビニール袋を被っていた。あの体制に入るまでにいくつかの作業工程を経なければならない事を想像していただきたい。さらに雨に打たれ続けた手が冷えて、敏捷性を失っていたので思うように作業がはかどらなかった。タイムを計っていないのでどれだけのロスがあったか定かではないが、この1kmのタイムが12分近く掛かっていた事から推察すると、6分~7分のロスがあったと思われる。そして、このトイレでビニール袋を脱いだ際に、首と腕を通す部分が激しく破れてしまった。これでは走るのに支障をきたすので破棄。これで雨対策のギアをひとつ失った事になる。でも悲観はしていなかった。元々、長く着続ける気はなかったからだ。

 僕は100kmのウルトラマラソンを走るとき、スタート前に目標タイムは設定しないようにしている。目標タイムを設定すると不測の事態が起きたときにそれを取り返そうと無理をしてしまうからだ。100kmという長い距離では、単純に不測という言葉では括れないような、それでも不測の事態が発生する。例えばトイレ回数だ。そんな事はやってみないと分からない。昨年は一度も行かなかったが、多いときは10回近く行くときだってある。これらを同じ条件として比較するには無理があると思うのだ。だから大雑把に1時間くらいの幅を持って、これくらいでゴールできたらいいなぁくらいの目安に留めておく。

 だから、このトイレロスも気にしなかった。ただし、トイレから出たあとのペースには注意を払った。作業をしていたとは言え、脚は休んでいる。そのためコースに復帰したとき、脚が軽く感じてオーバーペースになってしまう事があるのだ。さらに、トイレ前の周りのランナーとコース復帰後のランナーでは走るペースが違っている。特に序盤の7分ロスとなると、ペースには大きな差が出る。トイレ前にいた集団は1km5分ペース、トイレ後に合流した集団は1km6分ペースで流れている。当然、トイレ前のペースで走れば抜いていく傾向が強くなる。そこで調子にのるとオーバーペースを招く可能性があるのだ。それをどこかで修正するために、信頼のおけるペースメーカーが欲しかった。

 10kmを過ぎ、通過タイムを確認したがこの10kmはクリアラップ(ロスなしラップ)ではないのであまり参考にならない。ここまでにチームメイトのまゆみさんとちはるさんを抜いた。どちらも力のあるランナーだが前半戦に重きを置いている自分にとって、このペースでは少し遅いと思ったので、軽く声を掛けてパスする事にした。

 サロマ湖が右側に見え始めたあたりでサロマンブルーの樋口さん、まつけんくん、春山さんが並んで走っているのが見えた。3人ともサブスリーもしくはそれに近い、少なくとも僕よりは走力のあるランナーだ。中でも樋口さんはサロマにおいては抜群の安定感を持っている。5分30秒/kmくらいのペースでレースを静かに進め、後半余裕を残してチャージを掛ける後半型のタイプだ。トイレを出てからここに至るまで少しオーバーになっているなと感じていたので、この集団について、ペースを作り直すことにした。

      

 『雨は、あがったのかな?』そんな風に思えるときがあった。水溜りを見てみると、雨の波紋が広がっており、すぐにそれが気のせいである事が分かったが、とても穏やかな状態だと感じていた。距離的には15km付近だった。まつけんくん、樋口さんの順番でトイレへ行ったので集団は僕と春山さんの二人になっていた。そして僕も尿意を催してきたので竜宮台へ入る手前で2度目のトイレストップに入った。結局10km~20kmもクリアラップは取れなかった。

 竜宮台に入ると、続々とランナーが折り返してくる。チームサロマのメンバーで最初にすれ違ったのはうっちー、その次にサロマンブルーの渋下さん、ひではるくん、折り返しの少し手前で、はまさん、春山さんとすれ違い、チーム内では6番目で三里番屋の折り返しポイントを通過した。そしてこのとき、『雨あがったのかな?』と思えるほど穏やかな状態だった原因が判明する。

 この日の風向きは北西、つまり三里番屋の折り返し地点までは追い風だったのだ。寒い日でも追い風だと暖かく感じるし、雨が降っていても雨粒は背中に当たるので感じにくい。折り返した途端に、強い雨が顔に叩き付けられるのを実感し、この日の風向きを悟った。これは少々厄介な状況だ。

 『向かい風の時に何をするか?』もっとも有効なのは風除けを作ることだ。単独走をするのではなく集団の後方につけて少しでも風を避けられるよう位置取りを工夫する。ただし速い集団に無理やりついていったらオーバーペースになるので、自分のペースより少し遅い集団につけて体力の温存を図る事にした。とは言えあまり長い時間、露骨にやっていると嫌われてしまうので、頃合を見計らってペースをあげ、集団を引っ張ろうと試みたら誰もついてこないなんて事もあった。

