Competition155(2)
レーシング155の中でもっとも過激でもっとも有名であったと思われる、DTM・ITCで活躍した155V6TIについてです。

そもそもDTMというのは何であったのか?から始めてみようと思います。80年代後半、FIAが統括するETC・WTCCのレースに対しそれらがGr.Aの車輛によって争われることに様々な理由からカーメーカー側が不満をもちはじめた頃、その反動ともいえる国内ツーリングカー選手権の人気が高まりをみせるようになったそうです。その中で1984年にドイツ国内のツーリングカー選手権として始まったのがDTM(Deuiche Tourenwagen Meinsterschaft)でした。特徴は、排気量によって有利・不利が出にくいレギュレーションとスプリントによる短期決戦だったようで、これを理由に人気を博していったようです。当初はETCの流れから各チームが用意できた車両はGr.Aの車輛だったようで、末期に見られた過激なものではなかったようです。

因みに155が参戦する93年までの優勝車輛は…

1984年…BMW635CSi
1985年…VOLVO24turbo
1986年…ROVER VITESSE
1988年…FORD SIERRA RS COSWORTH
1989年…BMW M3
1990年…AUDI V8 QUATRO
1991年…AUDI V8
1992年…MERCEDES BENT 190E 2.5-16 EVOLUTION II

意外とバラエティーに富んでいますね。MBの190EVOは2.3時代の86年から参戦しているにも関わらず初優勝は92年というのも意外です(優勝翌年93年は155に後塵を浴びせられ94年からCに替わってますので結局190EVOのDTM優勝は一回なんですね)。

93年から155が参戦しますが、実はこれはアルファにとっての初めてのDTM参戦ではなく、82年〜84年のETCにおいてクラスタイトルホルダーであったGTV6が初期のDTMにも参戦していたそうです。

さて、92年にレギュレーション上の主催者とのトラブル(カムシャフトの解釈の問題?)からアウディが途中撤退し、またBMWも新型車(当時の新M3)出場が認められなかったため93年からの出場中止そしてオペルは車輛が間に合わず93年出場は延期となり93年の継続出場のワークスはメルセデスベンツだけという事態になったことは155ファンの中では有名なことですね。そしてシリーズ継続の危機に瀕したメルセデスからの招待によりアルファロメオが155でDTM参戦をする運びとなりました。

DTM自体、93年からFIAの新しいツーリングカーレースの規格D1・D2で争われることになりましたが、D2での参加はほとんどなくDTMはより自由度の高いD1中心で争われ結局「DTM≒過激なD1カーによるレース」となり、他のヨーロッパ国内ツーリングカーレースとは一線を画した性格になっていくこととなったようです。

さてDTM(ITC)に参加した155、「155 2.5V6TI Tourismo D1」についてですが、まずはそのスペックから。

1993 1994 1995 1996
シリンダ配置 60度V6 60度V6 60度V6 60度V6
90度V6
ボア×ストローク 93×61.3 93×61.3 96×57.5 98×55.2
全長 4576mm 4576mm 4576mm 4621mm?
全幅 1750mm 1751mm 1751mm 1798mm?
全高 1410mm 1360mm 1360mm 1355mm?
軸距 2540mm 2540mm 2540mm 2540mm
トレッド幅 1460mm 1500mm 1500mm 1545mm?
重量 1100kg 1040kg -kg 1060kg
1040kg
圧縮比 12.5:1 12.5:1 12.5:1 12.5:1
最大出力 400-420HP
11500rpm
420-450HP
11500-
12000rpm
420-450HP
11500-
12000rpm
460HP
11500-
11800rpm

490HP
12000rpm
最大トルク 30kgfm
8300rpm
31kgfm
9000
-9500rpm
31.2kgfm
9000rpm
31.5kgfm
9000rpm

32.4kgfm
9000rpm
点火プラグ 1/cylinder 1/cylinder 1/cylinder 2/cylinder
燃料タンク
(配置場所)
110L
(トランク)
110L
(トランク内)
70L
(トランク)

70L
(キャビン)
140L
(後軸前)
駆動形式 4WD
(33:67)
4WD
(33:67)
4WD
(33:67)
4WD
(33:67)
トランスミッション 6速MT
6速MT
シーケンシャル
6速MT
シーケンシャル
6速
パドルシフト
セミオートマ
6速
パドルシフト
セミオートマ
タイヤ 254/650×18
254/650×19
254/650×18
254/650×19
254/650×18
254/650×19
254/650×18
254/650×19

