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island of hope and tears presented by leida himemiwa
裏切られたような切ない気持ちは、いまも時折、胸をよぎる。 あのひと―――アイオロス―――が死んだ、と初めて聞かされた、あの幼い頃と全く変わらない熱さのままで。 あのまなざしの優しさや、穏やかな声が甦ってくる度に、締めつけられるように全身が痛む。 五月の木漏れ日溢れる丘の斜面で、ミロは目を覚ました。 オークの透明な葉陰が風に揺れているのを、眩しそうに目を細めて見上げている自分を、遠い世界の出来事のように感じている。 目覚めたら、アイオロスの笑顔に出会えると思っていた―――彼が、笑って名前を呼んでくれる気がした―――そんな、夢を見ていた。 瞳には現実感のない空が―――光る風に波打つ空が、映るだけで…… あれはもう八年も前のことで、あのひとが側にいない寂しさにはもう慣れた。 ただ、二度と会えないのだという現実を受け入れかねているだけのことで、ミロは当たり前のようにいつかまた彼と暮らせる日が来ると、心のどこかで信じていた。 その名を刻まれた古い墓標が確かにそこに存在してはいたけれど、ひどく無意味なものに思えて仕方がなかった。 いまでは、かつてその粗末な墓石の前で泣いてばかりいたことさえ信じられない。 それでも、解ってはいた。 彼が死んだ事実から逃れようというのではない。 遠く、ミロス島でその報せを受けたそのときの衝撃は、少しも色あせずにいまも、いつも胸を締めつける。 事件の後、聖域への帰還を長く許されず、やっとの思いで戻ったその時には、何もかもが手の届かない過去へと押しやられてしまっていた。 自分を出迎えて抱きしめてくれるはずだったアイオロスは、白い、冷たく真新しい大理石の墓標に名を刻まれただけの存在となり、そこで永遠の眠りについたのだと説明された。 人が死ぬということがどんなことか、もう知らない歳ではなかったから―――だから、何日も何日も、そこへ通い詰めて泣いた。 そのひとには、二度と会えないのだとミロは知っている。 そんなことは、初めから解っていた。だから、あんなにも泣いた。 それでも、ミロにはいつかまた彼に会えるのだろうと、否、会いたいのだという確信めいた思いがある。 アイオロスが自分に一言も告げずにいなくなることなどあり得ない。まして、永遠に失われてしまうのであれば。 立ち上がって、体に纏いついた下草を払いながら、もう一度オークの葉を見上げた。瑞々しい緑は光に透けて、優しくさざめいている。 それは、アイオロスの瞳に似た色だと思う。 懐かしくて、涙が出そうになる。 丘を下ると、聖闘士の墓所に続く道がある。 ゆるやかなその坂道は暗い松の林の間を縫って続く。ミロはため息をひとつついて、その坂を登り始めた。 通い慣れた砂利道の音がやけに耳障りで、眉間に皺を寄せながら、風のない谷間のよどんだ空気の中を歩いていく。 その白い墓石のまわりは、花が絶えることがない。 彼の名前が見えなくなるほどの幾重にも、とりどりの色鮮やかな花たちがいつも彼の死を悼むために供えられている。 それが贖罪なのか、単なる哀悼なのかミロには判らなかったけれども、不思議な光景であることには間違いなかった。 反逆者として誅殺されながら墓標があり、その墓前に花を供える者が絶えない―――この場所は聖域の最奥にあたり、少なくともここを訪れることができるのはアイオロスが何者で、どのように死に至ったかを知る者だけのはずなのに。 ミロはしばらくその様子を眺めていただけで、また歩き出した。 いつものように、そこに留まっている気持ちにはなれなかった。 空に、のばらが散ってゆく。 強い風が白い花びらを乗せて丘を翔け上がっていった。 「……早かったね」 風の行き着く先に、アフロディーテが立っている。 「……うん」 「もう少し、かかると思ってた。」 「……うん……」 急に沢山の感情がこみあげてきて、ミロは泣き出しそうになった。 アフロディーテの笑顔を目にした途端に、それまで堪えていたことが全部あふれだしそうになって何も言えなくなった。 彼にだけは何を言っても良いのだという安心感が、逆に言葉を詰まらせる。 「……今朝、ようやく咲いたんだよ。」 さしだされた花束は、懐かしい匂いがする。 