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island of hope and tears presented by leida himemiwa






「メテオラに着いたら、電話して。あと、サロニカとベオグラードでも…忘れずにね。カミュにはもう報せてあるけど、でも、モスクワまで迎えにきてくれるそうだから、ユーゴの国境越えるときも……それから、そのあとは停車駅ごとに必ずこっちに連絡するんだよ…!」

「…大丈夫!……ちゃんとするから!」

発車間際の列車の騒音の中で、二人は大声で会話を交わしている。辺りは似たような人々の喧騒で賑わっていた。

「…それから、ミロ……ヤニナでワイン買うの、忘れないで……!」
「……忘れないけど、なんで?」

答えを聞く前に、列車は動きだした。


遠ざかる車窓に手を振りながら、アフロディーテはにっこりと笑った。
「サガが、寂しそうだからさ……」
その声は、ミロには届かない。


サガやアイオロスを素直に恋しがるミロに、ほんとうのことを教えることができないのがアフロディーテは辛かった。
言えるはずのない真相であることは充分に承知している。
言ったところで徒にミロを苦しめるだけなのだ―――今とどちらが辛いだろうかと改めて考えてみれば、結論は迷わざるを得ないのだけれども、少なくとも知らなければ余計な罪を負わずに済む。

きびすを返して、アフロディーテは歩きだした。
プラットホームの石畳に、靴音が反響する。
せっかく市街まで出てきたのだから、何か気の晴れるものを探してみよう。まだあのひとがいた頃の思い出に続くような、懐かしさにサガが少しでも慰められるようなものがいい―――。

未来永劫失われてしまった幸福な過去に縋るのは悪いことではない。あのかけがえのない日々に勝る未来などあり得ないのだから、忘れようと無駄な努力をするより、過去や現在や未来を引き比べて嘆くより、記憶に身をゆだねて楽になる方がいい。

その方がちゃんと前を見て歩いて行ける。

失われたさいわいを思って涙を流しながら忌まわしい過去と戦うより、そのさいわいが嘗てあったことを喜びながら瞳を凝らせば、はっきりと見えてくる未来がある。

いま、しなければならない沢山のことが目に映るようになる。

(……何がいいかな…)


持てる限りの愛で、自分たちを育ててくれたひとがいる。
そのひとが与えてくれたすべてが、自分を支え、守っている。

孤独ではないのだと知っていたから、いつもひとりでも歩いてこれた。












ごとごとと揺れる座席で、ミロは胸に掛けた十字架をそっと握り締めた。
箱型の座席が並ぶその車両は空いていて、向こうに老婆がひとり座っているのと、どうやら観光客らしい若者の二人連れがいるくらいで至って静穏だった。

ミロは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
冷たい黄金の感触を指先で確かめながら、夕暮れに染まるオリーブの林がどこまでも続くのをただ、眺めている。
こんなふうにギリシアを見るのは、初めてのことだ。

聖域と、ミロス島が知っている世界のすべてだった。

ずっと後になってカミュの生まれ故郷に行ってみたり、こうして彼のいるシベリアへ赴く機会があったりしても、自分の生まれた場所さえ、見たことがない。


そういえば、両親がどんな人なのかも知らない。

そんなことを思い煩う暇もないほど時の流れははやく、黄金の聖衣を纏う身の上になってからはさらに、悩むことも嘆くことも多くありすぎた。考えること、決断することに追われて、こんなにひとりでぼんやりすることがなかった。

丘に、葡萄棚が並んでいる。
黄昏に少しずつ影を濃くしながら通り過ぎていく風景は、何かを語りかけてくるようなのに、それでいて幻のようでミロは心細くなる。
(………アイオロス…)
いま、隣にいてくれたら何の話をしてくれるだろう、どんなふうに笑ってくれるのだろう―――窓枠に凭れて、考える。

見上げた空に青い月が浮かんでいた。
海の滄を銀に映したような、冴え冴えとした光の弓が遠い村の灯りの上で輝いている。
淡く光る帆をあげてはしるあの舟に乗った夜も、こんな三日月を見た。