      

 25kmを過ぎて、林に囲まれたエリアに入ると風は弱まった。この林を抜け右にカーブすると畑の中の農道に入るので再びまともな向かい風になる。その前に再び尿意を催してきたのでトイレに駆け込んだ。少し手前で先行していた春山さんにせっかく追いついたのに、うまく流れに乗れない展開が続く。でも仕方がない、今日はこういう波回りの日なのだ。

 農道へ入り、再びアゲインストの風と強い雨粒に打たれ2kmほど我慢の時間を過ごすと30kmのスペシャルエイドステーションが迫ってきた。陸連登録選手はここで預けておいたボトルを受け取る事ができる。ボトルにはエナジージェル、スーパーヴァーム、ショッツ電解質パウダー、アミノバイタルを入れておいた。スタート時のランニングベストにも同様の物を入れておき、ここまで適宜摂取してきた。いずれも飲み物がないと摂取しづらいものなので、エイドの手前500mの予告ボードを見たら準備をしてスムーズな補給を心がけた。

      

 30kmのスペシャルエイドは楽しみなポイントのひとつではあったがそれ以上に、心が湧き立ったのは、この先進路が南東そして東へ向く事だった。この進路は70km付近まで40km近く続く。何を意味するかというと、北西または西からの風に対して、進路が南東または東という事は、追い風になるということだ。雨は依然として強かった、風もそれなりに吹いていた。気温は10度程度でとても寒く、一見すると悪条件のように思えるが、追い風は体感気温を上げ、雨の影響も小さい。このとき思った。『今日は悪条件にあらず、むしろ好条件だ!』

 進路が変わった途端、足取りが軽くなった気がした。いつもならジワりと疲労を感じ始めるエリアなのに。唯一気になるのは路面の水溜りだった。30kmから先のコースは国道の路肩に限定されるので走れる幅が狭い。そこに大抵ひと筋、ふた筋の凹みがあり水が溜まっているので走れる幅はさらに限られてくる。選手は水の溜まっていないところを走るのでペースの違うランナーを抜くときは水溜りを避けて大きく走路変更しなければならない。些細なことではあるが、繰り返していると、これもストレスになる。

 そこで自分で走路を考えるのではなく、前のランナーについて行く事に集中しようと思った。そしてそれに最適なランナーを見つける。輝くゴールドのゼッケン、グランドブルーのベテランランナーだ。ラップの上下が少ないと思われるグランドブルーのランナーが同じところを走っているという事はペースがほぼ同じという事だ。僕はトイレに3回も行っているので、実測ペースは僕のほうが速いのかもしれないが、少し遅いペースの選手につくのであれば余裕を残せるので好都合でもある。ピンクのTシャツを着て、グレーの後ろ髪を伸ばし、ヒゲを生やしたマイク真木を彷彿とさせるような先輩ウルトラランナーの力を借りることにした。

 結局、42.195km地点、サムズアップ応援ポイントまでマイクさんを追走した。その後、サムズアップ応援ポイントで力を貰い、ペースのギャップを感じ始めたので、勇気を持って先行することにした。そう言えばマイクさんを追走していたとき、隣に小柄で可愛らしい顔をした女性ランナーがたびたび横に並んだ。彼女はヘッドフォンをしていたので話しかけなかったが、目が合ったときお互い微笑んだような、ほのぼのとする、ひと時もあった。

      

 50km付近から始まる大きな坂を超え、湖畔に出ると54kmのレストステーションが見えてくる。雨は降り続き、サロマ湖の対岸はぼんやりと霞んでいた。国道に出てからは、抜かれるよりも、抜くほうが多かったので精神的なゆとりがあった。50kmまでのラップを振り返ると、57分25秒、54分32秒、56分27秒、55分55秒、56分01秒。最初の3ラップはいずれもトイレに立ち寄っていたのでクリアラップではないが、あとの2つはクリアラップが取れている。1km5分30秒ペースで走り、エイドのロスタイムが1分といったところだろう。理想的なペース配分だった。

 このリズムを崩さないように、54kmのレストステーションも、殆ど立ち止まらずに必要最低限の補給だけを行って再出発した。ここから全コース中、最も大きな坂が始まる。ワッカまで変化に富んだコースをいかに安定したペースで乗り切るかがサロマ攻略の鍵となる。
大きな坂を上り終え、下りに差し掛かった。『あとフルマラソン1本分かぁ~』そう思ったとき、サロマの女神が耳元で囁いた。『その考え方は賢くないわね 今、この瞬間に集中しなさい!』