いつもの薔薇ではなく、彼の両手いっぱいに咲く、白く可憐なケイパーの儚くも華やかな甘い匂いが、彼の微笑みとともに柔らかくミロを包み込む。 「……もう一度、行かないか?」 そう言うとアフロディーテは、無言で頷くミロに花束を託して坂道を下り始めた。 アフロディーテが薔薇以外の花を彼の墓に捧げるのを見るのは初めてだった。 ずっと以前、子供の頃―――彼がまだ生きていた頃のことをなぜか鮮明に思いださせるその光景を少し離れて眺めながら、ミロはぼんやりとした悲しみに身を任せていた。 ケイパーは風の神の花だ。 風の神アイオロスが住まう島一面を彩るという、神話に謳われたその花は、いま白い大理石の墓石に添えられて、何かを訴えるように揺れている。 「……駅まで、送るよ。」 アフロディーテが不意に振り返る。立ち上がると、そっとミロの頭を撫でた。 「……そうしていると、子供の頃のままだね、ミロは……」 そういえば、初めて彼の墓標と対峙したあの時も、こうしてアフロディーテが側にいてくれた。 泣きじゃくる自分を優しく抱きしめて、そっと髪を撫でてくれていた。その手の温かさが彼を思い出させて、余計悲しかったけれど随分と慰められた。 何かが胸にわだかまって、どうしても気持ちが落ち着かないのが、ミロは気がかりだった。 いつもの場所で、いつもどおりの生活を繰り返しているだけの一日のはずなのに、晴れた空にも、丘を翔る風にも、心がざわめく。 「…今日、サガの誕生日だね……」 アフロディーテがため息と共に呟く。 それは、そこに眠るアイオロスに向けられた言葉だったのかもしれない。 サガが行方不明になってから、八年が過ぎようとしている。 彼が失踪したことにしろ、アイオロスがいなくなったことにしろ、いずれにせよミロにとっては確かめようのないまま、無理やり飲み下すことを強要された出来事で、頭では理解しているその事実に、いまだに実感が湧かないのがもどかしい。 「誕生日…か……」 今でもサガはどこかで齢を重ねているのだろうか。 確かに生きているのだとしたら何処で、どんな風に―――。 そこにアイオロスは共に暮らしてはいないのだろうか。 まだ、聖衣を身に纏うことを許されていなかった子供の頃、誰かの誕生日といえばちょっとしたお祭り騒ぎだった。 子供たちがはしゃぎ回るのを見守るサガと、アイオロスのまなざしは優しくて、彼らに名前を呼ばれるだけであたたかなやすらぎに満たされたのを憶えている。 サガの誕生日は格別の季節で、五月の終わりの木漏れ日に、何もかもが輝いて見えていた。 あの頃―――あのふたりがいつかいなくなるなどと、思いもよらなかった。 「……忘れられないものだね…」 「…忘れたいのなら、忘れられると思うよ……」 アフロディーテの言うとおりなのだろう。忘れたくないと思っているから、忘れない。聖域は、風景のそこかしこに彼らの思い出を深く刻み、時に鮮やかにその光景を浮かび上がらせては、新たなやすらぎと悲しみを残された者に与え続ける。 丘の斜面にいたあの頃のふたり―――いま、ミロがアフロディーテと並んで歩く細い砂利道を、楽しそうに語り合いながら散歩していたサガとアイオロスをミロは思い出している。 振り返るアイオロスの穏やかな笑顔、サガのどこか寂しそうな横顔、それから―――。 アイオリアのことを思う。 彼の苦悩や困惑に、同情するようにはなった―――つい、最近になってのことではあるけれども。 もっとも、アイオリアのその気持ちを理解はできなかったし、しようとも思わない。 血の繋がりがあらゆる運命に優越する絆だとは、ミロには思えなかったから、「裏切者の弟」としてアイオリアを見たことなどない。 第一、アイオロスが裏切者だなどと、どうして思いつくことができるのだろう?―――よしんばアイオロスが本当に聖域に叛旗を振りかざしたとしても、その時自分は、自分なら迷うことなくアイオロスに味方する―――それほどに、彼への信頼はミロにとって当たり前のことだった。 ただ、そうではないかもしれない者に、それを強要できないだけのことで。 アイオリアが自分の感情を上手に表に出せずにいるのを、ミロは今でも少し苛立たしく感じていた。子供の頃は許しがたくて、腹立たしくて仕方なかったその不器用さを、いまは愛しいとさえ思うのだけれども―――。 |
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