橋本弥寿子の肩肘張らないボランティア・・・その6「古民家と私」


○月×日、古民家「松沢家」が、赤羽自然観察公園に移築されることが正式に決まった▼南国、鹿児島で生まれ育った私は、子どもの頃、当時で築後100年以上経っていると言われていた古い家(もちろん木造の純日本建築)に住んでいた。木と和紙と土壁で出来ただだっ広いだけのその家は、”風通しの良さ”で夏はしのぎ易く、冬は5〜6枚の重ね着を必要とする構造。障子を通して射し込んで来る淡く優しい光に包まれ、素足に心地よい畳の感触、黒光りする板戸の手触りに親しみながら大きくなった▼天井のシミや、襖の模様から怖い想像をして眠れなくなったり、板戸の節穴からのぞく大人の相談事やちょっとした修羅場の雰囲気に不安をかき立てられることもあった・・・▼都会に限らず大きく変化した住宅環境の中で、子ども達の想像力の及ぶ余地はせばまり、家はミステリアスな場としての魅力を失っている▼公園の中、田んぼの上に、来年建てられる予定の茅葺きの古民家は、幼い頃のワクワクするような体験を、懐かしむだけでなく、次の世代に手渡していく格好の場になるだろう

ひこばえ6月・・・石渡春樹


  ボランティア会議がやむなく、自然分科会と多目的分科会の二部構成になってから2年の月日が過ぎ、遂に一つに統合する時が来ました。事務・広報・会計の三本柱で、新たな全体会が始まります。会議の中で最大の懸案事項だっただけに、お互いのわだかまりを越えてここに至ったそれぞれの努力に敬服します▼ 現在会議にいるメンバーは、ぎりぎりの所で足をふんばり残って来た方々です。何の私益もなく財を投じ、上位からの命令でもなく、時には効率さえ求めずに自らの意志であきらめなかった人々です。今後もこの粘り強さで、現場の作業や管理を等身大の所から一歩ずつ前進させていっていただきたい▼ところで、何が自分達を支えてきたのだろうかという質問があります。うんざりして眠れない思いの日々がありました。理解の得られなかった提案、ひたすら我慢の連続。耐えられずに去っていった人の多かったこと。しかし、考えてみると職業上のストレスよりはずっと平和だし、お互いに真剣さがわかるから救われるものがあります。そして、何より自然が好きで人間が好きだからやってこられました。この単純な一語につきるのではないでしょうか。個々人の理由は様々あるとしても、すでにお互いの生活の中におじゃまする程まで関わりはじめています▼これまで、何だかんだがあったとしても、共有した時間の長さは膨大であり、その中で真剣に議論してきたことの素晴らしさは、二度と得られない年月でした。公園の緑が徐々に繁茂するように、会議のメンバ-の心も豊かに茂り、実るように祈ら ずにはいられません。

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