神様からの贈り物! |
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自分だけのフィニッシュラインへ! |
最近はFBでレースレポートっぽい事を書いているし、改めてこういうレポートを書かなくてもいいかな?なんて思ったりもしましたが、年を越したら、去年はどんな心境でどんな練習して、どんなレース展開だったか?なんて事が気になると思うので、読んで下さる方がいなくても自分のために書き残しておこうと思います。 サロマ湖100kmウルトラマラソンは今年が30回目の記念大会です。私は今回が14回目。10回完走でサロマンブルーを達成し、次のグランドブルー(20回完走)まではまだまだ遠く、目標!などと胸を張って言える心境ではありません。となると必然的にモチベーションは低下、練習に身が入らない。これが昨年の状態でした。この状況を抜け出すために自らに課した決意!これが『リタイヤしたらサロマ引退!』です。昨年はこの切り替えが功を奏し、完走率が50%台という過酷な気象条件ながらもサブ10(10時間を切ること)を達成できました。そしてこの決意は当然、今年も継続。いえ、これからずっと引き継がれていく決意です。 となれば『絶対に完走しなけりゃならない』と鼻息荒く練習再開と思いきや、心はとても穏やかで『出来る範囲の準備をして、結果は天に任せる』そんな心境でした。サロマへ向けた準備は2月からスタートしました。年を越してから実施したランニングは石垣島マラソンで42.195kmをワラーチで5時間掛けて走ったというだけで、このレース1本以外は練習も含めて全く走っていません。 ![]() 2月はまずランナーに復帰するというところから始めました。平日の朝5km、週末は10km程度のジョグを繰り返し積んでいきました。大切な事は脚を傷めることなく走る習慣を思い出すことです。長く走ろうとか、ペースを上げようなんて次元には達していないので、とにかく走る習慣を思い出す。これが2月の課題でした。最初は30分のジョグでも嫌気がさしてきましたが、週を追うごとに距離や時間に対するアレルギーが消えていったので、週末の走行距離を2kmづつ延長し、2月の最終週には20kmのジョグが消化できるようになり、2月の月間走行距離はちょうど200kmに到達しました。 3月は本格的走りこみを行うための準備期間です。サロマへ向けて私の中で重要視しているのは30km走の消化本数です。この30km走を実施しても脚を傷めない程度の脚力を作り上げるのが3月でした。ここでも最重要ポイントは故障しないことです。故障してしまえば走れない期間が発生し、そうなると本番までの残り日数が減ってしまいます。少しづつで良いので着実に前へ進んでいく必要がありました。3月の具体的な練習内容は、平日7km~9kmのジョグ。週末はどちらか1日20km以上のジョグを実施しました。2km延長キャンペーンと銘打って、週を追うごとに走行距離を2kmづつ伸ばし4月第1週に30kmになるようスケジューリングしていました。3月の走行距離は順調に平日走り続けられたのが距離増につながり318kmとなりました。 そして迎えた4月。ここからが本格的走り込み期間のスタートです。あまり難しいことは考えず週末どちらか一方で30km走を消化するというシンプルなものです。走り方はラップを気にするのではなく体感を重視してキツイなと感じない程度の緩さで走り続け、終わった後に余裕を残せる!という事を心がけていました。これから2ヶ月間は毎週のように積み重ねていかなければならない練習なので“キツい”という印象を出来るだけ持たないように気を配りました。つなぎの平日はリカバリーに務め、リカバリーが完了したらビルドアップ走でレースペースよりも速い領域に足を踏み入れスピード鈍化を食い止めるトレーニングも消化しました。月間走行距離は318kmで3月と同じです。 5月も4月同様、30km走主体のトレーニングを繰り返し、最後の週に57km(東京ウルトラマラソン)という超長距離を踏んで、予定通り、走り込み期を無事終える事ができました。 