 これは僕の悪い癖だ。現在をおろそかにして、つい未来を先読みしてしまう。『この状態で残りフルマラソンもある あと20km走ったらどんな状態になっているのだろう? この状態で40km以上も走れるのだろうか?』

  どんなに悔いても過去は変らない
  どれほど心配したところで未来はどうなるものでもない
  いまこの瞬間に最善を尽くすべきだ <松下幸之助>

 この瞬間を積み重ねていけば、必ず未来はやってくるのに、思うようにならない未来を先読みして、心を苦しくしてしまい、その心に引きずられて身体も動かなくなってしまう。

 サロマヘ初出場したとき、70km地点で絶望的な状況に心が折れ、諦めようとしていたとき『諦めちゃダメ、まだ終わってないのヨ! 一緒にワッカを目指しましょう』と声を掛けてくれた女性がいた。彼女のお陰で完走する事ができた。それ以来、彼女には一度も会っていないが、僕の心の中にサロマの女神として存在し、時にやさしく、時に厳しくアドバイスを送ってくれる。

 気持ちを切り替え、この瞬間に集中しようと誓った。今、移り変わる景色を楽しみ、雨と風を肌で感じ、声援に耳を傾け、漂う匂いを嗅ぎわけ、補給するものを味わう。あとは脚を止めることなく走り続ければ良い。たったそれだけの事。

  その気になれば大抵のことはなんとかなる
  希望通りにはいかないかもしれないけれど

  好きな言葉だ。

      

 大きな坂を下り切り、再び湖畔に出たところが60km、小さな坂をひとつ上り、国道から左折するとキムアネップ岬というエリアに入っていく。64kmの手前には2つ目のスペシャルエイドステーションがある。30kmのスペシャルエイドの内容物に加えて缶コーヒーを入れておいた。スポーツドリンクの味に飽きていたので、コーヒーのほろ苦さが新鮮だった。このあとは魔女の森、そして白帆へとコースは続く

 魔女の森から白帆にかけては、比較的天候が落ち着いていた。魔女の森では樹木から雫が落ちてきたが、雨は上がっていたように思う。国道では狭い走路を走ってきたが、キムアネップに入ってからは、道幅一杯使えるので水溜りも回避しやすい。太ももの前側に張りを感じ始めていたが、ペースが落ち込むほどの影響はなかった。70km目前、まだ脚は残っている。『ハマったな!』小さい声で呟いた。

      

 この場合の“ハマる”は『落とし穴にハマる』ではなく『作戦がうまくハマる』のほうだ。完全にリズムを掴んだ。1km5分30秒のペースをキープ、エイドのロスを加算して10km1時間以内。これは理想的な展開だった。ペースを維持しようと躍起になっているわけではないので脚も残っている。もっとも苦手としている70km~80kmをうまくまとめられれば、完走タイム9時間30分、さらに全区間1時間以内(10kmのラップ)という完璧なラップバランスも達成できる。そう思ったとき、また女神が囁いた『まだ早い!』

 15年前、サロマの女神に救いの手を差し伸べられた70km地点を通過すると、急に雨脚が激しくなってきた。また進路が北向きに変わるので西からの風を真横から受ける。ベルトから下げたゼッケンが横風にたなびいた。それでも気力は充実していた。『10kmを1時間以内で走る』強い意志が芽生えた。

 雨、横風、水溜り、それに狭い歩道。すぐ脇を軽快に走り抜ける50kmのランナーに煽られつつも、ペースを乱すことなく淡々と脚を運んだ。徐々に増幅されていく疲労と高まる希望の、せめぎあいが始まった。気を抜けばあっという間に疲労の波に飲み込まれる。そうはさせまいと希望の防波堤で浸水を防ぐ。苦しみながらも悪い時間ではなかった。間違いなく充実した時間を過ごしていた。

      

 最近、僕はランニングがあまり好きじゃないのでは?と思う事がある。ランニングをしている最中に心から楽しい!と思う瞬間に思い当たらないのだ。ランニング中にする仲間との会話が楽しかったり、景色に魅了されたり、潮の香りや森の匂いに癒されたり、そういった事は良くあるが、走りそのものを楽しんでいるのかというと甚だ疑問だ。ではなぜ走っているのか? これも最近気がついたのだが、走る事が好きなのではなく、走っている自分が好きなのではないかと。僕にとって、走ることは頑張ること。言い換えれば頑張っている自分に酔っているだけなのかもしれない。そう、きっと僕はこの世で唯一存在する、自分のファンなのだ。

