その1 妖精事件







■ザシキワラシ■


夜明け前に起きだすその時間は変わらないものの、日課である庭掃除をすっかり放棄して、望は毎朝暗いうちから墓地の片隅の崩れかけた土塀に凭れて妖精が現れるのを待っていた。

あの日から、5日目の朝。

日が高くなっても、妖精は現れなかった。
あの朝消えていった、隣家の裏庭の方から再び現れるような気がして仕方なくて、望はまんじりともせずに低い、壊れかけた編竹の垣根を見つめていた。

あれからずっと、昼も夜も、あの妖精のことばかり考えている。
もしかして、自分は夢を見たのだろうかと、時々思う。
もし、また現れたらどうしたらいいのだろう、とも考える。
話したり、一緒に遊んだりできるのだろうか。

言葉は、通じるのだろうか。


それから、隣家の住人のことを考えた。

いつもまっ黒い服を纏っている、背の高いその人とは、時々出会うことがあると挨拶を交わす程度で、あまり話したこともないし、どんな人なのかそれこそ全く知らない。
檀家ではないらしくあまりこの寺との付き合いもなく、隣人らしい近所づきあいもあまりなかった。
墓地に接するその古い建物の薄暗い裏庭には、不可思議なガレキの山があって、それが周囲の美観を損なっていると主張する祖父は、折に触れその隣人について愚痴をこぼす。望も、寺を訪れる客人たちもいつもそれを聞かされていた。
その裏庭に、あの妖精は消えていった。
あの不思議な機械やガラクタでできたガレキの山に棲んでいるのかもしれない。


もしかしたらあの人は、あの妖精のことを知っているかもしれない。
そう気がつくと、いても立ってもいられない気持ちに胸が高鳴ったけれど、だからと言って、あの黒衣の隣人に、何をどうやって説明すればいいのだろう?

そもそも、尋ねていいことなんだろうか?

秘密だったらどうしよう?

途方に暮れながら、望はすっかり明るくなった午前の墓地を後にする。
今日も、あのみずいろのカタマリは現れなかった。

急に寂しくなって、望は立ち尽くした。
会いたい―――。





「墓場に出るってんなら、オメェ、そりゃ「ヨウセイ」じゃなくて「ヨウカイ」だろ」
「妖怪はあんなにぴかぴかじゃないし、フワフワもしてないよ」
望が早朝の墓地でオバケを見たと騒ぎだして以来、顔を合わせればその話ばかりで、その日の昼食の時間も相変わらず望はその「みずいろの妖精」について熱っぽく語りつづけている。子供の空想に真面目につきあう自分も物好きな、と自嘲気味になりながらも、あの日からずっと赤精子は望の話相手になっている。
「ぴかぴかとかフワフワとか…」
「それに女の子だったよ!」
そりゃ、ホントにどっかの女の子を見間違えたんじゃないかと、赤精子はもう何度も望にそう言っている。
しごく当然なその大人の見解が望は気に入らないらしく、「絶対に違う」と言って譲らない。
「オンナノコの妖怪ってのも居たよなぁ…」
「…そうだっけ?」
赤精子の何気ない一言に、きょとんと見あげてくる望の瞳はきらきらと輝いていた。
「えっと…」
望は、そのまま天井を見上げる。
何かを思い出そうとしているのだろう。

「……ザシキワラシ?」
しばらくして、望はぽそっとつぶやいた。
「…ザシキワラシって……女の子の妖怪だよね?」
「そうそう。けど…ありゃあ東北の妖怪だぜ」
やっと見つけたと思った妖精の正体をあっさり否定されて、望は肩を落とした。

赤精子の昼休みの時間はすっかり過ぎていて、祖父の少し怒った声が本堂に響いているのが聞こえてきた。
望は、慌てた様子もなく厨房を出て行く赤精子の背中をぼんやり眺めながら、やっぱりあのみずいろのカタマリは妖精だったと思う。
昔話に出てくる妖怪たちはどれも寂しげで、薄暗い影を纏っている。
絵本の挿絵もどこか寂しげだったし、身に付けているものもとても地味だった。
あんなに暗くてじめじめと湿った墓地の真中で、まるで自ら光り輝くようにきらきらしていたあの鮮やかなみずいろは、本で知っているイギリスの妖精よりもっとずっと華やかだった。


「……ザシキワラシ…」
食事の片づけが終わったら、本で調べてみよう。
自分の部屋にある子供向けの本には載っていないかもしれないけれど、祖父の書庫にある古い本や絵巻の中になら見つかるかもしれない。
そこまで考えついて一応満足すると、望は食べ終わった食器を手際よく重ね集めて流し台に運んだ。







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