月間走行距離は444km、距離に関して特に印象はありませんが、これだけ踏んで脚に不具合が起きていないという点で、サロマへ向けたトレーニングが成功している事を実感していました。 6月は調整期です。週末の30km走から2kmづつ距離を短縮して、その分ペースを少し上げるという走り方に切り替えていきました。これまで体感で走ってきた30km走のペースがより楽に感じられるよう刺激を入れていくのが目的です。具体的に言うと30km走を体感で“キツい”と感じずに走れるペースは平均的に1km5分20秒程度でした。おそらくこのペースが本番のレースペースになると思います。なので、これよりも速い1km5分程度にペースをあげ、本番でのレースペース(1km5分20秒)をより楽に感じられるようにしようという試みです。 ![]() レース1週間前になると、毎年現れるレース直前の違和感が今年も発生しました。約5ヶ月に渡って繰り返し行ってきたトレーニングで一度も起こらなかったような痛み、違和感が必ずレース1週間前になると起こります。今年は右足アキレス腱の張りという症状で現れました。過去の経験からこの時期の症状がレースに影響を及ぼしたことは一度もないので、あまり気にせず通常のケア(アイシング、マッサージ)で受け流しました。私なりの解釈では、キツいレースが近づいていることに気づいた身体各所のストライキです。レースで痛めつけられることを恐れて抵抗しているのでしょう。 何はともあれ今年もスタートラインに立つ事ができました。14年連続14回目の完走を目指します。やり残したことを探すのがバカバカしくなるくらいの準備が出来ました。これでダメでも何の悔いもありません。あとは諦めずにひたすらゴールを目指すのみです。 今年もサムズアップ・チームサロマ2015というチームを組んでサロマへ乗り込みました。選手25名という過去最多の大所帯になりました。全員で完走しようという目標を掲げて集まった仲間たちと個人的に思い入れの強いサロマを走れる事が心を躍らせてくれました。 ![]() スタート時の気温は10度。日中の最高気温も15度程度までしか上がらず、1日中曇りだろうという予想の中、長い旅が始まりました。気温上昇を心配する必要がないので、体感が作り出すペースにのってスムーズに走り出せました。序盤の5kmを26分48秒で通過。少しづつ身体が温まってくる次の5kmはさらにラップが上がるだろうと予想しましたが、尿意を催し10km手前で1度目のトイレストップに入り、クリアラップにはならず27分49秒。 『寒さが影響して今後もトイレに立ち寄る回数が増えるかもしれない』などと思いをめぐらせましたが、これは小さな問題というより自然現象なので、催したら行けば良い!取るに足らないことでした。(実際、このレースでは大小あわせて5度トイレに立ち寄りました) ![]() 取り上げなければならない問題が発生したのは15km過ぎでした。左足の甲に強烈な締め付け感が現れ、やがて痛みに変っていったのです。着地の度に顔をしかめなければならないほどの痛みだったので、一度停止して、シューズの紐を緩めました。これにより一時的に痛みからは解放されたのですが、数キロ走ると痛みは再発しました。再び紐を緩めたものの効果は一時的で再発を繰り返します。着地するたびに足の甲をペンチで挟まれているような痛みに襲われ続け、やがてその痛みは骨に達しているではないかと思うほど強烈なものに変わっていきました。 ![]() ペースを落としたり、着地を摺り足に変えたりしてみましたが、どれも効果はありませんでした。練習のときからずっと使い続けてきたシューズで一度も起こらなかった痛みがわずか15kmで発生するとは・・・ 『リタイヤする時というのはこういうものなのかな?』とネガティブな思考が生まれ始めていました。そんな状況で迎えた25km地点。トイレで用を済ませて、コース復帰する前に1つの決断をしました。 鎮痛剤服用! 使うことは無いだろうと思いつつもお守り代わりにルミフェンという鎮痛剤をザックに忍ばせて走っていました。