D1の規定は大まかに次のようなものでした。連続した12ヶ月間に25000台生産された車をベースに、エンジンについては2500cc以下かつ6気筒以下の自然吸気エンジンで、同一メーカーが生産したものであるならば市販車搭載のエンジンとの関連は問われていなかったようです。DTMの参加グレードのベース車は2500以上生産されているという規定もあったようです。駆動形式は4WDも認められ、サスペンションは基本形式が前はベース車と同じ、後ろはそのメーカーが生産している市販車の何れかと同じというものでした(96年から完全自由)。更にその他様々な電子デバイスの使用も認められていたようで、正に市販車の皮をかぶったF−1をも凌ぐハイテク満載車が仕立てられていったのはご存じの通りです。

1993年(実は1年延期された)D1・D2車によるDTMがスタートしましたが、純粋なD1マシンを初戦から用意できたのは新規参入のアルファだけで、メルセデスベンツは純D1カーのCクラスが間に合わず前年まで戦っていたGr.Aエボリューションモデルの190EVO IIをD1対応させた車輛での参戦でした。最終戦には開発が終わったオペルのカリブラも姿を現しましたが、93年は実質155対190で、結果は全タイトル戦20戦中155の12勝(その他ノンタイトル戦で2勝)、190の8勝という結果でした。


1994年メルセデスにフルD1規格のCクラスが投入されオペルもカリブラでの本格参戦が始まりました。結果は全タイトル戦20戦中155の11勝(その他ノンタイトル戦で1勝)、Cの9勝(その他ノンタイトル戦で2勝)、カリブラの0勝(ノンタイトル戦では1勝)というもので勝利数だけでみると155優勢でしたが、ドライバーズ、マニュファクチャーともタイトルはCの手に落ちました。

1995年は、前年までドイツ外でノンタイトル戦として行われていたレースがITCの選手権となり、DTM7イベント14レース、ITC5イベント10レースが行われることとなりましたが、DTMの1レースが事故で中止となり、DTM13レース、ITC10レースで行われました。
結果はDTMでは、155が3勝、Cが8勝、カリブラが2勝、ITCでは155が2勝、Cが8勝、カリブラは0勝というものでした。この年の155はまったく振るわず結局Cの独壇場となった感ですね。当然DTMもITCもCがチャンピオンでした。

1996年は、全レースがITCに一本化され13イベント26レースが行われました。(ドイツ国内12レースドイツ外14レースそのうち1イベント2レースはご存じの通りSUZUKAでした。)
この年は圧倒的に強いメーカーがなく激戦となり、結局155が10勝、Cが7勝、カリブラが9勝というもので、93年、94年に続き3たび155の最多優勝回数でしたが、結局マニュファクチャーチャンピオンはオペルとなりました。(ドライバーズもオペル)


そして、アルファ及びオペルの97年シリーズ撤退表明が、4年に及んだD1レースの幕を引きました。

155は、D1タイトル戦全89レース中38勝、実に勝率42.7%を挙げたことになりました。93年の優勝がやはり大きな成果として扱われますが、190Gr.A EVO相手であったところに引け目を感じます(^^;。しかしその後も、94年・96年そして4年を通した最多優勝回数車輛が155であったことももっと注目されてもいいと思います。94年以降は相手もフルD1規格の地元ドイツ勢であったこともあるし…。

個人的には、カタチとして93年仕様が好きです。チャンピオンカーというより市販車のイメージを程よく残してる点と、カラーリングと、で。これが年を追うごとに進化していって過激な姿になっていくところも魅力ではありますが。カラーリングだけで言えば、94年モデルも結構好きです。栄光のゼッケン1・2を付けながら前評判の高かった本来の敵「C」相手に善戦していた94年もなかなか魅力ある年だったと思います。

DTM・ITCカーが市販の155とほとんど機構的な関連を持っていないことは155オーナーなら誰でも知っているであろうことですが、しかしやはりこのレーシングカーの存在は155に華を添えていることは確かだと思います。市販車ベースのレースカーやラリーカーの存在がイメージアップに繋がる例は数多ありますが、市販車とは全く関係ないレースカーが市販車のイメージアップにここまで貢献した例は稀有なものでしょう。メイクスがアルファロメオだったから成せた技だったのではないでしょうか?例えば実直なイメージのCの販売にDTMはあまり関係しているとは思えません。おそらく日本の155オーナーの殆どはDTMの存在、そして93年という年までを知っているでしょうが、日本のCオーナーの方々の何割がDTMの存在を、増してや94・95年という年を知っているでしょうか?

あんな過激なレースカーのイメージがここまで直結しているセダン…もうこんな車出てこないでしょうね。