ティーポ2/3計画
155ユーザーにとって「ティーポ2/3計画」は、ある意味忌まわしい言葉に響くかもしれません。「ティーポ2/3計画」は、「中身はティーポと同じ」「もはやアルファではない」「フルトレの足なんて…」などネガティブな言葉を連想させることが多々あります。ジュリエッタ・ベルリーナの正当な継承者で無ければばらばいという思想には足かせかもしれません。

しかし、翻ってティーポ2/3計画自体を少し掘り下げてみると、これはこれで興味深くしかも155がその異端の一員(しかし「正当な」一員)であることは155にアルファでなければならないという呪縛を離れた魅力を与えていると思えるのです。

さて、そもそもティーポ2/3計画とは何で合ったのか?ちょっと旧い雑誌等を紐解いてみようと思います。

ティーポ2/3とはセグメントごとのプロジェクトを意味する言葉として使われていたそうです。ティーポ2はCセグメントのティーポ/デルタ/145・146をさし、ティーポ3はDセグメントのテムプラ/デドラ/155をさしていたようです。つまり、ティーポ2/3計画とは、「ティーポ・テムプラ/デルタ・デドラ/145・146・155」を対象にしたプロジェクトだった訳です。(これが更にどんどん派生型に展開していったことはご存じの通り)

そもそもの発端は、フィアットが自動車の構造設計と生産システムについて旧来の思想にとらわれないよう自動車とは縁のないシンクタンクへその革新的提案を依頼したことに始まるそうです。自動車とは縁がないとはいえ、全く畑違いでは話にならないので、「構造設計」のプロという条件は外せなかったのでしょう。その依頼先とは、「ピアノ+ライス・アソシエイツ」でした!!…と、言われても全然ピンときませんが、実はかのポンピド−センターをデザインした設計者と建設の主任技師が始めた会社だったそうです。

ポンピドー・センターの設計・建設者ですので、奇抜で「え?これ?完成しているの?」というようなクルマを提案してきた…などということはなく、まさにティーポ2/3計画の母体となる提案があったようです。つまり「1.従来のモノコック構造にかわりボックス・セクションが形作るケージ構造を種構造体とし、2.樹脂部品を組み合わせた大きなサブ構造体を用意し種構造体に合体させる」という提案でした。(他にも提案項目はあったようですがフィアットが重視し実現に向けて研究したのはこの2項目であったようです)

なんだかわかったようなわからないような技術ですが、なんとなく「着せ替えクルマ」になりそうなニュアンスですね。

さて、このフィアットはこの提案を実現すべく研究をはじめさせることにしたそうです。そしてそのための組織があの「IDEA」だったということです。なんか、「ピニンファリーナ」や「ベルトーネ」といったカロッツェリアと同じ並びに「IDEA」があってティーポ・デドラ・155のデザインはそこが請け負ったという印象を持っていたのですが、どうもちょっと違いようです。そもそも「この提案」を実現するために組織された技術者集団が「IDEA」であったというわけです。

初期のメンバーは、前述「ピアノ+ライス・アソシエイツ」の主宰者建築家レンツォ・ピアノ氏を中心としていたようですが、クルマとして形作られるに従ってでしょうか、任務をまっとうした建築家グループはプロジェクトから退き本来の活躍場に戻っていったそうです。

そして走行実験者VSS(Vettura Sperimentale Sottosistemi=サブ・システム実験者)が実際に開発されるはこびとなっていったようで、このVSSのスタイリング開発はウォルター・デ・シルヴァ氏によって進められたということです。後に、アルファのチェントロ・スティーレが145/146そして156のデザインを開発するときにそのトップに就いていたウォルター・デ・シルヴァ氏です。

VSSは1981年暮れに発表公開されましたが、フィアットは「この提案」の成果を量産分野に適応することを決定したそうです。その対象はフィアット・リトモ、ランチャ・プリズマの後継車開発とし、これが「ティーポ2/3計画」となったわけです。

ちょうどこの量産化決定と同じ頃、IDEAのチーフデザイナはウォルター・デ・シルヴァ氏からエルコル・スパダ氏に交代したようです。

そして、先ずプリズマ後継車デドラのデザイン承認を受け、更にリトモ後継車の承認を受けます。リトモ後継車は、「ティーポ(Tipo=TYPE・典型)」というこの計画を象徴するような名前で先ず世に出ていったことはご存じの通り。

さて155はというと1986年に産業復興公社管理下から全面的にフィアット傘下に入ったアルファ・ロメオの75後継車154計画の白紙撤回版として開発がスタートしました。

こんな「面白いこと」をやっているフィアットととしては、Cセグメント155をその仲間に入れないはずはありません(「作り分け」という意味ではスポーツ方向にもっていく素材としてうってつけだったでしょう)。今や、ティーポ・デドラ・テムプラのデザイン開発を一手に引き受けていたIDEAには当然のように155も委嘱されました。これによってかつてザガートでSZやジュニア・ザガートなどを手がけていたエルコル・スパダ氏に再び、しかしとりまく情況が全く変わってしまったアルファ・ロメオ車のデザイン開発が委ねられたという数奇な運命を感じるような結果となりました。

そして生まれたのが155というわけです。

いかがでしょうか?ティーポ2/3計画自体は計画としてはなかなか革新的なもののように感じていただけないでしょうか。ちょっと遅れてやってきたその初期の正当なメンバー155には革新的計画を成し遂げたメンバーの一台としての誇りを感じては大袈裟ですか?

一方で綿々と続く「アルファのベルリーナ」の誇りとはまた別の存在意義を感じます。、