 自分自身を応援し、その応援に奮い立って疲労の波を封じ込める。79km関門(ワッカの入り口)へ向かう緩やかな坂道は、歩道の中を雨水が川のように流れていた。場所によっては踝がスッポリと水没するくらい深く、車道に出なければ避けられないほど大きな水溜りもあった。でも悪条件であればあるほど、それに立ち向かっている自分の姿に奮い立った。これなら行ける!久しぶりに味わう感触だった。

 最も難しいと思っていた70km~80kmの区間を1時間以内で通過した。50km以降のラップは、57分22秒、58分22秒、58分09秒だった。この間にあった白帆のオアシスではお絞りで顔を拭いお茶を一杯頂いただけだったし、名物エイド鶴雅リゾートでもソーメン一杯だけでお汁粉は遠慮した。80km手前のスペシャルエイドでは、ジェネラルエイドの飲食物には手をつけず、スペシャルボトルに入れておいた豆乳を飲むだけで出発した。それもこれも『10km1時間以内』というこだわりがあったからだ。

 残されたステージはワッカ原生花園のみ。脚が残っている今の状態ならば、ラップを押し上げることも可能だ。80km通過タイムは7時間34分、これなら9時間30分を切れるかもしれない。俄然、士気が上がった。残り20kmという事は忘れて今の走りに集中した。最初の1kmが5分30秒、次が5分28秒、エイドのロスを切り詰めれば10km56分くらいで行けるに違いない。そう思った矢先に状況が一変した。

      

 オホーツク海を見下ろしワッカ原生花園へ入る急な坂を下ると、真正面から強烈な風が吹き付けてきた。雨は激しさを増していた。何よりも驚いたのは風と雨粒の冷たさだった。霰でも混じっているのではないかと思うほどの冷たい雨が顔に叩き付けられてくる。太ももの筋肉が硬直しているように感じられた。1kmのラップが6分近くまで落ち、細かいアップダウンが始まると6分を少しづつ超えるようになってきた。『10km1時間以内』を死守すべく、エイドをスルーして進んだ。それでもペースダウンは止まらない。全身の筋肉が硬くなっているように感じ、それを動かそうとするので力みが入って余計に動きが悪くなっていった。

 ワッカで最初にすれ違ったのは渋下さんだった。チームサロマのトップという事だ。本名視されていたうっちーは二番目。『追い風になるまで頑張れ』と声を掛けてくれた。この言葉が唯一の救いだった。89km付近の折返しを過ぎれば、向かい風は一転して追い風になる。そこまでの我慢だ!折り返しまであと僅か、目の前に立ちはだかる巨大な橋、その急勾配の坂を駆け上がろうとしたとき異変が起こった。

 まばたきをした瞬間、正常な視界が戻らず、少し遅れて視界にノイズが入って、正常に戻る。何が起きたのか分からず、もう一度まばたきを試みる。やはり同じ状況が発生する。まつげに何かついているのかと思い、指先で拭ってみるが状況は変わらない。低体温症なのか、体力が低下しているからなのか、エイドをパスし続けたためにハンガーノックが起きているのか、原因は分からない。ただ何かの異常が身体に起きていることだけは確かだ。

      

 橋を超え、折り返して、渡ってきた橋を逆から超えた。風向きは変わったが状況は変わらない。この状況をどう捉えたら良いのか分からなかった。気にせずに続行してよいものなのか、やめたほうがよいのか。とりあえず出来ることを考えた。真っ先にハンガーノックを疑い、橋を超えたところにあるエイドで、持ち合わせているものを全て摂取した。エナジー系ジェル、アミノバイタル、スーパーヴァーム、ショッツ電解質パウダー。粉末のものが多かったため、摂取するのに手間取った。寒さで手が悴んで、封を切る事さえひと苦労だった。そしてここで『10km1時間以内』という希望が潰えた。同時に希望という名の防波堤も失った。

 80kmから90kmは1時間3分9秒を要した。『10km1時間以内』いう拘りに何が隠されているのかと言うと、僕なりにこの速さは自分でコントロールできている速さだと認識している。つまりは全ての区間を『10km1時間以内』でクリアできれば、レース全体をコントロールしたと言えるのではないかという事だ。自己ベストの9時間16分を記録した昨年もこの条件をクリアできない区間があった。そして今年も絶好の手ごたえを掴みながらもワッカの洗礼に屈した。