痛みは身体からの警告、その警告に従って痛みに対処したり、我慢したり、痛みと付き合ってゴールするべきものだと思っていたので、鎮痛剤を使うことに抵抗はありましたが、使える手段を使わずに完走を諦めたのでは後悔するだろうし、リタイヤするときは次の一歩を踏み出せなくなるまで出し尽くしたときだと決めていたので、最後の一手を振り出すことにしました。 鎮痛剤の効果は30分くらいの時間をかけてじわじわと現れました。左傾斜が緩やかな路面になると痛みがやわらぎ、やがて下り坂以外のところでは痛みが消えていきました。ここまでに立ち寄ったトイレストップとシューズの紐を緩めるロス、それに左足甲の痛みの影響で当初予定していたほどの貯金を作ることはできませんでしたが、この状態ならば立て直せる!そう思い鎮痛効果があるうちに少しでも進んでおこうと走りのリズムを建て直し始めました。 スタート前は、気温が低いことを察し、10kmを52分~53分でクリアし続けていき40kmを3時間30分で通過しようと目論んでいました。フィニッシュタイムを10時間とするならば40kmを4時間で行けば良いので、このペースならば30分の貯金になります。後半の失速を考慮しても、このくらい貯金ができていれば優位にレースを進められると踏んでいました。ところが40kmの通過は3時間45分。酷暑だった昨年よりも10分近く遅い通過でした。貯金は15分。これでは後半失速したら、あっという間に消えてしまうので、少しでも貯金を積み上げていかなければなりません。 ![]() 幸い足は小康状態を保っていました。上り坂では痛みを忘れるほどに改善され、下り坂で痛みが現れるものの我慢しきれないほどではなく、平坦なところになれば痛みが和らぐ。そんな状態を繰り返していました。懸念されるのは鎮痛効果がいつ切れるのか?と、果たして足の状態はどうなっているのか?でした。薬で痛みを押さえ込んではいるものの足には何らかの炎症・障害が発生しているはずです。身体のサインを無視して酷使していった結果、どう悪化していくのか不安でした。しかしながら、このレースの終わり方は『ゴールするか、次の一歩が踏み出せなくなるか、このどちらかしかあり得ない』という決断をしていたので、懸念しつつもこの状態を心のどこかで楽しんでいるような気もしていました。 50km地点は4時間41分で通過しました。貯金は19分に増えました。一日中曇りという予報に反して空には青が広がり始めました。空の色が湖に反映されてサロマ湖が真っ青に染まる状態をサロマンブルーと呼びます。今年は諦めていましたが50km過ぎの湖畔でサロマンブルーを拝む事ができました。 ![]() 54kmのレストステーションは給水だけでスルーしました。上り坂の途中にあるこのポイントはいつもならば一息つきたいところなのですが、今日のストロングポイントは上り坂!この坂を一気に超え、いつもならば失速の切っ掛けになる鬼門を逆に反転攻勢の切っ掛けにしようではないかと。。。上り坂を登るときは少し背中を丸めるようにして、コンパクトに腕を振り、ピッチをあげて上っていきます。視線を下げて、四足で斜面を駆け上がる小猿をイメージします。国民栄誉賞受賞者・高橋尚子さん直伝の『わたしは子ザル』走法です。 上り坂に苦戦しているかなりの選手を追い抜きました。しかし上り坂が終わり下りに差し掛かると形勢は逆転しました。左足甲の痛みが再発し、着地の度に激痛が走るようになりました。鎮痛剤を服用したのは25km、ここの下り坂は60km手前付近。鎮痛剤服用から3時間以上が経過していました。薬の効果が薄れ始めたようです。坂を下り終え湖畔の平坦なコースに戻っても痛みは和らがなかったので、60km地点のエイドで残り1個のルミフェンを服用しました。一錠目と同じくらい効果が続けば95kmまで行ける筈。ここまで行ければあとは気持ちで何とか成る。今はリズムよく走れているのでこのリズムを持続するため、躊躇無く服用しました。60km通過は5時間37分。例年ならば貯金を切り崩す坂で逆に4分貯金を増やしてトータル23分の貯金ができていました。 ![]() 鎮痛剤の効果がじわじわと現れ始め、65km付近キムアネップ・魔女の森を走っている頃には快調さを取り戻していました。この先、長い下り坂がないというのも気分を楽にしてくれました。60km~70kmの間には私設エイドを含め魅力溢れるエイドがたくさんあり、疲労が重なるとついつい長居してロスタイムを増やしてしまうのですが、走りのリズムを出来るだけ変えたくなかったので、エイドでは給水のみで素早くリスタートして、エネルギー補給は手持ちのジェルで賄いました。70kmの通過は6時間34分、貯金が3分増えて26分になりました。目標の貯金30分まであと4分です。 ![]() 70km~80kmの間は単調で魅惑的なポイントが74km付近の鶴雅リゾートだけ、という私にとっては例年苦しめられるエリアです。しかしリズムよく集中して走れていたので、さほど苦にはなりませんでした。鶴雅リゾートではソーメンと麺つゆを一緒に流し込み、給水と首筋の掛水だけで素早くコース復帰しました。鶴雅リゾートを過ぎハマナスの垣根に隔てられた歩道を無心で走り続けているとワッカ原生花園への進入路(農道)が見えてきました。入っていくランナーは残り20km、中から出てくるランナーは残り2kmという鬼(入っていくランナー)と仏(出てくるランナー)が交錯するポイントです。 昨年は出てきたランナーを鬼のような顔で睨みつけていましたが、今年は2時間後の自分の姿に重ね合わせ、冷静に見つめられていたように思います。80km手前のエイドを通り過ぎ、急な上り坂を登り、80km地点に到達したときのタイムは8時間31分31秒でした。精神的にも肉体的にも辛くなるこの苦手区間も2分30秒の貯金を作ってクリアする事ができました。貯金目標30分まであと1分30秒・・・ 目標到達のあかつきには、ゴール目標がサブ10ではなくサブ9.5に変ります。 ![]() 80km地点を過ぎ森の中を抜けると、一面に広がるワッカ原生花園とオホーツク海が目に飛び込みます。サロマを走っていることを最も強く実感する場所です。ゆるやかな傾斜の坂を上り、オホーツク海を一望できるポイントに差し掛かると毎年こみ上げてくるものがあります。大げさに表現するならば私にとって、この場所は生きていることを実感する場所なのかもしれません。 ![]() 今年のワッカ原生花園は、オレンジのエゾスカシユリ、ピンクのハマナスが咲き乱れていました。緑の葉っぱに、空一面の青空、鮮やかでした。身体全体に広がる疲労感から少しづつペースは鈍ってきていましたが、それでもまだ余力があり脚は活きていました。力づくでペースを上げようと思えば上げられる状態だったのです。1km毎のラップが6分を超えるようならば”最後のエンジン”に点火して勝負を賭ける覚悟はできていましたが、かろうじて1km6分以内はキープできていたので、”最後のエンジン”は温存しておくことにしました。 ![]() ワッカ原生花園の折り返し地点に到達すると、チームサロマ2015の中で自分が何番目に位置しているかが確認できました。トップはよっちくん、大きな差は無く渋下さん、少し開いて樋口さん、かずさん、折り返し地点まで数百メートルのところですれ違ったのがひらさんで6番目が私でした。折り返し地点を過ぎ90km地点の通過が8時間30分11秒。この10kmで作り出した貯金は1分30秒。やはりペースは衰えてきていますが目標貯金30分まであと11秒となりました。 -このままの状態で1km6分を目安にレースを進めて、ワッカの出口残り2km地点で貯金が30分を超えていればそれで良し、もしも超えていなければ残り2kmで”最後のエンジン”に点火して是が非でも9.5時間を切る!- レースプランが出来上がりました。身体全体の疲労に加え胃のあたりにむかつきが現れ、甘いジェルを口に運ぶのが憚られたのでエイドのジュースでエネルギー補給して前へ進みました。 帰りのワッカはチームサロマの仲間たちとたくさんすれ違えるので苦しい状態でも気分がまぎれます。