その夜、モネンヴァシアの小さな港をサガに見送られて出発した。

手を振るサガの長い髪が海風に吹かれて、月明りを弾いて靄のように輝いていたのを覚えている。


頭上には満天の星と、青い三日月。
別れが辛くて泣きはらした瞳に、ゆらゆらと揺らいで映る。

「………眠っておいで……島に着くのは夜が明ける頃だよ。」
波を渡る風を孕む帆を引きながら、アイオロスが慰めるように言う。

舟は速く、艀に立つサガがみるみる小さく遠ざかって行く。

これがたったひとり、長い修練のための旅でなかったら、こんなふうに二人で海をはしるのはどんなに楽しいだろう―――そう思うとミロはまた悲しくて仕方なかった。
帆は、昼間見たときには古びて汚れていたはずなのに、いまは月の光で淡く輝く。舟底も、遠くなるモネンヴァシアの岩山も、魔法にかかったように青い。
「……アイオロスは寂しくないの…」
水を切る音のほかに、何も聞こえてこない。
「…ぼくがいなくなって……寂しくないの?」

できることならこのまま聖域へ帰りたい。
いつものようにアフロディーテが淹れてくれた温かい紅茶を飲んで、アイオリアと二人で、疲れて眠り込むまでベッドの中でたくさん話をして―――隣の部屋から扉の隙間を滑りこんでくる柔らかな蝋燭の光と低く囁くサガと、アイオロスの優しい声を聴いていたい。

「……すぐに帰ってこれるよ…大丈夫。」
アイオロスが言う。ミロは舳先から離れると、舵をとるアイオロスの側に立った。
「……おいで」
アイオロスの膝に据わってうずくまるように抱きしめられると、安心する。暖かな手が、優しく髪を撫でてくれる。

「すぐ…また一緒に暮らせるようになる……大丈夫だよ…」
「……寂しくない?」
「そりゃあ、いまは寂しいけど、聖闘士になれなくて、そのあとずっと一緒にいられなくなる方が寂しいだろう?」
聖闘士でなければ、聖域にはいられない。
ミロは言い返せなくなって黙った。蠍座の聖衣を纏えるようにさえなれば、ずっと一緒にいられるのだと信じていた。アイオロスやサガ、カミュやアイオリアとも、ずっと―――。

「……手紙、書くんだよ。」
「……うん…」


いまにして思えば不思議なことではあった。
あの頃の自分は、聖闘士になるのだということを、神々の覇権を争う『聖戦』とは結びつけてはいなかった。
「女神の為に戦う」という謳い文句は馴染のみのではあったが、それが本当は何を意味しているのか想像もつかなかった。

戦うために聖闘士になるのだとはどうしても思えなかった。


時折、あの眩しい黄金の翼を思い出す。

アイオロスの聖衣の背を覆うあの輝く翼―――アイオロスの小宇宙をうけて、光そのもののように軽やかに宙に舞う。
深い空の蒼に映えて、きらきらとまたたくのを見ているのが楽しかった。

それが、戦いに赴くための装束なのだとはどうしても信じることができなかった。


深い闇の中を行く列車に揺られながら、ミロはアイオロスの言葉を思い出す。戦わずに済むなら、その方がずっといいと微笑いながら、二人でよく星空を眺めていた。
《『聖戦』を避けられない運命のように言う人もいるけれど、ほんとうに変えようと思えば、変えられない運命なんて、……多分ないと思うよ…》
アイオロスがそんなことを話していた。
どんな気持ちで彼がそう言っていたのかが、いまは少し解るような気がする。それはおそらく、子供の頃言葉のまま受け取った意味とは少し―――少しだけ、違うのだ。



握りしめた十字架の形を指でたどりながら、ミロは目を閉じた。
祈りながら―――せめて夢の中で、あの日々を取り戻せることを願いながら。




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