155の生産台数(1) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オーナーの欲目を差し引いても日本では、155はアルファのセダンとしては比較的売れた方だと思います。…が、しかし一般には、特に156登場以降は155は失敗作だと言われていますね。 歴代のアルファロメオのセダンのなか155は成功作だったのでしょうかそれとも失敗作だったのでしょうか。そこで、生産台数から判断すると
う〜ん。どう見てもやはり「売れなかった」方ですね。日本では輸入元が安定しなかった時期に重なったためそれほど売れなかったのでは?と思ってしまう75の方が遥かに総生産台数は多いのですね。 この75の後釜という意味ではやはり非難されても仕方ないかもしれません。瀕死のアルファが最後に放った、どちらかというと特殊な機構を持ったセダンと、その後を継ぐクルマとしてフィアットに入ったあとオーソドックスな機構のもとにまとめられたセダン。スポーツカーならいざ知らず、セダンとしては後者が売れて然るべきだったのでしょう。 しかしアルファロメオに求められたものは違っていたのでしょうね。それにしてもフィアットの梃入れにも関わらず、何故それほどまでに低迷してしまったのでしょうか?その後の156の成功から逆説的に”脚の悪さ”が指摘されますが、それよりやはりアルファがフィアット傘下に入った事実を受け入れてもらうために時間が必要だったのではないでしょうか。アルファの独自性は大きく制限され、培ってきた技術の殆どは諦めさせられたという事実を。 大きく外していなかった75と、成功作の156の間に入った155は損をしてしまったようですね。先代の持っていたアルファの伝統という資産を生かすこともできずフィアット傘下のアルファという初めての試みを強いられ…。もし、155がなかったら156はここまで成功したでしょうか?75から直接156に移ったとしたら。アルファの伝統を捨てフィアットシャシベースになったネガをもっと言われていたと思います。しかし155はその部分を全て請け負いつつ「もはやアルファといえどもベースはフィアット」」の事実を認識させる役割を果たす結果となったように思えます。フィアット傘下になったことが十分認識されたなかで、そのもとでできる限りのアルファの独自性をもたされた156が生まれたからあそこまでヒットしたのではないでしょうか。155は「泣いた赤鬼」の青鬼の役だったんでしょうね(ってわかります?)。 単純に総生産台数を生産年数で割った年平均台数を見ていただくと、それほど悪くもないかな?と思いますが、アルフェッタとジュリエッタは並売していた時期があることを考えると(ノルド系)単独車種として売られていた155がそれらの各々と同等かそれ以下というのはやはりフィアットの期待を満たしいたとは言えないですね。少なくともこの数字が75を(…欲をいえば遥かに^^;)越えていなくてはいけなかったのでしょう。 因みにスッド系を掲載してみますと…
145/146も155ほど外してないにしても意外と苦戦してたんですね。 やはり、155と145/146は体制過渡期に当たってしまった不運なクルマかもしれません。しかし、フィアット体制化の初アルファの重責を負いながら、なんとかそれぞれ次の156と147というヒットに繋いだという意味では役目を果たしたといってもいいのでしょうね。 |