 残りの10kmは低体温症の恐怖と戦っていた。コース上にはエマージェンシーシートに包まって収容車の到着を待つランナーがたくさんいた。依然として風も、雨も強い。救いは向かい風ではなく追い風だった事だが、歩いてしまえば追い風とて体温を奪い去る脅威になりかねないし、止まってしまえば向かい風も追い風も同じだ。寒さで体中が硬くなり、希望の防波堤を超えた疲労の波が浸水してきて、歩きたい、止まりたいという衝動にかられた。しかしこの状況で走ることをやめてしまえば、ワッカから自力で抜け出すことができなくなる。

      

 サロマの女神に問うた『サロマ止めようかな?』と。すると女神は呆れたような笑い声で答えた『今出来ることをすればいいのよ、それだけ』 聞かずとも分かっていた。ここで止めようなんて本気で考えていたわけではない。ただ誰かに背中を押してもらいたかっただけなんだ。

 ゴールまで残り1km、雨は上がり風も穏やかになってきた。サロマンブルーのランナーと並走し、こんな気象条件は初めてだねと語り合った。彼もワッカで止めようと思う瞬間があったらしい。確かに今年は特殊だった。6月下旬で気温が10度を下回ろうかというほどの低温、雷注意報が出ていたというので不安定な気象条件でもあった。それゆえ場所によっては強い風が吹き、雨に風が重なりランナーを苦しめた。でも競技者に気象条件を選ぶ権利はない。たった一度の出場ならば『こんなときに出るなんてツイてないね』で済ませられるかもしれないが、毎年、毎年出ていたらこういう事が起きたからと言って『ツイてない』では済まされない。どんな悪天候に見舞われようと、それは偶然ではなく、必然なのだから。

      

 雨のあがった空に向かって、両手を広げてゴールした。16度目の完走。
記録9時間41分09秒、自己4番目のタイムだった。
心の底から湧きあがるような感動はなかった。
目標をクリアしたときに得られる達成感もなかった。
そこに存在したのは、曇った空を突き抜けて、青空にまで達するような最上級の開放感だった。145日にわたる挑戦が終わり、ようやく解き放たれた瞬間だった。

      

 『連続完走が途絶えたらサロマを引退する』
今年も、この条件は満たされなかった。完走出来た事によって、来年の挑戦切符を掴んだのだ。暫く休んで、そのときが来たらまた練習に励むことだろう。グランドブルーを目指すわけではないし、記録更新を目指しているわけでもない。次が最後!だと思って、万全の準備に取り掛かる。自分で自分の頑張りを褒めてあげられるように。

 ただ僕は選手でありながら、自分のファンでもある。頑張っている自分が好きで走るわけだから『頑張れてないな!』と悟った時点でファンでは無くなる。もしも来年、中途半端な状態でサロマヘ向かおうとしている自分に気づいたら、その時はスタートラインに立つ事を諦めるかもしれない。
その時、サロマの女神は『頑張ったよ、お疲れ様』と言ってくれるだろうか?
      

 初めてサロマに挑戦する事を決めたとき、このレースを完走できたら強い人間になれると思った。でも、何度完走しても、自分の弱さばかりが見えてきて、強い人間になれたという実感は、未だにない。いくら走っても強い人間になんてなれない。そんな事は分かっているのに、きっとまた来年も挑戦する。強い人間になるためではなく、自分の弱さを探すために。。。

    ―雨ニモマケズー 宮沢賢治

     雨ニモマケズ
     風ニモマケズ
     雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
     丈夫ナカラダヲモチ
     慾ハナク
     決シテ瞋ラズ
     イツモシヅカニワラッテヰル ・ ・ ・


     そういうものに 私はなりたい 


<<<追記>>>
昨年の渋下さんに続いて、今年、サムズアップ☆チームサロマから5人目のサロマンブルー達成者が誕生した。彼の名は平山裕之、アップアップガールズ(仮)をこよなく愛し、ライブトレーニングと称して彼女たちを追いかけている。大舞台となる今回のサロマは、ブルーの(仮)Tシャツを着て走った。サロマンブルー(仮)という意味も含まれていたようだが、これで(仮)は取れ、正真正銘のサロマンブルーになったわけだ。チームサロマでは、あるときからサロマンブルー達成祝いの大漁旗をゴール前で贈呈することになっている。達成者は大漁旗をはためかせてゴールするのだ。

ちなみに僕がサロマンブルーを達成したとき、まだこの風習はなかった。。。
もしもグランドブルーを達成したら、大漁旗を頂けるのだろうか?
いや、グランドブルーなんてまだ考えたくはない。



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