その1 妖精事件
■望■
小学校就学前とはとても思えない聡明さだと近所でも評判のその子供は、近郊一帯の檀家を一手に引き受ける古い大名刹に住職の祖父と、修行中の青年僧侶と3人で暮らしている。 名前を望、という。 早朝、秋にはまだ日も昇らない時刻から本堂の前庭を掃き清めるのが日課で、その日も吐く息が白いほどの寒さのなか、さくさくと身の丈より長い竹箒を器用に操りながら石畳を掃いていた。 落葉の季節は、掃き掃除も普段より余計な時間がかかる。 やがて朝日にあたりが黄金に染まり、空が明るく青く広がる時間になっても、きりもなく降ってくる楓や銀杏の鮮やかな葉は一向に片付かず、やがて望は諦めて箒を動かす手を止めてしまった。 そのふと息をついた瞬間に、小さな影が本堂の裏へすうっと消えていくのを見た気がした。 「…?」 本堂の裏手は墓地に続いていて、こんな朝早くに用がある人がいるとも思えない。 胸騒ぎを覚えながら、望は竹箒をそっと塀に立てかけると、その気のせいかもしれない小さな影を追うように裏庭の方へ走って行った。 その時の光景を、望はその後何度も夢に見た。 余りにも印象的で、鮮やかな色彩に溢れた、 不思議なその光景―――。 みずいろの小さな妖精(妖怪か子鬼か、魑魅魍魎の類かもしれない)が、墓地に咲く名残の曼珠沙華を楽しそうに摘んでいる。 明るく輝くようなみずいろのコートに、鮮やかな真紅の花を沢山抱きかかえて、妖精は無邪気に笑っていた。 そっと銀杏の大木の陰から伺う望に気づく様子もなく、少し頼りない足取りで墓石と卒塔婆の間をひらひらと歩いては、赤い花に手を伸ばして摘み取っていく。 そのひどく浮世離れした光景を、望はそのままに受け取って興奮していた。 どこの子だろう、という疑問さえ湧かなかった。 人間の子供だとは、微塵も思わなかった。 小さくて鮮やかに輝くその色彩のカタマリは、さほど広くもない墓地の目につく赤をあらかた摘んでしまうと、墓地とは低い壊れかけた垣根をひとつ隔てただけの隣家の裏庭に、なんの躊躇いもなく消えていった。 望は、追いかけたい衝動と、不思議なモノを見た興奮でドキドキする胸とぼうっとなった頭を持て余しながら、随分長いあいだ銀杏に凭れていた。 (幽霊じゃ、ないよな…) ちゃんと、足があったし。 確か、自分よりずっと小さいみずいろの靴も見た。 耳まで真っ赤になるほど、顔を赤くして、望はそれから走り出した。 頭の中で、何かがぐるぐると激しく回転しているような、熱いもやもやしたものが胸からこみ上げてくるような、何もかもに興奮して、じっとしていられなくなっていた。 珍しく頬を紅潮させて、とりとめのないことを早口でまくし立てる望の様子がどうにもおかしいので、額に手をあててみると、どうやら発熱している様だった。赤精子は仏壇の掃除の手を止めて、何かを必死で訴えようとする望を寝かしつけることにした。 布団に押し込まれながらも、一生懸命喋ろうとする望の言うことは、実のところ全く要領を得ていなかったのだが、修行の合間によく望の面倒を見ていた赤精子には、さすがにその訴えたいところが伝わってくる。 要するに、早朝の墓地にオバケが出た、と言いたいらしい。 そして、それがひどく気に入った様だった。 「そいつぁ良かったな」 言いたいことは沢山あるのに、言葉がみつからなくて苛立ちながら尚も話しつづけようとする望の科白をその一言で遮って、 「いいから、もう寝てろ」 そう言ってにっと笑うと、赤精子は部屋を出て行ってしまった。 後に残された望は、高い天井の細かい格子細工を見あげながら、あのみずいろの妖精のことを思い出していた。 落ち着かなくて布団の中で何度も何度も寝返りを打ちながら、やがて疲れて眠りに落ちるまでずっと、小さな手のことや、笑顔のことや、みずいろの靴のことを考えていた。 |