苦しいときに仲間と交わすハイタッチ、笑顔、エールの交換・・・たくさんの仲間とサロマを走れているというアドバンテージが活きてきました。残り4km、坂を上り、オホーツク海に背を向け、森の中に入っていくとレースの終わりを実感します。 ![]() 森を抜け、農道に出て残り2km。12分以内で走れば9.5時間以内でのゴール達成という状況を確認しました。このままのペースを維持すれば、クリアできる状況でしたが、ワッカでお会いしたサロマのレジェンドランナー、越智さん(第1回から29年連続完走、今回30回目の完走達成)に掛けていただいた、お言葉『よい走りをしているから、全てを出し尽くしてゴールしなさい、そしたらより良い気分に浸れるから~』を思い出し、”最後のエンジン”に点火しました。 ![]() 最後のコーナーを曲がって残り100mちょっと。前にランナーはおらず、ゴール独占の雰囲気でした。MCの選手紹介もハッキリ聞き取れました『ゼッケンナンバー49番、藤沢市からお越しの金子さん』このあとはゼッケン受け取り時に提出したゴールメッセージが読み上げられます。『夜久さん見てくれてますか?あなたの作ったサロマンロード 今年も完走できましたよ!』 ゴールタイムは9時間27分57秒でした。これは2007年に出した9時間23分17秒に次ぐ2番目の記録です。前半の不調を取り返してのこのタイムは自分でも驚きですが、完走率80%超という結果をみると今年はまれに見る好条件だったようです。気温が低め(かといって低すぎず)、それでいて途中青空にも恵まれ絶好のウルトラ日和だったのです。仲間内では、これはきっと空から見下ろしていた夜久さんからの最高のプレゼントだね♪ そんな話が出ていました。私もそう思います。 ![]() サロマを終えて・・・ 今年のサロマには色んな思いがありました。 ひとつはゴールメッセージに綴った夜久さんへの思い。ウルトラマラソンが今のように人気種目になるずっとずっと昔からウルトラマラソンを愛し、本に綴ってその素晴らしさを伝えてくれた夜久さん。サロマ湖100kmウルトラマラソンに私が出場する切っ掛けになったのも彼の影響が大きく、デビューした当時は雲の上の存在でした。数年前、ランニングを通じて知り合ったお友達の紹介でお会いする機会が得られ、酒の席でランニングに関する熱い思いを語り合う事ができましたが、当時はそんな機会が得られるなんて夢にも思いませんでした。そんな夜久さんが今年の1月に亡くなられ、サロマにあるべき1つの大きな存在が消えてしまったという喪失感を抱えての大会でもありました。ワッカを走っている時、ふと青空を見上げ、『夜久さん見ていますか?』と心の中で問いかけたら、エゾスカシユリとハマナスを背景にしてニコヤカに微笑む夜久さんが見えた気がしました。『ナイスランだよ~リズムリズム』そんな声が聞こえた気がしたのです。 貴方が作り上げた、この素晴らしい道。微力ではありますが少しでも多くの人に伝えられたらと思っています。それが貴方への恩返しだと思って。。。 ![]() それからもうひとつ 今年9回目の完走を果たし、来年サロマンブルーになるはずだったチームサロマの仲間がいます。その仲間とは8年間ずっと一緒にサロマ遠征をしてきて、今年も当然のように同じスタートラインに立つ予定でした。それが訳あって今年のサロマ出場を断念。ご本人は凄く残念な気持ちだったと思いますが、私たちにとってもとても寂しく残念でした。その友だちが大会前に送ってくれたお守り(勝守り)を背負って今回は走りました。また同じ舞台に立てる日を思い描いて。 ![]() 一方で自分自身も毎年当たり前のように、この場所に来られるとは限らないのだなという思いにも至りました。家族の事、仕事の事、自分の体調、それに昨今は異常なランニング人気で、エントリーすることすら難しくなってきています。これまで毎年サロマへ来て、スタートラインに立ち続けて来れた事は、決して平凡なことではなく、非凡な事の繰り返しだったのだなと再認識しました。また来年も最善の準備をして、非凡な事に挑みます。スタートラインに立てると信じて。。。 ![]() |