その2 満月の魔法







■発端■


秋の名月はまるく大きく、光を弾いて白く輝いている。

墓地に花開くヒガンバナは青い月光を浴びてなお赤く、しんしんと深い澄んだ空気に佇んで眺めていると、夢の奥底にいるようだと望は思う。


ヒガンバナが墓地にぽつぽつと咲き始めてから、望はこの夜をずっと楽しみにしていた。
仲秋の名月と、赤いヒガンバナ。

毎朝、墓地の掃除のあいまにヒガンバナの花芽を観察しながら、この日が来るのを待っていたのだ。
咲き初めのヒガンバナと、普賢と、まるい月。揃えて見たらどんなにか綺麗だろう、と、この頃は気もそぞろになっていた。いざ当日になってみると夜遅くまで空は曇り、「今日はもう晴れないね」と普賢にも言われて、寝付けないまま布団に入った。

カーテンの隙間から、かすかに漏れる月の光に、空が晴れたことを知ったのは、もう夜中の12時を過ぎた頃だった。普賢は、望のとなりですやすやと眠っている。
その月を見逃してしまうのはどうしても勿体なくて、眠たいとむずがる普賢を引きずるようにして、もう涼しさを通り越して寒いくらいの夜気の中を連れ出した。


いきなり夜中の散歩にと、気持ちよく眠っていたところを叩き起こされた普賢は不機嫌ではなかったもののかなり眠たいらしく、ひょっとしたら自分たちがお揃いのネグリジェにカーディガンを羽織っただけというとんでもない格好をしていることにも気づいていないのかもしれない。
「望ちゃん、また今度にしようよ…」
「何を言う。今日の満月は特別なのだ。」
繋いだ普賢の小さな手を握りしめながら、望は空を仰いだ。
「…満月じゃないよう。」
目をこすりながら、ぼんやりした声で普賢が言う。
「…今年の仲秋の名月は満月じゃないよぅ。理科年表で確認したからホントだよぅ…。」
仲秋の名月といえば満月と思い込んでいた望は、やや愕然とした。
「…だから満月が見たいなら明日にしようよ……」
普賢の声は消え入りそうに小さく、半ば眠っているようだった。
それでもこんな些細なことに的確に突っ込んでくるあたりが、普賢らしいと言えば実に普賢らしく、望は反論できずに言葉に詰まった。月は燦々と輝いている。


一度は引き返そうかとも思ったものの、折角の月に誘われるようにふたりは玉虚寺の境内を通り抜けて、裏庭に続く小さな墓地にたどりついた。いつも並んですわる、墓地の端の大銀杏の根元にふたりで腰を下ろし、望は普賢と、月と、墓地に咲き始めた赤い花とを交互に眺めた。思えば初めて出会った時も、この花が咲いていた。(出会ったのは朝だったけれども。)

もう、何年も前になる。

あの頃も普賢はとても小さくて色鮮やかで――――

「……普賢?」
余程眠たかったのか、普賢は望の肩にことん、と頭を乗せると、そのまま寝息をたてはじめた。
こんなに寒い中、結構な薄着で出かけてきたのに、眠られてしまっては風邪でもひきはしないかと心配だったが、もう少しの間だけ月夜を楽しみたかった望は、普賢の髪をそっと撫でながら、ヒトリゴトともつかない話を始めた。


「…と思うのだが。」
ひとしきり話しおわっても、普賢はやっぱり眠ったままで返事はなかった。実はとてつもなく長い、今更ながらの普賢への愛の告白だったのだが、普賢の耳に届いていなくても構わなかった…というよりはむしろ、恥ずかしいので聞かれたくないという気持ちも僅かにあった。

「……聞こえてはおらんようだな?」
照れながら普賢の鼻先をそっとつつく。普賢はすうすうと安らかな寝息をたてるだけで、やはり返事はない。
もし聞こえていたらどんな反応をするだろうと考えながら、寒さにも負けずに眠りつづける普賢に少し呆れている。
このところ忙しかったからのう、と口には出さず普賢の寝顔にそっと呟く。文化祭だ、体育祭だ、遠足だ、と秋の高校は何かと忙しい。生徒会の役員などをしている望にも、マイペースを崩さない普賢にも平等に嵐のような多忙と雑用は一度に押し寄せてきた。片付かない準備のせいで、ふたりは今日も学校に遅くまで居残っていた。

「…のう普賢。」
普賢は答えない。
「おぬしとわしの間に子供ができたら…」
言葉を途中で切って、望はそっと普賢の表情をうかがった。もし起きていれば「男の子同士で子供はつくれないよ」という突っ込みが入るハズなのだ。寝たふりを決め込んでいるとしても、微かに表情が変わるのを見逃すはずもなかった。
「……」
普賢の表情は変わらなかった。しばらく眺めていても、寒そうに肩をすくめただけで、すうすうと眠っている。

「…子供ができたら、どんな子かのう」
普賢が寝ているのか起きているのか確かめるための冗談のつもりだったが、望は内心、そのことを思うとひどくどきどきした。ずっと小さな頃から、時折望の心を占めてきた、それは夢のような(というよりはまさに夢としか言いようがない)想像で、幼い頃の普賢そのままのような子供が、ふたりのあいだに生まれて育つ――――考えるたびに胸が高鳴って、現実にはありえないと解ってはいても、心を捕らえて離さなかった。
子供の頃興じたままごと遊びが、楽しくていまだに忘れられないのかも知れない。


「…男の子と女の子、どっちがいい?」
普賢の頭の重みが肩に心地良く、明るい月を眺めながら、望はそっとつぶやいた。
男同士では妊娠も出産も不可能なのは確かだけれど、もしかしたらあの日普賢と出会った時のように、ふたりの子供がふいに授かるのかもしれない。月夜に浮かぶヒガンバナを見ていると、ふとそんな気もしてくる。
「…どちらにしてもカワイイに違いない…」
顔はどちらに似ているだろう、性格はどちらに似ているだろう…とりとめもない話が次から次に湧き上がってきて止まらない。
そして――――
ふいに望は黙り込むと、そのまま俯いてしまった。
深い、深いため息が口をつき、閉じたまぶたから涙が落ちた。







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