ブリスターフェンダー
フェイズIIIともよばれる、95年のマイナーチェンジ後の155はブリスターフェンダー化されていることはご存じの通りです。

ブリスターフェンダーの155は、155自体のデビューと同じ年、1992年に既に登場しているGTAからで、言わずと知れたコンペティションユース車輌です。Q4をベースにGTAの名の通り軽量化をはじめ、いろいろ手が加えられているようですが、外観上の大きな識別点は前後ブリスターフェンダーではないでしょうか?トレッドの拡大が理由でしょうが、とってつけたように見えず見事にブリスタフェンダー化されています。

1995年以降は全ての市販車がブリスターフェンダーとなります。そしてどちらとも異なるブリスターフェンダー155にザガート製の155TI-Z(コンポジット版・総アルミ版)があります。

因みに、市販車のマイナーチェンジ後の全幅は1730mmであることに対し、GTAの全幅は1800mmあります。かなり顕著なブリスターフェンダーといえるでしょう。

では何故市販車をブリスタフェンダー化したのでしょうか。まずトレッドの拡大が理由でしょう。何故トレッドを拡大したのか。これはモータースポーツ云々、コンペティションサイドからの要請などと言われることもありますが、これは無いような気がします。あったとしても絶対条件にはなっていないような…。1993年以降、モータースポーツで155のイメージアップ牽引役はDTM・ITCでしょう。これは、ご存じのとおり殆ど、なんでもありの状態で、市販車のトレッドの僅かな差などどうでもいいことです。イメージはDTMで打ち立てているのでその他のBTCCなどのためだけに全ての市販車のトレッド拡大は行わないでしょう。
では、何故トレッドを拡大したのか。コンペティションの要請については、あったのかもしれませんがそんなことより「ティーポ2/3」から引きずった脚をなんとかしたい、市販車のシャシを揶揄やれることに終止符を打ちたい、というのが最大の理由ではないでしょうか。実際、最初(マイナーチェンジ前)からフロント・サスのロアアームはティーポなどとは異なった、独自のものを使っていたようです。これでも未だ足りずにハブを換え更にトレッド拡大を行っています。これは、単に市販車としてこの制約の中でアルファとして拘ったシャーシにしたい、他車とは違ったアルファの脚にしたいという純粋な理由ではないでしょうか。また、ティーポ2/3シャーシを強要したフィアットにしても、独自のフロントロアアームを与えたもののあまりの世間の酷評に焦りを感じ、アルファとしてのアイデンティティを保持させるために更なる自由を認めることは必至であったのではないでしょうか。

車種 トレッド(F) トレッド(R)
155 2.0TS(-1995) 1465 1400
155Q4(-1995) 1480 1400
155 2.0TS(1995-) 1495 1425
155Q4(1995-) 1485 1420
155V6(1995-) 1500 1430
TIPO DGT 1430 1410
TIPO 2.0 16V 1445 1425
TEMPRA 2.0ie 1425 1415
DEDRA TURBO ie 1435 1415
DEDRA 2.0ie 1450 1420

もともと広くさらに広がったかったフロントを覆うためのブリスター化であったようです。しかもリアはリアフェンダーからリアドアパネルにまでかかる変更です。しかしリアは1425mmのティーポや1420mmのデドラもあります。フロントに広めのフェンダーと広めのフレアを用意すればリアの変更はせずに済みそうな値です。リアの値がもともと小さかったのは、アーム変更を含めたフロントでベストのセッティングを重視したオフセットをもったホイールをそのまま他車とかわらないリアにもっていったからのようです。よってマイナーチェンジによってハブ変更などで30mmほど大きくなっても他車から大きくかけ離れることはなかったようです。敢えてリアドアパネルまで交換してブリスタ化したのは何故?
ここで「コンペティション」云々を持ち出したくなりますが、冷静に考えるとブリスターフェンダーのコンペティション・カーはイタリアン・ツーリズモのGTA、しかも1年間の活躍のみです。DTMは、超オーバーフェンダー、BTCCはそれまでの量産車どおりのフェンダーフレア。つまり、ブリスタフェンダー=モータースポーツということはないのです。
では何故かと勝手に考えますとそれは単に155のスタイルに「ブリスタフェンダーが馴染み似合うから」ではないでしょうか?これはGTAを見て気づいたのかもしれません。しかしレースで活躍したGTAの威光にあやかって市販車にイメージをダブらせたかったのではなく単にスタイルが優れていたから採用したのではないでしょうか。

ということで、販売不振の155をより魅力あるシャーシに、より魅力あるスタイル(より似合うスタイル)を与えたかったというのがブリスタフェンダー化の理由で、モータースポーツ云々抜きにして言えることではないでしょうか?

さて、では何故最初からブリスタフェンダにしなかったのでしょうか?ザガートで、ブリスタフェンダーの155TI-Zを作ったときのザガートチーフデザイナーはIDEAから古巣に戻ったエルコル・スパダ氏です。155はブリスタフェンダがいけることを知っていたのですね。では何故最初から市販のデザインをブリスタフェンダーにしなかったのでしょう。不思議です。

次に、「誰」が市販車のブリスタフェンダーのデザインを行ったのでしょうか。そのときは既にスパダ氏はいなかったはずです。。ここではじめてコンペティションの世界が出てきそうです。おそらくGTAのスタイリングを決めた人物でしょう。どなたか情報をお待ちします。

さて、フェンダーフレアとブリスターフェンダーの量産155が存在しますが、どちらも違和感なくしかも間違いなく同じクルマに見えます(当たり前ですが)。これ見よがしに目立つ小さな部品の変更ではなく、大きなパネルが実は変わっていてそれでいて両車同じに見える…これはかなり巧妙な"大人の"スタイル変更だと思います。優しさをもつフェンダーフレアにも力強さをもつブリスタフェンダーにもどちらも魅力があります。しかもどちらの主張も強くないので、フェンダーフレア車をスポーティに仕上げても(BTCC車)、ブリスタフェンダをエレガントに仕上げても(正規輸入スーパーの紺など)まったく違和感がない、こんなところも155の魅力だと思います。

追記:
155GTAと155マイナーチェンジを繋げる人物に関する記事を探し出しました。それによりますと、155のマイナーチェンジはG.ピアンタ氏が依頼を受けたとなっています。そしてこのG.ピアンタ氏はアルファコルセのトップであった人物で、GTAの開発に始まるイタリア・スーパーツーリズモの参戦からDTM(ITC)への参戦まで関与していた人物です。即ちGTAの開発に関与していた人物が、155のマイナーチェンジの依頼を受けていたことになりそのスタイリングの応用も十分考えられます。
但しピアンタ氏自身は、当時アルファコルセを率いてた人物で元アバルトチームのトップそしてかつてはアバルトマシンのドライバーであったようです。よって彼自身が155(GTA及びMC後市販車)のスタイリングをデザインした本人であったわけではないのかもしれません。